夜空の星が瞬く。静まり帰った町並みを抜け、ブレーダーの回転する音だけが響いた。
町の外れの高台で柚菜はたった一人、夜空を眺めていた。明かりは街灯と町から届く光のみ。一基だけ置かれている望遠鏡は夜空ではなく、町並みを映している。
「はぁ、兄様になんて言ったら許してもらえるのかな……」
柚菜は屋根付きのベンチから飛び降り、望遠鏡を覗きこもうとした。
「君はどうしてこんな場所に?家族が心配しているんじゃないか?」
柚菜は声のする方へ振り返り、暗闇から人の気配を探る。
「君はラーシュの妹さん?」
「えっ?は、はい、そうです。あなたはえ~と……ネフェルティアさん?」
ネフェルは手首に付けた小型ライトで周囲を照らしている。
「覚えていてくれたんだ。ネフェルって呼んでもらって構わないよ。君は一人でここに来たのか?」
「はい……でもどうしてここにネフェルさんがいるのですか?」
「ラーシュから連絡を受けたんだ。妹さんが家出してしまったから探すのを手伝ってほしいってね。でも無事で良かった」
「その……初めて会った時に酷いこと言ってしまってごめんなさい」
「えっ?ああ、兄妹喧嘩してた時だね。全然気にしてないよ」
ネフェルは心中を察したのか、柚菜の乱れた髪を結い直す。
「柚菜は髪が短いから束ねるのは似合わないと兄様に言われてしまいました。お母さんはお父さんの好みに合わせて髪を束ねているんです。兄様はどんな女性が好きなんでしょうか?」
「どうしてそんなことを?直接ラーシュに聞けない理由でもあるの?」
「兄様のお母さんを見る目がどうしても尊敬しているだけとは思えないのです。どう言ったらいいかわかりませんが、まるで恋をしている男の人のような気がするんです」
「フフッ、それは考えすぎじゃないかな?血が繋がってなくても愛情こめて育ててくれた母親を大切にしようとする、ラーシュの感謝の気持ちの表れかもしれない。私にも両親がいないからなんとなくわかるよ、ラーシュの気持ち」
「やっぱり兄様が変わってしまったはネフェルさんがきっかけなのですね」
「えっ!?な、何でそう思うの?」
背の低い柚菜がブレーダーで底上げされた上背のあるネフェルの顔を覗きこむ。
「似ています」
「似ている……?」
「ネフェルさんの雰囲気が柚菜のお母さんと似ているのです」
ネフェルは絶句した。ブレーダーが夜風に吹かれ左右に揺れる。
「――柚菜、見つけたぜ!」
恭真が涼しい顔で柚菜の腕を掴んだ。
「恭真兄さん……」
「あっ!?お姉さんが何で俺たちの秘密の場所にいるんだ?」
「恭真兄さん、こんな場所でサッカーしてるの?人の迷惑になるからダメって、お母さんに怒られたばかりなのに」
「は、ははは。ラーシュ兄ちゃんが人がいなければ迷惑にならないって言ってたから、大丈夫かなぁって思ってんだけどやっぱりダメ?」
恭真はネフェルに聞いたつもりだったが返事がない。
「お姉さん、どうしちゃったの?風邪でも引いた?」
「――やはり夜風は体に毒かもしれぬ。外套を持っていて損はなかった」
ラーシュが遅れてやってくる。ブレーダーの起動音がしない。高台まで歩いて来たようだ。
「ラーシュ……」
ネフェルはラーシュの顔を見るな否や、町並みに視線を移した。
「柚菜、母上が困っている。心配ばかりかけさせるというのなら、兄として拳を振り上げざるを得ない」
「暴力はダメだよ!ラーシュ兄ちゃん!」
「兄様は一度たりとも柚菜に手を上げたことはありません。それなのに柚菜が子供だからって驚かせようとするなんて、昔は優しい兄様だったのに!」
「なれば致し方ない。実力行使あるのみ!!」
「ラ、ラーシュ!?」
ラーシュは両手で外套を持つとくるんと柚菜を包む。ブレーダーを起動させ膝を折り曲げると、腕で揺りかごを作るように抱き上げた。柚菜は状況が飲み込めず赤と青の瞳を見つめる。顔を赤らめ外套で顔を隠してしまった。
恭真は唇を震わせながらネフェルの背後に回る。
「お、お姫様抱っこ……?」
「さて帰ろう。それとネフェル、夜分遅くに呼び出してすまなかった。礼と言ってはなんだが食事をご馳走したい。我が家に来てもらえぬだろうか?」
「そうだぜ!お姉さんにもラーシュ兄ちゃんが作ったカレーを食べてもらいたいんだよ!」
「招待してくれるのは嬉しいけど気持ちだけで十分だ。明日も本部に行かなきゃいけない。まだ仕事が山積みなんだ」
「そうか」
「なーんだ。せっかくお姉さんに宿題教えてもらおうと思ったのになぁ」
「うつつを抜かしている場合ではない。寝つく前に手合いをせねば母上に言い訳が立たぬ。恭真、わかっているな?」
「えー!やっぱりお姉さんも来て――」
ネフェルは別れの挨拶もなく姿を消した。冷たい夜風に吹かれ恭真がくしゃみをする。
ラーシュたちは三日月を背にもと来た道を歩く。柚菜は鼻まで外套で覆い寝息を立てていた。
「なんかお姉さんの様子が変だった。柚菜と喧嘩でもしたのかな?」
「そのようには見受けられなかった。なにより乱れていた髪が綺麗に整っている。おそらくネフェルが結ったのだろう」
「……兄様」
「むっ、起こしてしまったか?」
「ずっと寝たフリをしていました」
「そうであったか。柚菜には多々誤解させるような言動をしてしまった。不器用な親不孝者であるが、これからも私を信じてついてきてもらえぬだろうか?」
「それは柚菜を兄様のお嫁さんにしてもらえるということでしょうか?」
「な、な、何を言うか!?柚菜はまだ子供だ!それに将来など私如きに保証できぬ!」
「ははは!ラーシュ兄ちゃんが顔真っ赤にしてるぅー!」
「ふふふ。冗談ですよ、兄様」
家に着くと母が出迎えた。氷のような冷たい視線がラーシュに浴びせられる。
「随分楽しそうだが、夜遅くにお喋りとは感心しない。近所の迷惑になることを考えていないのか?」
「申し訳ありません。全て兄としての私の不手際です。いかなる罰も甘んじてお受けします」
「外で説教する気はない。ラーシュは皿洗い。柚菜は風呂に入れ。そして恭真は――」
「うぅ……」
「肩でも揉んでもらうか?但し、宿題が終わってからだ」
「やっ、やったー!喜んでー!」
手合いを免除された恭真は玄関の扉を開け。喜びのあまり勢いあまって段差に足を引っかけた。手をつき腕があらぬ方向に曲がる。骨が折れてしまったようだ。
予想だにしない出来事に母は二度と『アメ』を与えることはしないと固く誓うのであった。