1.
唯一覚えていたのは、白の光景だった。
とても静かで、音も無く、ただただ白が広がっているだけ。
時々思い出すその光景は酷くぼんやりとしていて、それが何の光景なのかは全く分からない。しかし確固として俺の中に根付いていた。
*****
「……またか」
朝も早い、薄暗いガラスドームの中。その疑似的な密林でプテラは目を覚ました。身を起こしそう呟くと、水辺から、ざぱぁとカブトプスが姿を現した。
「いつもの夢か?」
「そうだ」
欠伸をしながらプテラがそう答えると、カブトプスは運動するように軽く爪を振り回しながら言った。
「そうでなきゃお前、こんな早い時間に目覚めないからな」
「まあな」
カブトプスの動きは次第に激しくなり、ヒュンヒュンと鋭い風切り音が鳴っていた。そして最後に十字に爪を交差させて、格好付けたようなポーズでピタリと止める。
ただ、それを見学に来るニンゲン達に見せた事は無かった。
プテラがそれを見終えると一番高い木に飛んで、ドームの外を眺めた。
絶えず打ち寄せる波、海の見える景色。そしてまた、太陽が火山の向こうから顔を出そうとしていた。
もうそろそろ朝だった。
「今日は二度寝しないのか?」
カブトプスがそう聞いて、プテラは答えた。
「いや、今日はニンゲンとの対話があるじゃないか。これでも結構待ち遠しくしてたんだぜ?」
「ああ、それ、今日か。でも、流石に飯終わってからだろ」
「だな。でも、二度寝する気は無いぞ」
太陽が昇って来た頃、いつもの時間がやって来た。
小さいゲートが開く音がして、プテラとカブトプスは密林の中へ身を潜めた。
ゲートから出てきたのは、一匹のピカチュウだった。
ピカチュウは辺りを不安そうに眺めながらも、目の前にある密林の中へと足を運ぶ。その後ろでゲートが静かに閉まったのには気付かなかった。
そして立っている黄色の尻尾がひょっこりと見えたのを、先にカブトプスが見つけた。
小声でプテラに話す。
「おい、今日はあの電気ネズミだよ」
「マジか」
「任せるわ」
「……仕方ねえなあ」
プテラは翼を畳んで歩き、茂みを掻き分けながらピカチュウに近づいた。
ピカチュウが音に気付いて振り向く。頬に電気を溜めて、まだ姿の見えない何かに警戒した。その背後でからんっ、と何かが落ちた音がした。
驚き、振り向きざまにそれに電撃を放つ。しかしそこにあったのは、ただの骨だった。
そして、それとほぼ同時に飛び出してくる音が聞こえた時にはもう、遅かった。
低く、体を縦にぐるっと回しながら跳躍したプテラ。カブトプスの爪よりも長いその尻尾の先端は、ピカチュウの首に正確無比に叩きつけられた。
ピカチュウは声を上げる暇もなく絶命し、同時にプテラがどしゃ、と背中から落ちた。
げほげほと咳をしながら起き上がると、カブトプスがやってきて「お疲れ」と声を掛けた。
「相変わらず正確だな」
「そりゃな。獲物を仕留めるにはこれが一番安全だしな」
触れるとまだ少しピリピリとするピカチュウに、プテラは先に齧り付いた。
「特別美味い訳でもないなら、こんな危険なネズミを飯にしないで欲しいな、やっぱり」
その特別美味い訳でもないネズミの血で口を濡らしながらプテラは言った。
「今でも怖いのか」
「お前はあの電撃を味わった事が無いからそんな事言えるんだ! 全身を同時に駆け抜ける激痛、体が勝手にがくがくと動く訳の分からなさ、その後も思い通りに体が動かなくなるもどかしさ、お前も一度味わえば絶対に分かる!」
「ヤだね」
げっぷをしながら、プテラは残りをカブトプスに渡した。
2.
ガラス越しに今日の展示は中止との旨が書かれた立て札が置かれた後に、ニンゲンがこの中へ入って来た。
老いている訳ではないが、白髪交じりのぼさぼさとした髪の毛を持つ男。土で汚れた白衣を着ていて、身長はプテラと同じほどにあった。また、一見痩せているが他のニンゲンに比べたら肉付きも中々に良い。その自分達のホネをその手で見つけたと言う手は、ごつごつとしていた。
そのニンゲンは周りからアベと呼ばれていた。そして、プテラとカブトプスが生まれた時から傍に居たニンゲンだった。成長、進化して鋭い牙や爪を持つようになっても怖気づく事はなく、健康を確かめる為と口を開けさせてその中に手を突っ込む事もあった。
そんな自分達の親でもあるアベを、二匹はいつしか好きになっていた。
「はい、口開けて」
白衣の下からライトを取り出し、口の中をそれぞれ見る。
「虫歯無し、舌の色も問題なしで、外傷も特になく、健康は良し、と」
そんな風に今日もプテラとカブトプスの健康状態を確かめると、白衣の下にライトを戻した。その中には色々と他にもあるようで、ライト以外にもナイフや傷薬などが出てきた事もあった。
付いて来るように言われて、背中を向けた親の後ろを歩いていく。
ニンゲンの言葉を、二匹はある程度理解していた。ただ、自分達が同じように喋れる訳でもなく、ここにあるのは一方的な話し役と聞き役だった。
但し、今日だけは対話になる。
住処でもある展示場から出て、更に外へと出る。
空調に慣れ切った二匹にとって、身に受ける風はとても心地が良く、時には暑かったり寒かったり。そして外はいつも、近くの潮の匂いが漂っていた。
山の方を見ると、太陽はもうはっきりと顔を出していた。
「僕からあんまり離れないでくれよ」
立ち止まっていると、アベがそう言う。けれど物腰は柔和なのも好きだった。
――何というか、同じ目線で居てくれるんだよな。
そう、いつかカブトプスが言った事は、すとんと胸に落ちて心の中に強く残っていた。
外を歩いていると、いつもの事だったが、他のニンゲンやポケモン達の目線が強く向けられているのが分かる。
展示場でガラス越しに好奇心で向けられている目と大差ない、珍しいものを見る目。
今、ここで飛び立ってどこかに去ったとしても、どこでもそういう目を向けられるんだろうな。
生まれて早いうちにはもう、どこかで分かっていた事だ。心の中でしっかりと言葉になると、しこりが出来た。
生きている以上、死ぬまで自分達を引っ張り続ける。
どこでもいつでも、自分は今この時間に居るはずの無い生き物として見做される。
ただ、そのしこりは確固としてあれど、小さなものだった。
そういう目で見られようとも、食べる事や喋る事から、時々こうして外を歩いて色々と経験する事は全て楽しかった。
しこりはあれど、それを上回る楽しさが今この時間を生きている事には存在した。
歩いていると、小さな女の子が走って来るのが視界に入り、その女の子がはしゃぐように叫んだ。
「プテラとカブトプスだ!」
珍しいものを見る目である事には変わりは無いが、それでもただ姿を見られるだけで喜ばれるというのは悪い気はしない。
しかしその女の子の後ろを走っていたのは、今日食べたのと同じピカチュウだった。
後、もう一つ。この世界は結構複雑らしい。
それは、言葉に落とし込めていない。ぼんやりもんやりとしたまま、ふわふわと頭の中を彷徨っている。
二匹は少しだけ目を逸らした。
着いたのはポケモンも入れる喫茶店だった。入口はある程度大型のポケモンでも入れるように大きく、テラスも充実している。
朝の時間帯でも、もう既に人はちらほらと入っていた。
外に出た事は何度もあれど、入るのは初めての場所。
アベが扉を開けると、カランコロンとベルの音が鳴った。初めて聞く、硬く、けれど同時にゆったりとするような柔らかさを感じさせるその音は、中々好きになれそうだった。
「いらっしゃいませ」
柔和な声が響く。
中に入ると、ニンゲン達に混じってポケモンも働いていた。
蔦を器用に使いながら皿をかちゃかちゃと洗う、首に葉を生えさせた四つ足のポケモン。とてとてと短い足で甘そうな食べ物を運んでいる、長い首に黒の縞模様を持ち、額と尻尾に赤いガラス玉のようなものを生やしている黄色いポケモン。
照明に一つ混じってふわふわと漂う、青白い炎の明かりを灯しているポケモンが居た。
どれも若干の見覚えがある。
いつか自分達をここのポケモン、ニンゲン達全員で見に来た事があったな、とプテラは思い出した。
アベは、辺りを見回してそして奥の方の席に居るニンゲンとポケモンを見つけて、その方へ歩いた。
緑色の髪の毛を持つポケモンが自分達の方を向くと、胸には何か赤いものが突き刺さっていて、一瞬体が震えるほどに驚いた。
――そんな事で驚かないで欲しいな。
直接、頭に言葉が響いた。
びくっ、とさっきより強く体が震えた。
――僕だよ僕。目の前の、胸に赤いのが突き刺さってる僕。
微笑みながらお辞儀をするそのポケモンは、見た目はどう見ても女性のようだった。
ただ、脳内に直接響くその声は男っぽかった。
立ち止まっているとアベが、カブトプスとプテラに座る場所と止まり木へと促した。
アベとそのニンゲンの間で話が始まり、間で座っているそのポケモンは優雅な手付きで湯気が静かに立つ薄茶の飲み物を口に付けた。
話を聞いているとこのニンゲン、ナミはホウエンというここからかなり南の出身らしい。緑色の髪の毛をしたそのポケモン、サーナイトと言うポケモンは種族名と別に名前を持っていて、フェロと言った。彼も、そこが出身だと言う。
地図とやらを見せられたけれど、良く分からなかった。
取り敢えず何かを頼まなきゃな、とアベが小さな文字が色々と書かれている紙を手にすると、ナミが唐突に自分達に聞いてきた。
「好きな味は何かしら?」
カブトプスとプテラは互いに顔を見合わせた。
「好きな味って?」
「食べ物の事だろうけど、肉しか食ってないけどな、俺達。好きな肉で良いのか?」
ここのニンゲン達はそういうものを余り食べていないように見えたが。
サーナイトがはー、と息を吐くと、ナミに何かを伝えた。ナミも飽きれたような目で自分達を見てきた。
「肉しか与えてないの?」
「まあ、肉食なので」
「私は学者じゃないから身勝手な意見かもしれないけど、折角この現代に生まれてきたんだったらさ、そして人間との生活もしているならさ、もうちょっと現代らしく生かせようよ」
そう言って鞄から棒を取り出すと、テーブルの上で振った。
すると、様々な色の四角いものがそれから転がり落ちた。
「ホウエンで、ポケモンにも人間にも愛されている食べ物よ。色んな味があるから、試してごらんなさい」
これが、食べ物なのか? ただの四角いものじゃないか。
そんな風に思っているとカブトプスが先に黄色いものを選んで爪で刺し、恐る恐る口にして、次の瞬間咳き込んだ。
「なんだこれ! 変な味だ!」
サーナイトが言った。
「色々味があるからさ、合ったのを見つけてみなよ」
合ったもの、かあ。
半信半疑ながらも、赤いのを尻尾で刺して食べてみる。
……熱い? 舌がヒリヒリする。何だこれ。妙な感じ。でも嫌いじゃないな。
黄色。変な味だなこれ!
青色。……これ、好きだな。うん、良く分からないけれど好きだ。
カブトプスは、桃色のポロックとやらを気に入っていたみたいだった。
「とすると、プテラ君はのんびりするのが好きな感じで、カブトプス君は何かと急いだりする事が多いかな?」
言い当てられて、びっくりした。合っている。
「そういう傾向があるってだけだけどね。
プテラ君は渋い味のものが好きで、カブトプス君は甘い味のものが好き。アベさん、覚えた?」
アベは驚きを隠せないまま、焦ったように答えた。
「じゃ、じゃあ、お茶とジュースでも頼めばいいかな?」
「そうですね、それで一旦頼みましょうか」
少し時間が経って、デンリュウとか言うその尻尾と額に石を付けたポケモンが飲み物を運んできた。自分達でも飲みやすい器に入った飲み物は、本当に初めての味だったけれどとても好みだった。
一息吐いてから、本題に入った。
「さて。そろそろ始めましょうか」
ナミがそう言い、アベの腰の方を見ていたサーナイトが自分達の方へ目を戻した。
説明が始まった。
サーナイトというこの目の前に居るポケモンは、エスパータイプという括りの中でも取り分け心を読み取る事に長けているという。
そして、このフェロと言うサーナイトは、その中でも特殊な能力を持っていると言う。
「フェロは、他者の心と心を繋ぎ合わせられるのよ」
フェロは、俺達に向けてにっこりと笑った。しかし、アベは少し考えてから聞いた。
「それは対話と言うのでしょうか? もしかして、考えている事がそのまま相手に伝わってしまうのでは?」
「ええ」
そうナミが答えると、アベは緊張するように唾を飲んだ。けれど、ナミは続けた。
「ただ、そうならないように心構える事も出来ますわ。
多少の慣れは必要ですが、考えている事と話す事を使い分けるように、心が繋がった状態でも繋がっている前面に出す言葉、そしてその奥で紡ぐ思考、それを分ける事は出来ます」
「ええと、それは……何と言うか……ポーカー……テキサスホールデムのように?」
「ええ、テキサスホールデムのように」
「テキサスホールデム?」
何だそれ、とプテラとカブトプスが顔を見合わせると、向かいに座るサーナイトが肘をついて言った。
「貴方達のご主人、賭け事が好きみたいね」
「賭け事?」
「あー、何て言うのかな、危険だけど成功すればとても良いハンティングみたいなものかな」
「そんな危険な事、してたんだ」
そう言うと、サーナイトは目を泳がせて言った。
「あー、えー、うん。危険だよ。危険なのには間違いない」
「?」
――まあ、分かっていて欲しいのは。
いきなり頭に直接語り掛けてきて、また驚いてしまう。
――私が作り出す心が繋がっているという状態でも、喋る事と考える事は使い分けられるって事さ。
「じゃあ、始めましょうか」
唐突に、ナミが言った。
「取り合えずは慣れて、思う存分話してくださいな。
フェロの胸の赤い突起に意識を集中させれば、後はフェロが繋いでくれます」
プテラとカブトプスはまた顔を合わせ、それからアベと顔を合わせた。
心の準備とかは出来ていないけれど、まあ、何とかなるんだろう。
そんな軽い気持ちで、二匹と一人は意識を胸の赤に向けた。
――あーあー。マイクテストマイクテスト。
――マイクテストってなんだ?
――さあ、って、ああ。繋がっているのか、これ。
――おお、これは。
アベが自分達の方を見た。
――口に出してないのに聞こえるとは、不思議なもんだな。
「あ、胸から意識を外すのは止してください。フェロの負担が高くなってしまうので」
「あ、すいません」
フェロはまるで眠っているようにじっと、目を閉じていた。
――あー、じゃあ、顔は合わせられないが、うん。そうだな。プテラ。カブトプス。改めて名乗ろうか。僕はアベ。アベ・タカヒロ。そう言います。
カブトプスが続けた。
――えーっと。俺達は何て返せばいいのかな。と言うか、名前って欲しいな。なあ、プテラ?
――そうだなあ。結構羨ましい。
――えっ、ちょっと待って、いきなり言われても困るよ。いや、考えてたりした事もあったんだけどさ、中々しっくりこなくて。
――例えば?
――えーっといや、うん、やめておこう。……ハサミとか、トゲシッポとか言えるわけな……聞こえた?
――……聞こえた。
――嫌だな。
――…………。ごめん、僕にはネーミングセンスがからっきしらしくて。
――あー、うん。良く分かった。
ハサミは、紙をチョキチョキ切っている物の事で、トゲシッポって、……俺の尻尾?
――あ、うん。本当にごめん。それ位しか思いつかなくて。
俺の思考も、漏れているみたいだ。
――……それで。こうして話そうと思った理由なんだけど。
アベが緊張しているような声で、言った。口には出していないのだけれど。
そのアベの前に出ている言葉の後ろで、何かが隠れているのが分かった。
これが、思考と言葉を分けているという感覚か。
――これだけは出来るならば、しっかりと対話が出来ている状態で言いたかったんだ。
――何を?
カブトプスが、じれったいように催促した。
ごくり、とまた、アベの唾を飲み込む音が聞こえた。
――君達は生き返ったんじゃない、という事。新しく生まれた命だという事。
いきなり言われたそれは、最初はどうしてそこまで緊張しながら言われた事なのか、良く分からなかった。
ただ、アベのその緊張から、そして自分のどこかがそれは、とても重要な事だと叫んでいた。
――それは……どういう事なんだ?
カブトプスがサーナイトの胸から視線を一度アベに向けて、理解しきれないように聞いた。
――君達は、僕達が作った命なんだ。死から寄り戻したんじゃない。見つかった骨やコハクの中に包まれていた僅かな血や体毛から、命を作ったんだ。……いきなり言われて、それがどういう意味を持つのか君達にはすぐには理解しきれないかもしれない。けれどそれは、君達がこれからこの世界で生きる為に知っておかなければいけない、とても重要な事だと思ったんだ。
プテラはその言葉に、何かが引っかかった。
…………。
……。
――あれ?
それは、プテラの心の前に出ていた。
自分達は死から戻ったのではない。作られた命で、そうならば記憶なんて持ち合わせていないはずだ。
――じゃあ、俺が時々見る夢の光景は、何なんだ?
「……え?」
その声は、耳に直接届いて。
今度はアベがプテラを見る番だった。
*****
この世界では隕石や火山の噴火、太陽の活動が弱まると言ったような理由で、何度か大量絶滅と言うものが起きている、らしい。
そして遥か昔、自分達が滅んだ理由は隕石が原因だと言う説が強いらしい。
――とても、とても巨大な隕石が地球にぶつかったんだ。その飛び散った破片が月なのかもしれないとも言われている。
――その影響で地球、この星は様々な変化を起こした。火山が噴火した。空が灰で覆われた。海に毒が流れ込んだ。そして、寒くなった。
――古代生物が滅んだ理由として一番有力なのは、寒くなったって事なんだ。君達も寒いのは、苦手だろう?
――ああ。
――そうだな。
――寒いのが苦手な生き物達……体温の調節が苦手な生き物達は、寒くなっていく世界に適応出来なくて繁栄を失い、やがて絶滅に至った。
――プテラ、これは僕の勝手な想像だけれど。君が覚えているその光景は、君の基となった骨や血までもが覚えていた、君達が付いていけなくなったその寒くなってしまった世界、ただ滅びを待つだけの世界の光景なんだと思う。
……滅びを迎えた種族。
それは、今まで頭では分かっていた事だった。
話を聞いて、それがすとんと胸に落ちた。そして、アベが自分達に何を言おうとしたいのかも分かってきた。
そうだ。
自分は、カブトプスは。作られた命であって、滅びを迎えた種族であって、そして唯一無二なのだ。
同じ命は、この世界のどこにも居ない。
寂しさが、苦しさが、体を襲ってきた。それは恐怖でもあった。
生きている事。それは楽しい。けれど、自分は。
最初から最後まで、生を受けた瞬間から死ぬその瞬間まで、天涯孤独なのだ。
「……おい、おい」
そのツメで突かれて、やっと気づいた。
辺りを見回すと、皆が自分を不安そうな目で見ていた。
「あ……」
「大丈夫か?」
アベが聞いてきて、思わず口で「大丈夫」と答えた。
けれど通じる訳もなく、でもアベは大丈夫そうだなとほっとした顔をした。
大丈夫、か。
プテラはまだ、その事実から抜け出せないで居た。
ただ、目の前には二種の木の実を使った色彩豊かな食べ物があった。
「渋い木の実をあしらえた菓子でね、好みだと思うよ」
ナミがにっこりと勧めた。
焼き菓子の上に、木の実などを敷き詰めたタルトと言う食べ物だとも明してくれた。
フェロは焼け焦げたような黒茶の、ぎっしりとしたガトーショコラなる菓子をフォークを使って食べていた。
カブトプスの前には、細長いガラスの器に様々な食べ物が層を成して詰め込まれており、その上にマゴとやらを綺麗に盛り付けた見た目も派手な菓子があった。それはパフェ、とか言うらしい。
どれも食欲をそそる見た目をしていた。フェロが食べている菓子も、焼け焦げたような見た目なのに何故か美味しそうに見える。ニンゲンはこういうものをいつも食べているのだろうか。
カブトプスが爪にマゴの実と、それにくっついた白い何かを口に運ぶ。すると目を見開いて、後はもうがつがつと食べ始めた。
自分の目の前にあるタルトとやらも多分、いや絶対に美味しいのだろう。
プテラは何故か少しだけ恐ろしさも感じた。
目の前でゆっくりと食べるフェロ、そして隣でがつがつと食べるカブトプス。食い散らかしていて、周りが汚くなりつつあった。
そんな二匹を見ながら、プテラも恐る恐る口を近づけた。
少しだけ口を付けて、それから端っこを食べて……何というのだろう、これは。完成されていると言うか? ただ肉を食べているだけでは絶対に味わえない美味しさ。味というものを追求してきたその時間の積み重ね? うん。そうだ。取り敢えず、美味しい。とても、今まで味わった事の無い美味しさ。
ただ、自分の大きな口ではそれを一瞬で食べてしまうのも勿体なくて、ちびちびと食べた。
……ああ、多分、もう戻れない。この味を知ってしまった。
恐ろしさの正体はそれだった。
そしてちびちびと食べても、すぐに食べ終えてしまった。
その後また対話をしたりとで時間が過ぎていき、昼過ぎになる頃にフェロがふぅ、と息を吐いた。
「疲れた? ……あー、そろそろ時間ね」
ナミが時計を見て言うと、アベも時計を見て「もうそんな時間か」と呟いた。
どうやら、もう対話は終わりらしい。
「今日は助かりました。約束の代金です」
アベがナミに封筒に入った札束を渡した。それは金というものに対してそう詳しくないプテラとカブトプスでも、大金だと分かった。
その封筒の厚みは、いつかアベに給料として手渡されていた封筒の厚みと大体同じだった。
ナミは札束の枚数を数えて、それを鞄に仕舞った。
そしてカフェを出る時になり、唐突にフェロがまた話しかけてきた。
「僕はね、元々野生だったんだ。最初からナミのポケモンとして居た訳じゃない」
「そうなのか」
「プテラ。特に君はこれから結構悩むだろうけれど、野生では作られた命だとかそんな事全く関係ない。僕自身が生きる為に色々と殺してきたし、誰かが生きようとする為に僕も何度も殺されかけた。
けれどもニンゲンの世界ではね、価値を認められればそんな事とは無縁で生きられるんだ。
夜に何を恐れる事もなく、ぐっすりと眠れる。価値を示していさえいればそれだけで、とても美味しい物を食べられる。自分の手を汚す必要すらなくなる」
ナミが全ての会計を済ませていた。
もうそろそろ別れの時間だった。
「プテラとカブトプス。正直君達が羨ましいとも僕は思うよ。
だって、生まれた瞬間から価値があるんだから」
その言葉にどうしようもなく苛つきを覚えて、プテラは聞いた。
「……何を言いたいんだ?」
「ま、要するに。そんなムズカシイ事考えなくてもね、君達は死ぬまで何の脅威にも晒されずに楽しく生きられると約束されているって事さ」
「…………」
ナミが会計を終わらせて、喫茶店から出た。
ナミとアベが挨拶を交わし、フェロもじゃあね、と軽く言った。
そしてナミと一緒に背を向けると、後はもう振り返らなかった。
帰って来ると、何だかどっと疲れが出てきて、プテラは眠った。
眠りの中にまた、その白い光景を見た。
アベが言うには、それは噴火した火山から降り積もる灰の色か雪の色か、そのどちらかだろうと言っていた。
それを聞いたからか、寒さを感じた。寂しい、とても寂しい寒さだ。
そしてそれは目が覚めても体を覆っていた。
後編は次の日に投稿します。