伊東せりか収賄疑惑が冤罪疑惑へ。
そして冤罪確定となる事件が起きていた。
池内製薬という製薬会社に勤める黒川という男が伊東せりかへの名誉棄損の疑いで逮捕されたのだ。
警察の調べによると、黒川は様々な年齢・性別になりすまし、彼女に対する誹謗中傷の書き込みをネットに上げていた。
当該の書き込みを最初に上げたアカウントが、彼の自宅のPCであることが特定され、逮捕に至ったのだ。
警察によると、上井巡査の元にタレコミが入ったことが捜査のキッカケであったとのこと。
なお、そのタレコミが何処から入ったのかは明かされていない。
「というニュースが流れたそうだよスタンリー。まったく、日本というのは甘い国だね」
「ゼノ、キミのお気に入りのISSの実験を邪魔するからこうなるんだよ」
NASAの科学部署の研究室で、Drゼノは椅子でくつろぎながら、彼が依頼した“ハッキング”の件の電話をかけていた。
「キーワードを絞り込んで最終書き込み時間から逆算してスタート地点を割り出す。セキュリティが甘すぎるおかげで、こんな子供にもできる遊びで人1人の人生を狂わせることができるとはね」
「それほどに贔屓するなんて、面白い弟子ができたんだね」
「ああ。Dr千空・・・に任せた実験は、1億人と天秤にかけても失うのが惜しい」
「1億1人ならどうだい?」
「ハハハ。それなら残念だが、彼には諦めて大人しく死んでもらうべきだね」
そう言いながら笑うゼノの声に、『彼がここまで肩入れする人間がいるとは、面白いね』とスタンリーは小さく笑った。
一方その頃、ヒューストン石神家では週1回許可されているISSとの家族通信のために“この家にいる全員”がモニター前に集まっていた。
無重力下で髪をなびかせる百夜と千空に、エプロン姿のリリアンが微笑みかける。
「どう千空? そっちは元気でやってる?」
「おうよ。千空も俺もお元気イッパイだ」
「まぁおありがてぇことにな」
2人の返事の具合に、『実験・・・うまくいってないんだ』とリリアンは察した。
顔を見れば分かる。2人に余裕が無いことが、彼女には分かるのだ。
だが、そんな事がまだ分からないのが2人の娘。
「兄上~!」「お兄様~! クロム! お父様!」
「う~ん、申し訳程度にサンキューな瑠璃」
元気いっぱいの琥珀と瑠璃の表情に、百夜は涙しながらつぶやいた。
クロムがロボットアームを伸ばし「泣くなよ大人だろ」と頬を撫でると、百夜はクロムの球体ボディに泣きついた。
「で、そっちのほうはどうだ?」
「瑠璃が肺炎になってた」
リリアンがケロッと言ってのける重大事案に、百夜と千空が「はぁああ!?」と卒倒しかける。
「すぐに治ったから大丈夫だよ」
「で、そのことで話があるの。千空くん! 妹にどういう教育してるの!」
そう叫びながら画面に飛び込んできたのは、杠であった。
千空たちが旅立ってすぐ、リリアン1人で娘2人を世話するのが大変だろうと駆け付けていたのだ。
「琥珀ちゃんが『サルファ剤を作らなきゃ!』って大騒ぎだったんだよ! 私やリリアンさんに『作って作って』って。未来ちゃんに聞いてようやく抗生物質のことだって分かったからよかったものの」
画面から飛び出てくるんじゃないかというほどドアップで映る杠。
その未来からも「スルファルニルアミドですよ」と当然のように言われて頭がパンクしていたそうだ。
「あ゛~、んなもんどうせ無水酢酸にアニリン垂らす工程のことだろ? 爆発すっから危険だって教えておいたからな」
頭を掻く千空に、杠はますます怒り心頭となった。
「ね、頼もしくなったでしょ杠ちゃん。これならいつ“お母さん”になっても大丈夫」
そうリリアンにサムズアップされ、杠は顔を真っ赤にして笑った。
「で、どうだ? 家族の顔を見て少しは気が休まったか?」
ロボットアームを操作し、ダグと共にISSの外壁の修理に勤しむ龍水が千空に話しかけた。
「まぁ多少はな」
その返事にわずかに活気を感じ、龍水はニヤリと笑う。
「司にゲン、大樹が体を張ったようだな。俺には分かるぜ、奴らが何をやってくれたのか」
「ああ。俺も分かるぜ」
「俺もな!」
NASAの業務関係以外で外部とのやり取りを一切取ってこなかった千空と龍水にとって、ゲンや司の独断行動についてはAIクロム経由のネット記事程度しか知ることができない。
しかし、仲間なら言葉などなくても心で通じる。彼らの意図は寸分違わず2人に届いていた。
「なら俺たちのやることは1つだけだな千空」
「ああ。ALS治療実験、成功させっぞ。あいつらに顔向けすんためにもな!」
そこからの千空の集中力はすさまじいものであった。
実験の全てをズバババと腕が分身するほどのスピードで、なおかつAIロボット・クロムを酷使しまくり、ゼノから依頼されていた通常の飛行士であれば半年かかる量の実験を1週間で終わらせていた。
後処理とレポートの整理をクロムに任せ、千空はせりかの隣に立った。
「石神くん?」
「暇になっちまったんでな。アホほどやんぞ、実験」
「・・・うん」
せりかは涙を押し殺し、千空と共に実験を始めた。
だが、2人がかりであろうが、それだけで運勢が変わるというわけではない。
これは不治の病とされてきた難病への挑戦。
「人類が200万年かけて倒せない相手だ。そもそも攻略法の存在しない負けイベントかもしれねぇ。だがな、今俺らにできんのは試すことだけだ。なんでも試せ。とにかく試せ。試して試して試しまくれ」
自分を無理やり鼓舞する空元気にも見えるこの言葉を、千空は呪文のように言い続けた。
が・・・やはり実験は一向に成功しなかった。
温度も様々に試し、保管期間も色々変えてみても。
もう、これから先何を試したらいいのか・・・
「おいおい千空。せりかちゃんに気の利いたこと言ってあげれねぇのか? いや、お前のキャラじゃねぇな」
「千空ちゃんも少しはカッコいい顔してるんだから、女の子に優しくしてあげられるようになれば、モテモテになると思うわよん」
笑いながら実験エリアに入ってきたのは百夜とダグであった。
2人とも千空と同様に自身の任務を急ピッチで片付け、せりかに加戦しにきたのだ。
「まぁ試しまくるっつうのは大正解だ。できるまで無限に試しまくろうぜ」
「時間は有限よ。だけど、試しまくるのは嫌いじゃないわ。むしろ大好き」
こうして4人体制で実験は続行された。だがやはり、解決の糸口は見えてこない。
求めているのは特定のタンパク質の分離反応。ALS患者であるシャロン博士から“打ち抜いた皮膚”から採取した貴重な物。
それが1つまた1つと、何の変化も見せない現状に歯噛みする4人。
そんな中、龍水はAIクロムに探索プログラムを入力して遊んでいるうちに、あるモノを見つけていた。
「おい貴様ら、そろそろ就寝時間だ。カメラも音声も切ってきた。ということで・・・コイツを一服どうだ?」
そう言って龍水が出したのはフランス生まれのブランデー、コニャックであった。
「お前、そんな物何処から・・・」
「クロムに別プログラムがあるだろ? そいつが見つけてきてくれたのだ」
そう言って龍水がクロムをポンポンと叩くと、いつもの少年声ではなく幼い少女の声が飛び出してきた。
「スイカが見つけたんだよ!」
それは百夜考案の隠しプログラム。クロムのような科学的興味よりも探索的興味に特化した別人格・スイカであった。ネーミングセンスは、その時ちょうど琥珀が食べていたものが由来である。
「スイカもお役に立ちたいから狭い所に探しに行って見つけたんだよ。コニャックってなに?」
「ズヴェズダにあったそうだぞ」
「そういやロシアのモジュールにゃ酒が隠してあるって、ヤコフから聞いたことあるな」
そう言ってコニャック入りの袋にストローを刺し一吸いする龍水と百夜。一気にほろ酔い顔になり、袋を千空に向けて投げて寄越した。
「お前ら度数40%舐めんな」
「あん? 千空ってばお子ちゃま舌だったか?」
「ストレス緩和だ。気にするな」
ヘラヘラ笑う龍水を尻目に、アルコールで脳細胞が破壊されてはかなわないと、千空は実験用スポイトで吸い取り、コニャックを水滴状にして飲むことにした。
「まったく、何やってるのよ石神くんも・・・・」
するとせりかは何かを思いつき、千空からスポイトとコニャックを受け取ると、今まで実験していたタンパク質の沈殿剤の入った試験管にコニャックを垂らし始めた。
「お前こそ何やってんだ?」
「昔、お父さんもこんなことしてたのを思い出したの。どうせ“この子”たちもダメだろうから」
「ヤケクソというわけか。だがそれも時には良いだろう」
そう言って龍水はホンワカした気分のまま、就寝用の寝袋へと入っていった。
「おい、歯磨きと寝袋の固定忘れんな」
母親のような事を言うためにスイカから切り替わったクロム。あまりの豹変に、百夜と龍水はビクッとなった。
それを見てせりかは久しぶりに屈託のない笑顔を見せた。
その翌日。
お酒の力を借り、久々にぐっすりと眠りにつくことのできたせりかと千空。
やや惰性的になってきた実験結果の検証。前日に保管したタンパク質を顕微鏡で確認する。
「失敗。これも失敗」
駄目だと分かっていても、心のどこかで期待していた。それでも叶わない結果に項垂れる2人。
「あれ? ここんとこ見て」
せりかが映し出されたタンパク質のわずかな変化に気付き、画面を拡大する。
すると昨日、コニャックを入れた試験管のタンパク質にわずかな結晶化が見られた。
「こいつは・・」
「やっぱり、今までのと違う」
失望から一転。一分の希望が見えはじめ、2人は興奮を抑えられない。
再びコニャック入りで、温度と保管時間を変えて試そう。そう言葉にするよりも早く2人の手は動いていた。
「マジかよ。100億倍パワーのス-パー青カビ見つけたっつう超ラッキーの運ゲーの比じゃねぇかコイツは」
「ペニシリン・・・偶然でも、治せるなら成功・・・」
2人は自然とつぶやき、コニャックの反応を確認し始めた。
「駄目だ。これも完全じゃない」
「さっきよりかマシだが・・・理想とは違ぇな」
1つ、また1つと失敗の結果に絶望感が増していく。
が、ついに6番目。
ALSの原因となる変異TDP-43の活性を阻害させるために必要な、タンパク質の結晶化が、完全な形で発見されたのだ。
「できてる・・・結晶化、できてる」
「・・・だな。マジでスゲェぜ。こいつぁ」
千空が漏らした言葉に、せりかも声を震わせて報告用のマイクを手に取った。
「ALSタンパク質結晶化。原因は未解明の段階ではありますが・・・
実験成功です」
その時、千空はISS内に漂う水の粒を目にした。
それはせりかの目から溢れる大粒の涙の塊たち。
父親の死を目の当たりにした日、一生分の涙を使い果たしたように泣かなくなってしまった彼女が、堪えることができなくなった。堪えるべきでなくなった。堪えなくてもいいと、心から思えるようになったのが、この瞬間であった。
ISS内を管理する管制カメラの前で、声にならない声を上げ、何一つ恥じることなく子供のように泣き始めたせりかに、千空は静かに肩を貸し、なだめ、褒め、ねぎらうように、その頭を優しく撫でたのだった。