その日、ニューストピックに飾られた『ISS伊東せりか飛行士実験成功』の記事。
難病であるALSのタンパク質結晶化実験に成功し、これによりALSに効く新薬開発が大きく前進するであろうと、世界中から称賛の声が上がった。
かつては収賄疑惑により最悪の状態にまであった彼女を、多くの人々が祝福し賞賛している。否定派の声は残るものの、そのほとんどが医学や宇宙開発に無関心なだけの話。
そんな彼らもいつか気付く。この実験成功によりどれだけの人が喜び、どれだけの人が『明日も生きよう』と思うか、を。
「せりかちゃん。本当におめでとう!」
ISSに百夜の喜ぶ声が響き渡る。
「ありがとうございます。皆さんのおかげです」
ダグと百夜にハグされ、満面の笑みを浮かべるせりか。
「で、千空よ。流れでこの疑惑についてコメントを貰えないか?」
そう意地悪そうに言って龍水がAIクロムを操作して画面に表示させたのは、ISSのカメラが捉えていた実験成功・・・の後の映像であった。涙の粒が舞う中で、せりかの頭を優しく撫でる千空の姿。
画面を切り替えると、今日本で『ナデナデ王子』と千空が話題になっている記事が映し出される。
「『わたしも頭ナデナデされた~い』だと。千空、お前もプレイボーイになったもんだな!」
百夜が茶化すと、AIクロムはスイカに置き換わり「スイカもナデナデしてほしいんだよ」と流れに乗った。
それに対してリアクションするのも面倒くさいという態度満々の千空が白けた目で父親を睨む。
「瑠璃や琥珀にいつもしてやんのと同じだろ」
「ところが、世間はそうは思わない。なんてったってこの映像、すでに100万回再生されているそうだからな!」
ゲスい笑みを浮かべる龍水と百夜であった。
ちなみに、その映像を何とも複雑な思いで見ている男が月面にいた。
休憩時間、プライベート通信で千空に直接電話をかけてきたのは、南波六太であった。
「まぁ、まずは実験成功おめでとう。千空、せりかさんをよく助けてくれた」
喜びと、ほんの1%ほどの妬みを込めた笑顔で実験成功を称賛する六太。
「あ゛あ、大体言いたいことは分かってる。んなつまんねぇ不平ブツクサ言う暇があんなら、さっさ告っちまえ。4年も何も言わねぇとか、どんだけ非合理的だ」
「なっ・・・何を言っているのだね千空くんは!?」
せりかへの想いについて千空から急に飛び出した話題に、六太は酷く動揺する。
「2年前だったか? あのバルタン星人ハートマーク雲。アイツ、アホみたく空間認識能力が欠如してやがんのかミリほど理解してなかったが、普通にハートマークになってたぞ」
そう言って千空は指でハート型に空をなぞってみせた。
「っつうわけで、ALSの分の礼をしてぇっつうなら、地上戻ってすぐ言え。でもってシャロン天文台完成させて、そのデータを俺に横流ししろ。そいつが100億%効率的だろ」
そう一方的に告げ、千空は通信を切った。
その後、六太の想いは意外な形でせりかに伝わることとなる。
それは日本のテレビ番組の企画から始まった。
人気タレントのニッキーが司会となり、子供たちを集めてISSとテレビ通信越しにインタビューするという番組である。
番組冒頭、ニッキーがALS実験成功の件を祝福した。
「伊東飛行士、実験成功おめでとうございます。貴女は世界でALSと戦う人たちの希望です」
「そんな・・・でも、私も本当に嬉しいです」
照れるせりかに会場から拍手が送られる。そんな中、ニッキーはせりかの隣に立つ千空にも話を向けた。
「それに石神飛行士。私は思うんです。貴方や他のISSの仲間方々が伊東飛行士を側で支えていたからこそ、この成功はあったんじゃないかな? って。ありがとうございます」
「ククク。大したことはしてねぇよ。チームっつう強みが活きただけだ」
そう言って耳掃除する千空であったが、それがただの照れ隠しだろうと、会場中から拍手と笑いが巻き起こる。
それからしばらく番組は淡々と、子供ならではの質問が飛び交いながら進行していった。
「じゃあ次の子、何か質問ある?」
ニッキーに指名された子供が質問したのは「地球に帰ってきたらまず一番何を食べたいですか?」であった。
千空は特に悩む様子もなく「ラーメン。こっちのは味は悪かねぇ。が、スープがどうしても粘っこくて仕方ねえ」と即答する。
一方で隣に立ち質問に答えるせりかは「え~っとどうしようかな・・・ラーメンもいいけど焼き肉もいいですよね。たこ焼きにしようかな・・・お寿司・・・」と散々迷った挙句、地元の知り合いのお店が出している『ハートコロッケ』というハートマークの形をしたコロッケを答えた。
インタビューも終わり、千空たちは食事タイムに入っていた。
せりかはAIクロムの液晶画面に例のハートコロッケを映して「これこれ。食べたいな~」と、ポテトサラダを頬張っていた。
「ポテト食いながらポテト欲しがんのかよ」
「はっはー、せりからしいではないか」
そう言って千空はラーメンをすすり、龍水は黒トリュフの松坂牛リエット(真空パックver)を口に運んだ。
「あ~ハートコロッケにマヨネーズつけて食べたい」
せりかはそう呟き、マイペースにもマヨネーズを空中に出してハートの形を作った。
無重力に放出されたマヨネーズは慣性のままその形状を保つため、上手に出せば3Dアートとなるのだ。
そうして容易く無重力ハートマークを作り出すせりか。
ハートマークが徐々に横に回転し、それこそカニのハサミのような形に見える位置まで動く。
それを見て、千空は例の六太の飛行機雲を思い出した。
「これ、どっかで・・・あれ? 何だっけ。今一瞬『ヒュッ』て通ったんだけど記憶が」
せりかの脳裏にも、その時の光景が一瞬蘇るが、鈍感なのかスルーしてしまった。
そのじれったい空気に、千空は下手くそな誘導を仕掛ける。
「・・・・飛行機雲みてぇだな、こいつは」
そう言って千空が助け舟を出すと、せりかもようやく思い出した。
「ああそうだ。南波さんのバルタン星人だ!」
違う! いい加減自分で気付け! と、千空は苦笑いしてツッコミを我慢する。
「え・・・はぁ~~~~!!!」
せりかはようやく自分の力で気付いたのだ。
あの時、六太がせりかに見せたかったものの意味を・・・
そして、せりかは月面への連絡を決めた。
ちょうど月面では六太が未知の洞窟を発見し、シャロン天文台のコンピューターを起動させたりと、話しかける話題として困らないタイミング。
「あの、六太さん・・・」
普段、せりかは六太の事を『南波さん』と呼ぶ。この変化は事情を知る者から見れば大きい。
「私、カン違いしてたかもしれないんです。あの時、六太さんがその、空にスモークで描いてくれたの私、バルタン星人だと思ってそう言っちゃったんですけど、本当はもしかして・・・あれ? え?」
そこで2人の通信はタイミング悪く途切れ、画面は砂嵐に包まれてしまった。
それはISSでも月面基地でも、NASAでも起きた異変。
「百夜。大変よ。ヒューストンと通信が途絶えてんのよ」
ダグの知らせに、ISSの5人は急遽集まり緊急ミーティングを始めた。
太陽フレアによる太陽嵐。電波障害であった。
せりかと六太の恋路を邪魔した通信障害は一時的な物で、ISSの千空たちにとって大したピンチでもピンチに入るものでも無い。
より危機感を持つ必要があるもの。それは12時間後に届く強い放射線だ。
地球は磁場によって守られているため、この放射線が害となることは無い。
ISSも地球の磁場圏内にあるため安全であるが、一応ズヴェズダの防護エリアに避難する必要がある。
「宇宙というのは恐ろしいものだな」
「まぁ、こいつに関しては狼狽える必要なんざ1ミリもねぇよ。オーロラ発生器とでも思っときゃいい」
「ああ。千空の言う通り、まだ焦る時間じゃない。むしろ問題はその後に届く磁気嵐だ」
百夜の言葉に、4人はジトッとした汗を額に感じたのだった。