樹海に入れる特殊体質の少年(前世持ち)が愛する三ノ輪銀のためにいろいろ頑張る話 作:exemoon
次からようやく新章……。
薄暗い部屋に窓から、木漏れ日が差し込む。
その部屋では数名の神官と、一人の少年が話し合っている。
その部屋の主は赤嶺頼人という少年。
神官達は少年の側近の者であった。
「―――穏健派、旧反対派の連中は取引に応じ、こちらの指示に全面的に従うとの事です。経過観察は必要でしょうが、今のところ、動くことはないかと」
「順調だな。彼奴らも事ここに至っては、立場を明確にせねばならぬ身だ。勝手な真似はせんだろう」
「ですが、大人しくしているうちに力を削いでおくことも選択肢として考えるべきではありませんか?連中は目先のことしか考えられるような輩です。利用するよりも排除した方がいいように思えますが」
「相変わらず早乙女は過激だな。そんなに奴らが気に入らないのか?」
「実力も才能もない癖に、権力を持っている輩は嫌いですが、そうではありません。妬心を隠さぬ連中に甘い顔をする必要がないのではないかと思うだけですよ」
「確かに、予定通りとはいえ、奴らの立場を保障するというのはあまり気持ちのいい話ではありませんね。ですが、こちらから取引を反故にするわけにもいかないでしょう。連中も数はそれなりにいますし、一口に排除するわけにもいきませんから」
「ですが、万一、連中が頼人様に害を為そうとすれば、どういたしますか?ただでさえここ最近、頼人様を逆恨みする連中が多いというのに……」
「早乙女の懸念も分かるが……」
しばし、部屋は重苦しい雰囲気に包まれる。
と、その空気を破るかのように部屋の主が口を開いた。
「大丈夫ですよ。もし何かしようとしても、こちらの者がすぐに察知します。彼らの排除は今、考えなくてもよいでしょう」
「しかし頼人様……」
「いきなり排除しようとすれば、流石に手間がかかりすぎますから。皆さんの貴重なリソースをそんな些事に費やすわけにはいきません。それに、害をなすようであれば、その事を理由に彼らを排除すれば済む話です。無理に排斥するよりも、ずっと楽に、そして遺恨なく彼らの権限を手中に収めることができるでしょう」
ほう、と感心したような声が神官から漏れる。
「そこまでお考えであらば、これ以上何も申しません。差し出がましいことを、申し訳ありませんでした」
「いえ、自分が説明不足でした。ご心配をおかけしてすみません」
どうやら、この神官は少年の判断こそが最も正しいと信じ込んでいるようだった。
自身の半分以下の年齢の子供の判断を。
しかし、そのことをおかしいと指摘する者はこの場に居なかった。
「ところで、例の政策はどうなっていますか?」
「既に内閣、与野党共に根回しは終えております。今年度中には法案も成立する予定です」
「ふむ、他家や政界の反応はどうですか?」
「大赦の一部の者からは越権行為ではないかと批判の声が僅かに見られます。政界では、法案自体が少々不審がられていますね」
「仕方あるまい。この国の未来の為なのだから、多少の不満は飲み込んでもらうべきだろう」
「そうですね。……この件は、できるだけ早められるようにお願いします。遅れれば、国民全体に影響が出る可能性がありますから」
「かしこまりました。ただ、不審がられている以上、正攻法ではこれ以上の短縮は難しいかと存じます」
「ふむ……。限定的な情報開示も視野に入れるべきですかね……」
「だとすると、現内閣を取り込むのがよろしいかと。今後の動静にも関わりがありますから」
「ですね。どのみち、この件は上にあげる必要がありそうです。一先ず置いておきましょう。他に報告は?」
「はい。懸案だった新型のシステムについてですが、防人のモノと勇者の壁外戦仕様、共に、調整を完了致しました。実戦までには、テストも問題なく行えるかと存じます」
「それは良かった。……で、防人のシステム、自分が使える可能性は?理論上は使えると聞いてますが?」
「頼人様……まさか、まだお考えでいらっしゃったのですか?確かに、次の襲来には必要になるやもしれませんが、頼人様が壁外探査に参加する必要はありません。勇者様がいらっしゃるとはいえ、防人の装備では危険が大きすぎます。頼人様に万一のことがあれば、この国は……。」
「横手の言う通りです。頼人様はご自分の背負われているものをお忘れなのですか?指揮を執られるにしても、結界内等、後方からの指揮にされるべきです」
春信もまた、そう言って止め、また、この部屋にいる神官全員が反対の立場をとる。
ある種の四面楚歌のような状況。
だが、少年は譲らない。
「彼女達に無理強いをしているんです。戦う力があるのなら、戦場に立たねば。戦場に立てるのに安全な場所に居ては、彼女達からの信頼は得られません。彼女達の信頼なくして、世界を守ることは不可能なんですから」
「ですが、頼人様の御身体では……。頼人様の御覚悟は全神官が知るところにあります。徒に危険を冒すべきではないかと……。戦場に身を晒すことだけが戦いではないとおっしゃってくれたのは頼人様ではありませんか」
「ですが、自分は本来得られるはずのない勇者の称号を頂いた立場です。戦場に立たねば、今まで戦ってきた全ての勇者に合わせる顔がありません。それに、自分は結局子供なんです。戦場にも立たぬ小僧に、皆の希望を背負う価値があるでしょうか?」
「しかし………」
「頼人様…………かしこまりました。テストの御用意を致します」
「三好君!本気!?」
早乙女から悲鳴のような声が上がる。
「落ち着いて下さい、早乙女さん。まだ決まったわけじゃありません。いずれにしても、次の襲来までには、準備をする必要はありますから」
春信はテストについては了承したが、実際に壁外に出ることを認めたわけではなかった。
「頼人様、今しばらくこの件は保留に致しましょう。まだ、実戦まで幾ばくかの時間はございます。性急に結論付ける必要もないかと」
春信が纏めるように言う。
「……分かりました。とまれ、テスト次第で色々と変わりますからね」
少年がそう言うと、横手や早乙女など、この部屋にいた面々の多くが、分かりやすくほっとした表情をした。
その後、二三の別の話題を済ませ、解散となった。
少年が他家の者と会談するため移動し、その場には神官達だけが残される。
「いやはや全く、大したお方だ。頼人様のお考えは我々の遥か先を行かれておられるな」
「ですが、あのように自ら危険を冒す癖は直して頂きたいものです。ほとんどお休みになられていないようですし、見ていて不安になるときがあります」
「そうだな……。だが、あのような気概を持たれるお方だからこそ、あの若さであっても、ついていこうと決断できたのだ。あまり大声では言えないが、救世主と呼ばれるべきなのは、あのお方だとさえ思う」
「自分もそう思います。あのような体になっても、戦い続けようとするその姿勢……我らも御役目を果たさねばと、奮い立たされる思いです」
少年が去ったその場で、神官達が口々に少年を称える。
微笑ましいようにも、歪なようにも見える、およそ真面な組織には似つかわしくない光景。
だが、その光景をおかしいと指摘する者はいない。
違和感を覚えるものすらも殆どいない。
きっと、この状況に最も違和感を覚えている者は少年自身なのだろう…。
こうした原因が自分にあることを思い出し、春信は苦く思う。
そうして、ゆっくりとこれまでの事を思い返し始めた。
全ては、この一人の少年が樹海に入り込んだことから始まった。
本来、勇者でなければ認識することすらできない樹海。
その樹海に入り込んだ時点で、少年の異常性は明らかだった。
だが、麒麟児などと持て囃されていても、ただの少年。
樹海に入れるという特異性についても、多少調べられこそしたが、バーテックスの襲来という明確な危機の前では、重要視されることはなかった。
樹海に入れるとはいえ、ただの十二の子供が何の役にも立つことはないだろう。
その、ある種の赤嶺頼人への侮りこそが、当時の上層部の最初の失敗だったと言えよう。
少年は自身への注目が少ないことをいい事に、その間にパイプを持っていた名家の協力を取り付け、自身の権限を拡大。
そして、そこから得た情報を元手に大赦との交渉を成立させた。
どう考えても異常な事態であるのに、事ここに至っても、大赦は少年を侮っていた。
情報を与えても何も変わることはないと。
当然の帰結。
だが、それは大きな間違いであった。
少年はさらにその情報と、自身が観測したデータを駆使し、多くの味方を作っていった。
そして、有力な名家の支持を取り付け、勇者システムのアップデートと勇者の増員を大赦に押し通させた。
無論、反発も大きかった。
だが、それが後の権力闘争に影響することとなっていく。
ここで、少年が勇者システムの開発に立ち会ったことが、当時の体制を崩壊させるきっかけとなったといえるだろう。
勇者システムのアップデート案に含まれていた、満開と散華の機能。
人身御供という概念がここに極まれり、といった内容ではあったが、大赦の性質を考えれば、本来否定しえないものであった。
なにせ、半ば神樹の意志のようなものなのだ。
否定できるものは存在しない……はずであった。
ここからの、少年の行動は一歩間違えれば、世界の敵ともいわれかねないモノであった。
少年はありとあらゆる手段を用い、アップデート内容から満開を排徐されるように仕向けた。
特に乃木に対して、現状であれば満開の実装は不可避であるが、大赦を改革することにより、回避が可能になると信じ込ませる用意をしておくなど万一の備えも行うなど、非常に周到なモノでった。
さらに、赤嶺家を通して、繋がりの深い名家連中に改革について、徐々に根回しを行い、一方で、名家でない大赦職員の篭絡も並行して行っていった。
最早、クーデターの準備といってもいいほどであっただろう。
斯く言う春信自身も、多少の手伝いをしていた。
そして、ターニングポイントが訪れた。
バーテックスの三体同時襲来。
三人の勇者が戦闘不能となり、最終的に勇者としての力を得た少年が、精霊の力を行使、二体のバーテックスを撃退し、一体のバーテックスの殲滅に成功した。
三人の勇者が事実上の敗北を喫したというのは、記録を閲覧した者には明らかで、この戦いは、大赦の見通しの甘さを証明するものであった。
ある意味、少年が戦線に加わったタイミングは完璧だったといえよう。
勇者・三ノ輪が重傷を受けた瞬間に戦線に到着。
後から分かったことだが、少年の処置が遅ければ、同勇者に命の危機すらあったらしく、そのまま戦い続けていればまず落命していたことは間違いなかったそうだ。
つまり、少年がいなければ、運が良くても勇者一名が落命、悪ければ世界が滅んでいたのだ。
そして、後者の方が可能性が高かったのは言うまでもないことであった。
かくして、少年は救国の英雄として扱われることとなった。
また、この戦闘データにより、バーテックスに核となる部分があることが発覚するなど、少年は単なる勝利以上の恩恵を齎した。
結果として、少年は自らの価値をそれまでと比べモノにならないほどに高め、以前から少年と接触していた者に、絶対な信頼感を植え付けることとなった。
特に、少年の活動に早くから協力していた者達のそれは、熱狂的ともいえるものであった。
今、彼の側近となっている者の中には、こういった人物も多く含まれていた。
一方で、この事件は、大赦の在り方を大きく変えるきっかけとなった。
当時の上層部、特に勇者システムのアップデートや増員に反対していた者たちの発言力は大きく削がれ、一方で赤嶺の発言力は大幅に上昇した。
これは、救国の英雄となった息子のおかげでもあったが、同時に勇者システムの不足を指摘していた点が高く評価されたものであった。
こうして、この事件により大赦内の力関係が大きく変わり……改革が始まった。
この改革のタイミングも実に見事であった。
先の戦いにより、組織全体の危機感はこれ以上ない程に高まり、多くの者が上層部に不信感を覚えていた。
つまり、改革が成立する土壌が完全に整ってしまっており、さらに、長期間にわたる赤嶺家からの根回しとの相乗効果で改革の機運はこの時、これ以上ない程だったといえよう。
ある種、当然のことだ。
誰だって、死にたくはない。
少しでも生き残れる可能性が高い方につくのは当然のことだ。
特に、旧態依然とした連中との対比により、赤嶺の言に乗る方がよいと考える者が増えるのは必然ともいえるものであっただろう。
このような背景もあり、改革は見事なまでの迅さで進行していった。
しかし、この改革は、既得権益にしがみつき、変化を嫌う者たちにとってはたまったものではなかった。
特に、勇者の増員などに反対していた者たちはいっそ、哀れなほどであった。
なにせ、改革が乃木や赤嶺を中心に行われていくのだ。
改革後の大赦から、彼らの居場所がなくなるのは目に見えていた。
自分達の地位を守るために改革に反対せざるを得なかったのだろう。
だが、その末路は決していた。
そもそも、組織のトップと、対人に特化した名家が改革を始めたのだ。
趨勢は最初から決まっていたともいえる。
さらに、反対派は拙い手を打ち、一気にその立場を崩し、また、その原因が上里の御老体にあったことが発覚したことにより、完全に崩壊することとなった。
ある種、当然のことであろう。
いくら不利な立場にあったと言えども、反対派は潰されるために反対していたわけではないのだ。
それが、上里に誘導され、ただ利用されていたのだと分かれば、その存在意義を失うも同然。
自己崩壊に陥るのも当然のことであった。
かくして、改革の流れは最早、止められないものとなり、大赦の権力はこれまで以上に、一点に集中することとなった。
考えてみれば、これにより、少年は大赦の掌握に成功したとすらいえるだろう。
権力というものは、集中すればするほど小さなところを抑えることにより、全体を支配できるものだ。
改革の多くは赤嶺が関係しており、乃木や上里の顔こそ立てているものの、乃木は少年に絶対の信を置き、上里は赤嶺に頭が上がらず、事実上、赤嶺に最も発言力があるのは、誰の目にも明らかであった。
そんな状況下で、少年は赤嶺を掌握していた。
しかも、少年自身を神聖視する者も多く、彼の行動を知る者は赤嶺の行動の裏に少年の姿を見ていた節もあった。
ある種、この動きは少年個人への崇拝の予兆とも言えた。
そして、この傾向は『瀬戸大橋跡地の合戦』において、完成することとなった。
過去最高の質の敵と過去最大の量を誇る敵との攻防戦。
当初の予想をはるかに上回る襲来。
なるほど、満開が必要とされるわけだ。
しかし、その戦いに勇者達は勝利した。
満開無しで。
すなわち、少年の行動の正しさが証明されたのだ。
同時に、この結果は、勇者たちの力が神樹の予想すら上回ったことを意味した。
これは、大赦の者たちにとって大きな衝撃となった。
赤嶺頼人の判断が、悉く結果を最善の方向へと導いていると信じる者が増え、少年の価値はその協力者以外の者にも認められ始めた。
元々、大赦内でも今の人類の状況の拙さを理解している層はある程度いたのだ。
そして、理解度の高い者ほど、その絶望は深いものであった。
なにせ、対応できる唯一の組織は、腐敗し、硬直化しており、戦争指導もまともに行われていなかったのだ。
何とかしようと藻掻けば藻掻くほど、立場は悪くなり、周りに押しつぶされていく。
そもそも、名家出身でなければ、余程の才を持たぬ限り、組織の意思決定に関わることは難しい。
たとえ、組織の中枢に食い込めたとしても、一人で大赦の方針を変えることなど不可能に近い。
他ならぬ、人間の手によって、首を絞められているも同然だ。
そんな中、あの少年が現れる。
本当に、都合のいい存在だ。
絶望的な状況にあっても、未来を見据え、目的地を示す人間。
そんな存在が現れた時、彼らは容易くその人間に夢を見る。
そして、絶望が深かった者ほど、その夢に熱狂する。
少年は気付かぬうちに、自身がその役割を担える存在であると思わせてしまった。
つまり、少年を知る者たちは、赤嶺頼人という存在に夢を見てしまったのだ。
自然と、少年に上に立ってもらおうという考えが一部の者に生まれた。
常識的に考えれば、有り得ない考え。
だが、勇者の称号や、その特異体質、何よりもその実績が少年に神聖性やカリスマ性を与え、それにより彼らは少年が上に立つ正当性を見出した。
少年の十二という若さすら、少年の特別性に説得力を与える材料に成り下がり、最早、少年の扱いは人へのそれではなくなっていった。
一方で、別の者たちには、『瀬戸大橋跡地の合戦』は違う影響を与えた。
強大な敵を倒したことにより、一部の者に楽観論が蔓延し始めたのだ。
その者たちの多くは、穏健派と呼ばれた者たちであった。
ある種、大赦の経年劣化の象徴ともいえるような者たち。
春信は彼らを見ると、耐えがたい嫌悪感に襲われた。
それは、彼ら自身により齎されたものではなく、平和な時代が続いていれば、自分もこうなっていたのではないかという恐れからくるものであった。
三百年というあまりにも長きにわたる平和は、組織人の質をも腐らせていた。
一先ずの猶予が生まれたことにより、彼らの興味は権益の確保に移っていたのだ。
何も状況は変わっていないというのに―――
だが、この状況に危機感を覚えていたのは、春信だけではなかった。
多くの元改革派の神官達はこの状況を良しとせず、特に影響力を持つ者達で秘密裏に話し合いが行われた。
この話し合いが、どのような意味を齎すかも知らず。
「穏健派……改革の時には都合のいい存在だと思っていたが……ここで面倒事を起こしてくれるとは……」
「ええ、彼らを放置するのは危険ですね。一刻も早く、対処を考えねば、大赦が以前の状況に戻りかねない」
「三好君は彼から、穏健派の受け皿になるように指示されてると聞いたけど、そちらから動けないの?」
「パイプはありますが……流石に、彼らの行動を抑制することはできませんね。多少の影響力はあるでしょうが、根本的な解決は難しいかと」
「いっそ彼らを排斥することはできないのか?これ以上害をなされては……」
「それこそ、悪手でしょう。ようやくまとまって来たのに、また要らぬ争いをする羽目になりますよ?」
「だが、ここで根を断たねば、後々までの禍根になるぞ。折角、ここまで来たというのに」
様々な意見が飛び交う。
改革後も強烈な危機感により組織がまとまっていた分、一度、危機感が薄れれば、意思統一が崩れかけるのも無理のない事であった。
だが、未だ、根本的な状況が改善されていない今、穏健派のそれは余りにも、楽観的な考えだった。
それでいて、対処するのは難しい。
数だけはそれなりにいるのだ。
それに、ただ意見を述べているだけなのだから、排除するわけにもいかない。
そんな中、一人の女性が声を上げた。
「……皆さん、対症療法を考えるのもいいですが、根本的な解決法を考えませんか?」
早乙女涼音。
何故だか、彼女は特に少年に心酔しており、初期から少年に協力していた面々の内の一人でもあった。
特に事務処理能力に長けており、様々な面から少年を助けていたという。
「だから、今、その根本的な解決法に話し合っているのではないか」
冷や水を掛けられた形の神官が不快感を隠さずにそう言う。
だが、早乙女は顔色を変えずに言葉を返す。
「いえ、皆さんはこの問題の本質を理解されておりません。問題は、穏健派自体ではなく、楽観論が許される土壌自体にあります。何故、この土壌を変えようとお考えにならないのですか?」
「それを今の改革でやっているんじゃないですか?それとも、早乙女さんには別の見解が?」
「ええ。そもそも、この大赦に明確に指導者がいないことが問題なのです。改革が進み、組織自体が変わりつつある今、皆を纏め上げられる指導者がいなくてはなりません」
指導者。
今の大赦に明確に欠けている存在。
組織の意思決定自体は首脳部が行っているものの、組織の運営機構としての側面が強く、求心力はあまりない。
この言からすると、彼らを指導者として早乙女は認めていないらしい。
「今の首脳部では不足だと……?」
「なら、他に誰がいるんです?今の首脳部には改革を主導したという実績がある。家柄も格式も高い。勇者を輩出したという点も評価されている」
「その通りです。たとえ、突出した人材がいたとしても、これ以上の実績をあげた者がいない以上、誰も納得しません。第一、首脳部がはいそうですかと受け入れるはずがないじゃないですか」
早乙女の言葉に神官たちが口々に疑問を述べる。
「いや……一人だけいます……」
否定的な意見が多い中、春信は、早乙女が誰の事を言わんとしているのか理解した。
「誰だ?まさか、自分自身だと言うつもりじゃあるまいな?」
冗談めかして春信に神官が言葉を投げかける。
「それほど自惚れてはいません。彼……ですね?早乙女さん。赤嶺……頼人様」
その言葉に皆が息をのむ。
彼らは頼人の若さから無意識にその選択肢を頭から排除していた。
「流石、三好君。その通り。改革についても、頼人様なしには行われなかったですし、これまでも頼人様は多大な実績をあげています。しかも勇者の称号を得ている。指導者として、これ以上の人物はいないでしょう?」
「待って早乙女さん!貴女、自分が何を口にしているのか分かってるの!?」
安芸が早乙女に食って掛かる。
大赦の指導者。
そんな冗談のような立場に立てば、最早、頼人の日常や自由など存在しなくなる。
それが分かる安芸にとって、この提案は許容できないものであった。
「ええ、勿論ですよ安芸さん。誰よりも、この件について理解していますよ」
「なら、分かるでしょう!?それがどれほどの重責か!貴女は、私たちに出来ることすら彼に押し付けるつもりなの!?」
「安芸さん、重責だなんて今に始まったことではありませんよ。私達は、ずっと少女たちに最も危険な御役目を押し付け続けてきたんじゃないですか?今更、そんな事を言う資格は、私達にはないんですよ」
「だからって、押し付けていい理由にならないでしょう!私達に出来ることは私達でやらないと―――!」
「安芸さん……いや、この場にいる皆さんにお聞きします。……皆さん、本当に今の首脳部に組織運営を任せておいて良いと思いますか?立場の弱い穏健派一つも抑えておけない連中に」
その言葉で、多くの者たちが俯く。
彼らには、以前の首脳部への不信感が根付いていた。
そして、その不信感は今の首脳部へも、部分的に向けられていた。
「それでも、改革のために一番最初に動いたのは彼らよ。貴女が文句を言う資格なんて……!」
「違いますよ安芸さん。一番最初に動いたのは頼人様です。連中じゃない。それに、皆さん気付いているでしょう?今の首脳部だって、頼人様がいなければ動くことはなかった。無能な判断を下した旧首脳部の連中と大差ありません。家柄主義の考えや古い伝統から抜け出せていない」
安芸が早乙女個人に話しかけているのに対して、早乙女はその場にいる全員を意識して話している。
早乙女はこの言い争いを通して、周りの人間を駆り立てようとしているのだった。
「それでも、ここまでやってこられたのは彼らの尽力によるものというのも事実よ」
「それと、彼らに指導者としての才がないのは別の話です。安芸さんにも分かってるはずでは?」
「だけど、彼はまだ小学生なのよ?上が納得するはずない」
「納得しますよ。事実上、今の首脳部が、頼人様の意を受けて動いているのはご存じのはずです。反対する理由がないでしょう」
「でも若すぎる……!」
「若さなんて関係ないでしょう?上里ひなた様だって、学生をやっている歳で大赦の実権を得たのに、頼人様が駄目だというのは道理が合いません。重要なのは、実際に何を為したか、違いますか?」
早乙女が淡々と答えていく。
彼女が、ここに来る前からこのような質問を想定していたことは明らかだった。
「それで、彼の自由を奪うの?それが許されると…!?」
「必要だからです。そもそも、神官が戦争を指揮するというのが、おかしな話なんです。今の首脳部も含めて、根本的に我々は神官に過ぎない。特に、この数百年間で大赦は秩序の維持を最優先とする組織となり、私達もそのように育てられてきました。つまり、私たちは只の管理人です。戦争を指揮する器を誰も持たない」
「だから彼に押し付けると?それは只の責任放棄よ…!」
「私達に戦争を指揮する器があれば、そうしてます。ですが、私達に統率者としての才はなく、一方で頼人様は多くの名家を動かし、戦いの指揮を執り、統率者としての器を示してきました。そして、ここにいる者は皆、頼人様の意を受けて動いてきました。安芸さんも含めて。……皆さんに問います。大赦の中に、頼人様以上のことができる方がいると思いますか?いるというのなら、その方の名を挙げてください」
その場にいた者が皆、沈黙する。
彼等はあくまで神官であり、根本的には神事や組織運営以外のノウハウは、酷く限定的なものしか有していない。
事実、有事にあっても少年のように行動したものはいなかった。
故に、彼等は沈黙するしかなかったのだ。
その様子を早乙女は満足そうに眺め、再び口を開く。
「皆さんは、感じたはずです。頼人様の指示を受け動くようになってから、世界が変わっていくのを。固まっていた時間が動き出すのを。そして、他ならぬ私達がそれを為しているのだと、実感していたはずです。皆さんは、今の首脳部の下で働くか、頼人様の下で働くか、どちらのほうが良いですか?」
早乙女の言に、多くの神官が動揺する。
神官達の多くは、安芸のように全てを頼人に任せていいものかと考えていたが、必要という言葉に揺らぎ、拙い判断を首脳部がするリスクに恐怖し、全てを少年に任せてしまいたいという欲に歯止めが利かなくなりつつあった。
「いい加減にしなさい!彼は都合のいい道具じゃないのよ!」
「いい加減にするのは貴女です!今のこの状況、打開できるのは頼人様しかいない!この世界を守りたいのなら、頼人様に上に立って頂く必要がある!この国には開明的な指導者が必要なんです!頼人様が上に立てば、家柄よりも能力が重視される体制を作り上げられるんです!」
「そんなことを理由に、私達の義務を子供に押し付けるなんて許されるはずがないでしょう!」
「綺麗事を言わないで下さい!これまで勇者様に、散々戦いを押し付けてきたくせに、今更何を!」
互いに一定の理がある言葉を口にし、激しく言い争う。
常識的に考えれば、安芸の言のほうが正しい。
いくら言葉を重ねても、赤嶺頼人は十二の子供。
そんな子供に、国の行く末を任せられるはずがない。
しかし、既にそのような子供たちに国を守られているという異常な状況にある今、ただの正論では、魅力的な奇論に打ち勝つのは難しい。
そして、奇論の方が安心出来る結果を齎せると、多くの者が思いつつあった。
「双方、落ち着きなさい。周りの意見も聞くべきだ」
この中で、最も年長な神官が二人を宥める。
安芸も早乙女も、ひとまず落ち着き、静かな、されど居心地の悪い空間が広がる。
その空気を換えるかのように、止めた神官が口を開く。
「……私は……頼人様に立って頂くのがよいと思う」
「っ……!」
「改革が行われても、大赦の人間が未だに団結しきれていないのは核となる存在がいないからだ。だからこそ、今、大赦には人類を団結させるための旗頭となる人物が必要なのだ。それは、神官にはできない。巫女様にも。勇者様にしかできないことだ。そして、勇者様の中からその一人を選ぶのなら、私は頼人様こそがふさわしいと思う」
その言葉で場の空気が変わる。
「ですが、宮武さん……!」
「―――ただ、実務は可能な限り、我々で担当すべきだろう。流石に頼人様一人に全てを執り行って頂くわけにはいくまい。あくまで、象徴的な存在として立って頂くべきだろう」
この神官の言葉でまた、多くの者が少年を祭り上げる考えに傾いた。
特に、赤嶺頼人に全てを任せきるということに罪悪感を感じていた者達には、早乙女の言よりも影響を与えたと言える。
早乙女の方も、特に反対はしなかった。
一先ず、赤嶺頼人を出世させるという点で一致すればそれでよかったからだ。
いずれにしても、この神官の言で一気に頼人を出世させる考えが場に浸透し始めた。
「……三好君……あなたの意見は?」
そのような空気を感じ取り、安芸は彼らが発言するより早く、春信に意見を求めた。
春信はこの中で一番の出世頭で、周りからも信用されている。
そして、勇者の兄でもある。
故に、春信が反対すれば、この空気は変わる。
安芸は春信が反対する方に賭けたのだ。
春信が夏凜を通して、頼人の日常を知っていたから。
「私は――――」
だが、春信は迷っていた。
小学生を上に立たせる組織が、果たして健全と言えるのか?
あの少年の自由を奪うことが正しい事なのか?
多くの疑問が、葛藤が春信の頭の中を埋め尽くしていた。
今まで、夏凜から色々な話を聞いて、春信は少年がいかに慕われているか、いかに日常を大切にしていたのかを知っていた。
個人的な心情としては、少年にはこのまま日常を送ってもらいたい。
だが、大赦に旗頭が必要なのも承知していた。
有史以来、強力な国には、必ず有能な指導者となる人物がいた。
そして、有能な指導者をなくした途端、国が亡んだ例もある。
それほど、全体の指揮を執る指導者が果たす役割は大きい。
有事の際は特に、組織の旗頭となる存在は重要だ。
そして今、多くの者が強い指導者を求めている。
確かに、神樹の寿命が尽きかけている現在、大赦が真に纏まるためには、核となる存在が必要だ。
だが、今の大赦には、そんな人材はいない。
大赦の秩序維持を優先した体制は、指導者を必要とせず、故に、そのような人物が育成されることもなかった。
名家制度の弱点だろう。
今の首脳部も己の才幹ではなく、家柄によって、その立場に就いた者達だ。
彼らは組織の運営こそ可能だろうが、周りから支持を得られる、強い指導者となることはできない。
改革を為したのが彼らだとしても、この状況を放置していたのも彼らなのだ。
ここに集まったのは、改革のために尽力してきた者たちだ。
故に、本当の意味で、彼らを信頼できている者は、ここにはいない。
そして、指導者の才を持った者は、今この組織にはおらず、いたとしても周りを納得させられるだけの実績や名声を持った者はいない。
それに、現首脳部とて古いやり方しか知らず、以前よりもましになったとはいえ、人事の判断などでも、一部では未だに家柄や格式が重視されてしまっている。
これでは、真に能力主義的な組織に変えるのに時間がかかりすぎる。
今、この状況を変えられると思われているのは、指導者としての才を示しているのは他ならぬ少年であった。
酷い話だ。
強い指導者が必要だという話になって、十二の子供がその筆頭として挙げられるとは。
これは、少年が異常なのか、大赦が異常なのか。
おそらく両方だろう。
元々、大赦の人間にとって、勇者とは敬うべき伝説的な存在であり、大赦は長い時間をかけて徹底的に勇者を神格化してきた。
それ故に、勇者の名を背負えば、ただの少女であっても、信仰の対象となる。
だが、あの少年は元々、勇者ではなかった。
勇者の名を持たず、なのに、多くの人間を動かしてきた。
天性のものか、少年は間違いなくカリスマ的な人望を持っている。
特別な人間と言われても仕方がないだろう。
その上で、後天的に勇者の称号を手にした。
早乙女のように、彼に心酔する者が生まれるのも仕方がない。
残念ながら、彼の他に、これほど多くの者から信頼を受けている人間はいない。
このことを知らない者達も、彼の実績を示せば納得するしかないだろう。
散々自分達が祭り上げてきた勇者様だ。
権威に盲従してきた連中では逆らえないだろうし、否定することは勇者の神聖性を否定することにつながりかねない。
それに、彼だけは襲来の先を見据えて行動していた。
以前、与えられた仕事を思い出す。
全てを零から任されるのかと思いきや、草案は既に纏められていた。
その草案を纏めたのは他でもない、彼だ。
彼は、彼だけはこの先の未来を見据えている。
この国の未来展望は、春信ですら拓くことはできなかった。
行く先を示し、人々に希望を与えられる人間はそういない。
それができる人間こそ上に立つべきだろう。
万一、彼に統率者としての才がなくとも、彼の名声さえあれば、自分達だけでも国防の体制を盤石にできる。
否定できる材料はあまりない。
だが、この人事の有用性を理解しつつも、迷いは捨てきれない。
妹の友達を、こんな立場に祭り上げて良いのだろうか、と。
これは事実上、子供を英雄という立場に縛り付けるということだ。
彼個人の自由など、最早無視される。
事実上、少年は大赦を守るための機関になる。
多くの者を導き、世界を守る責任を負うという、想像を絶するほどの重責を背負わせることになる。
そんなことが許されるのだろうか……。
と、そこで、黙る春信に業を煮やしたのか、早乙女が言葉を発した。
「三好君。これは勇者様の為でもあるの。頼人様なら、きっと他の勇者様にも寄り添った判断を下せる。夏凜様だって―――」
「早乙女さん……!」
安芸が非難するように早乙女の名を呼ぶ。
「すみません。要らぬ口を挟みました」
早乙女はそうして口をつぐんだが、春信に与えた影響は甚大だった。
その言葉で春信は妹のことに夏凜のことに考えを巡らせてしまった。
今の首脳部のままで、夏凜を守れるだろうか、と。
考えてしまった。
夏凜が生きる未来。
その未来を今のままで守れるのだろうか、と。
こんな、纏まり切れない組織のままで。
前線を知らない人間達が組織運営を行っていて。
春信はそこで思い出した。
初代勇者たちが次々に戦死していったことを。
そして、必死ながらも、戦いの門外漢たる大社が戦争の指揮を執った顛末を。
改革を為したからと言っても、根本的に今の首脳部も、古いやり方しか知らない。
今は、前線を知る少年が裏から口を出し、その言葉を首脳部が尊重しているためうまくいっている。
だが、彼らの匙加減一つで、その状況は揺らぐ。
首脳部が楽観論に染まれば、取り返しのつかないことになる。
体制の揺らぎは勇者の安全に直結する。
守らないといけない。
大切な妹を。
また話せるようになってきた妹を。
あの妹の笑顔を、絶対に守らないといけない。
そのためなら――――
「―――私も、頼人様に上に立って頂くべきだと思います」
「そんな……!貴方まで、そんなことを!?」
安芸が信じられないと言った様子で春信を見る。
それに対して、春信は罪悪感を抱きながらも、淡々と自分の考えを述べていく。
「貴女だって分かっているはずです。今のこの状況の悪さ。人間同士で争っている暇はありません」
「だからって……だからって、彼を縛り付けていいはずがないわ!」
「安芸さんも本当は認めているんでしょう?頼人様に指導者の才があると」
「何を……!?」
「貴女は、一度も頼人様には無理だと口にしてないじゃないですか」
「っ―――!」
「確かに、十二の小学生に大赦のトップを任せるなんて、常識的に考えれば、正気の沙汰じゃありません。もし実際に口にしたら、まず、多くの人ができるはずがないと言うでしょう。ですが、安芸さん。貴女はこの提案を止めようとしているのに、この言葉を一度も出さなかった。それは、貴女も、頼人様ならできると思っているからですよね?」
「違う。そんなこと―――」
「それでは、改めてお聞きします。安芸さん、頼人様にこの大赦を率いる素質はおありだと思いますか?私情を交えず、お答えください」
「それ……は………」
安芸はその言葉にすぐには返答できなかった。
それが、答えだった。
この瞬間、場の流れは決定づけられた。
春信からすれば、この質問に意味などなかった。
ただ、少しの間、安芸の発言を封じられればそれでよかった。
「皆さんもお分かりのはずです。今の頼人様のお立場は酷く危うい。首脳部の信頼があるからこそ、頼人様の意見が大きく反映されていますが、根本的に頼人様には何の権限もありません。一歩間違えれば、頼人様の意見は容易く無視されてしまう。この体制は不健全であり、画竜点睛を欠いていると言えるでしょう。この状況を正すには、頼人様に上に立って頂かねばなりません。」
「三好君の言う通りです。私達には頼人様が必要なのです。今、私たちが動かなければ、反抗計画にも影響がでてしまいます。急がなければなりません」
春信が一気に畳みかけ、早乙女もまたその言に便乗する。
両者とも、自身の目的の為、とっさに連携することを思い付いたのだった。
そして、春信までもが頼人の推挙に積極的な反応を見せたことで、多くの者が声を上げ始める。
内容は似たり寄ったりで、皆、頼人の推挙に賛成するものだ。
皆、今の状況に不安を覚えていたのだった。
折角、推し進めてきた改革に遅れが生じるのではないか。
再び、貴重な時間が失われてしまうのではないかと。
そして、その解決策として、少年を祭り上げる策が有効だと認識された。
この策には様々な思惑が交じり合っていた。
早乙女のように、赤嶺頼人に大赦の指導者になってもらいたい、全権を委ねたいと考える者達。
年長の神官、宮武のように、実権はさておき、反抗計画の旗頭に、象徴のような存在になってもらおうと考える者達。
他の楽観論者に対する牽制として有効だと考え、消極的ながらも賛成する者達。
だが、春信の考えはやや異質であった。
権力を握ってもらい、国防に関わる部署を全て統括してもらう。
そして、その権力と彼自身の影響力により、当該部署を事実上の治外法権的な地位に置く。
そうなってしまえば、これから楽観論者がいくら増えようとも、心変わりを起こす首脳部がいようとも、反抗計画は揺らがぬものになる。
改革が遅れることもなくなる。
春信は、他の者達の思惑を全て利用し、最も成算の高い方法を取った。
他の神官達も、この世界の為になると、一定の利益をこの人事に見出し、それぞれの思惑を利用し合う形で賛成した。
だが、ただ一人、安芸は頼人への思い入れが強すぎた。
故に、どんな理由があろうとも、頼人を利用するやり方に賛成することはできなかった。
「貴方達は………彼の意向を差し置いて、自分達だけで事を進めるつもりですか……。後ろめたく思わないんですか……!?」
「これは頼人様の為、ひいては世界の為です。なんとおっしゃっていただいても構いません」
早乙女が安芸の批判を真っ向から受け止める。
彼女らは共に、頼人のことを考えていたが、頼人への見方は、どうしようもなく違っていた。
安芸が自分の生徒として、人間として頼人を見ていたのに対し、早乙女は英雄として、理想の人物として頼人を見ていた。
片や日常を望み、片や出世を望む。
互いに頼人のことを想いながらも、その感情が向く先は正反対であった。
「……私は……納得できない」
安芸は小さく呟くと、おもむろに席を立った。
「安芸さん、どこへ行かれるんですか?」
「私は貴方達とは別の選択をするわ」
安芸は早乙女の疑問に答え、立ち去った。
春信など幾人かがそれに気付くも、声を掛けられるものはいなかった。
既に議題は、頼人をどう出世させるかという話し合いに変わっており、安芸がその場にいる意味などなかった。
そして、春信達は少年を祭り上げる為、工作を始めた。
春信が目を付けたのは、穏健派の人間であった。
この件について、最も反対すると思われるのは穏健派の面々であり、仮に、赤嶺や乃木などからこの人事が提出された場合、さらに彼らの溝は広がることとなる。
ならば、穏健派の人間に提案してもらえばいい。
彼らが提案すれば、間を置かずにこの人事は通るだろう。
穏健派を焚きつけるのは簡単だ。
彼らは、赤嶺の専横を快く思っておらず、また自分達の発言力をあげたいと考えている。
そこに付け入る隙がある。
春信はパイプのあった穏健派の中でも、比較的発言力のあった神官に話を持ち掛けた。
今の状況を打開したいのならば、少年を出世させるように、上に提言するべきだ。
あの少年が要職に就き結果を出せば、あなた方の手柄。
逆に、何かしらの失敗をすれば、乃木の少年に対する信頼も揺らぎ、赤嶺と乃木との間に楔を打ち込むことができる。
結果として、あなた方の発言力が上がるか、赤嶺の発言力を衰えさせる結果を齎せる。
必要ならば、自分がそのどちらかに傾くように工作する。
結局、いくら勇者などと持て囃されても、あれは只の十二の少年。
必ずやうまくいくだろう……と。
予想通り、簡単に話に乗ってきた。
疑われないよう、情報を与え、見返りに自身も出世させてほしいと告げたこともよかったのだろう。
それから、この議題は正式に首脳部で討議されることとなったが、結論が出るまでにはかなりの時間を要した。
この討議が、これほどまでに長期化したのには、安芸の尽力もあったが、何より赤嶺が徹底的にこの件に関して、中立の立場を取ったことが原因としてあった。
それが、無用な争いに巻き込まれたくないためか、息子への最後の親心だったのかは分からないが、しかして、決着は乃木や上里、鷲尾などといった名家に委ねられることとなった。
安芸は根気強く、これ以上少年に負担をかけるべきでない、自分達に出来ることは自分達で行うべきだと主張し続けた。
しかし、既に少年は只の小学生として扱われなくなっていた。
両陣営で水面下で工作が行われ続けたが、赤嶺頼人を英雄視する者が多数派であり、次第にこの人事に賛成する者が増えていった。
結局、世界を守れる判断を下せる自信を誰も持ち合わせていなかったのだ。
やがて、有力な名家の多くはこの人事に賛成の立場をとっていったが、それでも上里など一部の名家は答えを出そうとしていなかった。
安芸家は上里家と古くから繋がりがあったため、殊更に安芸の意見を重視したのだろう。
故に、春信達は少年自身の性質を利用した。
動く理由があれば、どのような状況下でも、最善の道を探し、自ら行動するというその性質を。
流石にここまですれば、反対の立場を貫ける名家は少なかった。
上里が落ち、この議論はついに趨勢が決した。
穏健派や宮武派等の望み通り、赤嶺頼人の権限は形式的なものに定められた。
そして、早乙女派の人間には、実権は後々に握ってもらえばよいと話を通しておき、動きの速さを重視。
かくして、この状況が生まれた。
春信は議論が長期化している隙に、頼人が大赦にいつでも来られる用意はしておいた。
だが、まさかあの少年がこれほど早く決断するとは思っていなかった。
もう少し、日常を感じていたかっただろうに。
この理由が分かったのは、それから少しして、頼人が本格的に大赦で働くようになってからの事だった。
働いているところを見て分かった。
彼は人前で隙を見せない。
弱音を吐くなど、人に弱いところを見せない。
自分の周りで働く者の顔と名前は全員覚えている。
周りの者にいつも感謝と称賛を欠かさず物腰柔らかく優しく接し、なおかつ仕事には妥協しない。
涼しい顔をして、仕事もリハビリも休むことすらも計画的に行っている。
ある種の理想を具現化したとも言える存在。
勿論、その有様を不気味がる者もいたが、それよりずっと多くの者は、彼が特別な存在であるとの確信を深め、彼が子供であることも忘れていった。
夏凜を通して、彼の日常を知っていたから分かった。
それが、彼の作った像であると。
皆の望む『赤嶺頼人』を演じているのだと。
『赤嶺頼人』は迷わない。怯えない。動じない。偉ぶらない。
常に泰然自若として神官達に指示を与える。
ほぼ毎日、働き続ける。
いくら休むよう言われても、構わず、淡々と仕事を続ける。
この半年間、彼が職務から離れたのは、神樹館の卒業式の日ぐらいなものだ。
殆ど迷わずに大赦に向かったのも、そういった自身へ向けられる期待が崩れないようにとの思いからだろう。
そのような真似、大人であってもできるものはそういない。
いったい、どれほどの精神力なのだろうか。
だが、これはいい事ばかりでもなかった。
赤嶺頼人は余りにも優秀すぎた。
大赦に来てからも、人材を民間から積極的に登用し、全部署の再編を行い、また職員や神官の綱紀粛正を徹底させ、短期間での組織再編と国防体制の改革を成し遂げた。
そして、穏健派などに対しても、自分がその地位にあり続ける限り、その立場を保障するとしてその勢力を丸ごと自らの味方にし、権力基盤を安定させた。
間違いなく、有能だと評価される存在。
だが、彼はあまりにも強力な指導者として辣腕を振るいすぎてしまった。
彼が大赦に来て半年ほどしか経っていないのにも関わらず、既に部下たちの心には彼への依存心が芽生え始めている。
もう少し、もう少しだけでいいから、彼が無能であってくれればよかった。
そうであれば、大赦の体制が整ったところで、彼を日常に戻すことだってできた。
元々、春信が必要としたのは大赦を団結させるための存在。
国防体制の構築に横槍を入れられないようにするための盾の役割を担ってもらう存在だった。
極論、少年には体制が整うまで、大義名分としてその場にいてもらえればよかった。
改革をスムーズに進行するため実権を手にしてもらったが、体制が盤石になってしまえば、彼には象徴になってもらい、実務は他の者で担当してもよかった。
だが、彼は自身の価値をあまりにも素直に示しすぎた。
赤嶺頼人は大赦の人間、とりわけ彼の部下にとって絶対的な存在になりつつある。
いや、一部の者には既にそうなっており、最早、彼以外の人間を上に仰ぐことなど考えられないといった考えを持つ者すら存在している。
これでは、彼を日常に戻すことなど不可能だ。
はっきり言って、赤嶺頼人は異常だ。
その能力も埒外だが、視野が他の者に比べ広すぎる。
防人についての会議で、防人及び勇者のメンタルヘルス問題を取り上げ、有識者による検討会を設置し、旧世紀の軍隊における研究を基に新たに研究を始めさせるなど、他の者より、一歩も二歩も動きが早い。
特にPTSDに関する研究は、神世紀では日常内におけるものが中心であった分、御役目においても起こりうると思いつく者さえ稀だった。
また、神樹が消失した後に予想される食糧問題にすら、農畜産物の生産性を向上させる政策を政府に実施させようとするなど、今の時点から手を打ち始めている。
春信でさえ、国防に視野が囚われ、ここまで多岐にわたる問題を認識しきれていなかった。
大赦のしがらみを無視したその行動は、一部の者達からは批判されたが、それ以上に多くの神官達から支持され、その信望は最早揺るがぬものになっている。
元々、彼を利用するつもりで出世させた者たちですら、彼に呑まれていっている。
今更、彼に学生に戻ってもらおうなどと言っても、周囲は納得しないだろう。
むしろ、彼を失うことを避けたいと考える者の方が大多数だ。
これは、まずい。
一個人にここまで依存する体制は、あまりにも危険だ。
万が一、彼を亡くした場合、起こりうる結末は最悪のモノ。
彼に何かあった時、代わりとなる人材がいればいいのだが、生憎そんな人間は見当たらない。
春信自身、自分が上に立っても、ここまではできない、代わりには為れないと理解していた。
能力云々も多少関係するがそれよりも、称号や名声が違いすぎる。
ただの象徴に過ぎない存在であれば、他の勇者にも何とか務まっただろう。
だが、今の彼の代わりには為れない。
そして、今再び、彼は危険を冒そうとしている。
休みを取らないこともそうであるが、彼は自らを軽んじすぎている。
まるで、自らを傷つけないと気が済まないのではないかと思うほどだ。
平時なら美点としても捉えられるだろう。
だが、既に彼は替えのきかない存在となっている。
その有様は危うすぎる。
せめて、彼にとってブレーキとなる存在が必要だ。
だが、今の彼の立場では………。
そうして春信は、そういった現状の危うさを想いながら一日の仕事を終え、自室へと戻った。
自室でメールの確認をすると、安芸から勇者に関する報告で直接話したいことがあるとの連絡があった。
日時や場所など確認すると、会えないことはない。
だが、なぜ直接話す必要があるのだろうか。
と、そこで、春信は自分の妹に思考が至った。
もしかしたら、妹に関するデリケートな話題かもしれない。
ならば、必ず行く必要がある。
春信は了承のメールをすぐさま安芸に送った。
こういった面では、春信もまた、単純なのであった。
少しして、会う予定の日となり、待ち合わせ場所の喫茶店に入ると、奥の個室に案内された。
名乗ってもいないのに、通されたことを不審に感じながらも個室に入ると、春信の予想した人物はいなかった。
代わりに一人の少女がそこにいた。
煌めくような美しい髪と芸術品のように整った顔立ち。
生きる伝説ともいわれる勇者の一人。
ふと、間延びした声が掛けられる。
「あ、きたきた~。はじめまして~。三好……春信さん?」
部屋にいたのは、乃木園子だった―――