余人をもって代えがたい
恭真と柚菜が眠りについた頃、台座に置かれた凶極刀の前でラーシュは正座をする。刀に語りかけるように瞑想を始めた。
(己が何者なのか、一度たりとも悩まなかったことはなかった。育ての親との血の繋がりはない。実の親の素性もわからぬ。それでも母上や父上は私を見捨てなかった。むしろ人一倍気にかけていてくれた。それだけでも多大なる恩義をこの身一つで実感する。貴様には理解できぬだろう)
(貴様はなにゆえ私の仲間を傷つけようとする?目的は何だ?家族を引き離そうと言うのなら、私とて腹を括らねばならなくなる……まだ沈黙を貫くつもりか?)
(何も答えぬと言うのならそれでもよい。たとえ己の運命を魔刀に握られたとしても屈指はしない。逃げたりはしない。地を這ってでも抗い続ける。大切な者たちが私を支えてくれているのだ。苦楽を共にし絶望の淵に立たされても手を差し伸べてくれる者たちがいる。そんな私が貴様のような邪心にまみれた小物に跪くことは決してない。挫けるものなら挫いてみせよ。魔刀なら魔刀らしくずる賢く私の首を刎ねてみせよ――)
「ラーシュ、寝ているのか?」
暗闇の中、ラーシュはゆっくりと目を開ける。隣には母が立っていた。手にはみすぼらしい刀が握られている。
「少しばかり母上と父上との思い出を振り返っておりました。その手に握られているのは?」
「柚菜が飛び出して行った時にふと思い出した。穴蔵に隠していた刀のことはな。そういえば私の騎士が家を飛び出してから三年経つか」
騎士とは恭真と柚菜の父のことだ。父は三年前に行方を眩まし音信不通となった。
「父上は必ず母上の元に帰って参ります。それまでは必ず恭真と柚菜をお守りします。母上は心配なさらず、あまり考えすぎない方が体のためです」
「私よりラーシュの方が深い悩みを抱え込んでいるように見える。その刀が原因なのか?」
「この刀はあまりに傍若無人。血の気が引くような思いもさせられました。私の手に負えるような代物ではありません。穴蔵にでも押し込んでしまおうと思います」
「そうか。だが息子を丸腰で仕事に向かわせるのは母としても心苦しい。これを持っていけ」
「これは母上の……!?」
母は畳に刀を置いた。
「これは私たち夫婦の魂であり思い出そのものだ。月の出る時であれば力を発揮できるんだが、ラーシュには力を使いこなせない。それでも何も持たないよりかはいいはずだ」
「ですが
「三日月刀か。フッ、ラーシュらしい呼び方だ」
「私でも父のような恐れを抱くことなく、死をも達観できるような立派な騎士になれるのでしょうか?」
「ラーシュは恭真と柚菜の騎士になってくれ。それだけで十分だ」
「父上は私の夢。母上は余人をもって代えがたい存在」
「どういう意味だ?」
「他意はありません。母上のお力は有り難く拝借致します。魔刀は恭真の手の届かない場所に納めください」
ラーシュは三日月刀を手に取ると寝室に入っていった。母は凶極刀に手を伸ばす。
「この刀、見覚えがある……!?」
母は凶極刀を持つと穴蔵に入り、厳重に封をし地の奥底に埋めた。着物が汚れたが気にも留めず庭に出る。その夜、月は雲に隠れたまま夜明けまで顔を出すことはなかった。
――
――――
――――――
「パドン、アイツらの逃走先は掴めたか?」
ヒューガーはイヤホンでパドンと連絡を取り合っている。どうやら事件が起きたようだ。ネフェルと行動を共にしているが、ラーシュはまだ自宅を出たばかり。
合流には時間がかかる。
「ターゲットは三人。ジェットの下っ端みたいだけど油断は禁物。数では不利だから一人ずつ確実に仕留めないと」
『三人はバラバラに動いてる。ブレーダーを使ってるから二人とも気をつけて』
ケイコがネフェルに注意を促す。パドンが新たな情報を与えた。
『ラーシュの兄貴はあと五分で合流だってさ。かなりすっ飛ばしてるみたいだけど、スピード違反で捕まるのとパドン様たちがとっ捕まえるのどっちが先か――』
「無駄口は任務が終わってからにしろ。目の前に冗談が通じねぇ連中がウロチョロしてんだ。ネフェルは俺についてきてくれ。ケイコ、パドン、ラーシュがいなくてもしっかり頼むぞ」
ヒューガーが発破をかける。ネフェルは一段とギアを上げた。
ビルとビルの間を走り抜ける。スロープを駆け下り大通りに出た。車と人が行き交う中、縦横無尽に駆け巡る。信号が青になった瞬間には交差点を渡りきっていた。
『ネフェル、アラートが鳴ってる。緊急走行だから罰則はないけどスピード出し過ぎないようにね』
「大通りに出ると体感スピードが遅く感じる。いつも狭い教習コースを走ってたから公道だと感覚が狂うなぁ」
『ネフェルの姉さん、張り切ってるって感じ?あっという間にリーダーを引き離しちまったぜ』
『ブレーダー履きたての頃のラーシュみたい。張り切りすぎて空回りしてたんだよ』
「フフッ、ラーシュらしい」
ネフェルのイヤホンに呼び出し音がなる。ヒューガーからだ。
「そっちはどうだ?こっちは一人確保した。手を貸した方がいいか?」
「ええっ!?もう捕まえたって!?」
ネフェルは甲高い声を上げた。
「俺のブレーダーじゃジェットに追いつけない。だからヤツラが逃げ込みそうな場所をケイコに特定してもらったんだ」
「なるほど。袋小路に追い詰めたってわけだね」
「いや、袋小路に追い詰めてもヤツラは壁を駆け上がって逃げちまう。ゴキブリみたいにな」
「ならどうやって……」
「俺の手足はケイコ特製の伸縮性を持った素材でできてるんだ。それなら敵が射程圏内に入れば距離があっても捕縛できる。ケイコに射程の計算と敵の行動予測を任せてたんだが、相手はまんまと術中にはまったってことさ」
「ははは、さすがケイコだ……」
『ネフェル、近くにジェットが潜伏してる!』
「えっ!?近くにいるって!?」
ケイコの声に集中していたネフェルの横をジェットの下っ端が猛スピードが走り抜ける。酒の残り香が鼻をつく。
ネフェルは風圧でよろけバランスを崩した。壁にぶつかりそうになり手を伸ばした。
腰に腕が伸びネフェルを支えるように立つ人物がいる。
「この暖かい温もり、もしかして……」