千空、せりか、百夜、ダグの4人のCTV-28クルーの訓練が行われる演習場に、この日1人の男とその付き人の姿があった。
その雰囲気はNASA職員のものとも、宇宙飛行士のものとも大きく異なる異質なもの。
自信と欲望を決して隠さない尊大な性格が立ち姿から溢れている。
そんな彼を紹介する立場にあるコマンダー百夜が酷く狼狽しながら口を開いた。
「え~っと、俺たちCTV-28『クローバーズ』に民間人旅行客1名が同乗することが決定しましたぁ・・・ああ、そういう前例があるのは俺もよ~く知ってる。だからまぁ皆、理解してくれ。ということで紹介します。日本からお越しの七海龍水くんです」
「貴様らは幸運だ。この俺が宇宙の大海原に手を出す瞬間に立ち会えたのだからな!」
指をパチンと鳴らし高らかに笑う流水のインパクトに、百夜を始め多くのスタッフの目は点になったまま戻らなかった。
七海龍水。
海運業の王様・グループ総資産300兆円の七海財閥の御曹司にして、自身も2つの会社を運営する社長。
そんな宇宙飛行士ともISSとも縁の無さそうな男が今、何の道楽か分からないが、絶賛廃止の危機に瀕しているこのISSの訓練の場にいるのだから、困惑せずにはいられない。
「何このイケメン。日本人なら、せりかちゃん知ってる?」
「いいえ、財閥の名前くらいなら聞いたことがありますけど。すごい性格してますね・・・ちゃんと馴染めるか心配ですね」
せりかの心配する先に立つのは、普段から気怠そうにしている石神千空。
科学知識ブッパの宇宙飛行士であり、とてもではないが金持ちの道楽に付き合う度量なんて無さそうであり、5人で宇宙に行くとなれば雰囲気が乱れに乱れまくるのは目に見えていた。
が、そんなスタッフ一同の不安な目を他所に、龍水は全員の元にツカツカと歩み寄り挨拶を交わしていく。
「よろしく」「はっはい、こちらこそよろしくお願いします!」
社長が自分から行動するとは、性格的には良さそうであった。笑顔も気さくで話しやすい。
が
その番が千空に回ってきた時、龍水の歩調が急にスピードアップしたことに、一同は一触即発の不安を覚える。
だが、意外にも両者の表情は明るい。
「ククク、来やがったな世界一の欲しがりが。足引っ張んなよ」
「はっはー。誰に向かって言っている。この俺が来てやったんだぞ、千空」
そう言葉をかけ合いハイタッチを交わす千空と龍水であった。
その両者のように唖然とする父・百夜。
「お~い千空。ちょっといいか? お前、いつの間に社長と友達になってんの?」
「ぁあ? 息子の交友関係把握は義務教育の期間に卒業しとけよ」
「何がどうなったんだ?」
国際会議から戻ったDrゼノは、ISSを取り巻く状況の変化に唖然としていた。
結論から言えば、ISS廃止の動きは解決の方向へと進んでいたのだ。
「何がどうなったんだ?」
科学屋では理解できない事態が起きているのは明らか。とはいえある程度“政治”というものにも理解のあるゼノであっても、全容を推測するには材料が足りない。
「ケケケ。まぁ細かく話すと長ぇが、端的に言やぁ利害の一致と人脈の仕業だ」
ゼノの珍しい姿を見て笑うのは、彼とコーヒーを交わす千空であった。
ISSの一番の問題は修理コストであった。修理に割く時間と費用が拡大し、運営が継続できない状態にあること。
その削減案として名乗りを上げたのは、六太が紹介した日本の民間会社「スイングバイ」という、“修理専門”の民間宇宙飛行士を派遣することを目指したベンチャー企業であった。
既に有人ロケットの開発にも成功しており、あとはスペシャリストを育て、ISSの修理ポイントを探り、現場で活躍させるだけ。
その提案と熱意が、NASAのマネージャー・ゲイツを動かし、ISS存続の方向に流れが大きく変わっていたのだ。
「なるほど、だけどまだ不十分じゃないか。実現は2年後というなら、それまで企業が存続できるか、スポンサーの問題がある。それに現状の修理はどうする? Dr千空たちのミッションが“修理だけ”になっていないじゃないか」
ゼノの的確な指摘に、千空は声を殺して笑った。
「そこに出資して、修理にも顔を出して、金まで出すっつう馬鹿が現れたんだよ」
「はっはー、それが俺だ!」
研究室に馬鹿みたいな笑い声が響き渡る。
スイングバイの主出資者であり、スイングバイ新人技術者、ISSへの宇宙旅行客である龍水である。
龍水の行動は全てが高速であった。
資金繰りに不安を残すスイングバイに出資を提案し、自らを最初の宇宙作業員とすることを条件に出していた。
ISSへの渡航費を自らのポケットマネーから捻出することで、スイングバイへの負担はゼロ。龍水自身は世界最長の民間人のISS滞在記録を手に入れることとなる。
一見すると誰もが御曹司の道楽にも見える行動だがその実、龍水が一番に豪語していたのはISSの医療研究施設としての価値であった。
「病気に苦しむ世界中の美女たちを救うために、ISSの維持が欲しい」
条件に難色を示していたスイングバイの上層部も、この言葉に重い腰を上げてたのだった。
「つまりコイツは、わざわざ金払ってISSに行って、わざわざ仕事をしてくれんだと」
「修理ミッションを素人の旅行客が!? そんな馬鹿な」
ゼノの指摘通り無茶苦茶な道理であるが、龍水はいたって真面目であった。
世界一の欲しがり龍水をもってすれば、専門知識と専門訓練を必須とするISSへの旅までに寝る間を惜しんで技術と知識を吸収することなど、決して到達不可能な次元の話ではないのだ。
「だが、限度というものが・・・」
「いいえ、そのような心配は必要ありません」
ゼノの心配に割って入ったのは、彼の執事であるフランソワ。手にしたポットからゼノのカップにコーヒーを補充しながら豪語した。
「龍水様は自分を欺かない。欲しいものに欲しいと叫び進み続けます。龍水様がISSの存続を望まれたのであれば、それは必ず実現されることでしょう」
「その通りだ。つまり千空。ALSの治療は貴様に任せた。美女を救え! ISSは俺に任せろ」
龍水の自信満々な姿に、ゼノはフゥと息を吐いて椅子に深く腰掛けた。
「なるほど。ならキミらの情熱に応えよう。千空の科学力アップは僕に任せてくれ」
こうして、千空たちのISSの準備は加速度的に前に進むこととなった。
そんな千空の前に次に訪れたミッション。それは『ミッションポスター』であった。
打ち上げ秒読み段階に入ったクルーの紹介のためのポスター。映画やCDのジャケット風に演出する写真撮影である。
「ん~、もっとキメた感じに笑ってくれるかな?」
にこやか笑顔に最も無縁な千空の撮影が酷く難航していた。
千空たち“クローバーズ”のポスターのテーマはヒーロー風。
アメコミヒーローの『ファンタスティック・フォー』をモチーフにしたものに決定していた。
ピチピチのボディスーツを身に纏い、ドヤ顔で並び立つ4人の宇宙飛行士の構図。
なのに1人だけ笑顔が引きつっているのだから困ったものである。
「千空! 最高の笑顔ってやつはな、愛する人を思い出せば自然と出てくるもんさ」
そう言って励ます百夜がホワイトボードに『笑顔の伝道師』と書いて自らを指さす。その姿を見て鼻で笑う千空の笑顔が、何気に一番サマになっていて採用となった。
そしていよいよ、その段階に入った。
打ち上げまで残り20日。
この日から2日間が、クルーが打ち上げまでに家族と過ごすことができる最後の時間となる。
「お兄様~!」「兄上~!」
瑠璃9歳、琥珀7歳の2人は相変わらずの千空べったり姉妹であった。
それは、クルーと家族、関係者を交えたパーティーの席でもお構いなしだ。
「兄上はもうすぐ宇宙に行くんでしょ? 大丈夫? 落っこちたりしない?」
「まぁ落ち続けるわな。完全落下しねぇように燃料燃やしてくるぞ」
「ISSが上に来た時は、必ず空を見ますね」
「おう。肉眼でも見えっから楽しみにしてな」
瑠璃と琥珀の質問攻めにも、千空は根気強く付き合った。
この調子でいざ分かれの時が来たらどうなってしまうのかという不安すらあるくらいだ。
その様子を見て、この時のためにヒューストンに来てくれていた大樹、杠、司、未来も、3人の時間を見守ることに決めた。
「3か月、長ぇぞ。大丈夫か?」
「大丈夫・・・・じゃないかも」
「私も・・・・だって、映画のアルマゲドンみたいなことになったら・・・」
そう言ってギュッと千空に抱き着く2人。その頭を優しく撫でながら、千空はしばらく3人で過ごすのだった。
「っつうか・・・お父さんとこにはどっちも来ないのね」
打ち上げまで17日目。
この日からNASAのクルークォーターに入り隔離生活開始。
できるだけ人との接触を避け、ウイルス感染などのリスクに備えるためだ。
「この間に、俺はインタビューを受ける準備だ。千空、どうせ貴様は世界初の親子宇宙滞在という大舞台に求められるコメントに、気の利いたセリフなんぞ用意しておらんのだろう? 違うか?」
「ああ。そういうのは龍水、お前に任せた」
「はっはー。この打ち上げの全ての脚光を俺が独り占めしておいてやる。だから貴様は安心して実験に集中すればいい!」
そして、いよいよその日が訪れる。
「さあ、時間だ。行こう!」
「はい!」
宇宙服に身を包み、拍手に迎えられ、千空たちクローバーズと龍水は、ISSへと飛び立つため、アレスⅠへと乗り込むのだった。