逆行した進藤ヒカルのTSモノ   作:アオハルなんて無かった

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其の五

 テレビの前でおかっぱ頭の少年は父の対局を見守っていた。彼は塔矢アキラ――名人……塔矢行洋の息子である。

 

 幼少期より囲碁一筋でその類稀なる才能から既にプロ顔負けの実力を持っており、中学二年生になる今年――プロ試験に挑む予定だ。

 

 そんな彼はヒカルと行洋の対局を見て戦慄している。

 芸能人に疎い彼でも『アイドル・サイ』の名前は聞いたことがある。だが、単なるアイドルが名人である自分の父と互先で一歩も引かずに戦っているという事実には度肝を抜かれた。

 

「彼女も僕と同じ中学一年生だと言っていたが――こんなに強い子がいたなんて……」

 

 ヒカルの棋力は問答無用で父や緒方に匹敵する。しかも彼女は自分と同じく今年のプロ試験を受けると豪語していた。

 

 自分と同期になるかもしれない同級生の手合にアキラは釘付けになっている。

 

(――悪手だと思えたオサエが今になって生き始めている。父さんはそれも読んでいたけど、決め手にかけてるみたいだ)

 

 中盤戦に入り、ヒカルの一手が邪魔をして攻めきれない父にアキラは息を呑んだ。

 父が負けるとは考えられないが……そのまさかを起こそうとしているくらいヒカルの白には勢いがある。

 

 握りしめた拳が密かに震えていることに彼は気付いていなかった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

(――塔矢の親父さん……、やっぱ冷静だな。ペースを握って、これだけ仕掛けても躱され続けるとは思わなかったぜ……)

 

 一方、ヒカルは塔矢行洋の確かな実力に舌を巻いていた。序盤での攻防で少しだけ良い形が作れたと思っていたが、ゆっくりと形勢が逆転しようとしていることを感じ取ったからだ。

 

(ここは、多少荒らしてでもペースを掴みたくなるところだけど……。いや、佐為だったらきっと――)

 

 ヒカルは自分の中の佐為に従って中盤戦以降も手を進める。

 もちろん、それは鋭い手であり――解説の一柳もそのセンスを絶賛していた。

 

 しかし、行洋がここに来て勝負に出る。ヒカルの迷いを感じ取るように地を荒らしてきたのだ。

 

 ここで、一気に勝負を決める――先程まで冷静にじわじわと躙り寄るように攻めていた名人が急に人が変わったようにペースアップしたので、ヒカルは面食らってしまう。

 

(――私が迷った場面で容赦なく切り込んできた。つーか、この人……こんな乱暴に荒らして来るようなタイプじゃねーだろ)

 

 ヒカルの知る塔矢行洋はがむしゃらに攻めるようなタイプではなかった。名人らしく受けて立つような威風堂々とした棋風であったと記憶している。

 

(これじゃまるで()()()()じゃねーか。こんなやり方……佐為(わたし)には通用しねーぞ!)

 

 彼女は行洋の怒涛の攻めも静かに受け流そうと手を進める。

 読みの深さには自信があるヒカルは行洋が地を如何に荒らそうとも、対応できる自信があった。

 

 

「驚いたねぇ。名人がこんなやんちゃな攻め方をするとは――。こんな面白い手合……プロ同士の対局でも中々拝めねーぞ」

 

 一柳はまるで若手棋士のような荒っぽい攻め方をする塔矢行洋の碁に驚いていた。

 およそ名人らしくない打筋にどんな意図があるのか……トップ棋士である彼をしても読めない……。

 

 伝わってくるのは――気迫。まるで、進藤ヒカルという棋士に語りかけるような――。

 

 

(――右辺の対応が遅れちまった。一目損したか……。だけど、こっちが緩んでいる。だったら私は――)

 

(さすがに簡単には崩れないな。中学生とは思えないほど老獪で成熟している碁を打つ。だが、私が見たいのは――()()()だ!)

 

 終盤戦に差し掛かり、細かい攻防が繰り広げられている。

 行洋の一手から放たれる威圧感は更に増し――ヒカルも負けじと最善手を模索する。

 

(佐為は絶対に負けない……! あいつの碁で神の一手に近付くんだ――!)

 

 彼女は佐為の力を信じて白い碁石を盤面に打ち込む。

 碁の打ち方……、奥深さ……、厳しさ……、そして何より楽しさを教えてくれた彼に報いるために――。

 

 

 

 

 ――そして、二人の対局はついに最終局面を迎えた。

 

 

 

 

 

 

「……なぁ、伊角さん。俺より年下のアイドルが名人と対等にやり合ってるんだけど……」

 

「……俺はどっちかと言うと名人の攻め方に驚いてるよ。こんなに荒らすようなことやらないだろ? 普通は」

 

「ねぇ、和谷。これって……どっちが良いのかわかる……?」

 

「序盤はサイちゃんが良い形を作ったと思ったけど……。こんだけめちゃめちゃに荒らされちゃあな……」

 

「僕にはどっちが良いのか全然分かんないや。本田さん、分かる?」

 

「……い、いや。ほとんど互角だし……、自信を持ってどっちとは……」

 

 院生たちは集まってヒカルと行洋の対局を見守っていた。

 今年もプロ試験をもちろん受ける予定の彼らにとって必ず関門となるであろうヒカルの棋力を測る数少ない機会。それなら、みんなで研究しようということで、みんなで集まってテレビを見ていたのだ。

 

 一柳棋聖がネット碁で負けてしまったことは和谷から聞いていたので、ある程度強いことは何となく知っていたが……実際にテレビで名人に果敢に挑む彼女の姿を見ると悔しくもあり……嬉しくもあった。

 

 この美しい棋士と将来競い合うことが出来るかもしれない……という期待は彼らに一層のやる気を与えたのである。

 

 “アイドル棋士”サイから生まれる完成度の高い一手は――若手棋士たちに活力を与えていた――。

 

 

 

 

 

「サイちゃん、苦しそうですね。塔矢先生が荒らして来たときには、どうしちゃったのか不安になりましたけど……」

 

「名人には、名人の考えがあったんだろう。実際にあのまま攻めた方が俺は勝率が高いと睨んでいたが……、あえてこうやって攻めてみせたのは、あの少女に何か伝えたいことがあったのか……」

 

 芦原と緒方は自分たちの師匠がアイドルと対局する様子を眺めながら、行洋の意図について会話をしていた。

 

 緒方は荒らさずとも行洋は勝てたと考察し、わざわざこのようなリスクのある打ち回しをした理由はヒカルへのメッセージなのではないかと持論を述べる。

 

「伝えたいことって何ですか?」

 

「俺が知るか……」

 

 だが、行洋の意図するところは結局のところ本人しか分からない。

 彼は決して意味のないことをするようなタイプではないので、何か未来を見据えてのことだろうという推論を……緒方は敢えて口には出さなかった。

 

 

「おそらく、名人の三目半勝ちといったところだろう。予想以上の逸材だったな。あの年齢で名人とこれだけ打てるんだ。近い将来、タイトル争いをすることになるだろうぜ」

 

「うわぁ、次のプロ試験を受ける子たちは災難だなぁ。アキラくんもいるし……、一つの椅子を争わなきゃならなくなるんだ」

 

 緒方が当たり前のようにタイトル争いという言葉を出したので、芦原は今年のプロ試験を受ける若手たちに同情した。

 飛び抜けた実力を持つ中学生が同じ年に二人も受験するのだから……同時期に受ける棋士たちにとっては堪ったもんじゃないと……。

 

 

 テレビの画面の向こう側で涙を流して悔しがる彼女には――年相応の幼さが残っているようにも感じられた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(ちくしょう……! 負けちまった……、出来ること全部やったのに……、塔矢の親父さんの揺さぶりに日和って……、ペースを崩されちまった……! 佐為なら、あんな無様にやられるなんてあり得ねーのに! 何やってんだ……私は)

 

 ヒカルは悔し涙を堪えきれなかった。負けたからではない。佐為の碁がブレてしまったことへの後悔だ。

 

 塔矢行洋が名人らしからぬ荒れた碁を打った――それだけでメッキが剥がされたような気がして堪らなく悔しかったのである。

 

「本来は君が()()()()()()のではないかね?」

 

「えっ――?」

 

 俯きながら涙するヒカルに、行洋は穏やかな口調で言葉をかけた。

 まるで全てを見透かしたような彼の視線を彼女は受け止めることが出来ない。

 

「プロの世界で待っている。今度は是非とも()()()を見せてほしい……」

 

 このとき、ヒカルは行洋の言葉の意味を完全に理解した。

 彼は自分が居なくなった佐為の真似事をしていることも全部知っている。それで、途中からブレてスキを作ってしまったことも……。

 

(はは、やっぱこの人は只者じゃねーや。あの佐為がライバル視するだけはあるぜ。そうだ。私の打ってる碁はまだ偽物だ……)

 

「――だけど、私はこの碁を打ちたい。誰が何と言おうと……佐為の碁を……。今度は本物をお見せします……」

 

 この台詞を口にしたとき……ヒカルは敗北して――初めて行洋の目を見た。

 彼女の目には強い意志が宿っていた。

 

 例え……棋士として、間違った選択だとしても……彼女にとって偶像とも言える佐為に成る目標は捨てきれない。

 

 それは憧れを通り越して崇拝に近い感情なのかもしれない。

 

 

「――そうか。……では、最後にもう一つ。君は碁が好きかね……?」

 

「――ええ。もちろんです。()()()()()()()()()()()()ことが何よりも幸福だと考えています」

 

 視線を逸らさずにヒカルは行洋の問いかけに答える。

 ヒカルは碁が好きだ。愛している。でも自分よりもずっと碁を愛していたあいつは碁石に触れることすら出来なくて――だから自分がそいつの代わりに打ち続ける――。

 

 彼女は今回の敗北で自分の甘さを知り……、それでも自分の向かう方向は変えられないと――心の底からそう悟った――。

 

 

 

 負けたとはいえ、名人を相手にして名勝負を繰り広げたアイドルは全ての囲碁ファンに夢を与える。

 

 彼らは彼女がプロ棋士になる日を今か今かと待ち望んでいた――。

 

 




いきなり名人戦……負けイベントですいません。
次回はプロ試験とか。


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