「雁夜ちゃん…?」
フードを深く被る人影。お洒落に疎い彼女がよく羽織っていたパーカー。
「葵さんなら、見つけてくれると信じてました。」
あぁ、聞き慣れた声だ。幼馴染みだもの聞き間違えるはずがない。
「凛を助けてくれたの?」
「うん。今度は間に合ってよかった。」
…おかしい。いつも駆け寄ってきた彼女が。遠慮がちにも後ろをついてきた彼女が。距離がある。
「ねぇ、雁夜ちゃん。」
嫌な予感がする。いや、でもそんなことはない。彼女は魔術が嫌いだ。だから逃げ出したんだ。そう、11年前にようやく解放されたんだから。
「葵さん?」
一歩、踏み出せばいい。そっと踏み出せば、彼女が私から逃げることはない。きっと、そこにいるはずだ。
「うっ…。」
不自然に転んで尻餅をつく姿。嫌な予感がする。
「…お願い、見ないで。見ないで、ごめんなさい。」
私は彼女の言葉を無視して、フードをめくった。
「…かり、やちゃん?」
顔を伏せる彼女。左半分は血管が浮き出し、一部が脈打っていた。包帯を巻かれた左腕は細く冷たくなっていた。左目は濁り、右目で泣いていた。
「もう一回、魔術師になったの。間桐の魔術だよ。私、マスターになったんだ。」
「もしかして、聖杯戦争…?」
夫が参加している魔術儀式だ。参加者ということは、夫と戦うということ。
「私ね、頑張るから。」
頑張らないで。嵐が来たら伏せて耐えるタイプの雁夜ちゃんが魔術師同士の抗争に打ち勝てるはずがない。
「桜ちゃんを助けるから。」
おまけに夫は雁夜ちゃんのことを嫌っている。“魔術から逃げた落伍者”そう呼んで嫌な顔をする。
「だからね、魔術師のお嫁さんになったからって幸せを諦めないでほしい。」
…ダメだ。きっと進ませてはいけない。
「雁夜ちゃん、時臣を殺して死ぬ気なの?」
幼馴染みで妹分である彼女と夫が殺し合うなんて…。そんな救いのない話があるわけないじゃない。
「大丈夫、私のサーヴァントは最強だから。それに、彼も殺さない。桜ちゃんが帰れなくなっちゃうし、誰もそんなの望んでないよ。」
「…さようなら、葵お姉様。」
もう遅いから車で送っていこうと提案したら断られた。懐かしい呼び名で私に別れを告げる彼女は夜の闇に溶けて消えていった。
“時臣さんと話がしたい”
言伝てを残して消えていく。足を引きずる音が遠ざかる。追いかけてはいけない気がした。追いかけねばならない気がした。
「あぁ、神様…。」
涙が止まらない。どうして、こんなことになってしまったんだろう。私はどうすればいいのだろう。どうすればよかったのだろう。
「お母様、泣いているの?」