本部にある教官会議室でネフェルは窓からブレーダー教習コースを眺めている。生気のない目には慣れないブレーダーに四苦八苦する教習生が映る。
艶のある黒髪は毛先が痛んでいた。
心配そうに見つめる同僚のフレイナが、ネフェルの肩を揉みながら上から顔を覗きこんだ。
「そんな魂が抜けたような姿で指導したら教習生が不安になるわ。シャキッとしなきゃネフェルらしくない」
「フレイナ、いたんだ。全然気づかなかった」
「チームに所属してから元気なくなったって、ここにいる人間関係に無頓着なマブライが気にしてたわ。ねぇ、無理してチームに馴染む必要ないんじゃない?」
「それは私自身の問題だ。一人でいた頃よりは行動範囲が広くなったけど、その分責任感も強くなった。心身ともに強くなったって感じているよ」
ネフェルの前にいるフレイナ・イライスンとマブライ・ヒャッコは教官仲間だ。三人は同期でネフェルとフレイナが十八歳。マブライは二十歳になったばかりだが、立場的には二人の上司に当たる。
「ちょっと待って。もしかして好きな人でもできた?それとも失恋した?」
「……」
「今日のネフェル、なんか変ね。いつものネフェルだったら『自分のことで精一杯だから誰かのために神経をすり減らすエネルギーはないんだ』って突っぱねるのに……」
「やっぱり私、おかしいのかな?アルマダに入ってから胸が締めつけられるような感覚と心をまさぐられるような感触が同時に押し寄せてくるんだ」
「ちょっと待って!それって――」
蛇のような目付きの男が二人の間に頭を出した。色白の顔が恐怖を掻き立てる。
「ちょ、ちょっとマブライ!?驚かさないでよ!ネフェルと大事な話してるんだから!」
「へー、上司に向かってその口の聞き方はないんじゃないか?」
ネフェルは上司のマブライを前にしても表情は変わらない。
「でもあの転んでもただでは起きないネフェルが自分から組織の一員になることを望むなんて、あたしは一ミリたりとも思わなかったわ。マブライだって同じことを考えてたわけだから」
「あー、本部だって上下関係が固定化されてる。職員は組織の一部。上官あっての部下。だからネフェルがチームのメンバーになったとしてもボクはなんとも思わない」
「ちょっと待って。いきなり先輩風吹かせるなんて下心でもあるの?」
「ネフェルが闘技祭の時から変わろうとしていたことは周知の事実。フレイナもボクも『アルマダは役員以上に仲間意識の強いチームだ』って評価を下したんだ。ザスクード実技主任もネフェルはいいチームに巡りあえたと手放しで喜んでいた」
「ザスクード実技主任が……?」
ネフェルはうつむいた。窓から一羽の鳩が荒々しく飛び込んできた。
「噂をすれば影。ザスクード実技主任の伝書鳩じゃない。ネフェルの宛の手紙を持っているわ」
フレイナとマブライは顔を見合わせた。
「あっ、これは本人しか解読できない
「ちょっと待って。あなたの頭の中が普通じゃない。デリカシーが無さすぎ。手紙の中身までベラベラ喋って上層部の人に聞かれたらなんて弁明する気なの?」
「はー、それより中身を確認しなくていいのか?不穏な気配が手紙から伝わってくるが、ネフェルが封を切らなければ何も起きない。億劫ならフレイナが化然石を使って代わりに解読することもできる」
「それってあたしが紺色の化然石しか発動できないからって遠回しに皮肉ってる?」
「あっ、そうだ」
「ほんとあなたって嫌みな男。それでネフェルはどうしたいの?」
少し間を置き悩むネフェル。伝書鳩から手紙を受け取ると自身の化然石で文字を浮かび上がらせた。
手紙の文字に指を滑らせながら重い口を開く。
――ワタシの愛しき娘、ネフェルティア――
あなたに手紙を認めるのはいつぶりだったかしら。
中々顔を合わせる日が訪れない寂しさは言葉に表現できないわ。
ネフェルティアがワタシの元を巣立ってからどこにいようとも、あなたが感じている苦しみや悲しみはワタシの中に流れ込んでくるの。
あなたの気持ちを分かち合えるのはワタシだけなのよ。
もし、あなたの心に絡みつく赤と青の糸を解きほぐしたいのならワタシに会いにきなさい。
あなたの助けになる力をあげる。
いい?
このことはシレジアには内緒よ。
あなただけに教えたい特別な秘密。
大丈夫。
あなたは本部でただ一人の
終末の聖女の生まれ変わりなのだから。
待っているわ。
あなたの唯一の理解者
メルデ・ヴィルヘルミナより
ネフェルはポケットに手紙をしまうと、マブライが胸ポケットから四色の化然石を机にばらまいた。
「化然石の扱いがお粗末ずきる。教習生が見たらなんて言い訳するつもり?」
フレイナの注意を気にも留めずマブライは化然石を一つ指に挟んだ。
「石を体に密着させると安心する。子供の時からの癖だ。だけど同色じゃなければ危険性は在し得ない」
「それで?恋占いでもしてくれるの?的中率80%の石占い師は伊達じゃないものね。教習生からひっきりなしに相談を持ちかけられるって評判だもの」
「キミの関心事は一年前に占ったはず。片想いの相手は未だ無関心。現状も変化なし」
ネフェルは話を聞き終える前に会議室から出ていってしまった。
「ネフェル……」
「あっ、あっ……」
歯をガタガタ震わせているマブライの姿にフレイナは目を丸くした。
「何をそんなに怯えているの?」
「こっ、これは――」
机に広げてある四色の化然石全てにヒビが入っていた。時間が経つにつれヒビは伸びていき、綺麗にパックリと割れてしまった。
「どうして割れるのよ!?あなた何を占ったの!?」
「そうじゃない!これは不吉の予兆だ!あの手紙に悪辣な意思がとり憑いていたんだ。本部を中心に極めて実害のある障気が立ち込めている。いち早く手を打たないと取り返しのつかないことになるかもしれない……」
「割れた石からそんなことまで視えるの!?それであたしたちは何をすればいいの?教習生や役員に退避指示でも出せば、少しはまともな未来になったりする?」
「その前にネフェルの手紙について報告しにいく。ザスクード実技主任なら対処する術を知っているかもしれない。それと本部にいる人間に手紙のことを伝えるな」
「どうして?緊急事態なんでしょ?連絡は早いことに越したことないじゃない」
「事実が把握できない以上、不必要な混乱は避けたい。それに避難できたとしてもネフェルの身に危険が及ぶ未来は変えられない。まずフレイナには役員のレイン・カウンティとアルマダのケイコ・エディンソンを繋いで情報共有手段を急ぎで確立させてくれ。ボクはザスクード実技主任のところに行って、本部を封鎖できるかどうか掛け合ってくる」
「ネフェルは大丈夫よね?帰ってくるでしょ?」
フレイナの言葉にマブライは頷いた。
「帰る場所を守るのがボクたちの仕事だ」