千空がバックアップクルーに選ばれてから約1年が経とうとしていたある日。
宇宙飛行士の長、室長は彼の席に心を躍らせながら腰を掛けた。
彼の仕事の中で最も喜ばしいもの。それは、アサイン(任命)の電話をかける瞬間である。
「もしもし、室長のバトラーだ。石神千空だね?」
胃を痛める職務の中、彼にとっての楽しみは日頃頑張って訓練に励む宇宙飛行士たちの苦労をねぎらってあげられるこの言葉かける瞬間だ。
「君のISS搭乗が決まった。おめでとう。君をCTV-28クルーにアサインする」
「あぁ。おありがたく頂戴するぜ」
何か、期待していたのと違っていた。
最年少日本人宇宙飛行士、石神千空。25歳。
ベテラン宇宙飛行士のシャミール・ヴォルコフやコスモノートのヤコフ・ニキーチン、ダリヤ・ニキーチナ、NASA科学部のDrゼノからも推薦される期待の星。というコネ入社というものではなく、地道に成果を上げて努力の元に今の地位に就いた男。
であるならば、アサインの連絡に飛び上がって喜んでも不思議ではないものだが、当の本人から返って来たのはいつものような淡々としたノーリアクションであり、室長は『通知しがいのない男だ』とテンションを落としたのだった。
「では、石神くんと伊東さんのISS搭乗の決定を祝して、カンパイ」
その夜、JAXA同期の5人が集まり、千空とせりかのアサインを祝っていた。
「ついに俺たちの中から宇宙に行くメンバーが出るなんてな」
「しかも日本人が3人も同じ宇宙船で宇宙に行くなんてのも史上初だよ」
新田とケンジは自分の事のように喜び、2人を祝福した。
「なぁ千空・・・ちょっとイイか?」
そんな中、六太にチョイチョイと呼ばれ、千空は2人で物陰に隠れる。
「あのさ・・・キミのお父さんとお母さんって一緒にISSに行ったんだよね?」
「だな」
「それと一緒の時期にシャミールさんとコニーさんもそこに居て、2人が結婚したんだよね?」
「だな」
「で、さらにその場にいたのがヤコフ・ダリヤ夫妻なんだよね?」
六太のコソコソとする様子と会話内容から、その意図を掴んだ千空はようやく例のハートマークの飛行機雲の意味を理解した。
そう六太は『一緒にISSに行くと結婚に至る法則』を心配しているのだ。
「なるほどな。ククク、安心しやがれ。俺ぁミジンコほども恋愛脳ゼロだわ」
面倒くさそうに頭を掻く千空。
その態度に六太は少し安心しながらも、であるなら千空にとって“彼女”の存在はそれほど魅力が無いものなのか!? と少し怒りを覚えていた。
「それよか、お前のほうはどうなんだ? シャロン月面天文台」
「あぁ・・・」
この話題に六太は口を濁した。
シャロン月面天文台の発案者、六太の知人の天文学者・シャロン博士の病状はこのころ非常に深刻化していた。
せりかの父の死因にもなった難病・ALS。
天文台の計画はNASAの協力の元で進行していたが、その完成の瞬間に立ち会うことができるかどうか・・・
「大丈夫さ。ALSの治療法は、せりかさんと千空が何とかしてくれるんだろ?」
せりかはJAXA入社前からISS勤務を志望していた。それは、ALSの治療法確立の最後の希望が無重力化での実験にあったからだ。
「まぁ俺らの研究だけじゃ意味ねぇよな。天文台、お前が作ってくるんだろ?」
「ああ。いや、まだアサインも来ていないが・・・そのつもりだ。絶対に作ってきてやる!」
六太は拳に力を込めて答えた。
「つまりだ。ALSは俺らに任せろ。天文台はお前に任せた」
そう言って千空がハイタッチを求めると、六太はバチィンと乾いた良い音で応えた。
「でもってだ。俺らがALSをブチ殺した日にゃ、天文台のデータを俺に横流ししやがれ。優先的にな。ケケケ」
まるで悪者の笑い方をする千空に、六太はそのモジャモジャ頭にも冷汗を流して苦笑いするしかなかった。
だが、この3人の夢と希望が崩れる音が、それぞれの足元に着実に迫っていた。
1つは、せりかがALS治療研究データを大手製薬会社から貰いに日本に向かった時の話。
研究書類を受け取るところを、他の製薬会社の社員に見られてしまっていたのだ。
その会社はJAXAやせりか個人と新薬開発の交渉を依頼していたが、規則として特定の企業に利益の出る取引は禁じられている。
そこにきて書類の受け渡しを目撃してしまったのだから気分の良い話ではない、と彼らは思ったのだ。
そしてこの一方的な思い込みが、後に大きな影響を与えることとなる。
2つめは千空の身に。ISSの身に降りかかろうとしていた。
何処から漏れたとかいう話ではなく、今さらの話ではあるが・・・
『初の親子宇宙飛行士同乗で話題の石神親子が、実の親子ではない』という事実がここにきてマネージャーの耳に届いてしまったのだ。
ISSは廃止の話が首元まで届き、千空と百夜の話題のおかげもありギリギリ首の皮一枚で繋がっている状態であった。
その話題性が根本から崩れたことで、ISSは再び廃止案が議論されるようになってしまったのだ。
さらにはタイミング悪く、ISSの設備の故障が相次ぎ、千空たちの番にはISSを修理するだけのミッションになる可能性すら大きくなってしまっていた。
「Dr千空。僕は言ったよね? ゲイツには気を付けろ、と・・・・いや、これはキミばかりを責めても仕方ないな」
ゼノは深くため息をつきながら、電話口で千空にISSの窮地を伝えた。
「僕はこの通り国際会議で忙しいが、下手をするともう会えないかもしれないな」
失望の色を明白には出してこなかったものの、ISSの廃止ないし修理となれば千空がISSで科学実験を行うチャンスが無くなる。つまり、ゼノが科学知識を伝授する必要性が無くなるということ。
事実上のクビ宣告であった。
「ああ。詰みなら詰みで凹んでるほどヒマ人じゃねえ。とりま修理が任務っつうなら俺はそれに従うだけ・・・じゃあな、世話になった」
そう言って千空は電話を切った。
だがISS廃止の話が決定したわけではない。
次のミッションが修理だけになるとも、決定したわけではない・・・
希望は残されているはず・・・だが・・・
そして3つめ。それは六太の月面探査チームに降りかかっていた。
次の月面探査の候補チームは2つ。通称「ボルツ」と呼ばれるベテランチームと、六太たちの通称「ジョーカーズ」と呼ばれる新人チーム。
月面天文台ミッションが組み込まれる今回、六太の熱意は計り知れないほどであったが、マネージャーは失敗リスクの少ないベテランチームにアサインを出していた。
六太はそこに待ったをかけ、再任命をするようにマネージャーへ直談判に乗り込んでいたのだが・・・その過程でトンデモナイ条件を出されていた。
『ISS廃止の署名を多く集めた方を、正規クルーとして再任命しよう』
こうして、3人が3人に目に見える不安と目に見えない崩壊を抱えたまま迎えたある日の朝・・・・
「石神くん! た、大変だよ!」
千空の元に届いた急報。それはせりかの元にもすぐに届き、彼女は愕然とした。
「うそ・・・なんで」
ISS反対の署名活動が始まってしまった。しかもISS関係者にも気づかれるような露骨な形で、である。
「こりゃNASAは本気でISS(俺ら)を潰しにかかってきてやがるな」
「しかも噂だとジョーカーズでも同じように集めているって・・・ボルツと競い合って、より多くの票を集めたほうが先に月に行けるって・・・」
「ククク。アホほど効率的な話だ。足で稼いで宇宙に行けるなら誰だってそうするわな」
この話にせりかは愕然とし、千空は呆れ果てていた。
「私、直接南波さんに会って確かめてくる」
せりかは居ても立っても居られず、六太の居場所を職員に聞き出して飛び出した。
このままの状態の彼女を放置するわけにいかないと、千空もそれに続く。
2人はNASA職員御用達のレストランで、ジョーカーズの仲間と一緒にいる六太の姿を発見した。
千空たちはサングラスと帽子で変装し、六太たちに見つからないように後ろの席に座って様子をうかがう。
「署名だけど、俺も次はJAXAに頼んでみる。ボルツより多く署名を集めるんだ。絶対に負けられない」
どうやら六太が署名活動をしている噂は本当であった。しかも署名は順調に集まっているという様子。
その話に唇を噛むせりか。千空も擁護不能な状況に拳を握りしめる。
が・・・六太はこう続けた。
「これを発表したら俺らのアサインは帳消しにされるかもしれねーけど、それでもあれだ。ISSは俺らで守ろう」
そう、六太が集めていたのはISS賛成派の署名であった。
ISSに全てを賭けているせりかを、いつも見てきた六太だからこそ、この行動に出ていたのだ。
この事実に目頭を熱くするせりか。感謝のあまり今すぐにでも泣き出してしまいそうだ。こんな姿を六太に見られるのは恥ずかしいと、彼女は静かに店を出ようとした・・・が。
「おい南波兄。ISSを守る策を教えやがれ」
!!??!!??
せりかも、六太も、ジョーカーズの仲間も目玉が飛び出すほどに驚く千空の強襲。
「せせせ、千空!? そ、それにせりかさんまで・・・まさか、今の話聞いてた!?」
「ええええ・・・え、あ、はい。石神くん! 何してるのよ」
「あ~、そういう気合と気持ちの問題的なモンはいいから、現実的なプランの話だ。お前、南波六太。何の勝算も無しにISSを守るとかいうワケねぇよな? “署名以外”のプランがあんだろ? そいつを教えやがれ」
空気を読め。人の都合を少しは配慮しろ。という正論は千空に通用しなかった。
「あのさ、俺らの立場分かってる? 一応は利益相反の立場だよ?」
「ククク。な~ら共同戦線だ。さぁ、さっさと教えろ。あんだろ? 奥の手っつう奴が」
こうして当初の目的から外れ、千空が六太から情報を聞き出してから約1週間後。
ISSの危機を救うため、ある男が高笑いと共にヒューストンの地に足を踏み入れた。
「はっはー。ついに俺の出番というわけだな、違うか?」