赤レンガの館がその街の外れにはあった。
豪雨が去った後の燦燦とした日差しを浴びる館はおそらく今から百年以上前の明治時代に建てられたと見える様式だ。
古いながらも庭と共に手入れが行き届き、見る者に上品な印象を与えるその館は雨雲が過ぎ去った後の穏やかな春の日の日差しで照らされていた。
館の二階の一室で春の日差しに照らされ、スミレ目を覚ました。
目に入る天井は常日頃から見慣れていた周知の物。
しかしその表情は暗い。
一貫性のある、気品ある美しさとは裏腹にその表情は昨日の天気のように暗いままだ。
原因は分かっている。ここはスミレが長年暮らしてきた場所ではあるが、今となってはこれまでとは決定的な違いがある。
自分はもうこの館で一人ぼっちだという事だ。
「あらスミレさん気が付いたのね! 本当によかったわ何事もなさそうで。
昨日は本当に心配したのよ。あの凶暴そうな怪獣のせいで肝を冷やしたわ」
「……ご迷惑をおかけしました」
「いいのいいのあなたとアタシの仲だしね」
スミレの傍らにいたのは近所で病院を開いている女医だ。
もう中年を過ぎた年齢になっているにもかかわらずエネルギッシュな人でスミレも長い間世話になっている。
「それよりあなたを助けた人にお礼を言っておくのよ。
昨日の大雨の中わざわざあなたを運んできてくれたんだから」
女医が言うには昨日雨の中、土砂崩れに巻き込まれて倒れていたスミレをわざわざ病院まで連れていったのは旅行者の青年だという。今どき珍しいほど親切なその彼が一階でスミレを待っているとか。
「そうですか。ならお礼を申し上げなくてはいけませんね」
スミレは身支度を整え広い居間へ降りていく。居間で待っていたのは黒いジャケットに同じ色のつばの広い帽子という服装をした、どこか風来坊のような雰囲気の青年だった。
スミレは青年の瞳をじっと見る。
自分とは大違いの、困難があっても進んでいける長い生を生きていける人間だと分かった。
その事実に、どこか後ろめたい気持ちを抱く。
「私はスミレと申します。先日はご迷惑をおかけいたしました「俺の名はクレナイ・ガイ。なに、困ったときはお互い様さ」
スミレの予想と違い、青年は気さくに受け答えた。
それと同時に青年の名を聞いたスミレは息をのむ。彼と面識があるわけではない。
しかし
それほどの有名人だった。
その後も動揺を隠しとおしたスミレとガイの取り留めのない話が続いていく。
どうやら彼はこの日本だけでなく、世界中を旅してまわっている本物の風来坊だという。
そうして話が一段落したあたりでスミレは、ふと傍らに座る女医に気づかわし気に声をかける。
「熊野さん。大石さんの診察の方は大丈夫でしょうか? いつもは確か毎週水曜の午前中にしていたと思うのですが?」
「あらやだ私ったら! じゃあスミレさんあとは若い人同士でよろしくね!
……あまり気を落とさないでねスミレさん。私もこの町の人たちも皆あなたの味方だから」
「……ありがとうございます」
そう言って熊野女史はあわただしく出ていった。それを確認したスミレはガイの方に向き直る。
僅かな所作から見える緊張にどこか煤けた疲弊を感じる表情。
ただでさえ倒れたばかりで暗い表情をより暗くしたスミレにガイは確信する。
なにか、事情があるなと。
「昨日は雨の中私を助けていただきありがとうございました。……でもあえて言わせていただきましょう。
どうして私を助けたのですか? クレナイ・ガイさん。いえ、ウルトラマンオーブ」
そうこのクレナイ・ガイという青年はただの風来坊ではない。
遠い昔五千年前に存在していたイシュタール文明全盛期の頃より、地球で戦い続けているウルトラマン、ウルトラマンオーブが彼の正体である。
如何にこの星に来て長いと言えど宇宙人以外で彼の正体を知る者は少ない。
生きている地球人で知っているのはおよそ3人。
それ以外はもう長い眠りについた。
「君は……気づいていたのか!?」
「ええ。私もあなたと同じ宇宙人、この星の人々にとっては望まれない異邦人ですから。
それなりにこの星に来て長いですし」
そう言ってスミレは自身の出身惑星を告げる。
それはガイにとっても聞き覚えのない名前の星だった。
彼女曰く周辺の星との星間戦争の末に滅び、今はもう跡形もなくなっている。
スミレはその戦争の末期、少年兵をしていたという。
「私は偶然宇宙船を入手し滅びゆく母星から一人何とか落ち延びました。けれど少年兵である私には宇宙船の碌な操縦法もわからず彷徨ううちに────気が付いたら百数十年前のこの星にたどり着いていました」
人間にとってはこの国の年号が明治だった頃の大昔、しかしスミレやガイの様な長命な宇宙人にとってはほんの少し前に思える過去。
当然のように死の恐怖すら感じず、いつかは自分も戦いの中死んでいくのだろうと思っていた当時のスミレは生きていたといえるのだろうか。
故にスミレは自身の始まりを地球に降り立ったその日であると定義している。
「重傷を負った私をこの館の主である園崎家の方たちはかくまってくださいました。
どこの馬の骨とも知らない私をです」
それは遠き日の懐かしき、今となっては哀しみと共に語られる思い出だ。
「当時の園崎家の当主であった旦那様と奥方様は私の身を憐れみ、この家の一員として迎え入れてくれました。当時の私はまだこのような人間の姿をしていなかったというのに」
「それは凄いな」
ガイは園崎家の行為に感服する。
今より昔の異質な物への忌避の強かった時代にどこの誰とも知れぬ宇宙人の命を救ったのは並大抵の優しさや勇気のなせるものではない。
地球だけでなく何もかも異なる人々の間に起きる対立をその目で見てきたガイは心からそう思う。
「ええ。本当に優しい方たちでした」
スミレは昨日のことのように思い出せる。まだ虚ろな目をした自分に話しかける夫妻の笑顔を。
それはスミレの記憶の中でも一番美しい物だ。
「それから私は園崎の使用人として生活することとなり、今に至るまで園崎家の方々にお仕えしてまいりました。
地球のことなど何も知らない私にとって難しい事もありましたが────私に愛情を注いでくださる方たちの為に働く生活はとても楽しい物でした。
あの外の菫を植えた花畑が見えますか?」
そう言ってスミレは外に視線を向ける。屋敷の庭には丁寧に整えられた花壇があり、そこには菫を始めとする多種多様な花々が咲き誇っている。
その美しさは花に興味のない者も自然に足を止め見とれるような、温かみのある鮮やかさがあった。
「ああ。綺麗な花畑だ」
「ありがとうございます。奥様が私に名づけてくれたスミレという名前──その基になった花の種を私が地球に来てから一年後に下さいました。
それから私は菫を始めとする花々を育ててまいりました」
花畑の事を語るスミレは少しだけ自慢げだった。
「園崎家の方には花のお名前を持つ方も多かったので、新しく家族が増えるたびに新しい花を植えて、今では花畑もここまで大きくなりました」
そう話すスミレはどこか嬉しそうだった。
花畑にまつわる園崎家の人々との思い出が蘇ってきているからだろうか。
しかしその表情はすぐに一変する。自身のおかれていた現実を思い出してしまったからだ。
「……でももうこの花畑を世話する必要はなくなりました。もう園崎家の方は一人もいらっしゃらないのですから」
「一人も……?」
「────はい。十年ほど前に亡くなった旦那様は厳格な方で、反発された菊乃お嬢様は家を駆け落ちして家を出て行ってしまいました。そしてビートル隊に勤務されていた蓮司様は、4年前のマガオロチとの一戦で、戦死されました」
「マガオロチ、か……」
魔王獣と呼ばれる大怪獣の頂点に立つ大魔王獣マガオロチとの一戦────それはガイにとっても他人事ではなかった。魔王獣と呼ばれる強力極まりない怪獣の頂点に立つ大魔王獣マガオロチとの一戦はどうにかガイに軍配が上がったがその過程ではビートル隊の隊員などに多くの犠牲者が出た。その中に園崎家の人間が含まれていたとしたら。
「……すまない。俺の力不足で君の大切な人を失わせてしまった」
「あなたを恨んではいません。私もあの怪獣の強さは分かっています。むしろ良く蓮司様の仇をとってくださいました」
そう言ってスミレはガイに向けて頭を下げる。
しかしその声は抑揚がなくどこか気の抜けたような虚ろさがあった。
「……そして先日奥様がお亡くなりになりました。親戚の方とは疎遠でしたので、奥様はこの家と財産のかなりの割合を私に相続させるよう遺言をなさいました。
奥様がそれほど私を大切にしてくださった事はとても嬉しいです。でも」
そう言ってスミレは言葉を切る。そのマリンブルーの透き通った瞳には次々と涙が浮かび、流れ落ちていく。
「私一人がこのまま生きていて何の意味があるのでしょうか。もう、この花畑を見せてあげたい方もっいないのに……!」
大雨の後のやや強い風を受け、花々は何も言わずにただ揺れていた。
爽やかな日差しが燦燦と降り注いでいるのにもかかわらずに。
(まずいな。どうしたもんかなこりゃ)
数日後、園崎家の屋敷から歩いて十分ほどの蕎麦屋の中でガイは悩んでいた。
どうすればスミレに生きる希望を取り戻すことができるのだろうか。スミレが自ら命を絶つことがないように、あれこれ理由をつけてこの地にとどまりスミレを見守っているのだが、ガイの言葉は一向にスミレを元気づけることはない。
無理もない。スミレにとって大切な園崎家の人間はもう一人もいないのだから。
無論赤の他人であるガイにスミレを見守義務などはない。
しかし袖すり合うのも多生の縁というが偶然のか細いつながりが一生の宝物となる事もある事をガイは人生経験から知っている。
それにあそこまで摩耗した人間を見捨てることは彼にはできなかった。
(他人の事情に踏み込むのはいい事じゃないとわかってる。でも俺は────)
ガイにとっても大切な人を失った経験はある。それは自責と絶望を伴う悲痛な物であったが、その果てにあったのは────
「お客さん待たせましたね、はいざるそば一丁!」
「オオ、待ってました!」
そこまで考えた所で頼んでいた蕎麦が来た。
悩んでいても仕方ないとガイは食べ始めるが、そのうまさに目をむく。
「うん! うまいなこの蕎麦!」
天ぷらといったトッピングなどのないシンプルな蕎麦であるのだが、麺に程よいコシと歯ごたえがあり、さらに特別製のつゆが素材の良質さを引き立てている。
薬味のわさびも良質な物を使っているのか、程よい辛みでガイの舌を刺激する。
「こんなにうまい蕎麦は久しぶりだな。お代わりを頼むよ」
「はいざるそばいもうっちょー! そう言ってもらうとここの一人娘としては照れるな~。
ご先祖様の写真だけじゃなくて味の方でも有名になるといいんですけどね──」
「ご先祖様の写真?」
「あああれです。あれあの古そうな奴」
そういって少女が指さしたのはカウンターの上に張ってある写真だった。
セピア色に色あせたそれにはどこかの森林をバックに黒い恐竜の様な怪獣と銀色の巨人が映っている。
「あれは……驚いたな」
ガイはその写真の見覚えがあった。ガイにとっても因縁深い地である旧ルパシカ皇国の森林地帯でキングザウルスⅡ世という怪獣と戦った時の写真だ。
あの時は確か地元のモロゾフ卿という若い貴族がその光景を写真にとって新聞に載せていた事をガイは覚えている。
長い活動でも現代ならともかくあの時代にオーブの姿がメディアに登場したのはあれくらいだ。
「私の母が北の方の国の出身なんですけどご先祖様から受け継いでいた品の中にあれがあったんです。
四年前のウルトラマンブームのおかげで今は落ち着いたんですけどあの写真目当てのお客さんが沢山……あれ? どうしました?」
「い、いや。なんでもない」
人とのつながりは思わぬところである物だ。蕎麦をすすりながらガイはそう感じた。
そうしてガイが蕎麦のお代わりを食べ終えた所だった。蕎麦屋の玄関の引き戸が勢い良く引かれ、少女が一人入ってくる。
「はあっはあっ……すいません道を教えてください! 」
息を弾ませた少女の背には大荷物。蕎麦屋に飛び込んだ勢いのまま声を張り上げる。どうやらいてもたってもいられないといった様子だ。
「園崎さんのご自宅はどちらですか!? 」
その少女をガイは見やる。スミレと対照的に黒い髪をした少女の目はどこまでも真剣だった。