グリーンカードを未だに提示されていない溝口が、JAXA犯人説と投票案に反発して出した提案。
ためしに、千空と真壁が選考から辞退してみろ、というものであった。
溝口が言ったことはあくまで提案であり強制ではない。そういう逃げ道を残したズルさもあるが、実に有効な手だと千空は感心していた。
『こういう心理戦は俺じゃ無理だな。だが、今は自分一人で戦うしかねぇ』
胃にドッと重くのしかかる嫌な感情を強引に押し込み、千空は唇を噛んだ。
『これは科学が通用する話じゃねぇ。非合理的な精神論ゴリ押しの戦場だ。なら、信じて耐えるしかねぇな。アイツらに宇宙、見せてやるためによ』
拳をギュッと握りしめ、千空は心に仲間を思い浮かべ、次の課題へと意識を向けた。
一方でこの提案はケンジの心に重くのしかかっていた。
付き合ってられない。本当に辞退してやろうか。投げやりな発想だが、“ねじれ者”のケンジは思い悩んでいた。
「お前、真壁ケンジ。大丈夫か?」
千空はケンジに話しかけていた。と言っても直接顔を見合わせてはいない。
課題のない自由時間中、作業スペースのテーブルに向かってノートに書きものをしている千空に、ケンジが気付いたことがキッカケであった。
「石神くんはこの10日間、何を書いているんだい?」
「ラブレター」
千空がシレッと言い放つと、ケンジは「意外だなぁ」と目を丸くした。言っては悪いが、彼女がいるようなタイプには見えないし、いたとしたらかなりの変人だとケンジは思っていたからだ。
「ククク。相手は精神年齢12歳と5歳と3歳が相手だけどな。この試験は課題以外にやることがねぇだろ? ヒマつぶしに科学の問題とか実験のアイディアまとめてんだよ。試験終わったら見せてやろうってな」
「な、なるほど。親戚の子供とかかい?」
「妹だな。ダチんとこのと、あと“俺の”」
楽しそうにノートをまとめる千空に、ケンジは「見せてもらってもいいかい?」とノートを覗いた。
「これは・・・3歳と5歳には・・・ちょっと難しすぎるんじゃないかな?」
そこに書かれていたのは『夜空の月が自分についてくるように見える理由』の解説。
保育園児では意味が分かるはずがないレベルの科学的知識に、ケンジは苦笑いする。
「ガキじゃ意味も何もわからねぇ。んなもんはコッチの勝手な決めつけだろ」
その千空の言葉に、ケンジはあることを思い出していた。
それは彼の2歳の娘が、ケンジの試験出発前に最後に叫んでいた言葉。
「かぺー」
普段、ケンジの妻が娘のトイレ練習の時に掛け声で「頑張れ」と言ってあげると、それにつられて娘が口にしている言葉。
それを、この3次審査に”頑張り”に行くケンジに向けて娘が言っていたことに、彼はこの時初めて気付いたのだ。
「ちゃんと意味もわかっていたのか・・・」
ケンジは『この試験が早く終わってくれないか』と頑張る気力が尽きかけていた。
だが、娘の言葉に励まされ再奮起したのだ。
「しゃーない、“かぺる”しかないな」
「・・・何語だ?」
そして13日目。
ケンジは手島や北村を誘って互いの趣味の話を始めていた。
手島は子供のころから妄想していた架空の異星生物の生態研究について。
北村は読んでいるSF小説について語ってくれた。
その顔は、この2週間で見たことのないイキイキとした表情であった。
「石神くんはどうだい?」
「まぁ、御自慢っつうのは趣味じゃねぇが・・・」
てっきり千空は自分の妹たちの話でもするのかと思っていたケンジであったが、その考えはアホほど見当違いであった。
ロケット。宇宙飛行士なら誰もが知っている。
いや、知っているが、ここまで詳しいか? ここまでを求めるか? という次元の・・・
というより、次元が違いすぎた。
「・・・っつうわけでチャンバーが焼けねぇようにするアブレータだが、この調整がマイクロ単位でクソ面倒くせぇ。だから計算機も・・・・」
ケンジが止めなければあと5時間はぶっ通しで語り続けていても不思議ではなかった。
という楽しいハプニングもあったが、真にケンジを救ったのは・・・いや、ケンジだけではなく溝口をも救ったのはグリーンカードであった。
試験官は2人に期待していた。リーダーとして、どういう雰囲気を作り出せるかを。
だからこそ今まで、あえてグリーンカードを出さなかったのだ。
そして今、2人に出された指令は“救い”のグリーンカード。『米をばらまけ』、『トイレを溢れさせろ』という指令に、2人は疑心暗鬼の苦しみから解放されたのだ。
「ほ~、ようやくイタズラ小僧が揃ったっつうわけだな」
全員で掃除をする中でつぶやかれた千空の言葉に、4人は思わず笑った。
「多分だけど、石神くんが最初だったのかな。いや、何のということは言わないけど」
「ククク。さぁな」
「そうなると、意地悪い順番だったんだね。僕もだいぶ責めてしまった。謝るよ」
心から言っているのかはわからないが、溝口の謝罪に千空は「気にすんな」とニヤリと笑った。
「そう思うと、石神くんって怒らないのね」
「いや怒るわ。聖人様じゃねぇわ。ヒマがねえだけだ」
そして最終日
2週間、様々なストレスにギクシャクした人間関係。それもついに終わる。
5人の中から2人、合格者を決める。それも全員が納得した形で。
点数制が破綻した今、千空の提案した投票制を採用することとなった。
「僕は、最後まで完全に納得はできませんでしたが・・・それで構いません」
意外にも溝口は投票制に賛成した。
「どういう風の吹き回しだ?」
「自分だけで納得しようとして失敗をした、その経験からかな。答えっていうのは意外な場所にあると思い知らされた。意固地になる無意味さもね」
逆に意固地な考え方にも思えるが、溝口なりの歩み寄りであった。
「それに、少し分かっているんです。誰が選ばれるかは・・・」
そう言い、溝口は千空とケンジを見た。
その後、2人の選出を終えたB班は、閉鎖環境ボックスの出入り口に立った。
重い扉が開き、職員たちからの拍手に迎えられる。
2週間ぶりに、5人以外の人間の顔を生で見る。それだけのことだが、心が少し軽く感じられた。
3次審査はこれにて終了。帰りのバスは、またあのシャットアウトバス・・・ではなかった。
ここでネタバラシ。この建物は極秘施設でも何でもなく、スタート地点のJAXAの倉庫を張りぼてで作った特設会場だったのだ。
だから何というわけでもないが、帰りの手段が少し気楽なのはありがたい話であった。
「じゃあね、石神くん・・・いや、千空くん」
「じゃあな、ケンジ。次はヒューストンだな」
ケンジと千空はここで分かれた。3次審査、B班からの合格者2名は、2か月後の最終選考へとコマを進める。
舞台はヒューストン。現役日本人宇宙飛行士から、直接選んでもらうのだ。
「っつことで、俺はヒューストンに行く」
「うぉおおおおおお!!!」
「お店は静かにしないと駄目だよ」
この反応から分かる通り、千空の3次審査合格を彼の友人たちは大いに喜んだ。
ここはレストランのテラス席。
テーブルを囲む4人の男女が、それぞれ手にグラスを持ち乾杯する。
「おめでとう千空くん。こんなに早く行っちゃうなんてワオだよ」
最初の乾杯は、千空と中学からの付き合いのある杠だ。優しい口調で千空のヒューストン行きを祝った。
「いや~、ゴイスーだねぇ千空ちゃん」
乾杯と共にコーラが揺れる。友人のメンタリスト、ゲンは言葉では大袈裟に驚いてみせるが、その実は千空なら何を出してきても全く驚かないと信頼していた。
「おめでとう、千空!」
「弁償もんは却下だ!」
千空とは誰よりも付き合いの長い親友、大樹。加減知らずの馬鹿力は健在で、千空は乾杯のグラスを必死で回避した。
「いやぁ。それにしても千空ちゃん、試験ってやっぱ余裕だったぁ?」
「体力テスト系は散々だったがなぁ。あとテメェのメンタリスト技術も奪っとくべきだったと絶賛後悔中だ。したら多少はマトモな2weekバカンス洒落こめたんだが」
千空なら今からでも習得できるよと、ゲンは笑って答える。
「それで、ヒューストンにはいつ行くんだ?」
「明日」
相変わらずの急な宣言に、いまさら驚く友はここにはいない。
『寂しくなるなぁ』の言葉がすぐに出てきてこそ普通なのだ。
「最終審査って2か月後なんだよね? ならそれまで“あの家”に行くんだぁ。いいなぁ」
「まぁ自分家に行くだけだがな。とりま楽しみっちゃあ楽しみだな」
その”家”に待つ人たちの事を知る杠は、千空の楽しそうな表情を見て笑顔になった。
そんな楽しい祝勝会から一夜明け、飛行機に乗り込んで一夜を逆走し、ついに千空はヒューストンへと到着した。
空港のロビーに『うぇるかむ』という大きなプラカードが馬鹿馬鹿しく掲げられる。
こんなことをする人間は1人しかいない。
「来たな、千空ぅ!」
大声が空港に響き、当該の男性が両手を広げて千空に近づいてきた。
父の抱擁を千空はサッと回避して、父の背後に立つ2人の子供の元に向かう。
「おかえりなさい、お兄様!」
「おかえりなさい、あにうえ!」
小さな2人の妹を、千空は優しく抱き上げる。
「ああ、ただいまだ。元気にしてたか? 瑠璃、琥珀」