樹海に入れる特殊体質の少年(前世持ち)が愛する三ノ輪銀のためにいろいろ頑張る話 作:exemoon
静謐とした道場。
俺のほかには早乙女さんを含めた数人だけしかおらず、誰も言葉を発しないため酷く静かだ。
他の方は端の方で正座をして俺を見つめている。
深呼吸。
さて、始めるか。
道場の中央で正座をし、刀の鞘を左脇に持つ。
立ち上がり三歩進んで、左膝を折り敷き、右膝を立て、座構えを取る。
一連の動作はぎこちなかったが、一応及第点。
なら、いけるか。
左膝は着けたまま腰を浮かし、柄に右手をかける。
左親指を鍔の上に掛け、鯉口を切る。
教えられたことを思い出す。
刀は手で抜くのではない。
身体で抜く。
力は要らず。
故に余計な筋力もまた、必要ない。
―――抜刀。
白刃が閃き、鞘から小気味良い風を切る音が鳴る。
刃はぴたりと眼前で止まっている。
ゆっくりと納刀し、再び構える。
そして、もう一度、一から居合の動作を確認する。
ここは大赦の中にある道場。
最近は、ここで戦衣を纏って鍛練をすることが多い。
今は体捌きの訓練として、居合を抜いているところだ。
戦衣を使い始めたばかりの頃と比べ、随分ましになってきた。
使い始めの頃は酷かった。
体のバランスが崩れているせいで脚は居つくわ、体捌きは死ぬわでとても居合と呼べるような抜刀ができなかった。
剣術、棒術、薙刀術などの他の型も試してみたが似たような感じで、素振り一つすら正しく出来なかった。
戦衣を纏えば、その運動補助の機能で歩いたり身体を動かすことはできるが、無理にバランスを取っている分、体捌きに影響が出てしまうということは分かっていた。
が、実際に体験してみると、普通に歩くことができる分、意外にショックなものだった。
俺が実戦で使うのは他の防人同様、銃剣なのだが以前のような体捌きができるようになるには、昔から学んでいた型稽古をするのが一番。
しばらくは苦労していたが、親父が稽古に付き合ってくれたりしたおかげで、居合の真似事ができる程度にはこの妙な戦衣の心地にも慣れてきた。
それにしても、筋力が衰えた状態で刀を振るうと、つくづく、武術とは単純な力ではないのだと感じられる。
型通りの体捌きができると以前と全く同じ、とまではいかないでも近い速さで抜くことができる。
以前の自分と比べ、肉体的には間違いなく劣っているのにも関わらずだ。
柔らかく、軽く刃を振るう。
力まない方が、刃は速くなる。
本当に「型」というものは奥深い。
体の動かし方が型だけで確認でき、先人達の凄さが身に染みてわかる。
そういえば、乃木若葉さんも居合術を修めていたという。
居合は剣術中の精髄とも言われるほどで、居合を正しく抜けるのならば、例え体術をあまり学んでいなくとも、柔術や空手、その他の体術を捌けるだけの体捌きを自然と会得できるという。
これは、居合術があらゆる状況下での抜刀を可能とするための術であるからで、狭い場所での抜刀、手を抑えられた状態からの抜刀、などに求められる身体操作技術は、そのまま多くの武術に共通するからだ。
例えば、こんな話がある。
夢想流という居合流派の開祖、上泉秀信は父親から剣術を学ばせてもらえず、居合術を学ばせられたと言われる。
すなわち、居合を知っていても、剣術は学んでいなかったわけである。
そんな秀信は江戸時代初期、尾張徳川家に召し抱えられることになったが、その際、尾張藩の剣術師範の高弟と試合をすることとなった。結果は、一本目こそ籠手を譲ったものの、二本目以降は上泉が勝利した。
また異説では、当の剣術師範とも立ち会い、引き分けたという話もある。
この時の剣術師範が、尾張柳生家の礎を築いた柳生利厳であったことからも、上泉秀信の実力が分かるだろう。
この逸話からも、居合の術技に長けたものは、そのまま剣術ひいては他の武術に対しても十分以上に対応できることがよく分かる。
だが、高等技術だけあって、その体捌きは精密で非常に難しく、習得は容易ではない。
居合は人を選ぶ、居合の方で人を選ぶ、と言う方もいたほどだ。
そのことを考えると、居合を修めていたことが、若葉さんが戦い抜けた一因になったのではないかと思う。
俺も多少は心得があるつもりだが、多くの実戦を駆け抜けた若葉さんには及ばないだろう。
そもそも、こういう体になった以上、居合を完全に修めることは難しいだろうし。
まったく、自分にはまだまだ課題が多いと思い知らされる。
未だ回復しきっていない体力についてもそうだ。
戦衣に慣れてきたとはいえ、結界外で活動する以上、どうしても体力は必要となる。
身体を動かせても、体力がなくて調査途中で力尽きてしまうようでは、ただの足手纏いだ。
特に結界外は敵地で、環境も過酷である以上、基礎体力の回復は急務。
仕事がある以上、鍛錬にあまり時間は取れないが、それでもやることはやらねばなるまい。
こんなところで立ち止まるなんて、許されるはずもないのだから。
仕事を終え、いつものように浴場で汗を流す。
浴槽に浸かった途端、嫌な倦怠感を自覚した。
意図せず、ため息が零れる。
疲れが思ったよりも溜まっているようだ。
全く、明日も早いというのに疲労困憊とは……と、自身の酷いさまに笑ってしまいそうになる。
だが、いくら疲労がたまっているとはいえ、予定を変える訳にもいかない。
明日も長い。
少しでも、休んでおかないと。
何も考えずに目を閉じておけば、ある程度は回復できるだろう。
そう思い、まぶたを閉じるも……何も考えないとは存外難しいらしく、気が付けば、まぶたの裏には今後の展望が映っている。
つくづく仕事中毒になっているな……。
まあ、頭を整理するにはちょうどいいだろう。
思考をこれからのことに向ける。
目先のこととしては……結界外調査。
調査には、副次的な目的が存在する。
勇者、防人の練度向上と、勇者システムの実戦データの取得だ。
ある意味では、この調査は彼女達の実戦訓練とすら言える。
結界外の過酷な環境下で、星屑や進化体との戦闘を経験しておけば、今後の戦いにも精神的に余裕を持つことができるし、完成体、乃至はそのモドキと会敵すれば、襲来の予行演習にもなる。
訓練としてはこれ以上のモノはない。
防人にしても、将来的には天の神に対しての戦力とする予定なので、今の内から実戦経験を積んでおいてもらわなければ困る。
その際の戦闘データも、勇者システムのアップデートや戦衣を強化をする上で必要となる。
無論、この調査には多大な危険を伴う。
調査に出る子たちが危険に晒される、というのもあるがそれだけではない。
結界外に出ることは、ある種の禁忌に触れることに等しく、天の神がどのようなリアクションをするかを、予測しきることはできない。
もっとも、その反応を探ること自体もこの調査の目的だし、そもそもバーテックスが襲来しているような状況だ。
こちらの意図が読まれない限りは問題ないとは思うし、調査期間は限定している。
多少、結界外で活動したとて、最悪の事態にまではならないとは思うが……。
極力慎重になるべきだが、かといって積極性を欠くこともできない。
いやはや、この辺りのバランスはなんとも難しい。
まあ、それよりも喫緊の問題は、何人の防人が戦闘のストレスに耐えられるかだ。
初陣を終えれば、精神的に折れる子も出てくるだろう。
仕方ない面もある……が、問題はその数だ。
ある程度ゴールドタワーにいる防人の人員には余裕を持たせており、また全国で予備人員を練成させてはいるが、それでも限りある人材だ。
防人一人を練成するのにかかる時間を考えると、許容可能な交代人数は最大で二十。
それ以上減れば、防人全体の練度が許容範囲を超えて低下する。
無論、それなり以上に対策もしているが、結界外での活動による心理的影響は未知数。
流石に心が折れた子を無理に戦わせることはできない。
無理に戦わせても、部隊を危険に晒す要因にしかならないし、第一そんなことをすれば彼女たちの反発は必至。
個人的にも、出来るだけそういうことはしたくない。
やはり、初陣が肝心だな……。
こういうことを考えているとつくづく思うが、銀達は本当に強い。
訓練も充分にできていない状況で、命や世界の懸かった戦いに放り込まれる。
それでまともに戦えるなんて、前世の常識では考えられない。
過去の戦争においても、充分に訓練を受けた兵士ですら実際に戦場に出れば怯え、まともに動けなくなるケースはあったと聞く。
初代勇者の伊予島さんは最初の戦いで震えて動けなかったというが、それが当たり前なのだ。
特に、初代勇者の面々は星屑が人間を食い殺していった現場を目の当たりにしているはずで、いくら力があったとしても年端のいかない少女が奴らに立ち向かえる方が不思議というべきだろう。
客観的に見るとよく分かるが、銀達が戦い抜けたのは奇跡だとしか考えられないな……。
本当に、よく世界が滅ばなかったなと呆れ半分、恐ろしさ半分で思ってしまう。
まあ、それも本を正せば勇者への信仰が原因だが……。
それで世界が滅びかけるとは本当にやるせない。
全く、権力者の視野窮策ほど恐ろしいものはない。
まあ、ある種そうなるのは必然なのかもしれないけど。
西暦の心理学者曰く、人間は権力を持つと視野が狭くなる傾向があるという。
これは、権力を持った人間は他人の状況や感情に共感する必要がなくなり、他人を牽引し感情に流されずに決断するという、いわゆる非共感能力に頼るようになることが原因だという。
そうして他者への共感能力が減少し、結果、他者の視点というものを想像することが非常に難しくなり、視野が狭まる。
つまり、権力者は他者を軽視しがちで、視野窮策に陥りやすい傾向にある。
これだけでも、権力と言うモノが如何に危険か分かるだろう。
特に、大赦の権力は神の存在を背景にしたものだから格別だ。
前世の世界の権力や政治機構は、その乱用を防ぐため凡そ法により縛られていた。
だが、神を人の法で縛ることはできない。
故に大赦の権力もまた、縛られることはなく、人の人権すら容易に踏み躙られてしまう。
散華はその最たるものだとも言える。
絶対的な権力は絶対的に腐敗するというが、実際目の当たりにすれば笑い事じゃない。
それでも、今はその権力が必要だ。
勿論、全てが終われば大赦は力を失うだろうし、そうなる必要もあるだろうけど………その前に、俺が堕落してしまえば元も子もない。
今は変な欲はないし、これから持つ気もない。
だが、人間は弱い。
気高い理想を持っていても、権力に溺れ身を滅ぼした人間は数えきれないほどいる。
他者を軽視するようになり、権力欲に取り付かれ、多くの人間を巻き込みながら腐っていく。
そういう人間になってしまう可能性がないといえるほど、俺は俺を信用できていない。
義士も聖女も堕落する、とは坂口安吾だったか。
その言葉通りなのだとすれば、俺が堕落しないなんて言えるはずもない。
腐った醜い存在にはなり下がりたくない……けれど、もしそうなってしまったら………?
今も腐りつつある途上で、視野が狭まっていることに気付いていないだけだったら……?
そう思うとぞっとしない。
本当に……俺は銀のところに帰れるのかな……?
「はぁ…………」
思わず、溜息が零れた。
嫌な思いが溢れたかのようなそれに、増々気が滅入る。
いかんいかん。
思考がよくない方向へ向かっている
こんな風に思い悩んでいる姿を早乙女さん達に見せる訳にはいかない。
切り替えなければ。
そういえば、もう随分と長い間、風呂に浸かっている。
浴場内の時計に目をやると、いつもならとっくに風呂を上がっている時間だった。
考え事をすると、いつもこうだ。
この癖も、直さないといけないな……。
とりあえず風呂から上がろう。
浴場に取り付けられた手すりを掴み、ゆっくりと立ち上がる。
途端、地面が揺れるような感覚がした。
足がもつれそうになり、倒れる前に手すりに寄り掛かる。
頭が重い。
心臓が早鐘を打っている。
これは……のぼせたらしい。
呼吸を整えないと。
浴場の床に腰を下ろし、手すりを背もたれのようにする。
体中が熱を帯びていて、頭がくらくらする。
その分、手すりと床の冷たさが妙に鮮明に感じられた。
深呼吸して、何とか体調を良くできないかと試してみるも、あまり効果はない。
どうやら、最近の疲れも一緒に出てきた結果らしい。
天井を仰ぎ見て、この気分の悪さを楽しむ。
たまにはこういうのも悪くない。
「頼人様!!」
浴場の扉が音を立てて開いたと思ったら、早乙女さんが慌てた様子で駆け寄ってきた。
素早いな……。
俺に何かあった時の為、浴場内にカメラが設置されているのは知っていたが……やはり、カメラのチェックは早乙女さんがしてたのか。
ああ、これで……一人でゆっくり風呂に入る時間もなくなるな……。
それにしても……妙に眠い。
最近あんまり寝れてなかったからかな……?
まあ……いいや。
少し……疲れた……。
今日の仕事は終わらせたんだし、少しくらい寝てもいいはずだ。
明日も長いんだから……。
そう思ったっきり、意識は闇におちていった。
―――冷たい。
何かひんやりとしたものが額を覆っている。
冷たくて気持ちいい。
同時に左手には仄かな温もりを感じる。
なんだろう?
この手はなんだか安心する。
銀……?
ちがう………この手は……。
ゆっくりと瞼を開く。
「よかった頼人君、目を覚ましたのね……!」
「……須……美?」
俺の手を握っていたのは、須美だった。
それからは例のごとく大騒ぎだった。
俺は一晩眠ってたらしく、目が覚めたのは朝だった。
それからすぐに、医者の検診を受けたり、早乙女さんに謝られたり、予定のキャンセルだとか変更とかで春信さんと、最低限必要な事項だけ話し合ったり、もうてんやわんやだった。
俺は普通に仕事するつもりだったが、流石にドクターストップに加え、須美の雷が加わってしまえば是非もなし。
今日一日は休むことになった。
そうして、ようやく須美と二人だけで話す時間ができた。
自室のベッドで、二人並んで座る。
「着いたと思ったら、頼人君が倒れたなんて知らされるんだもの。心臓が止まるかと思ったわ」
須美が、大きく息を吐きながら言う。
「驚かせちゃったよな……ごめんな」
須美は大赦に着いてから、ずっと傍に居てくれたという。
感謝とか申し訳なさとかで、胸が締め付けられる。
「本当に心配かけて!もう、頼人君……あれほど一人で無茶しては駄目って言ったでしょ?何かあれば相談してって……!」
「ひょめん、ひょめん……ゆるひて……」
頬を引っ張られながら怒られる。
ちょっち痛い。
「けど、良かったわ。頼人君が無事で」
須美は頬を引っ張る手を離すと、逆に俺の頬をその両手で包み込んだ。
そうして、真っ直ぐに俺の目を見つめる。
須美の瞳があまりにも綺麗で、見惚れてしまいそうになる。
こうしてみると、須美が美人だということがよく分かるな……。
そんな少女が自分をこんなにも案じてくれている。
その優しさが嬉しくもあり、こそばゆくもあり……なんとなく恥ずかしくなってしまう。
「無事って……。別に敵地に乗りこんだわけじゃないんだから」
その恥ずかしさを隠すように、口を開く。
「似たようなものじゃない。いきなり大赦で働くなんて……しかも、こんなにも責任の大きな立場に立って……。大変じゃないはずないでしょう?」
「……まあ、多少は大変だけど、俺よりも凄い人がいっぱいいて、すごく頑張ってくれてるからさ……その人たちに比べれば、俺の苦労はそう大したものじゃないよ」
本当に良く思うが、この組織には自分よりも能力の高い凄い人たちが大勢いる。
春信さんのような組織の運営能力や、早乙女さんのような事務処理能力然り、研究など専門的な分野においては俺はまるで役に立たない。
本当に、こんな人たちがいて、どうしてあんな事態に陥っていたのかと思ってしまったほどだ。
以前までの体制が、如何に人物の活用を怠っていたかがよく分かる。
「またそんなこと言って……。頼人君が一番頑張ってるって色んな人から聞いてるの。それに倒れたこともう忘れてるの?」
「あ、あはは……。そこを突かれると痛いな……」
「まったくもう……。しょうがないから、ここにいる間、頼人君のお世話は全部私がしてあげるわ」
「へ……?」
「連休でよかったわ。これなら頼人君が休んでる間はずっと見てられるもの」
「ま、待って須美。俺が休むのは今日だけのつもりなんだけど?」
「駄目よ。過労だって診断されてるんだから、少なくとも私がいる間は仕事なんて許さないわ。有無は言わせない」
「けど巫女の訓練は?そっちもしなきゃなんだろ?」
「ええ。だから、私がいない間はこの子に見張っといてもらうわ」
須美がそう言うと、端末を操作しだす。
すると、空中に卵のような形をした精霊、青坊主が現れた。
「頼人君が勝手に仕事しようとしたら、私に通報してもらうから」
須美の言葉に反応するかのように、青坊主が敬礼する。
角度もばっちり海軍のそれだ。
「まるで部下のそれだな……」
精霊ってこんなに従順になるものだったっけ?
「それともこっちのほうがよかったかしら」
須美が持ってきたリュックから、また荷物を取り出そうとする。
「まだ何かあるのか……?」
「ええ、とっておきのがね」
そうして、リュックから出てきたのは……黒い首輪だった。
しかもチェーン付き。
思わず、冷たい汗が背中に流れる。
「ふふふ……。私ね、考えたの。お灸をすえるだけじゃだめならどうすればいいかって」
「それで……首輪……?」
「そうよ。これなら頼人君がどこに行こうとしても止められるでしょ?」
胸を張って得意そうに言う須美。
怖い。
須美が怖い。
謎の悪寒が止まらない。
「これが嫌なら、大人しくすることよ?」
「けど……」
「休むことも大事だって、頼人君も知ってるでしょう?ずっと頑張ってたんだから、頼人君も少しくらい休まないと」
唐突に、須美が俺の頭を優しく抱きしめる。
少しだけ驚く。
あまりにも突然だったし、いつもなら須美は恥ずかしがってこんなことはしない。
だけど、そういう疑問よりも先に、安心感が胸を支配してしまう。
いけないと分かっているのに、どうしようもなく心が安らいでいくのを感じる。
涙が出そうなくらい温かくて、息が詰まりそうになるくらい柔らかい。
「……いいのかな……休んでも」
思わず、口からそんな甘い言葉が漏れる。
分かってる……俺は……俺だけは休んじゃいけない。
なのに、違う言葉を期待してしまっている。
須美を抱きしめ返そうと、手を伸ばそうとしてしまっている。
「大丈夫、私が傍に居るから。少しくらいなら大丈夫だから……ね?」
そんな俺に、須美の優しい言葉が染み込んでいく。
甘えてしまえと、囁く声が聞こえる。
このまま、須美に守って貰え。
きっと、助けを求めれば須美は守ってくれる。
きっと、銀や園子、夏凜だって。
ただこの温もりだけを感じて、こんな仕事は投げ出してしまえ。
充分、人材は集まった。
計画も随分煮詰まった。
もう、俺が居なくても何とかなる。
なら―――
瞬間、あの夢が脳裏をよぎった。
熱に浮かれた思考が急速に冷え、落ち着きを取り戻す。
そうして、思い出す。
結局、バーテックスと戦っているのは彼女達であるということを。
この状況が生まれた原因は、自分にあるということを。
自分が多くの少女たちの青春を奪っていることを。
そういう事情を無視して、自分だけ休んでいるわけにはいかない。
俺は、俺だけは休むわけにはいかない。
全てが終わるまでは、立ち止まれない。
「ありがと須美。けど、いいんだ」
抱きしめ返そうとした手を引っ込め、ゆっくりと須美を引きはがす。
ただそれだけの動きなのに、何故だか酷く疲れる。
「頼人君?」
「ごめん須美。行かないと。会わなきゃいけない人もいるし」
杖を使って立ち上がり、須美に背を向ける。
須美の厚意を無碍にしてしまっている。
ただ、それが辛い。
けど、必要だから、仕方がない。
「じゃあ須美、また後――――ぐえっ……!」
須美に話しかけた瞬間、腰に何かが絡みつき、身体が一気に後ろの方へと引き寄せられた。
気が付けば、ベッドの上で須美に後ろから抱き留められている。
なんだ、何が起きた!?
「言ったでしょ?有無は言わせないって」
そういう須美の手には先ほどの首輪があった。
腰を見れば、首輪のチェーンが上手いこと俺の腰に絡まっている。
さっきの感触はこれか。
あの一瞬で須美に自由を奪われたらしい。
このような技をいつの間に………。
「どうやら、頼人君にはこれが必要らしいわね」
須美が後ろから、何かを俺の首に装着する。
金属が擦れる音から察するに………うん、首輪だ。
須美を見ると、心なしか嬉しそうだ。
………まずい、この状況はまずい。
「あの、須美さん?もう一度話し合いませんか?流石にこの首輪を周りに見られるわけにもいきませんし……」
「勿論、いくらでも話し合いましょう。頼人君がちゃんと休むのなら、その首輪のことも考えてあげるわ」
「すぐに外してもらう訳には……?」
「駄目よ?これは頼人君の為なんだから」
と言いながらも須美さんはご機嫌だ。
まるで、こうなることが分かってたかのように。
あれ………?
もしかして………。
「須美……。もしかしてこうなるってわかってたの?」
「頼人君のことだもの。どういう反応をするかくらい分かるわ。言っておくけど、逃げ場はもうないわよ。ここの方たちの協力は取り付けてるから」
「……………春信さんにも?」
「当然、あの人にもよ」
春信さん……。
いや、落ち着け。
落ち着いて打開策を考えよう。
まずはここの脱出だ。
須美の気を引いて、その隙に……ダメだ。
現状、俺の体では須美に太刀打ちできないし、こっそり逃げようとしても俺の機動力では逃げ切れない。
動きも多分読まれるし、そもそも首輪がある以上、身動きは不可能。
なら、救援を求めるのはどうだ。
早乙女さんやうちの人間に助けを求めれば………いや、これも駄目だ。
大赦の人間は須らく勇者である須美に手出しはできないし、万一大事になれば、もっと恐ろしいことになりかねない。
これは……詰んだ?
「頼人君、国防のことが大事なのは痛い程分かるわ。頼人君ほどの憂国の士は他にいないもの。けど安心して。いい事を考えてきたから」
「いい事?」
「休みの間、じっくりとこの国の未来について語り合いましょう!話し合った内容を国防に活かしていけばいいのよ!」
須美が目を輝かせながら力説してる。
とても、楽しそうに嬉しそうに。
「……………ふふっ」
その様子があんまりにも可笑しくて、可愛らしくて、思わず笑いがこみ上げる。
……ああ、そうだった。
すっかり忘れてたけど、こいつらとの日常はいつだってそうだった。
どんな話でも楽しくて、一緒にいるだけで嬉しくて、どうしようもなく不安な気持ちも、どれほど重い責任でも、一緒にいればまるで苦じゃなかった。
だから、こいつらと一緒にいるのが好きだった。
だから、この子達が好きなんだ。
気が付けば、さっきまでの焦燥感が嘘のように消えていた。
つくづく、自分は単純な人間だ。
須美が来た途端、こうなってしまうとは。
「わかったよ、須美。少しの間、休むことにするよ」
そう言うと、須美は安心したように笑った。
「だから、とりあえずこの首輪外してくれない?」
そう言うと須美は少しの間、考え込むそぶりを見せた。
しばらくすると、手をポンと叩き、須美は口を開く。
何故だろう?
猛烈に嫌な予感がする。
「……分かったわ。写真を撮り終えたら外してあげる」
「………え゛」
須美がベッドを降りて、荷物の中からカメラを取り出す。
銀を撮ってた時と同じ、お高い奴だ。
いかん、冗談では……!
「頼人君の和装姿を撮り逃すわけにはいかないもの。それも首輪付きだなんて、滅多に見られないんだから……!」
須美がレンズをこちらに向ける。
ああ……あの時の銀の気持ちが少しだけ分かった……。
しかし、この姿を撮られるわけには……。
「か、堪忍してつかぁさい……」
思わず顔を隠して懇願する。
さらに醜態をさらしている気がしないでもないが、こうでもせねば……!
「ぶふっ……!な、なんて扇情的な……!」
変な声が聞こえたかと思うと、須美が鼻を押さえている。
指の隙間からたらりと鼻血が滴るのが見えた。
なにこれ怖い。
かと思ったら、須美がものすごい勢いでシャッターを切り始めた。
かなり興奮してる須美には、最早声は届かないらしい。
「ああ……!頼人君……いいわ……!最高よ……!」
「ああ……。銀、助けて……」
須美はだんだんとポーズまで指定してくるようになった。
なんだか、須美が遠い所へ行ってしまったような気がする。
何で……こうなっちゃったんだろう……?
「次はもう少し上目遣いでお願い……!」
「もう、いい加減にしてくれ……」
ああ……今の俺は、きっと虚ろな目をしているに違いない。
なのに、心のどこかで安らぎを感じている自分がいる。
ほんと……なんなんだろう、これ……?
こんなよく分からない感じで、俺の休みは始まった。
色々と事情があって、外に出ることはできなかったが、それでも随分休ませてもらった。
須美が傍に居てくれたからか、久しぶりに……本当に久しぶりによく眠れた。
運動も体への負担が少ない簡単なモノに限定したし、食事も須美が一緒だったおかげで、ずいぶんリラックスできた。
ただ、風呂の件は一悶着あった。
一度風呂場で倒れてしまった以上、流石に一人で入らせるわけにはいかないという話になったのだ。
早乙女さんが自分が一緒に入ると言い出し、それを聞いた須美が猛反対。
静かな言論闘争が始まり、最早当事者の俺は蚊帳の外。
挙句の果てに、ヒートアップした須美が俺と一緒に入るとか言い始めた。
勿論、双方の意見は却下。
結局、大浴場をできるだけ控え、部屋の浴室の使用頻度を上げるということにした。
大浴場を使用する際にだけ、男性の神官さんに付き添ってもらう形だ。
この結果には、須美も早乙女さんも少しだけ残念そうだった。
……理由は考えるまい。
あと、ちょっと驚いたこともあった。
須美が巫女の訓練に行ってる間、確認したいことがあって、自室のノートパソコンをつけると、青坊主が隣にいて笛みたいなものを手に握っていた。
仕事をするつもりなら、通報するぞ……ということらしい。
「ちょっと確認したいことがあっただけだから大丈夫、すぐ消すよ」というと、青坊主は笛をしまった。
言葉も通じるし、高性能というかなんというか……。
あと何気にこの子を従えてる須美もすごい。
まあ、そんなこんなで休みは大きな事件もなく進んでいった。
そうして連休の最終日、俺の下に思わぬ来客があった。
親父が嫌な知らせを持ってやってきた。
「模擬戦……?防人と……?」
「ああ。この模擬戦で、お前が結界外での活動が可能か判断する」
本当に……なかなかどうしてうまくいかないものだ……。