流れ出ずる豊穣   作:凍り灯

11 / 11
清き水は流れ出ずる 豊穣は(もたら)される

※後書き一番下に挿絵追加しました。







(まい)

「―――見よ!!麗しき『花の都』!!絶景かなワノ国!!」

 

そこを見渡せば絶景。

桜が咲き誇り、花びらが舞う。

遠くには藤山が高くそびえ立ち、巨木の上には立派な城が建つ。

 

ここには視界を隔てるものは何もなく、きっとこの景色を見れば誰もが"絶景"と賞賛するだろう―――否。

 

「聞こえているかオロチ!!貴様は広大にあった森や草木も川や(さと)も!!欲深きドロで汚していくだけの!!!」

 

「ただの害虫だ !!!」

 

しかし、とこの男は言う。

"そんなものは欺瞞(ぎまん)でしかない"と。

全ては汚され、最早麗しい桜の根の下にも隠し切れない程に汚泥が溢れだしているのだと。

そしてその元凶の名を指し、声高らかに責め立てる。

 

見せしめのために磔柱(はりつけばしら)によって高所に磔にされた死にかけの男―――"霜月康(しもつきやす)イエ"は、そしてこう言うのだ。

 

「"器の小さき男には―――"」

「"―――一生食えぬ『おでん』に(そうろう)"」

「ワハハハ!!」

 

「お父ちゃん!!」

「ヤス!?」

 

大声で笑う、その男の覚悟たるや桜の如し。

散り際を目前に腹を決めた男の言葉は、ある者には美しく、ある者には薄汚く目に映る。

 

彼が死ねど、最早その美しさ(真実)に魅入られた人々は幾度も涙と共にこの光景を思い出すだろう。

 

(くさび)は打たれたのだ。

 

「子供らの目を塞げ!!『光月』に仕えた"最後の大名"が、いやさ"えびす町のお調子者"があの世へ参るぞ!!!歌ってゆこうか!!!あらよっと♬」

「康イエ〜〜〜〜〜〜!!!」

 

怒号と共にガチャリと重い金属の鳴る音が周りからいくつも響いてくる。

駕籠(カゴ)の中から身を乗り出し銃を構えた怒り狂った"オロチ"も、磔にされる康イエに狙いを定めた。

その様子を、康イエは目に入れることもせず、最後まで自分を見上げる大衆へと視線を回し続ける。彼らの顔を目に焼き付けるように。

 

 

 

(行け鬼ヶ島へ!!主君の仇を討ち果たせ!!!吉報をあの世にて待つ!!!)

 

 

 

 

(許せおトコ!!お前を残してゆく父を――――――――――――………桜…?)

 

 

 

 

数多の銃声。

 

欠片も残すまいと幾重に響く銃声に、一人残す自身の子を想ったその時。

 

康イエは目の前に、美しく舞う白い桜を見た気がした。

 

ワノ国の桜と同じようで違う、その薄い花びらの内に秘める美しさと清さに思わず彼は見惚れる。

 

―――あぁ、この桜はどれ程清く美味い水を飲んで育ったのか―――

 

気付けば舞っていた桜は消え失せ、代わりに花の都の桜が目に入る。

ワノ国のドロを吸い、悲しく咲き続けるドロ桜だ。

 

「おい」

 

それを見て康イエは現実に引き戻され、次いで頭上より発された壮年の男の声に思わず呆け顔のまま痛む首を持ち上げた。

その目が、顔を()()()()()声の主と合う。

 

…恐らく壮年の男だ。

黒い忍び装束のような恰好をした、だがワノ国では見ない造りの。

その背には腰の刀とは別に一振りの大太刀が背負われていた。

 

「トノヤスさ〜〜〜〜―――え?」

「ヤスさ―――ん?」

「康イエ様〜〜〜〜―――あれ?」

「お父ちゃ―――ぅえ?」

「ゾロ十郎さん!トコは…!?」

「なんつー剣を使いやがるあいつは…はっ、そうだあいつどこ行きやがった!?」

 

「―――はっ!?」

 

そしてオロチすらもその()に思わず一瞬見惚れた。

いつの間にそこにいたのか、康イエが磔にされている磔柱の僅かな先端に器用に両爪先でしゃがみ込む男。

 

その男がオロチや彼の配下が放った鉛玉を一つ残らず弾いたのだ。

まるで舞うようにその不安定な足場の上を時に跳ね、時に回り。

 

その姿に見えるはずのない白い桜の花びらを幻視した。

 

いつしか誰一人例外なく手元の銃の引き金から力が抜けており、銃口さえも地面に向けて火薬の匂いを吐き出すだけとなり果てている。

 

「無事か」

「―――あんたは…?」

「言えぬ」

「…では、何故だ?何故…助けた?」

「…」

 

 

 

 

 

「…我が主が、無益な血が流れることを許さぬからだ」

 

 

 

 

 

そのまま答える暇を与えられずに忍びと思われる男に抱えられてしまった。

見れば自身を縛る縄は既に切られている。

一体いつの間に?と思う暇もなく、康イエを抱えた男は不安定な足場から跳躍した。

 

「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぅ!?」

「…」

 

説明もなし。いや、飛び降りるとは思わんだろうに。

この男、何も言わずにお構いなしだ。

と、急に引っ張られるような圧力。そう、縄に内蔵が引っ張られるような、下から上へと振り回される。

次いで浮遊感―――を感じる間もなくまた引っ張られの繰り返し。

 

弱った身体にはきついが、その中でも康イエは冷静に状況を判断しようと重い瞼を開いた。

 

よく見ればこの男、左腕が奇怪な義手ではないか。

釣り竿の釣車(ちょうしゃ)のような構造が見え、そこから放った鍵縄を器用にも建物の屋根や物見櫓の出っ張りに引っ掛けて自在に飛び回っているのだ。

 

それが康イエが意識が途切れる前に確認できた光景だ。

些か、衰弱した身体には負担が大きかったようで間もなく目の前が真っ暗になった。

さすがの器の大きさか、もう少し気を使ってくれとは康イエは思わなかった。

 

「お、お父ちゃ~~~~~~ん!?」

 

おトコは思わず叫び直した。

どこぞの誰とも知らぬ男に父が(さら)われたのだ。とても怪しい忍びっぽい不審者に。

一難去ってまた一難とはこのことであろうか。

 

「ま、待って!!お父―――むぐ!?」

「お静かに。おトコ殿、さぁ何も言わずにこの飴を噛みしめて」

 

おトコは後ろから口を塞がれる。

 

さらには口に何か入れられてしまい思わず吐き―――出すことはせず、声の主が誰なのか気づいたために言う通りにした。

不思議な味のする、こんな表現はおかしいと思いつつも、そう、月のような味がした。

 

「(()()()!!)」

「(もう、あなたは狙われているのですよ?ご安心を、貴方のお父様は私の友人が責任を持って送り届けます)」

「(本当!?)」

「(ええ…さぁ、参りましょう)」

 

()()()()()()()をしていた童―――康イエの娘の"おトコ"は尼僧(にそう)の恰好をした女性の言葉に顔を綻ばせる。

そうして二人はまだ騒ぎの収まらない喧噪の中、()()()()()見つかることもなくこの場を後にした。

 

それと同時に、各所に息を潜めていた影も彼女の後を追うように人知れず消えていったのだった。

 

「(頼みましたよ 、狼殿―――)」

 

尼僧の恰好をした女性―――イブキは康イエを連れ去った忍びの無事をただ祈る。

 

―――オロチが逃げ出した康イエにご執心の間に事態は既に動き、そして終わった。

それはこの場にいた強者含め誰もが例外ではなく、陰に潜むもう一つの勢力に気が付くことは無かったのだ。

 

『―――こちらの撤収は完了した』

「見事なお手際です。こちらが何をするまでもなかったではないですか」

『それが忍びよな。しかしお()()がやつを捕まえた時にどうこうすれば手間など無かったのだぞ』

「お許しを。敵味方入り乱れておるのです。私の立場でもおいそれとは行きません」

『わかっておる。後は手筈通りにな』

「承知しております―――――――――梟様」

 

 

…幾人かの裏切者を除いて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一月程前―――――――――

 

 

 

―――各船に三十三人。()めて九十九人…と(鬼鹿毛)(獅子猿)を入れた二匹がアシナのワノ国へ赴く人員である。

船はいよいよ霧の道の出口へ近づき、次第に波もその高さを増してゆく。

 

「間もなく霧を抜けます」

「よし、おじい様にもお伝えしてくれ」

「はっ」

 

「一心様が見当たらぬ!」

「何!?もしや隣の船に…?」

 

「―――全く…あの人は…」

 

九十九と二匹という少人数になった理由は、船の本来の積載量に余裕はあるがあまりに古いがために無理が出来なかった故だ。

 

場合によっては引き返し、人員を補充することも考えられている…とは言え、今回は()()()()()戦い方をするわけではないので必要最小限の精鋭で構成されている。

また、アシナ自体の守りを(おろそ)かにするわけにはいかないから、という理由も付け加えられる。

 

「いよいよアシナの外へでるのだな…うぅむ」

「お米で船酔いは治りましたか?それに九朗殿、霧の外へでても島が見えるのはまだ当分先になるのですよ?」

 

「それは、なんだ…?」

「あぁ?あぁ、おめえさんたちかよ。俺のガキにお守りとして貰ったんだがよ、ほれ、ここに」

「『テン吉から、ムジナへ』、と…戻った暁には隻猩(せきじょう)殿に頼んでご子息殿への贈り物を作って貰ってはどうだろうか」

 

梟の手に落ちたワノ国の間者が情報を操作しているために、この機にアシナに攻め込まれることはないはずだが、そんな希望的観測で考えるような者はいない。

仮にも四皇の一人がいるのだ、何が起こるかなど分からない。

なので、十分対応できる戦力を残してある。

 

しかし、一心を始め弦一郎までもが乗り込んでおり、さらには大手門を守る刑部さえ国を空けると言うのだから些か心配にもなる…などという事はなかった。

 

「猩々ぅ、ここまた緩んじまってさぁ。ちょいと見てくれよ」

「全く…相も変わらず使い方が荒いのよ」

「…へぇ?()()()()頻度で来てたのに、ずっと黙ってたわけかい…」

「よもや儂が気づかぬとはな、腕をあ「黙ってな」…ぬぅぅ…」

 

イブキがワノ国へ行くことを説得するためにオチの村に一度戻った際、もしもの時は村の僧や"らっぱ衆"などの忍びがアシナのために戦う事で話を付け―――る前にそういうことになっていた。

これはイブキの従者であるオボロらが事前に働き掛けていたこともあるが、やはりイブキの意向が"そう"であったから"そう"なった、としか言えない。

 

それ程までに彼女が村にとっての大恩人であり、絶対的存在なのだ。

飢餓(きが)を救い、竜泉を生み出し、誰もが健康に生を全うできる場所。むべなるかな。

言うなれば村全体が狼のようなものだ。それは言い過ぎだった。

 

とにもかくにも頼もしい増援がいるのだ。

 

「エマ殿!船倉から頼まれた物を持ってきましたぞ!」

「刑部殿、お手伝いしていただけるのは結構なのですが、槍を置いていただけると…それと一心様も」

「カカカカカ…こいつに(なら)って馴染ませてるのよ!」

「もっと早く…取り上げておくべきだったのか…」

 

それだけではない。

ミナモトの宮の協力をも得られることにもなっている。

静が語った通り、一心との古い約定に従ってくれたのだ。

 

…多分そんなことしなくても、カイドウでも来てしまえば仙峯上人(せんぽうしょうにん)が飛び出してくるのは確定してしまっている。

 

それは静が伝えたある言葉のせいだ。

カイドウとオロチを指して"神なる竜の故郷を汚す野蛮な竜"と静が教えてしまったのである。

内容は割愛するが、梟から聞いたワノ国の惨状を小一時間程話に尾ひれをつけて語ったそう。

なので乗り込もうならばきっと初手で最大級の雷が落ち、地図が書き換わるだろう。南無三宝。

 

「よくもまぁこんな冷える場所で軽装でいられるもんだねぇ男どもは」

「それはあたしが野郎みたいだって言たいのかぃ?毒沼で過ごす内に随分とひ弱になったもんだねぇシラハギぃ」

「あ゛?」

「(何故笛を吹いてる私の所でじゃれついてるんですかねぇ)」

(やかま)しいぃ…うぅ…」

 

ちなみに宮の長である静が飛び出すことはなんら問題視されていない。

良くも悪くもアシナの起源となる場所、考え方も然り…いや、もっとひどい。

さっさと滅ぼして来てくださいね、なんて部下から言われて送り出されているぐらいなのだから。

彼女の母、磯禅師(いそのぜんじ)からの言葉を抜粋しよう。

 

『…そう、静。剣聖に巻き込まれないように気を付けてね…』

『やれやれ…まぁそっちの心配をしますよねぇ………』

 

巴流…(もと)い、(みなもと)流の師範である彼女はそっちの方が心配でならなかったのだ。

一心とは、弦一郎らと交流した時に会ったのみだが、彼女程の域に達していれば話さずとも一度目にするだけで十分。

 

"静かで凪いだ嵐のよう"

 

そう、矛盾した表現をする程に。

竜ならば殺せる、だが嵐など殺せる者はいない。そういうことだろうか。

 

その後、磯禅師は人生で最も刃を交えたくない人物の上位三番目に一心を加えることになった。

二番は仙峯上人で、一番は娘の静だ。梟は見習ってほしい。

 

そんなこんなとオチの村とミナモトの宮という保険があるがために、心置きなく弦一郎も闘志を燃やしていられた。

 

さらに他にも、駄目押しと言わんばかりに心強い()()()が島を守ってくれているのだ。

そう、あれはたしか―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すみませぬ、川蝉殿」

「いいよいいよ。イブキちゃん軽いからねぇ」

「わりぃな、俺はこんなナ(チビ)リだからよ」

 

―――オチの村へ行くその道中。

イブキが村へ渡海の話を持ち込もうとした時の話だった。

 

イブキが川蝉に抱えられ、ムジナの道案内に続くように軽快に荒れた道を進む。

仙峯寺のあるオチの村は謎に包まれた村と知られるだけあってか、その道中も非常に険しい。

 

明らかに常人では辿り着くのも困難な崖伝いの参道や、もはや道もなくただの崖の箇所すらある。

 

だが長く住むイブキは意外にも逞しく、時間をかければ超えられないこともないのだが、忍びのような身軽に動ける者と比べると所要時間に天と地の差がある。

なので最初アシナに降りる時も狼が手伝ってくれた。

 

今回は川蝉が申し出てくれたのだ。真実は両親(梟とお蝶)の目が怖いらしく、変わり身の術で逃げてきた勢いそのまま、逃亡のために申し出たということらしい。

供物は猩々。まっこと慈悲がない。

 

「ここでようやく半分ってとこだぜ」

「これなら。(たつ)(こく)にはつきそうねぇ」

「朝も早くに重ね重ね…」

「謝ってばっかじゃないの。はぐれ忍びなんて踏ん反りかえって顎で使ってやればいーのよ」

「性格的に無理があると思うぜ…」

「いや、あたしも言ってて思った」

 

軽いやり取りを繰り広げつつ、ムジナは崖の僅かな出っ張りに手を引っ掛けながら、高下駄をカランコロンと小気味よく鳴らしながら登る。

対する川蝉も鉤縄を使ってひょいひょいと宙を舞う。イブキに気を遣ってか心なしか緩やかだ…だとしてもなかなか恐ろしい体験だろう。

 

「いえ、もう慣れたので…」

 

少しげっそりしたような表情でそう言った。

気の毒にも、狼と共に降りた時に振り回されすぎて慣れてしまったようだ。

 

さて、そんな小男と大女とお米様の御一行は崖の途中にあった、奥が見えない程の長い洞窟の中で休憩をしていた。

先が見えないのは不気味だが、中々どうしてちょうど良い。

 

「そういや(たつ)といやぁ…"ぬしの白蛇"が落ち谷を住処にしてるみてぇじゃねぇか」

 

ぬしとは、土地神。

その心包が、神たる御魂(みたま)を宿す臓であると考えられていたために、一説にはそのぬしの蔵こそが蛇柿である、なんていう話もあったが結局それは今回の件(蛇柿=悪魔の実)で違うということが証明された。

出所が不明なので実際はそうも言い切れはしないのだが…

 

「あーいるいる。基本的に出てくる時はあたしがいない方から出ていくから会うこともあんまないけどなぁ」

「だとしてもよくそんなとこに二十年も居られるぜ」

「話には聞きますが、それ程に大きいのですか?」

「獅子猿を丸呑み出来るぐらいのでかさだよね」

「飲まれなくても、ぶつけられただけでお陀仏だろうよ」

「まぁ、そうなるとこの洞窟ぐらいはあるのでしょうか」

「そうそう。ちょうどこういう穴を行き来してるな、うん…うん…?」

「…あ?」

「…え?」

 

川蝉が洞窟の奥へと振り向き固まる、二人もそれを怪訝(けげん)に思って振り向けばやっぱり固まった。

 

それは真白な鱗だった。

イブキの最初に目に入ったのはそれだ。

 

暗がりの方にいるにも関わらず僅かな光を反射して怪しく光って見える。

真正面からこちらを見る両目も同じく真白であり、それらは鱗と違い瞳の奥へと入った光をも逃さんと言わんばかりに暗くなった白を覗かせていた。

 

何故今まで気がつかなかったのか、アシナでも有数の忍びが二人もいたというのに。

いや、最初からそう遠くない所にいたのだろう。

ただその気配を消し切っていただけで。

眠っていたのか?彼女らのような獲物が来るのを待っていたのか?ただの偶然なのか?

 

…ただ一つ言えることは、すぐに襲わないのだから腹を減らしているわけではない、と言うことだ。

 

髪の毛がぶわっ(ジブリ驚き)と逆立たつ勢いで硬直した三人は、体を動かさずに目線だけ合わせ、刺激しないようにゆっくりと壁際に寄りつつ洞窟の入り口まで後退する。

忍びということもある上、皆それなりに歳を重ねていることもあって顔を引きつらせながらも冷静だ。

 

ゆるゆると後退する三人を見つめる白蛇。

不気味にもただ見ているばかり。

だがこれならどうにかなりそうだとほんの少しだけ希望が見え始めたその時、その身をずるりと這いずらせながらこれまたゆっくりと近づいてくる。

 

「(ほわぁぁぁ!あんで来んだよこっちにっ!)」

「(その大太刀でどうにかできたりしねぇのかよっ)」

「(無茶言うな!ムジちゃんはともかくっイブキちゃんが逃げれないっての!)」

「(仏説摩訶般若波羅蜜多心経観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空)」

「(イブキちゃんが般若心経(はんにゃしんぎょう)唱え始めた!?)」

 

静かに騒ぐ彼らだが余計なことを言いつつも、既に腹を括ってそれぞれの獲物に手が伸びている。

ただ問題は戦闘能力を持たないイブキだった。

()()()()()()()()()()()相手に対して、この閉所でイブキを守る方法は限られる。

 

最適解はムジナが気を引き、川蝉がイブキを抱えて鉤縄によって即離脱だろうか。

お互いにそれを理解しているのかじりじりと立ち位置を変える。

ムジナはここで死ぬかもしれないが、オチの村の神主を死なせたとなれば一生の恥どころか家族にまで影響が出るだろう。

個人としても恩を忘れていないので家族を残すことだけ除けば命を賭すことに迷いなし。

 

洞窟には白蛇の鼻孔を通り抜ける空気の音が、三人分の規則正しい呼吸音を掻き消し反響する。

 

決死の覚悟の下に行動を移そうとする直前、何故か白蛇は迷いなくイブキの方へ身を寄せた。

 

「…っ!…(…やるか?)」

「…(…ここ(洞窟)から出て来なけりゃぁ嫁とガキによろしく伝えといてくれよ)」

 

川蝉は左手で鉤縄を持って腕を引き、ムジナは傘裏に仕込んだ小さな苦無(クナイ)に手を掛ける。

 

だが二人の膨れ上がる剣気を押し留めるように、イブキが左手で止まるように二人の忍びに合図をし、右手は前へと手を広げながら持ち上げた。

 

何をっ…!と思う川蝉とムジナだが、イブキのあまりに落ち着いた雰囲気に、動きを止めざるを得なくなる。

そうだ、最初蛇を目にした時以外イブキは()()()()()()()()()。修羅場を潜ってこの領域にいる二人の忍びと同じように。

 

伸ばされた右手に導かれるようにぬしの白蛇は身を寄せる。

 

そして白蛇の鼻先がとんっ…と掌に触れ、そのままイブキと共に動かなくなった。

 

相変わらず規則正しい呼吸音が響く中、川蝉とムジナは冷や汗を流し警戒しつつも、この一人と一匹の間で()()()起っていると言うことだけは理解した。

 

暫くしてイブキが白蛇の鼻先からゆっくりと手を離し、呟いた。

 

「―――守るのです。()()()を、土地を…流れ出る、豊穣をもたらす水を、そこに生きる生命を」

 

イブキは洞窟の入り口への道を開ける。

 

まるで返事をするように大きく裂けた口を僅かに開いて閉じ、またゆったりとした動きで体を這いずらせ始めた。

イブキに(なら)って壁際に寄った川蝉とムジナを横目に、入り口から外へと()()は消えていった。

 

そこでようやく川蝉とムジナは力を抜く。

小さく息を吐き、何だかわからないがどうにかなって良かったと心底思いつつ、そしてその何だかわからないことを為し得たイブキに声をかける。

 

「すごいなイブキちゃん。よくわからんけどあのぬしを退けちゃうなんて…何やったの?」

「生きた心地がしなかったぜ…これも悪魔の実とかいうやつの能力なのか?」

「…」

「イブキちゃん?」

「―――は、え?どうかしましたか?ええ、そうでした、蛇…蛇は…あれ?何故食べられてないのですか?」

「………これはどう見る?ムジちゃんよぉ」

「わかんねぇよ…ただぁ嬢ちゃんがどうにかしたって事だけだな、言えることは」

「だぁよなぁ…」

 

どうすんだこれ、と頭を抱えた川蝉を他所に、もしかしたらまた白蛇が戻ってくるかもしれないとムジナが急かす。

暫くぼうっとしていたイブキだが、川蝉が抱えて山を登り始めればその浮遊感やらなんやらで正気に戻った。

 

しかし詳しく聞いても「よく覚えていないのです」としか言えないようで、これには二人もお手上げ状態だった。

 

尚、このことがムジナから村の者に伝えられたせいでイブキの神格がさらに上がることとなる。

イブキはまた奥の院に(こも)った。

そして無慈悲に抱えられてアシナに連れ戻された。

 

だが、この三人は知らない。

アシナの海岸、その海へと流れ落ちる大滝の裏にある洞窟に、()()のぬしの白蛇が住み着いたと言うことを。

この三人の話を聞いた梟の助言によってイブキが蛇の元に行かなくてはならなくなると言うことを…

 

 

 

―――その後イブキは一心という最大級の護衛を連れて何度か二匹の元に訪れるが、やはり敵意がなく、しかし以前のように意思疎通のような何かをすることはできなかった。

二匹の顔は海の向こう側へと向けられており、川蝉とムジナが聞いたイブキの言葉から、土地を守っているのは?と予測されているが、結局答えはわからないままだった。

 

しかしそれは、さらにその後に梟が訪れた時に、二匹の()()が明らかに膨れ上がったことでその仮説が受け入れられた。アシナの守り神の誕生である。ひどいことを言いよるわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――さて、そんな頼もしい人々や守り神に見送られ、霧の中を抜け、ワノ国を目指していたたアシナ衆御一行は…

 

「積荷は小舟へ急がせろ!シラフジ殿!シラハギ殿!救助をお願いしてもよいか!?」

「ええぃ仕方ないねっ!静!」

「もう見てきましたよ!流された人はいません!さすがアシナ衆ですね!!」

 

海へと倒れ込むように、或いは別の船へ頭を突き入れるように傾き始める船。

 

「言ってる場合かい…この歳にゃぁ堪えるんだがねぇ、泳ぐのは…」

「お母ん大丈夫?あたしが手伝おうか?」

「甘やかすでないわ…ばばぁならほっといても問題なかろう」

「カカカカカっ!そもそも慣れたお主がちゃんとせんからだろうにのぉ?」

 

宮の住人である魚人らは投げ出された者を見つけ出し、引き上げ、まだ船上に残る者も傾いた弁才船(べざいせん)に括りつけられた小舟に積み荷を慌ただしく乗せていく。

 

「どうにも、道玄のやつを思い出すのよ…この穏やかな川の向こうにいるようでなぁ」

「隻猩殿!こちらへ…あぁ、(それがし)も代償に泳げないのであった…!」

 

運悪く被害を受けた船室にいた者もなんとか無事であるものの、この荒れた海では立て直すのに一苦労。

 

「九郎様!ご無事で…!?」

「げほっ、済まぬ狼…蛇柿(悪魔の実)のせいで泳げないのを忘れておった…」

「お嬢ちゃんをわりぃなおめぇさん、こんなナリだからよぉ…」

「すみませぬ狼殿、私まで…あ、エマ殿は!?」

「あそこじゃ!狼!頼む!」

「御意…!」

「You must promise me that you’ll survive…」

「刑部殿!?」

「…鬼鹿毛(おにかげ)殿は獅子猿殿が小舟へ乗せてくれました…人員も一人残らず確認できました…」

「お凛殿!引き続き放り出された荷の方を!」

 

 

 

―――そう。沈みつつあった。

三隻とも。

 

さらば九十九(つくも)号。

せめて海で果てれて本望であった…

 

「うっ…狼殿、すみませぬ…私、泳げなくて…」

「エマ殿、とにかく掴まっていろ」

 

小舟に積み荷と泳げない者を乗せ、それらに収まらない者は泳げる人間が引っ張っていくしかなかった。

既にワノ国は視界に入っている距離とは言え、この荒れた海をだ。

…しかしそれも杞憂かもしれない。

 

「皆のもの!!ここで果てることは儂が許さぬぞ!もし海の底に沈んだとなれば…儂が海の底まで追いかけて斬ってくれる!」

「「「応!!!!」」」

 

これである。

 

荒れた海より刀を手にした一心の方が恐ろしい。

水の中とてそれは変わらないのだ。

 

そんな様子を伸びた九朗やイブキの乗る小舟を引っ張る静や弦一郎、黒傘の上に器用に乗って進むムジナは少し離れて見ていた。

 

「あれは激励なのかよ…?相変わらずアシナ衆のやつらはおっかねぇぜ…」

「魚人や人魚の我々は大丈夫でしょうが、この荒れた海を無事超えられますかね…」

「生半な鍛え方をしている者などおらぬ。それに、おじい様が後ろから追って来るとなるとな…」

「あぁ…」

 

皆必死なのだ。

剣聖に後ろから怒涛の勢いで迫られるから。

 

堂々と小舟を一隻占領した鬼鹿毛が悠々と泳ぐ獅子猿に引っ張られているのを横目に、彼らは嵐などなんのそのと呑気に会話する。

 

そもそもの原因は海へ出た者が…いや、新世界の海を知る者が梟とその配下しかいなかったことだ。

梟が寝返らせ、或いは鍛えた忍び集団である"孤影衆"は数も少なく、且つワノ国でほとんどが活動をしているために船に乗っていた者はさらに少ない。

 

アシナ衆は屈強だが付け焼き刃でどうにかなるはずもなく、結果がこの通りである。

 

尚、凄まじい勢いでワノ国に向かうアシナ衆を追いかける梟がいたそうだ。

先に行かれてはどう考えても厄介なことにしかならないと、水をたっぷり吸った羽蓑と髪の毛に難儀しながら…

 

 

 

 

 

数刻を経て全員がワノ国の港の一つ"潜港(もぐらみなと)"へと泳ぎ着く。そこは隠れ港であり、ワノ国へ鯉を使った"滝登り"をせずに入港できる港だ。

 

―――ワノ国はアシナのように海面より遥か高い位置に人々が住むが、違いは海岸の有無だろう。

アシナは長い階段を経由する不便はあるものの、船をつけること自体は容易だ…勿論、霧を越えることが出来ればの話ではあるが。

 

ワノ国は逆に海岸はない。正確には上陸可能な港が海洋の平均的な高さより遥か上にあるのだ。

それ故に"滝登り"のような常識外れの方法でそこまで登るしかない。

そう思えばアシナも入るには囲う霧があるので似たようなものか。

 

それはさておき、潜港を利用するのであれば滝登りは必要がない…が、この港は滝裏に存在し、内側より滝を割って貰わなければ入ることはできない。

また、この港の奥にある昇降機(ゴンドラ)を動かすことでようやく入国が可能になる。

 

これについては事前に梟が配下に連絡を入れ、手配していた。

 

梟が細長い筒の様な何か(スマートタニシ)に向けて一言二言喋った後、滝は開かれ、港への入り口が姿を現す。

そうして皆がずぶ濡れのまま上陸する先、一人の人物が彼らを待っていた。

 

「…」

「手筈通りじゃ。後は任せたぞ」

「っは…」

 

そこには頭からすっぽりと蓑帽子を被った小柄な人物。

瑠璃紺(るりこん)色の半纏(はんてん)を纏い、顔にはシラフジらと同じように包帯が巻かれているため顔はわからず、ただその隙間から赤い瞳が覗いているのみだ。

 

そしてその瞳は梟の後ろに続くアシナ衆へと向けられている。

異様な姿であるものの、その実力の高さはアシナの面々も理解できた。その視線は探る様な、或いは怪訝そうな色を浮かべていた。

 

なんでこの人たち泳いで来たんだろう、という視線だということは誰も気が付かなかったが。

 

オロチに不審感を抱かせないように大きな動きはさせられないが、()()()()()()()がある者を引き込んでいるために警備人員を変動させることができたのだ。

彼は今回のために梟が配置した一人であり、そして同時にアシナ衆と()()()()をさせるために意図的に呼ばれた。

 

釘を刺すため。

それは彼に裏切りをさせないための精神的枷を取り付けることが目的であった。

…彼は"オロチお庭番衆"の一人、名を"矢ざえもん"という。

 

そして彼は、今しがた一心を見つけたその瞬間、冷や汗が噴き出る体験をすることになる。

 

覇気を感じ取った?それは違う。一心から感じ取れる覇気など回りの人間たちに比べれば矮小な程度しか感じない。不自然な程に。

 

だが恐ろしい。あまりにも。

 

カイドウを前にした時のような重圧とは違う静かに研ぎ澄まされた()()

覇気ではない、その目、出で立ち、仕草、笑い方、その存在自体でこちらを刺激してくる。

 

彼は自身の積み上げられた経験と、その本能でもって突拍子もなく理解する。理解してしまった。

 

―――聞いた通り、この老人はカイドウ(四皇)に匹敵しえ得る…!―――

 

何をするのかが全く読めないのだ。

いつのまにか次の瞬間斬られていてもおかしくないと思ってしまう程に。足を前に出せばその足は少し先の地面につくだけのはずなのにそれすら()()()()

 

この時、話に()()()()()良かった、と彼は思った。

 

もしカイドウの支配が終わるのならばオロチ直属のお庭番衆では後がない。

待っているのはどこをどうしようとも破滅だけ。

ただでさえ過去に(光月)を裏切った身であるため、そうなれば詰みなのだ。

 

主を裏切ったことに何も感じなかったわけでもない。汚れ行くワノ国に何も思わなかったわけでもない。

だがそんなことよりも、彼はただただ死にたくなかった。

 

そしてその生への渇望が、カイドウが討ち取られるというあり得ないような"もしも"を()()()()()()()()()()()()

 

梟を監視するようにとオロチに命令され、そしてその果てに梟によって息の根を止められる直前、彼の示した条件を呑むことで生かされている。

故に梟の手を取ることになる。その時は強制的にオロチやカイドウを裏切ると言う絶望的な心地だったが今は違う。

 

"アシナ"

 

そしてこの老人がカイドウを斬った剣聖…葦名一心…

 

絶望の中に示された生への希望が彼の行動を縛る。

カイドウが討ち取られるという自分が描いていた"あり得ないはずの未来"がここにきて輪郭をはっきり表してきた。

 

梟の思惑通り、彼に"一心"という特大の釘が刺さってしまったのだ。

術中から逃れるすべなど、矢ざえもんにはなかった。

 

だが彼は知らない。

まさか"近く"にも経緯は違えど同じ裏切者がいるという事を。

それを知っていれば幾分かましな精神状態になれたのだが…悲しいかな、それを許す梟ではなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

矢ざえもんがその心の内を蓑と包帯によって隠すことに成功していた頃、弦一郎は隠すこともなく不審な目を梟へと向ける。

 

重要であろう裏口の人員を変え、あまつさえ()()()()の実力者を配下に収めている。

事前に語られてはいたが、このような権限を持つ者をまだ従えていると言うことは、言ってしまえば梟が裏切ればあまりに危険ということだ。

今更ではあるのだが、それでも弦一郎や狼を含めた幾人かは改めて警戒せざるを得ない。

 

だが梟を警戒しているのはオロチも同じだった。

だからこそ貴重な戦力である御庭番衆を潜港の警戒に回すことを承諾したのだ…と言っても、それは逆手に取られてしまったのだが。

しかしこれ以上は危険なため融通が利かすことは出来ず、嵐の中の長距離水泳を経て着いたばかりだが港のある白舞から速やかに出なくてはいけなかった。

 

矢ざえもんにこの場を任せ、彼らは今や滅び、何も無くなってしまった"希美"の跡地を島の外周を回るように目指す。

"白舞"を出て、"鈴後"を通り過ぎ、数日掛けて辿り着いた"希美"、そこに梟が用意した拠点があり、ようやく一息つけるのだ。

 

 

 

 

 

―――ここにアシナの精鋭が密かにワノ国に揃った。

彼らは影に潜み事を進める。

 

それは自身すら答えを見失いつつある野心のため、大馬鹿者共のため、復讐のため、忠義のため、アシナのため、そして無辜(むこ)の民を救うため。

 

何が起こるかなど、わかりきったこと。

 

それを思い知ることになるのは、そう遠くない―――

 

 

 

 

 

『火祭りの夜まで、後一月…ぬかるでないぞ?』

『お任せください。万事ぬかりなく…』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ではな福ロクジュ』

『ええ、それでは』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〇〇〇〇〇〇〇〇〇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

錫杖(しゃくじょう)を持った尼僧(にそう)が、先端に取り付けられた遊環(ゆかん)を丁寧に鳴らしながら歩く。

その錫杖は通常の物より長く六尺程あり、彼女の背丈をも超える長さがあった。

 

隣には黒傘を被った3尺程度の小柄な男が高下駄のまま静かに歩く。

ただ錫杖の音色だけが辺りの木々に染み渡っていた。

 

この二人組、イブキとムジナの回りに人影は見えず、荒れた土の道が木々の間に続くだけだ。

 

そんな中、イブキは想起する。

 

"迷えば敗れる"

 

それは一心の口癖ではあるが、まさにアシナという土地の歴史そのものを表した言葉だと言える。

 

そしてイブキもまたその地に長く生きた女性だ。

故にイブキは躊躇(ちゅうちょ)しない。無辜(むこ)の民の流血は許されないが、賊の血と言うなれば。

 

九郎はまだ若い。その若さに比べてあまりにも大人びているが、それでも躊躇(ためら)いはあるだろう。

それは当然のことなのだ、だがここは弦一郎のように九郎に敬意を持つような者などいやしない。()()()などまさにないのだ。

だからこそイブキが側につき、時に助言を、時に行動を持って示してきた。

 

そして今もそうだ。

イブキがワノ国から顔を知られていないと言うこともあるが、九郎と言う存在はワノ国に、カイドウとオロチにとって"竜胤"という大きな力を持つ存在として見られている。

まだ表に立たせるわけにはいかない。

 

勿論、彼の役割というのもある。だからこそワノ国へと来た。

その名と力が知られているからこその()()()というものがあるのだ。

だが今はまだ違う。だからイブキが唯一表に立ち、行動をしている。

 

"迷えば敗れる、(しか)らば迷わせず"

 

彼女は行動でそれを示す、そうアシナ城であの時誓ったのだから。

九朗のように、イブキもまた覚悟でもって彼の優しい迷いを振り払わなければならない。

 

まさに()、イブキがしていることは自身を囮とした慈悲のない罠なのだ。

 

 

 

―――ある話がワノ国の一部の地域で噂されている

 

曰く、女神の様な女性が錫杖の音色と共に現れる。

 

曰く、貧しい地域に白き豊穣をもたらす。

 

曰く、"豊穣の女神"が飢えた人々を救ってくれる、と…―――

 

 

 

「黒傘の小男と錫杖の尼僧!おまえだな!?"豊穣の女神"とやらは!?」

 

そんな彼女らの頭上高くから聞こえる大声と、羽ばたく音。

二人は応えることもなくゆっくり見上げれば、珍妙な恰好をした肥満体の男が弓矢を構えながら宙を飛んでいた。

 

見上げるだけで二人とも反応を示さないためか、空を飛ぶ男―――蝙蝠のSMILE能力者のバットマンは苛つきからか早速矢を(つが)え、狙いを定める。

 

「何も言わねぇってことは、()()()()()()でいいんだな!?」

 

無言。

彼の大声と蝙蝠の羽が風を切る音だけが虚しく響く。

おこぼ町に偶に姿を現し余計なことをする女神様とやらを追う任を受けた彼は、それでも反応を示さない二人に苛立ちを隠さない。

 

(どの道消していい人物とのお達しだ!構いやしねぇ!)

 

そうして問答無用で放たれた矢は正確にイブキの頭へと向かった!

…が、これはムジナの黒傘によってあっさり落とされる。跳躍し宙を一回転、その最中で弾いたのだ。

イブキは身動(みじろ)ぎ一つせずにバットマンを見上げたままだ。その澄んだ瞳が彼には挑発としか思えなかった。

 

「~~~~~~~っ!生意気なやつらめ!」

 

さらに矢の雨を降らせるも、その全てが黒傘によって阻まれる。

時に小振りな苦無(クナイ)を振るい、時にイブキの持つ錫杖の上をイブキに全く負担を与えることなく跳ね、そうして容易(たやす)く落としていく。

 

遊環の揺れる小さな音がやけに大きい。

 

全く当たってくれない敵にさらに苛立つも、だがバットマンもなんの策もなく矢を放っているわけではない。

彼の能力によって非常に高くなった聴覚が、森の奥から高速で走る音を捉えた。

 

「この野郎!!さっさと当たりやがれ!!(予想外に厄介なやつら!だが!後はガゼルマンが女を確保して終わりだ!)」

 

小柄な男を倒せないと見るや否や、保険のために連れてきていたもう一人のガゼルのSMILE能力者によって、守られているイブキを連れ去る計画に変更したのだ。

事前にその合図は決めていたために、ガゼルマンはその意図を読み取り既に行動に移している。

 

そして凄まじい速さで木々の間から一人の、これまた珍妙な恰好の男が飛び出してきて―――そのまま地面に倒れ伏し、勢いのまま転がる身体が血の跡を真っ直ぐに描いていく。

 

「何ィっ!?」

 

動揺。

傷跡から恐らく使われた得物は刀。

 

未だ混乱の中ではあるが、何故かこの状況が()()()()()()()ということは理解していた。

下っ端とは言え仮にも"百獣海賊団"の能力者だ。加えて動物(ゾオン)系の能力による恩恵なのか、本能的に撤退する選択肢を彼に選ばせた。

 

(何かわからんがやばい!!このまま全速力で―――)

 

自尊心すらも投げ捨て逃げ出すそんな彼の聴覚が、一人の老人の言葉を捉える。

 

「よいかおぬし()、よく見ておれ。これが無人(むろうと)の、それ極めた剣の一つじゃ」

 

(馬鹿な!!他に誰もいないことは俺の耳が証明していた…は………ず…―――?)

 

 

 

何故か落ちている。真っ逆さまに。

 

何故………?

 

 

 

見る見るうちに地面が急速に彼の視界に広がっていく。

 

バットマンの身体はそのまま成すすべもなく落ちていき、倒れ伏したガゼルマンの真横へと土煙を上げて落下した。

 

見れば背中を斬られており、それにより意識を失っている。

そうして刀を抜いた一心が木々の合間から姿を現し、次いで幾名かの人物が姿を現した。

 

「…『相手に力を悟らせず、無駄な(剣気)を使わず斬ればいつしか無色と成る』…透き通り過ぎてるよ…あんたのはねぇ」

 

無人の概念、無色の剣気(覇気)について語られていることの一つを、お蝶が呟く。

その教えとは、剣気(覇気)を纏いながらも自らの内へと、まるで圧縮するように押さえ込むこと。

無駄な剣気(覇気)を使わずに最小限で断ち斬ることが目的ではあるが、そのために"体幹"が重要と考えられているために編み出されたものだ。

それは秘伝に忍びの技、ミナモトの宮の技すらも含まれているからだろうか。

 

つまるところ、身体の"芯"が剣気により固くなる。それが"体幹"の強化へと繋がる。

これにより地に足を付けた技も、宙を舞う技でも僅かな力で見事な斬撃を繰り出せるのだ。

 

しかしこれは所謂"武装色"での扱い方。

"見聞色"にも同じく、無人の境地があった。

 

内へと押さえ込む。それ(すなわ)ち自らの"声"を抑えることになる。

どうなるかというと、相手の見聞色によって()()()()()()()のだ。

 

アシナの忍びであれば、いや、ワノ国の忍びでも体得している者もいるかもしれないが、

極めれば殺気をなくすことができ、それ相応の実力者でなければ見聞色でも容易に探知できない。

それを極めたのが梟で、精度は落ちるが狼やお蝶、一部の夜鷹衆すら使える者はいる。

 

当然一心も扱えるが、それはあまりにも極められていた。

太刀筋を読ませないどころか動いたことを認識させない境地に至ってしまっていたのだ。

 

その結果、老齢の剣聖の技、その"秘伝(秘伝一心)"は刀を鞘に収めたままにあたりを切り刻む。そう見えてしまう。

狼や梟ですらそう錯覚させられる程に。

 

一心が刀を鞘に収めながら、斬られた海賊を見下ろすイブキの横へと並ぶ。

 

「死んではおらぬぞ」

「………ええ、そういう手筈ですから」

「カカカカカ…思うことはあるかも知れぬが、それもまた()よな」

 

イブキの心の内、それは憐れみもあるが、明らかに憎しみの念があった。

自分の感情のようで、そうではない感情。

 

(私は…この人たちを…どうしようもなく、憎んでいるのでしょうか…)

 

イブキは今までこんな感情を抱いたことは無かった。

この姿でワノ国を回り、貧しい村を、滅びた街を、汚れた水を、悲しむ人々を見てきた。

確かに許せる行為ではない。だがそれはまだほんの少しだけ見ただけだというのに、思い入れがある土地でもないというのに…

 

()()()()()()()()()のだ。

 

それでも、感情が()()()()()()()()とわかっていても自身のそれに僅かな戸惑いを覚えてしまう。

 

―――それは豊穣の力、もといコメコメの実の能力のこと。

ぬしの白蛇の一件や、桜竜への不可解な自身の発言。そして今回のような憎しみの感情の事を改めて整理した時の事だ。

 

この能力の理解を深めようとした所、古い話だけではあるが前任者との力の使い方が()()()()()()のだ。

どうやら前任者は大量の米を生み出し、それを使って戦闘をしたという。(それ自体もおかしな話だが)

使い方の違いなのでは?と言われればそれまでだが、梟が言うには竜胤であるヨミヨミの実と対になるという話があっただけで()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()らしいのだ。

 

ではイブキの癒しの力とは?

"対"とは何を指しているのか。

 

さらに調べれば面白いことが分かった。

何故か前任者の()の回りの人間は"熱い性格の人間"が多かったらしい。

言ってしまえばその者たち熱血的な勢いでどうにか出来てしまうことが多かったとか。

 

ふざけた話だが、その中に答えはあった。

勢いでどうにかすると言っても本当にそれだけでなんでも出来るわけがない。

その感情面が主張し過ぎているが、咄嗟の"機転が利いた"のだと考えられている。

 

その理由は竜胤とも、イブキの豊穣の力とも関りが深い"血"だ。

 

"血液量が増えれば脳が活性化する"という話がある。

言いたいことはつまりそれで、健康的な血が増え、それが脳に運ばれることで頭の回転や、果てはその性格すらも脳内物質の増加によって前向きになったのでは?というのが彼らで出した推測だった。

 

"前任者は健康的な血を増やす増血剤のような能力だった"

 

都合の良い当て推量なのは否定できないが、血が関係しているというのが大前提とした結論ではある。

コメコメの実の前任者の出す米が凄まじい量なのも、この効果が自身に影響した結果、大量の血液によって生み出したのだとすれば筋が通る…のかもしれない。

 

"竜胤"は血を(よど)ませる。

"豊穣"は血を()ませる。

 

恐らくそうなのだろう。

では、能力の"差"は何故ついたのか?これからが本題なのだが―――

 

「お蝶!任せたぞ?」

「わかってるよ…狼、ちょっと手伝いな」

「っは」

「…よし、皆耳を塞ぎな、()()()()

 

お蝶の言葉で慌ててイブキは両手で耳を塞ぐ。鈴の音を介して幻術をかけるのだ。

囚われたとしても周りに助けてくれる人がいれば容易に解除できるので問題ないのだが、少し恥ずかしいことになるのでそうもいかない。

 

これから行われるのは捉えた海賊への幻術を使った情報の抜き出し。それとSMILEの研究のため。そのためにお蝶とエマがイブキに同行しているのだ。

狼とお蝶以外の他の忍びは梟含めてワノ国各地へと散っている。

 

この場にいるのは、出歩くには顔が知られてしまっている一心、イブキと護衛のムジナに、九朗と狼、加えてお蝶とエマの七名だ。

既に過剰戦力ではあるが、例えカイドウが来ようともイブキを渡すわけにはいかないからでもあり、そこに九朗がいるのは一心の傍が一番安全だからでもある。

 

拠点に残っているのは各地に指示を出し、報告を纏める弦一郎と静。気配を消せない(声が煩い)という理由で刑部と獅子猿。川蝉が猩々と共に勘を取り戻すために残っている。

シラフジとシラハギ、お凛もそれに付き合ってる形だ。彼女らもまたその見た目から秘密裏に動くには向いていないために。

 

「イブキ殿、ご無事で何より。さすがは"黒傘"であるな」

「褒めてもなんにも出ねぇぜ?この…ミブ風船ぐらいしかな」

「おぉ!どこから出したのだ…?」

 

九朗がイブキの顔を覗き込むように声を掛ける。鋭い感性を持つためか、イブキの様子に気が付いて心配してくれたのだろう。

ムジナもその空気を読んで気を使ってくれているのがわかる。

 

「イブキ殿、これを」

「エマ殿…これは?」

「なんの変哲もない、ただのお茶です。でも、とても落ち着くのですよ?」

 

青竹で出来た水筒を手渡され、素直に口を付ける。

あぁ、これはアシナの水で漉した茶だと一口飲むだけでもわかった。とても落ち着く匂いだ。

 

そうしてお蝶が幻術をかけ終わるのを見計らい、イブキとムジナを除いた五人は再び姿を消し、歩き出す。

惑わされている二名の海賊は拠点へ向かうように誘導されているので放っておいて問題ない…それにすまぁとたにし(スマートタニシ)で連絡を入れたので近くの夜鷹衆か孤影衆がそこに加わるはずだ。

 

イブキは再び何事もなかったように静かになった道で、改めて気を引き締める。

 

 

(どうにもまだ()()()()()()()()…道を示すと言いながらこの様では)

 

 

(だけどこれを御した時、きっと良い方向に向かうはず…!)

 

 

―――先程の続きではあるが、前任者との能力の差についてだ。

結論から言うと"生まれた土地"または"住んでいた土地"の違いではないかと思われている。

 

コメコメの実は()()()()になる悪魔の実。

"米"になるのではなく生み出していることから恐らく"稲"の役割の方が近いのではないか。

ならば土が違えば品種も異なるように、悪魔の実を食べた場所、或いは能力者の関係が深い場所、そういった要因に影響され変化が起きるのではないか、と当たりをつけた。

 

その発想に至った理由こそが彼女の感情に干渉していると思われる、桜竜やぬしの白蛇なのだ。

 

植物人間となったイブキは、そのアシナという土地に文字通り根付いて(繋がって)いるのではないか。

それ故にアシナの起源ともいえる桜竜、ひいてはその()()と思われるぬしの白蛇にまるで()()()()()()()()()な意思の疎通ができたのでないか。

 

つまりイブキのこの憎しみの感情は、"故郷を荒らした海賊に対する怒り"が、桜竜と繋がりがあるがために湧いて出てきてしまっている…と、思われている。

 

何もかも、その全てが材料の少ない憶測でしかない。

しかしそれを聞いたイブキ自身がどこか納得してしまったために、あながち間違いでもなさそうなのだ。

 

"豊穣の力"

 

桜竜(御神木)から流れ出ずるアシナの清き水のように、それは人々に豊穣をもたらす。

 

イブキはまさに"アシナの豊穣"そのものなのだ。

 

そして今―――――――――

 

 

 

「あ!()()()!」

「あら、ほんとに?…あぁ!ほんとに女神様じゃないかい!」

「おぉ!本当じゃ!おぅい!」

「あの、お鶴さん…彼女は?」

「あぁお菊ちゃんは初めて会うんだったね、あの人が噂の女神様だよ!」

 

森を抜け町に付いた頃、錫杖の音を聞きつけ、イブキの回りに多くの町人が集まってくる…集まり過ぎではあるが、それも仕方ないことだろう。

 

「皆さん…もう、"女神"などとは大袈裟ですよ?」

「諦めな嬢ちゃん。ここはオチの村のまさにあの時(飢饉)と同じなんだからよ」

「…ムジナ、分かっています。だからこそ、私がこの地に来たのです…でもやっぱりこそばゆいのですよ…」

 

彼女は人々に歩み寄る。

血の量の問題と、後々を見据えた理由から多くは渡すことはできない。

彼ら彼女らを見渡せば過去の苦しんだ自分たちが見えてくるようで心苦しいが、程度を(わきま)えなくてはいけないのだ。

 

だから念じる。

まだ見たこともないアシナの桜竜の思いを受け取り、()()の人々の一助にならんと。

それ故に僅かな量でもその効果は絶大。

 

目を閉じ、両手を胸の前で握りしめる。

 

 

 

 

 

「さぁ皆さん、お手を…」

 

 

 

 

 

「豊穣を――――」

 

 

 

 

 

「豊かな実りを、皆さんに―――」

 

そして手から零れ落ちる白い豊穣。

小さな手の平が、或いは痩せ細った、または皺くちゃな、伸ばされた多くの手の平がそれを受け止める。

 

 

 

 

 

「お米は大事と、存じます。噛めば噛むほど甘くなり、元気も出ましょう」

 

 

 

 

 

「しっかり噛んで、食べてくださいね」

 

"オチの御子"

これはワノ国にて豊穣の女神と呼ばれる彼女と、そのお供の話。

(豊穣)を生み出すために血を捧げる彼女たちが目指すは、民の血を流さぬ道。

 

さぁ神なる竜の故郷にて、成すべきことを成すのだ。

 

 

 

 

 




これにて()幕。



…長い!纏める能力が欲しいです。
実はこの話は茶屋ルートと思わせておいて竜の帰郷エンドという。
というか絶対アシナの面々はファッションセンスにドン引きしますよね。

また、投降日を有言実行できなくて申し訳ないです。
平日が4倍以上に増える自然災害にあってました。進行形ですが。

未回収の伏線もありますが続編は本当にやるのかは何とも言えません。
やるとしても少なくとも本誌でワノ国編が終了するまで続きは書かないと思われます。
一応やった場合の終わらせ方は決めてはいるのですが、どうか期待せずに…
番外編として小話をやる可能性は…ある…かも………?

長くしたくないがために無理やり詰め込んだりと、色々と至らない作品でしたが最後までお付き合いいただきありがとうございました!
それと完結に伴い非ログイン状態での感想を可能にしました。
感想で何言われるかと想像すると怖くて仕方なかったので制限していましたが、もういいでしょう!知らぬ!
以下いつもの。



■(主に)隻狼との違いまとめ

『そのお供の話』:後にワノ国でイブキの存在感が強くなり、弦一郎含め皆そう思われる。
船の転覆:アシナの方々「霧の外(新世界)の海とか出たことないし…」
You must promise ~(以下略):船が氷山にあたって沈む映画の名言。
無色の剣気(覇気):使い方が特殊なだけで"黒くなるより強い"というわけではない。結局使い手次第。見聞色を極めた境地は相手の予知のそれを断つ。
SMILE狩り:諜報能力のある能力者などを、光月とかになすりつけながら始末している。
イブキ:コメコメの実モデルアシナマイの植物人間。アシナの土地そのものに根付いているので、『隻狼』の竜胤のようにアシナの起源たる桜竜と繋がっている。それを断つ必要はないだろう。
コメコメの実の前任者:まさかの伏線。イブキが視力を回復したように、自身の能力が適用され血がめっちゃ増えた結果めっちゃ米出た。お米よく噛んで食べろ!
ぬしの白蛇:神なる竜である桜竜の末裔。イブキと重なった母の意思を聞き受ける。
一心:最強の護衛だが恐ろしいのは一目見ても脅威がわからない所。老いた一心+全盛一心状態。
梟:一心のせいでただの苦労人になりつつある。
九朗:音を立てないように狼の背中に張り付いて、頑張って息を止めてた。
狼:桜散る日は、もう近い。

ちなみに一心含め全員が心中モードお米リジェネレーションアシナ衆である。詰んでる。










康イエ:アシナの桜を知る。
おトコ:きっと心から笑えるだろう。
お庭番衆:裏切者がいる。彼らは恥を忍んでも生きたい。
お菊:左腕とは、因果なものだ。




【挿絵表示】

オチの御子ことイブキと川蝉(イメージ)です。完結記念に描かせていただきました。
ここに載せるのも微妙かもしれませんが取り敢えず。
色々と勝手がわかっていませんのでご意見ありましたらご遠慮なく。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。