合同訓練も幾多の月日が過ぎていた。
そんなある日、NASAエーリントン飛行場に千空たちの姿はあった。
宇宙飛行士に認定されるにはジェット機T―38の操縦資格が必要になってくる。
航空力学に始まり、エンジンシステムなどのメカニック、基本的な航法、各種飛行ルール。
体力ブッパと実習ブッパの日々が嘘のように、今は座学ブッパの積み込みとなった。
なんせ空軍の学生が3週間かけて習う内容を、3日間で覚える。覚える量の多さにパンク寸前になるほどだ。
それを5日後に筆記テスト。その結果によって、ジェット機の訓練の優先順位も決まってくるという。つまり、ここで気を抜く人間はどんどんと取り残されていくということだ。
という厳しい日々の中でも、しっかり行われるのがパーティー。
この日は宇宙から帰還した六太の弟、南波日々人。日本人初のムーンウォーカーの祝賀会。
さらに特別ゲストとして、南波兄弟が幼い頃から親交のあるシャロン博士という天文学者が来てくれていた。
「ほぉ、唆るじゃねぇか」
天文学者の登場に千空も興味惹かれる。
宇宙の神秘、地球から離れた星や空間の姿を見る術に長けた、人類最強の職業。それが天文学者だからだ。
だがこの時、千空は知らなかった。シャロン博士自身も知らなかった。
気付いたのは、元女医のせりか。シャロン博士のわずかな異常。緩徐な筋力低下、筋繊維束収縮の反応。
それはALS。筋萎縮性側索硬化症であった。運動を司る神経が蝕まれ、徐々に全身の筋肉が動かなくなり、やがて死に至る難病。
せりかの父が発症後、2年10か月で亡くなったこの難病に、博士は罹患していたのだ。
その後、筆記テストはおこなわれた。
シャロン博士の病気にショックをうけた六太は最低点を取ってしまい追試を言い渡される。
その事情を聞かされた千空は、それでも最高点を叩き出し、好成績の候補生を担当する教官に割り当てられた。
『ブロッコリーみてぇだな』
担当官は六太並みのアフロヘアー。
名前はアレクサンダー・ニコラス・フィリッポス・メディナカロス。
『いろいろと込み入りすぎだろ。渋滞してんじゃねぇか!』
そんな千空のツッコミであるが、いざフライトが始まると、その余裕は秒で消え失せていた。
飛行機の操縦訓練は、とにかくやることが多い。
管制との交信をしながら、風向や風速、高度、レーザーといった様々な計器に気を配らなくてはならない。
宇宙飛行士に求められるマルチタスクの技量。時間内に多くの仕事を正確にこなす瞬発力が求められる。
だけに留まればいいのだが、一番は体にかかるGである。
地上の何倍もの重力が体にかかり、負荷に耐えきれなかった千空は何度も吐いていた。
「おい、大丈夫か? 千空」「大丈夫、千空?」「お兄様・・・」「あにうえ~」
家に帰ってしばらく口にするのはお粥という日々。
心配する家族の声が、辛うじて千空の気力を保つのに役立っていた。
「あ゛あ゛。なん・・・とか」
きっと、ヒューストンにこの家が無かったら耐えられなかった。1人暮らしだったらリタイアしていたかもしれない。
「そういやぁ、瑠璃、琥珀。お前ら背ぇ伸びたんじゃねぇか?」
このころには、千空のアスキャンも1年を経過していた。
瑠璃は6歳、琥珀は4歳である。
「瑠璃ちゃんはね、もうモテモテなのよ」
「おっ、お母様。そんなことは」
頬を赤らめる瑠璃。千空はその頭を優しく撫でた。
「兄さま! 私も私も!」
「琥珀は、まぁ相変わらずのお転婆だな。同じ保育園じゃ、間違いなく最強だ」
琥珀の頭を撫でる千空。指に返ってくる力強さが、妹のパワーを感じ取る。
おそらくだが、彼女ならジェット機のGに耐えられるだろう。
「まぁ、単純に筋力だな。Gで血液が足に移動して脳に酸素供給ができなくなる、そいつが原因だ。っつうことは、筋肉で強引に血流を押し戻してキープする。俺に必要なのはソイツっつうことだ」
千空の行動は早かった。迷っている時間は非効率的。
国際電話で友人に教授を乞う。
「重力に負けねぇ下肢筋力の鍛え方を教えろ」
「うん。耐G訓練というやつだね」
電話の相手、獅子王司は備えていた。
彼は宇宙飛行士の訓練について予習していた。
いつ千空から相談されてもいいようにと。
「俺は約束した。千空、キミを宇宙飛行士にするとね」
「ああ、おありがてぇ」
指示されたトレーニングは2つ。
1つは、臀部から足の先までの下半身に力を入れる筋力訓練。
もう1つは、胸の大血管の血圧を直接上昇させる呼吸法の取得である。
理屈は分かっても、それ体現するのは体力音痴の千空にとって過酷な話である。
「と、思って筋電データを作っておいた。力の入れ方と呼吸法の、俺が実際にやってみた筋運動パターンさ。いつもみたいに使ってくれ」
それは、2次審査・3次審査の筋負荷・ランニング課題に発揮された千空の運動方法。
言ってしまえば、体の使い方の上手な人の体の使い方を、無理矢理電気の力で再現するという、科学的コピー&ペースト筋力訓練なのだ。
「いつもすまねぇな。そういやぁお前、タイトルマッチの直前だろ?」
「あと10分後だね。気にしなくていい、すぐに終わらせてくる」
その後、千空は電話の相手がタイトル防衛戦で対戦相手を3秒でKOしたというニュースを目にした。
そこからは訓練に次ぐ訓練。
ジェット機に乗っては、家に帰って体に電極を付けて筋トレ。
耐G訓練機器、グルングルンマシンに乗り、否応なしの回転速度に回されては、家に帰って呼吸法を鍛える。
「吸血鬼や鬼とでも戦うってか?」
「柱の男もいるぞ~」
ふざけてからかう百夜の頭に、「邪魔しないの!」とリリアンがアメリカンクラッカーをぶつけた。
このトレーニングにより、千空は無事にT-38の操縦資格を獲得。
人生最大の難所を乗り越えたのだった。
飛行訓練を終え、次の訓練は世界最大のバカデカ屋内プールで無重力訓練(正確には月面ほどの低重力を再現した訓練ではあるが)。
これは楽しい時間であった。
動きづらく、閉塞感のある、薄暗い水中ではあるが、全ての宇宙飛行士を目指す人間の憧れ。オーソドックスな寸胴体型の、宇宙服を着ることができるからだ。
「ククク。ここまで何年かかった? ぇえ?」
最初は1人で着替えるのにも一苦労なこの宇宙服に1人で着替えられるようになった時、千空は自分がようやく宇宙に行くステップに立っているのだと実感できたのだ。
ちなみに、六太はハンガーでプールにゆっくりと漬けられる際に、親指を立てて「アイルビーバック」とターミネーターごっこをしていた。(が、ターミネーター2のラストシーンはその台詞ではなかった)
その後も訓練は続く。増える。増える。
知識量も増える。筋力も増える。
そして時は流れ2027年
ついに千空は、認定書と記念バッジを手に入れた。
これを以って正式にアスキャンではなくアストロノートと。
あとはアサイン、任命を待つだけで宇宙へと旅立つことができる存在・・・
宇宙飛行士を名乗ることになったのだ。
日本初の親子宇宙飛行士の誕生。
その瞬間に立ち会っていた百夜が千空に手を差し出した。
1つの宇宙史が動く。そんな瞬間に、その場にいたJAXA仲間の六太、ケンジ、せりか、新田も祝福の拍手を送る。
「おめでとう、千空。これで俺たちは・・・一緒に行こうぜ、宇宙に」
「ククク。同時アサインのミッションが来るのに何年かかるか知らねぇが。ああ、1ミリ程度は期待しといてやるよ」
ガシッと握り合う親子の手。
3700年の時が流れたとしても、実現しなかったはずのこの握手。
それを知る由もない誰もが、この光景に何とも言えない感動を覚えたのだった。