樹海に入れる特殊体質の少年(前世持ち)が愛する三ノ輪銀のためにいろいろ頑張る話   作:exemoon

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interlude 東郷美森in大赦

初恋。

それは、甘酸っぱくて素晴らしいものだと人は言う。

初恋。

それは、大人への第一歩で、人生の貴重な経験になるという。

初恋。

それは……叶わない想いだという。

 

昔は、決してそんなことはないはずだと、強く想えば叶うはずだと無邪気に信じていた。

恋文や逢引などに小さな憧れを抱いていた。

自分もきっと、素晴らしい恋愛ができると、そう思っていた。

子供だった。

幼かった。

いや、きっと今も幼いままなのだろう。

 

―――だって、今も私は……

 

 

 

 

 

早朝。

澄んだ空気に滝の音が響く。

滝にうたれて、身を清める。

温かくなってきたとはいえ、未だにこの時間は少々冷える。

だが、これまで毎朝水浴びをしてきた美森にとっては余り苦ではなく、むしろ滝の方が、これまで以上に心身が引き締まる思いだった。

 

滝垢離を終え着替えると、美森はすぐに頼人の部屋へと向かう。

頼人の部屋は、比較的、建物の中心近くに位置しており、巫女や神官用の部屋とは随分離れている。

これは、頼人の安全を確保するための措置で、警備も他とは一線を画している。

自由に出入りできるものは限られており、美森自身は顔パスで入れるものの、美森の世話役の神官達は、立ち入りを許可されていない。

それはいい。

問題なのは―――

 

「美森様、おはようございます。本日も、ご壮健で何よりでございます」

 

部屋に入ると、何人かの神官が美森に挨拶をしてきた。

頼人のお付きの者達。

特に、筆頭の早乙女は側近の中でも高位の神官だった。

美森は挨拶を返し、頼人がまだ寝ているかと聞くと、まだ目覚めてないという返事を受ける。

頼人の部屋は広く、部屋の入口は執務室に繋がっており、寝室はその奥に位置する。

彼女達は朝になるとこの執務室に集まり、掃除をしながら頼人の目覚めを待ち、起床時刻になると頼人の寝室へと向かう。

わざわざ詰めているのは、掃除の為だけでなく、ここなら頼人が目覚めればすぐに分かるからだ。

 

「分かりました、それでは私が起こしてきますね」

 

「美森様。何度も申し上げましたが、頼人様の身の回りのお世話は私共が任せて頂いております故、どうか、こちらでお待ち下さいませ」

 

美森の言葉に、早乙女が機械のような言葉で異を唱える。

 

「いえ、ここにいる間は、私が頼人君のお世話をします。好きでやってますので、お気になさらないで下さい」

 

「……勇者様の御言葉とあらば」

 

早乙女は引き下がるかのように言うが、それが形だけのものであるのは美森には分かった。

このやり取りは、既に何度も行われている。

にもかかわらず、早乙女は決まってこう言う。

美森が頼人の世話を焼くことに、納得がいっていないのは明らかだった。

やはり、自分はあまり歓迎されていないらしい。

それは、美森がここに来て薄々気が付いてきたことだった。

基本的に彼らは、美森に敬意を払い、親切でもある。

だが、同時に彼らは、漠然とした不安のようなものを抱えているように見えた。

もしかすると、頼人が大赦を去ることを危惧しているのかもしれない。

そうだとすると、ある意味では彼らの不安は当たっている。

でも、彼らの不安は身勝手なものだ。

 

―――頼人君は、望んでここに来たわけじゃないのに……

 

「ふぅ……」

 

美森は寝室の扉の前で、小さく溜息をついた。

 

いけない。

嫌なことを考えていては、それが顔にも出てしまいかねない。

朝からこんな不景気な顔をしていては、頼人君に余計な不安を与えてしまう。

……よし。

 

美森は両手で軽く頬を叩き、気合を入れなおす。

そして、前髪を少しだけ整える。

 

大丈夫。

さっきも鏡で確認したし、きっと頼人君は変に思わない。

この髪型だって、前に似合ってるって言ってくれたし。

 

そうして、美森は寝室の扉を開いた。

少し広い、和風の部屋。

およそ十二畳ほどだろうか。

一見すると、物の少ないすっきりとした印象を受けるが、寝台と机と窓以外の壁が本棚で占有していることに気付けば、途端に大学教授か何かの部屋のように見えることだろう。

L字型の机が部屋の右奥にあるが、その上には小さなノートパソコンと、大量の書類が整理され置かれており、研究者らしさをさらに強めている。

本棚の中身も、旧世紀の政治学や経済学に関わる本、兵法書、偉人の伝記、等と大学で学ぶような本ばかりであることも、その印象付けに一役買っていると言えた。

そんな、十代には似合わぬ部屋で、頼人は静かに寝息を立てていた。

 

よかった、まだ寝ててくれている。

 

現時刻は午前六時半。

以前までなら、頼人はとっくに起きている時間であったが、休養期間である以上、普段より長く睡眠をとることを半ば義務付けられ、頼人はそれに律儀に従っていたのだった。

一昨日などは勝手に早くに起きていたので、美森は少し心配していたのだった。

ただ、寝ていて欲しかった理由は他にもあった。

美森は、寝台の傍に来ると、小さく深呼吸した。

 

―――任務開始

 

美森はまず布団をゆっくりはがし、寝ている頼人を観察し始める。

じっくりと。

しっかりと。

見落としがないように、観察する。

中性的だった顔立ちは、少し見ないうちに精悍さを増し、徐々に男性的になってきている。

背も随分伸びてきているし、これから、どう成長するのか楽しみだ。

顔色も悪くない。

倒れた直後に比べると、まず健康と言っていい程だ。

次に、美森は頼人の腕や足に触れた。

いつもの触り心地。

少しだけ、浴衣をはだけさせる。

そこには、夥しい傷跡が残されていた。

一瞬、美森は息を詰まらせるも、やがて、傷跡をゆっくりと撫で始める。

その傷が、どうしてできたものかを想いながら……。

 

「ん……」

 

しばらく撫でていると、不意に頼人が身じろぎした。

美森は少し驚いたものの声は出さず、少しだけ様子をうかがった。

すると、頼人は再び寝息を立て始めた。

本当に、寝ている間は無防備すぎる。

ここにいる間は、私が注意しなくては、と美森は改めて決心した。

……そろそろいいだろう。

起こそう……と、その前に、美森はカメラを取り出した。

距離や角度を変え十枚ほど撮り、昨日の分と見比べる。

大丈夫、顔色も良くなってきている。

……この一枚は中々いいかも。

………頼人の健康は確認できたので、カメラはしまう。

データは残しておく。

あくまでも頼人の健康をチェックするための措置だ。

美森に他意はない。

ないったらない。

他にやり残したことはないかと確認して、美森はよし、と頷いた。

 

「頼人君、朝よ」

 

美森が優しく声を掛けると、頼人はすぐに反応した。

 

「ん……須美か……。おはよ……」

 

頼人が、少しだけ寝ぼけた様子で言った。

目と目が合うと、頼人の眼は少しとろんとしていた。

とても可愛い。

 

「頼人君って、本当、呼んだらすぐに起きるわね……」

 

不思議なモノで、頼人は少し触られたくらいでは起きないが、名前を呼ばれたらすぐに起きる。

美森が銀から聞いたところによると、頼人は非常に朝に強いそうで、今まで寝ぼけた様子を見せたことはなかったという。

だが、今は少しだけ、寝ぼけた様子を見せている。

それはきっと、これまでの疲労が随分たまっていたからだろう。

そのことを考えると、美森は少しやるせなくなる。

だが、同時に、こんな風に寝ぼけた頼人の姿は銀ですら知らないのだ。

つまり、この頼人の姿は美森だけが知っている。

それを自覚した時、美森は少しの喜びと罪悪感を覚えてしまった。

もっとも、それを口に出すことはないだろうが。

 

「須美……今、何時でごぜーますか……?」

 

「まだ七時前よ」

 

「ううむ……。また寝すぎたなぁ……」

 

頼人が半身を起き上がらせ、目をこする。

 

「今の頼人君には睡眠が必要なんだから、気にしなくてもいいのよ」

 

そう言って、美森は頼人の頭を優しく撫でた。

頼人は目を細めてされるがままだったが、しばらくすると、美森の手をとり、自らの頬にこすりつけた。

凄く可愛い。

これも、以前にはなかった光景だ。

美森が最近気付いたことだったが、頼人は、寝ぼけている状態だと、普段よりも人に甘えたがる傾向にある。

頼人の中に残存する幼児性の発露なのか、過剰に大人であることを求められた反動なのか判断できなかったが、こういう時は思う存分甘やかしてあげるべきだろうと美森は考えていた。

ただし、この甘え癖は以前からあったらしく、それに加えて、美森は大赦に来て以降、可能な限り頼人との距離を詰めていたのも原因だった。

一説によると、他者と抱擁やボディタッチといった触れ合いを行うことにより、人体ではオキシトシンという、ストレスや不安を緩和させ、多幸感を与えるホルモンが分泌させるという。

そのために、頼人を抱きしめたり、手を握ったり、頭を撫でたりと、美森は可能な限り触れ合いを増やしていたのだった。

これが結果的に、美森が頼人が甘えられるように徐々に誘導することとなった、とも言える。

勿論、あくまで頼人のストレス緩和のためであり、美森に他意はない。

ないったらない。

…………まぁ、ちょっとした役得とは思っていたが。

 

 

「須美、着替えるから早乙女さん達を呼んできてくれないかな?」

 

しばらくすると、頼人はすっかり目が覚めたらしく、美森にそんな事を言った。

 

「大丈夫よ、頼人君。どうせ着流しなんだから、着替えも私が手伝うわ」

 

「いや、待て須美。その理屈はおかしい。流石に着替えまで手伝ってもらう訳には……」

 

「気にしないで、最初から覚悟はできているから……!」

 

「覚悟って、なんの覚悟だよ……」

 

頼人がげんなりとした様子で言う。

と、そこで扉がノックされた。

美森はしまったと思うが、頼人がどうぞと声を出してしまう。

すると案の定、早乙女達が部屋に入ってきた

 

「おはようございます頼人様。お召し替えが必要かと存じ、参りました」

 

頼人が挨拶を返しながら、いつも通りお願いしますと言ってしまう。

今日も駄目だった。

ここに来てから、着替えを手伝えないかと何度か試してみたが、毎回、早乙女が横から入ってくる。

狙っているとしか思えない。

やっぱり、この人には気を付けないと……。

美森は特に、この早乙女という女性に注意を払っていた。

この女性の手腕が、結果的にだが頼人をここまで出世させた。

いわば、この女性が頼人を大赦に縛り付けた元凶だ。

一時的に、こちらの思惑に乗ってくれているらしいが、それでも好感を抱けるはずはない。

あと、頼人の着替えを毎回していることもよろしくない。

考えてみると、少し頼人を見る目が怪しい気がする。

私がここにいる間だけでも、頼人君を守らないと……!

そう思って、せめて着替えだけでも自分がやろうと美森は動いていたのだが、結果は惨敗だった。

まぁいい。

美森はすぐに思い直す。

まだ、着替えを手伝おうとするには早かった。

この先、まだまだ時間はあるのだ。

ゆっくり、抵抗感をなくしていってもらえばいい。

と、そこでびくりと、頼人が震えた。

 

「頼人様、どうかなさいましたか?もしや、風邪では……」

 

「いえ、一瞬寒気がしただけです。気にしないでください」

 

 

 

 

「くっ……。やはり、美味しいわね……」

 

「なんで、そんな悔しそうなんだ……」

 

頼人が着替え終わると、二人で朝食をとる。

朝食は、大赦の人間が用意している。

正直なところ、美森が自分で作って食べさせたかったが、勇者様にそのようなことをさせる訳にはいきません、と断られてしまった。

これで洋食が出てくるなら美森も無理を言っただろうが、朝食に出てくるのは和食。

それも、美森を唸らせるほどに出来がいい。

 

「お味噌汁一つとっても、こんなに美味しいなんて……。この味を超えるのは大変だわ……」

 

「お前は何と戦っているんだ……」

 

頼人はツッコミを入れるものの、美森は「大和撫子たるもの、常に高みを目指さなきゃならないのよ……!」と、燃えている。

美森は、頼人が大赦に行って以降、こういった向上心が強くなった。

頼人が大赦で頑張っている以上、自分も頑張らないといけない。

そう考えてのことだったが、その向上心は、時として、明後日の方向へ向かっていた。

 

 

食事を終えると、朝歴史の時間だ。

朝歴史とは美森の造語で、いわゆる朝シャンのように朝一で歴史を学ぶことだ。

日課というほどではないが、これを行うことにより身が引き締まるのだ。

普段は朝食前に行っているが、大赦にいる間は、頼人と一緒にするため朝食後に行っている。

 

「うぅ……。それにしても、昭和史は泣けるわね……」

 

「年表見て泣けるのも、一つの才能だよなぁ……」

 

昭和史の年表を見て涙ぐむ美森に、頼人が呆れたような感心したような声をあげる。

 

「頼人君、年表を見れば大戦の全体図が見えるのよ。特にレイテなんて、もう涙なしには……」

 

美森は目じりに涙をためながら力説し、武蔵、瑞鶴を筆頭とした連合艦隊と、英霊たちに向けて心の中で敬礼した。

 

「レイテか……。七十……いや、三百年経っても、結局、栗田艦隊のあれ、結論は出なかったんだよな……」

 

「くっ……!あの時、湾内に突入できていれば、憎き第七艦隊を撃滅できてたはずなのに……!」

 

「まあ、撃滅できていたかは置いといて、突入すべきだったっていうのは確かによく言われてたな。だけど、主力を失った時点で、戦略的にはどの道あれで終わってたから……」

 

「むぅ……。じゃあ、頼人君は突入しなくてよかったって思っているの?」

 

「そりゃ、戦術的……というか、あの作戦の目的からしたら、突入した方がいいと思うけど、如何せんアメリカの物量は桁外れだから、撃滅に成功しても大勢に影響は出なかったんじゃないかね。どの道、第七艦隊相手したら、艦隊にも少なからず被害が出てたはずだし」

 

「それは……たしかにそうね。おのれ米帝……」

 

「あっちの生産力ずるいからなぁ。日刊駆逐艦、週刊護衛空母ときて、月刊正規空母とか笑うしかないから」

 

もっとも、歴史の話をしていると、すぐに大戦の話になる。

頼人がいない間、こういう話をできる相手はいなかった。

故に、美森は、気軽に歴史の話に付き合ってくれる頼人のありがたさを、身に染みて感じていた。

 

 

 

「ねえ、頼人君。ちょっと不思議なのだけど、どうして戦後は銃剣道が広まらなかったのかしら?」

 

話題が戦後の武道について移ったタイミングで、美森はふと尋ねた。

戦前、戦中は、銃剣術は軍、民間問わず広まっていた。

と、いうのも、銃剣術は軍内部に留まらず、教育機関でも教えられていた。

また、戦争末期の軍の迷案として有名な竹槍訓練は、槍術ではなく、銃剣術の訓練だった。

言ってしまえば、竹槍は銃剣の代わりだったのだ。

則ち、銃剣術は、ある意味、当時の日本において、最も普及していた武道でもあったわけだ。

経験者も、他の武道より多かったはずだ。

なのに、戦後の日本では、他の武道に加えて、銃剣道の人口は非常に少なかった。

そのことに、美森はふと疑問を覚えたのだ。

 

「ああ、それはね、日本人が戦争嫌いになったからだよ」

 

「それは、知っているわ。確か……当時の憲法も、戦争はしないと明文化したのよね。九条……だったかしら」

 

「そうだよ。まあ、あれも解釈次第だったし、結局、論争は終わらないまま平成は終わったから、何とも言えないけど……。それはさておき、戦後の日本じゃ、国民は徹底的に戦争と言うモノを嫌ったんだよ。いわば、戦争アレルギーみたいなもので、銃剣道もその煽りを受けたようなもんだな」

 

「銃剣道も……?どういう意味かしら?」

 

美森は国民感情と武道を、根本的に切り離して考えていた。

それ故に、頼人の言わんとすることを図りかねていた。

 

「ああ。銃剣道が再興してからも競技人口が増えなかったのってさ、銃剣道は戦争の為の武道ってイメージが強くて、多くの人達から悪く捉えられてたからなんだよ。当時の人たちは、戦争を思い出すことも嫌だったから。そもそも、銃という時点で駄目だったから」

 

「むぅ……。国防を悪く捉えるなんて、理解に苦しむわね……」

 

「まあ、そういうな。それだけ、あの時代の人たちは戦争に忌避感を持ってたんだよ。それに、戦争なんてしない方が絶対良いんだから」

 

その言葉を聞いて、美森は少し黙った。

美森は頼人と話していて、たまにその言からある種の感情を感じる。

それは、戦争への忌避感だった。

また、戦史や歴史について語ることは間違いなく好んでいるのだが、戦争それ自体に加え、戦争を賛美する権力者や、人命を無視した作戦を立案する一部の軍人への悪感情も確かにある。

美森はそれを感じていたのだった。

もしかすると、頼人は、彼らと大赦の人間を重ね合わせていたのかもしれない。

安全な場所で戦争を賛美する権力者と、前線で命を懸けて戦う兵士。

考え方によっては、それは大赦の人間と勇者に置き換えることもできるだろう。

 

けれど、もしそう考えているのなら、頼人君は―――――

 

「須美、どうかした?」

 

「いえ、何でもないわ……。でも頼人君、それじゃあなんで銃剣道は残ったのかしら。それだけ印象が悪かったのなら、今も残っていないんじゃないの?」

 

「それは、当時の人たちの努力だな。その戦争ってイメージを変えて、広めようとしたんだよ」

 

「変えるって……武道的な精神修養を主軸にしたとか?」

 

「もっと、単純だな。言ってしまえば銃剣道をスポーツとして広めようとしたんだよ」

 

「スポーツ?武道を……?」

 

「ああ、戦争としての技術じゃなくて、あくまでスポーツだって言って、それで銃剣道を残そうとしたわけだ。スポーツって言ったほうが敷居も低くなるし、人々の抵抗感も薄くなるって考えたんじゃないかな」

 

美森にとって、武道とスポーツは似て非なるものだという考えがあった。

故に、銃剣道にしても、スポーツと言われてしっくりこなかったのだ。

実際、剣道をはじめとした多くの武道は、スポーツと武道は違う存在だと主張している。

だが、銃剣道に関しては違っており、当時の銃剣道連盟も、戦後の銃剣道は古来伝統武道の真髄を継承しつつ、近代的スポーツとして再出発したものだと規定していたのだった。

それでも、そういった意識は美森にとって、奇妙に思えた。

なぜなら、近代以後、戦争では刀も槍も殆ど使用されておらず、そういう意味では銃剣道は最も、実戦的な武道だとも言える。

なのに、種々の武道の中では、最もスポーツ化されていた。

何という矛盾だろう。

けれど、だからこそそう言った矛盾を抱え込まなければ、銃剣道というのは生き残れなかったのかもしれない。

 

「銃剣道も、生き残るのは大変だったのね……」

 

「ああ。だから、当時の銃剣道の指導者は、他の武道の指導者に比べて、銃剣道をスポーツとして広めようって意識が強かったらしいよ。昔の資料によるとね」

 

「そういうところも、他の武道とは随分違うわね」

 

「確かにな。まぁ、あれやってた人、ほとんどが自衛隊関係の人だったみたいだから、どこまでスポーツって意識があったか、ほんとのところは分からないけど」

 

そう言って、頼人は軽く笑った。

それを見て、美森は安心する。

その笑顔は、間違いなく美森の知っている笑顔だったから。

それにしても、やはり、頼人との会話は面白い、美森はつくづくそう感じる。

実のところ、歴史の知識について、美森の方が知識が深い場合も多い。

だが、頼人は単純な知識では理解できないことを教えてくれる。

昭和史後期から平成史については美森も舌を巻くほどだ。

というのも、頼人は、当時の人々の心境や、価値観への理解が信じられないほどに深い。

今の話にしても、ただ、本を読むだけでは知りえない、いや、理解しがたい話だ。

まるで、その時代を生きてきたのではないかと思ってしまうほどだ。

 

「やっぱり、頼人君ってすごいわよね……。こんな話、他で聞くことないもの」

 

「いや、単純な知識じゃ須美の方が詳しいと思うぞ?今のだって、仕事してて知ったような話だし。大昔の文化の話なんかはむしろ、須美から教えてもらうことの方が多いから」

 

「夢は歴史学者さんだもの。それに、日本国民である以上、こういう知識はもっておかないと……!」

 

「気持ちは分かるが落ち着きなされ」

 

頼人と話をしていると、色々と勉強になる。

だが、美森が頼人と歴史について話したがるのは、それだけが理由ではなかった。

頼人は、美森の好きな話をどこまでも受け入れてくれる。

変だとも言わず、それでいて、美森の話をちゃんと理解してくれる。

そして、美森の知識の深さを、見識を尊敬してくれる。

こんな人は、きっと他にいない。

 

 

 

「それじゃあ頼人君……大人しくてるのよ?」

 

「たった数時間なんだから、そんなに心配しなくても大丈夫だって。もうしばらくゆっくりしてるから」

 

しばらくすると、美森は巫女の訓練のために移動する。

大赦本庁に来てから、数日が経ち、巫女としての訓練も進んだ。

滝行、瞑想、祝詞の読み上げ、舞や雅楽に座学と、巫女の訓練は多岐にわたり、勇者の鍛錬とは違った意味で疲労する。

何とか訓練についていけたのは、美森が個人的に勉強していた部分も多分に含まれていたからだろう。

ある意味、不幸中の幸いとも言えた。

ただ、訓練の時間は頼人の傍に居られない。

それだけが美森の不満だった。

 

「お疲れ様でございます、美森様。お冷をご用意いたしました」

 

訓練を終えた美森に、一人の巫女がコップを差し出す。

 

「ありがとうございます、伊藤さん。それと、様付けは止めてください。伊藤さんの方が年上なんですから」

 

「何を仰いますか。勇者様にそのようなご無礼、出来るはずがございません」

 

美森は、訓練中の世話役でもある彼女の態度に、少しの居心地の悪さを感じる。

大赦の人間は皆、勇者である美森に最大限の敬意を払う。

以前、美森が大赦に来た時には、神樹への挨拶があったため周りに気を使う余裕はなかったが、改めて考えると、その敬意は過剰にも程がある。

だが、美森が頼人から聞いたところによると、これでも随分ましになったらしい。

頼人が大赦に赴任したばかりの頃は、毎日ご機嫌伺いに高位の神官が長ったらしい口上と共に挨拶してたそうで、どんな感じか聞いてみると――――

「掛けまくも畏き赤嶺頼人様に、畏み畏み申す。今日、私たちの国土が保たれておりますのは、頼人様の尽力の結果であり、その功績は永大の英霊に勝るとも劣らず。頼人様におきましては、本日のお加減は如何でしょうか?」

こんな感じだったらしい。

最初の挨拶だけでこうだったというのだから、やり取り一つでどれだけ時間がかかっていたのだろうか、美森は不思議になってしまう。

大赦に勇者が務めるなどということがこれまでなかったため、過去の慣例を参考にしたそうだが、これでは前置きが長すぎるし、聞いてるだけで疲れてくる。

そういう訳で、頼人は本庁内でもこういった形式を可能な限り排除したらしい。

 

「こんなんじゃ、仕事どころじゃないから。まあいい機会かなって」

 

頼人はそう言って笑っていたが、こんなことにまで口を出さないといけない現状を考えると、頼人の負担は如何ほどだろうと、美森は、心配にならざるを得なかった。

とはいえ、頼人のこうした行動は少しは影響しているらしく――――

 

「いいじゃん、由依。他でもないその勇者様がいいって言ってんだから。気楽にいかなきゃ損よ。ね、美森ちゃん?」

 

一人の巫女が美森に話しかける。

大赦では珍しく、随分と気軽な様子でだ。

間違いなく、以前なら問題になったであろう態度だ。

 

「美穂、勇者様になんて口の利き方……!」

 

「あの、伊藤さん。私は別に気にしませんから……」

 

「ほら由依。美森ちゃんの許可出たよ」

 

「そういう問題じゃないでしょ!私達は巫女なんだから、もっとその自覚をもちなさい!」

 

「何言ってんの。頼人様から敬語は止めてって言われてるんだから、従うのが巫女でしょ」

 

「なら、頼人様の前でもまともに喋れるようになりなさい。いつも、しどろもどろになってる癖に」

 

「ちょっ、由依それは……!」

 

「貴女が頼人様に今みたいに話せるようになったら、考えてもいいわ」

 

「なっ……!由依だって、頼人様の前じゃ全然違うじゃん!何よあの猫撫で声!」

 

「あっあれは、いつもそうじゃない!」

 

気付けば二人で喧嘩を始めてしまっている。

美森は完全に置き去りだ。

そんな気まずい状況に、一人の闖入者が現れた。

 

「二人とも何やってるです!東郷様の御前ですよ!」

 

背の低い三つ編みのボブカットの巫女が、踏ん反り返って叫ぶ。

背は小さい割に、大きな声だ。

 

「ま、麻衣ちゃん……?」

 

「麻衣ちゃんいいところに、美穂を説教し―――」

 

「由依先輩も美穂先輩に乗せられすぎです!二人とも来るのです!」

 

「で、でも、美森様が……」

 

「うふふ、大丈夫よ二人ともぉ。私がついてますからぁ」

 

麻衣の背後から、長身の女性がするりと現れた。

それに気付いた途端、美穂が顔を引きつらせる。

 

「げっ、杏美先輩……。いつの間に……」

 

「ついさっきよぉ。貴女達だけじゃ不安だから見に来たのよぉ」

 

「あ、杏美先輩違うんです、これは―――!」

 

「言い訳はいいからぁ、二人とも、後で反省文出してねぇ?」

 

「さぁ!行くですよ!」

 

「ごめんなさい~!」「なんで私がぁああ!!」

二人の巫女が、背の低い少女に、首根っこを掴まれ引きづられていく。

その光景に、ここは本当に大赦なのか、美森は不安になった。

 

「申し訳ありません美森様。あの子たちも根はいい子なんですよぉ?」

 

「いえ、そんな……。あの、本当に私は気にしてませんから、あのお二人には……」

 

「大丈夫ですよぉ。ちょっぴり怒るくらいなのでぇ」

 

「そ、そうですか……」

 

ちょっぴり……にしては、あの二人の怖がり方は大げさだった気がしたが……。

 

「あの、岩尾さん。一つ聞いてもいいですか?」

 

「はぁい、美森様。何なりとお答え致しますよぉ」

 

「巫女の皆さんは、頼人君とよく会ってたんですか?先ほど聞いた様子だと、なんだか……」

 

「皆、頼人様に好意を持っているみたい、ですかぁ?」

 

岩尾は、美森が言い淀んだ部分を代弁した。

 

「えっと……はい……」

 

「ふふっ。美森さまもぉ、恋人が他の女性にお熱になってないかぁ心配なんですねぇ」

 

「えっ、こ、恋人……!?」

 

途端、美森の顔が赤くなる。

頼人との距離が近いとはいえ、美森は未だ、こういった話には耐性がないのだ。

 

「あれぇ……違うんですかぁ?噂になってるので、てっきりお二人はそういう関係なのかとぉ」

 

「う、噂って、どんな噂ですか?」

 

「美森様と頼人様が婚約されてるんじゃないかってぇ。美森様は頼人様の部屋に入り浸りになっているみたいですしぃ、頼人様と部屋を出られる際には、片時もお傍を離れないじゃないですかぁ。鷲尾家の方々と一緒にお食事もされていたという話でしたしぃ、家族公認の仲なんじゃないかと、みんな言ってますよぉ?」

 

「ちっ、違います!確かに頼人君とは、その……仲良くはありますけど、恋人じゃありません」

 

美森は少し言葉を選んで、岩尾の言を否定した。

その時生じた、胸の痛みは考えないようにして。

 

「そうだったんですねぇ。じゃあ、私にもチャンスがあるんですねぇ」

 

「……はい?」

 

瞬間、美森の顔から表情が消える。

眼光は猛獣のそれ。

その顔は、能面にも般若にも見えた。

これには岩尾も恐れをなしたようで、慌てて謝る。

 

「あ、あはは。じょ、冗談ですからぁ、そんな怖い顔なさらないで下さぁい」

 

「本当ですね?」

 

「も、勿論ですよぉ」

 

その言葉を聞いて、美森はようやく緊張を緩めた。

岩尾は随分、怖かったらしく、冷や汗までかいていたが、美森のその様子を見て、ほっと一息を吐いた。

 

「それで、お話の続きを聞かせてもらえませんか?」

 

「ええと、巫女の多くが頼人様に好意を持っている理由ですねぇ」

 

「いえ、私が聞きたいのは………」

 

「なんて言ってぇ。そっちよりこっちの方が気になるんじゃないんですかぁ?」

 

美森は否定しようとしたが、聞きたいという気持ちが勝ってしまった。

認めようと、小さく頷いた時、少しだけ顔が火照った。

やはり、こういう話は恥ずかしい。

 

「……やっぱり、頼人君のしたことに関係しているんですか?」

 

恥ずかしさを誤魔化すかのように美森は尋ねる。

 

「そうですねぇ。確かに関係はしてますよぉ。……美森様は以前の私達の扱いをご存じですかぁ?」

 

「ええ、少しは……。確か、大赦で厳しく管理されていたと……。それが理由なんですか?」

 

「半分は、そうですねぇ」

 

「半分?」

 

「実はぁ、頼人様がこの件を言い出した時、大赦の中でも、反対意見は多かったんですよぉ。情報漏洩の危険だとか私達の安全のためだとかなんだとかってぇ」

 

「それは……」

 

「ええ、仕方ないと思います。……けど、それを言った人たちが裏で何を考えていたかって思うと、その言葉を額面通りには受け取れなかったんですよぉ」

 

「裏で……ですか?」

 

「大した話じゃありません。ただ、あの人たちが私達が信用してなかったってだけの事ですからぁ」

 

「―――――」

 

「当然ですよねぇ。結局、あの人達が信用してるのは巫女の神託であって、十代の小娘じゃないんですからぁ。それに、何かあった時、誰も責任を取りたがらないですしぃ」

 

無論、そんなことを口で言った人間はいなかった。

けど、例え言わなかったとしても、感受性が強く、聡明だった彼女は、反対する理由を分かってしまったのだ。

 

「ですけどねぇ、頼人様は違ってたんです。自分が全責任をとるって、私達の安全を守るって、言って下さったんですよぉ。そうしたら今度は、私たち巫女が故意に情報を流したらって反論があって……美森様、頼人様はこれに何と答えたと思います?」

 

「ええと……防諜には万全を期す、とかですか?」

 

「はずれでぇす。頼人様はただ…………私達を信じるって、そう言って下さったんですよぉ」

 

「えっ、でもそれじゃあ……」

 

答えになっていない。

そう言おうとする前に、岩尾が答えた。

 

「勿論、大人たちが納得できるようなことも、その後話されてましたよぉ。鎮守府ができて、元々民間にいた人達にも真実を教えたり、防人の子達にも教えてる以上、巫女にだけ過剰に制限をかける理由はないってぇ」

 

「……なるほど、敢えて情報規制を緩めることで個々人への信頼を示し、逆に組織全体の結束力を強めるという狙いね。流石、頼人君だわ……」

 

感心する美森に、「い、いや、それは知りませんけどねぇ……」と、少し引いていた。

 

「私達はただ……信じるって言ってくれたことが、すごく嬉しかったんですよぉ。神託じゃなくて、私たち一人一人を信じるって言ってくれたことが」

 

「それが、理由なんですね……」

 

「ええ。それに、頼人様には前から良くして頂いてましたからぁ、私達のための行動してくれたんだって分かったんです。だから、巫女はみぃんな、頼人様の味方をするって決めたんですよぉ」

 

岩尾は嬉しそうに語る。

本当に嬉しそうに。

その様子で、美森は彼女の言葉に嘘はないのだということがはっきりわかった。

 

「そう……ですか……」

 

「あれぇ、美森様ぁ。なにか、気になることでもぉ?」

 

「いえ、何でも……ありません」

 

美森は思う。

頼人は確かに、今まで、誰もできなかったことをしている。

それは美森とて、認めざるを得ない。

だが、その結果、頼人に期待する者は増加し、英雄や聖人君子のようなイメージを抱く者も増える。

頼人が本来、普通の日常を好む少年であることを忘れて。

そして、頼人はそのイメージに応えようとしてしまう。

応えるために、誰かからは好かれ、誰かからは嫌われる。

そうしてまた、普通の人間から外れていく。

それがどれほどの苦しみなのか、美森にはわかる。

美森だけは、頼人が苦しんでいるところを目にしたから。

このままじゃ、頼人は救われない。

放置していれば、例え世界は救えても、永遠に英雄という機能を果たす道具―――舞台装置に成り下がってしまう。

そして……そのことを誰も気付いていない……。

むしろ、良い事だとすら思っている……。

なんで、こうなってしまったのだろう。

美森はそう考えるも、答えは当然のように、出なかった。

 

 

 

 

 

岩尾の話を聞いた後、美森はいつものように頼人の部屋に戻った。

頼人はベッドの上で、本を読んでいた。

 

「おかえり、須美。お疲れ様」

 

「ええ、ただいま。頼人君」

 

美森が巫女の訓練を終えてこの部屋に来ると、頼人は決まっておかえりと言う。

美森もそれにただいまと返す。

たった一言の挨拶。

けれど、その響きはとても甘美で、言葉を交わす度に心に温かいものが広がる。

この一瞬に、美森はどうしようもなく幸せを感じてしまう。

そうこう考えていると、青坊主が近づいてきて、びしりと敬礼した。

 

「報告を」

 

美森は敬礼を返し、青坊主に問う。

複数の神官の訪問あり。

数、四。

神官の目標は、乙二、丙一、特一であります。

青坊主が手旗を振って、素早く美森に伝える。

 

また来たのね……。

 

「構成は?」

 

男性三。女性一。

男性の目標は乙二、特一、女性の目標は丙であります。

 

……ふむ。

青坊主の報告を聞いて、美森は少し考える。

丙が目標の女性は判断が難しいが、甲でなければ、まあ許容範囲だろう。

乙なら大事にはなるまい。

問題は特。

おそらく来たのは、頼人の父だろう。

用件は分かっている。

ならば―――

 

「ご苦労。下がりなさい」

 

すると、青坊主はもう一度敬礼をし、消えた。

 

「須美さんや。青坊主はいつの間に、軍に入ったんだい?」

 

「日ごろの訓練の賜物よ」

 

美森は胸を張って言う。

 

「何それ怖い………。というか、何話してたんだ……?」

 

「いつも通り、頼人君が、勝手に仕事をしてないか確認してたのよ」

 

「おおう……。まあいいや。さっきお見舞いに来てくれた神官さんが、羊羹を持って来てくれたから、一緒に食べよ」

 

そう言って頼人は、ベッドから床へ腰を下ろした。

そうして、両手で器用に、部屋の中央にあるちゃぶ台まで移動する。

ちゃぶ台の上を見ると、羊羹が既に切られて置いていた。

皿とフォークもある。

どうやら、美森を待っていたらしい。

 

「ええ。それにしても、また、私がいない間に………。やっぱり、来週からは訓練の時間を減らすべきかしら……」

 

大赦の人間は時々、お見舞いと称して頼人の元を訪れる。

それが本当に只のお見舞いだったら良いのだが、仕事関係の話を持ってくる者もおり、酷い時には、縁談を持ち掛けるような者すらいる。

そのため、美森はできるだけ頼人の傍について、邪な話がないかどうか確認していたのだが、そうすると、彼らは美森が留守の間に頼人の元を訪れるようになった。

狙っているとしか考えられず、美森の悩みの種でもあった。

だが、頼人は「大して時間もとってないし、須美がいない間の暇つぶしにもなるから」と、まるで気にしていない。

思えば、いつもそうだった。

頼人は周りには敏感で、危機を察知する力にも長けているのに、事が自分自身に及ぶと途端に鈍感になる。

というよりも、根本的に自分の身を守ろうとしていない。

おそらく、周りに気を配りすぎているせいで、自分自身のことには手が及ばないのだろう。

この状況が、それを証明しているとも言える。

 

―――だから、私が守らないといけないのに

 

美森はそう思うのだが、頼人を取り巻く環境は複雑極まりなく、何もかもが思い通り、という訳にはいかない。

表向きは頼人の味方である面々の中にも、頼人をあの手この手で取り込もうとする輩がいるし、個人的に懸想している者だっている。

少数ながら頼人を快く思わず、勇者としても認めていない人間もいる。

それに、鎮守府の人間の多くは、頼人に指導者でいてほしいと考えており、結果としてだが頼人の自由を望んでいない。

つまり、この大赦には『勇者・赤嶺頼人』の味方はいても、普通の日常を好む、一個人としての『赤嶺頼人』の味方は存在しない。

ただ一人、美森を除いては……。

 

「そういうこと言わないの。大和田さんや岩尾さんに怒られちゃうぞ?」

 

「大丈夫よ、頼人君。訓練を減らすくらいじゃ怒られないわ」

 

どの道、契約がある以上、三好春信は美森に便宜を図らざるを得ない。

それに、頼人の為を想えば、少しくらい怒られても構わない。

そう考えていた美森だが、そこで頼人が不思議そうな顔をしていることに気付いた。

 

「どうしたの頼人君?何かおかしなこと言ったかしら?」

 

「いや、須美がそういうこと言うとは思ってなかったから。ほら、前なら規則とか絶対遵守って感じだったろ?ちょっとだけ変わったなって」

 

「何言ってるの?頼人君より大事な規則なんて存在しないわ」

 

「うん……。嬉しいんだけど、ちょっと怖くなるのはなぜだろう……」

 

「あら、どういう意味かしら?」

 

「いや、なんでもありませぬ」

 

「今、白状すれば許してあげるわよ?」

 

そう言って、美森は頼人の頬をつつく。

 

「まあまあ。羊羹食べて落ち着きなされ」

 

「……」

 

気が付けば頼人は、羊羹を刺したフォークを美森に差し出していた。

さっきの話題を追求したいのはやまやまだが、それよりもアーンしてもらえているこの状況を優先すべきか…。

などと考えている間に、美森は羊羹を口に含んでいた。

どうやら美森も、欲望には打ち勝てなかったらしい。

 

「おいしい?」

 

「ええ、おいしいわ……」

 

顔が赤くなっていないか少し心配になりながら、美森は答える。

心臓の音がうるさい。

誤魔化すように、ちゃぶ台の上に放置されていたフォークを掴み、他の羊羹も頬張る。

 

「ほら、口元ついてるぞ」

 

そう言って、頼人は美森の口元を拭った。

 

「あ、ありがとう……」

 

頬が熱を帯びる。

頭がボウとする。

恥ずかしい……。

自分から近づくときにはこうじゃないのに、向こうから触れられた途端、急にどうすればいいのか分からなくなる。

胸は針に刺されたように痛くなるし、呼吸も乱れる。

だけど……。

だけど……こういう感触は嫌じゃない……。

触れてくれることが、優しくしてくれることが、たまらなく嬉しい。

本当に……こうして、二人だけで過ごす時間の何と甘美なことか。

この時間がずっと続けば……。

 

思ってはいけないことを、また、思ってしまう。

 

今だけは、頼人君は私だけを見てくれる。

今なら、頼人君を……。

だったら――――

 

美森はそこで思考を打ち切り、違う話をし始めた。

いつもと、変わらぬ顔をして。

 

 

 

 

 

 

「それにしても、ほんとに須美の髪は綺麗だな……」

 

「そ、そうかしら……?」

 

その日の夜、美森は頼人に髪を梳かしてもらっていた。

美森が大赦に来てから、決まってしてもらっていたこと。

きっかけは、頼人の部屋で見つけた、一本の櫛だった。

どう見ても女性用で、頼人が持つには似つかわしくない。

気になって、尋ねると、この櫛は元々美森の誕生日に贈るはずのものだったという。

だが、櫛は苦、死を連想させ、贈り物にはよくないと思い出し、時計を贈ったという。

それを聞いた美森は、使わないのなら貰いたいと頼人に言った。

私は、そういう話を気にしないから、と。

頼人は、少し不思議そうにしながらも、快く櫛を美森にくれた。

そして、どうせならと、その日から頼人は、寝る前に美森の髪を梳かし、纏めていたのだった。

そうして、しばらく髪を任せた後、美森はおもむろに口を開いた。

 

「……ねぇ、頼人君」

 

「ん。どした、須美?」

 

美森は少しだけ口ごもる。

言うべきか、言うべきでないか。

答えはきっと分かり切っている。

冷静に考えれば、絶対に聞くべきでない。

けど、もしかしたら……。

その可能性が、美森の口を開かせた。

 

「本当に……大丈夫なの?頼人君が望むなら、私は……」

 

「………」

 

その言葉で、頼人の手が止まった。

美森が頼人の傍に居られるのも、一旦今日までだ。

明日からはまた、美森は讃州に戻り、頼人は仕事に戻る。

けれど、美森はまだ、頼人の傍に居たかった。

後の言葉を飲み込んだのは、残りたいという気持ちと、連れて帰りたいという気持ち、どちらを口にすればいいのか、分からなくなったからだ。

ただ、頼人が望むことをしてあげたいと、美森は思った。

たとえ、答えが分かり切っていたとしても。

そうして、しばらく、静寂が流れる。

 

「ああ、大丈夫だよ。随分休めたし、これからはやり方も変えるから」

 

「そういう話じゃないくて……頼人君がどうしたいのか……どうしてほしいのか、知りたいの」

 

「どうしたいも何も、ここで頑張るって決めたから、さ………」

 

何気ない一言。

いつもなら、ここで話は終わっただろう。

けれど、美森は、その言葉の中にある、微かな諦観を感じ取った。

自分以外のモノは絶対に諦めない少年の、諦観。

それが、美森には―――どうしようもなく嫌だった。

 

「だから、そういう話じゃないの……!」

 

いけない。

今はまだ、駄目だ。

頭では分かっているのに、感情が溢れてしまう。

灼きつくような感情のうねりが、胸を支配する。

 

「確かに頼人君の志は立派だわ!今までの事だって感謝してる!けど、それで頼人君が苦しんでるのに、放っておくことなんてできると思う!?頼人君が一人で傷ついて、それで、私やみんなが喜ぶと思ってるの!?」

 

「それでも…………自分で、選んだ道だから。途中で投げ出せないよ」

 

「違う……!頼人君は選んだんじゃなくて、選ばされたんでしょ……!?」

 

「だとしても、投げ出せない。今ここで投げ出せば、全てが無駄になる。………須美だって、今更、勇者を投げ出せないだろ?」

 

「それ、は………」

 

須美は言葉に詰まってしまった。

なぜなら、頼人の状況は本質的には、勇者のそれと変わりないからだ。

勝手に選ばれて、不本意な状況に追いやられる。

その状況が、少し違うだけとも言える。

 

「ごめん。ずるい言い方だったな」

 

「でも……でも、私は――――」

 

それでも、納得できるはずもない。

必死に言葉を紡ぎ出そうとする。

そんな折、不意に柔らかな感触が美森を包み込んだ。

 

「ふぇっ!よ、頼人君!?」

 

気が付けば、美森は頼人に後ろから抱きしめられていた。

ここまでのことは、美森の方からすることはあれど、頼人の方からは、初めてだった。

それ故に、美森はどうしていいか分からなくなった。

だが、そんな美森の様子はお構いなしに、頼人は口を開いた。

 

「須美、ありがとな。心配してくれて……」

 

「頼人……君……」

 

柔らかくて優しい声が、美森の耳を撫でる。

頼人の吐息すらも感じ取れる。

いつもなら、その心地よさに身を委ねていただろう。

けれど、美森は、頼人が何を言わんとしているのか分かってしまった

 

「傍に居てくれて、すごく嬉しかった。俺はもう、大丈夫だからさ。心配しないで……とは言えないけど。もう少し、身体も労わるから」

 

「――――」

 

それは、どこまでも優くて、温かい……拒絶の言葉だった。

きっと頼人は、美森が何を言おうとしていたのか分かっていたのだろう。

 

止めたかった。

止めるべきだった。

けれど、その言葉にどれほどの想いが籠もっているか、美森には分かってしまった。

今、頼人がこの御役目を放り出せば、多くの人達の苦労が水の泡になる。

頼人が成してきた事の多くも、意味をなくしてしまう。

本当に、頼人は損な性格をしている。

もう少し、責任感がなければ。

もう少し、自罰的じゃなければ。

もう少し、優しくなければ。

きっと、こんなことにはなっていなかったのだろう。

だけど、鷲尾須美はそういう頼人を好きになってしまった

そういう頼人だったからこそ、東郷美森はこんなにも愛してしまった。

それが分かるからこそ……辛かった。

やっぱり、今は止められない。

なら―――

 

「……それじゃあ、約束して」

 

美森は、頼人の手に自分の手を重ね合わせ、そう言った。

 

「また、倒れでもしたら、強引にでも連れて帰るから。その時は、私の言うことを聞くって」

 

簡単な約束。

けれど、これが今の美森に出来る精一杯だった。

 

「分かった。約束するよ」

 

頼人はそう言うと、美森を抱きしめる力を、少しだけ強くした。

それが美森の心を温かくし、同時に切なくさせた。

 

 

 

 

「それじゃあ、今日はもう寝るのよ。明日から、また早いんだから」

 

「ん。そうするよ」

 

しばらくして、頼人の就寝時間となった。

直に、美森もこの部屋から立ち去らなければいけない。

その時間まで、美森は、頼人が眠りにつくまで傍に居た。

いつも通り、しっかりと休んでいるか確認するために。

やがて、頼人は小さな寝息を立て始めた。

それを見て、美森は頼人の頬を撫でた。

失われた左目を、懐かしむかのように。

 

 

―――そして、おもむろに立ち上がり、机の前の椅子に腰かけ、頼人のノートパソコンを開いた。

 

電源をつけ、パスワードを解除する。

青坊主を頼人につけていたのは、頼人の監視だけでなく、情報収集の為でもあった。

このパスワードも、青坊主が入手したものだった。

頼人のパソコンは、あくまでも研究などのために使用されているらしく、記憶メモリの容量には、随分と余裕があった。

ただ、作成された文書は、非常に多い。

 

『民主主義的見地からの上里ひなた氏の功罪』

『大赦の専制的性質』

『中世カトリック教会との比較による大赦の腐敗構造について』

『終末戦争の政治性の有無』

『今次大戦の特異性と展開』

『一般市民への情報開示時に予想される混乱とその対策案』

『神樹の消滅による社会的混乱と民衆への心理的影響に関する一考察』

 

このようなレポートや論文が数十稿存在しており、頼人が如何に勤勉であったかよく分かる。

美森は、パソコンの端子に外部記憶装置を取り付け、素早くこれ等の文書をコピーしていく。

その作業と並行して、隠しファイルを開く。

運が良かったらしく、隠しファイルの表示は一般的な方法と変わらなかった。

頼人の情報リテラシーが一般的なレベルから大きく離れてはいないのか、それとも、この部屋の警備を信頼していたのか。

いずれにしても、美森にとっては好都合であった。

やがて、美森は目的のファイルを見つけた。

おそらく、存在するのではないかと話し合っていたそれ。

 

 

『赤嶺頼人が死亡、もしくは現職務を遂行できないと判断された場合の対応マニュアル』

 

 

美森は、櫛をぎゅっと握る。

最近過ぎ去った、誕生日のことを思い出しながら。

 

 

 

 

あの日。

本当は頼人君とも一緒に過ごしたかった。

皆と出会ってから、最初の誕生日だったから……。

けど、頼人君は誕生日の日、時計と……一通の手紙を送ってくれた。

正直、時計よりも手紙のほうがずっと嬉しかった。

内容は、一見すると恋文のようにも思えるようなもの。

私の長所と、それについての好意と感謝。

きっと、いつぞやのことを覚えていてくれたのだろう。

直接口にはしなかったけれど、私が、恋文に憧れていたことに。

だからこうして、手紙を送ってくれたのだろう。

それがどうしようもなく嬉しくて、また……好きという気持ちが強くなってしまった。

時計の意味だけでは、満足できないほどに。

だから、この櫛を欲しがってしまった………。

 

 

 

 

日本において、櫛は苦、死を連想させるため、贈り物にはふさわしくないとされる。

だが、例外となる場合もある。

それは、男性が女性に贈る場合。

 

苦労も幸せも共に過ごし、死ぬまで添い遂げてほしい。

 

昔の日本では、そういうプロポーズのような意味で贈られていたこともあった。

それを、美森は知っていた。

知っていて、求めた。

 

 

……たとえ、頼人君が私だけを見てくれなくてもいい。

それでも、いい。

ただ一緒にいられれば、それだけで……。

けど、それ以上に、大事なことが私達にはある。

それは、頼人君を必ず守ること。

頼人君を幸せにすること。

それが、たとえ―――

 

―――世界を敵に回すことであっても

 

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