樹海に入れる特殊体質の少年(前世持ち)が愛する三ノ輪銀のためにいろいろ頑張る話   作:exemoon

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『芙蓉友奈は語り部となる』とてもいいので、皆も見ようね……!



渚から

甘い。

サーターアンダギーを一口かじると、そんな言葉が漏れ出た。

我ながら語彙力のない感想で、思わず苦笑する。

もう一口かじって、ふと、昔のことを思い出した。

確か、母から聞いたのだったか。

赤嶺は元々沖縄の人間。

家の味噌汁が具沢山なのも、たまにサーターアンダギーやゴーヤチャンプルーを作るのも、その名残だと。

そんな話を何度かされ、ある時、なんとなく聞いてみた。

どうして、赤嶺は四国に移住したのかと。

すると母は────

 

 

 

 

 

 

西暦二〇一七年四月。

機密情報のリークを発端とした社会的混乱は、四国政府にとって悪夢と言える事態にまで発展した。

情報のリークに際し、四国政府はすぐさま諏訪の生存と勇者の存在を公式に発表したが、この対応が、かえって国民の不審感を煽った。

政府のミス、それはあまりにも素直に情報を公表してしまったことだった。

四国政府及び大社は、諏訪の救援作戦については現在検討中であり、報道にあった「諏訪を見捨てる」という情報は誤った情報であるとした。

しかし、記事に記載された、諏訪の生存と勇者の存在は共に真実であったことと、この情報を国が隠していたという事実から、諏訪を見捨てるつもりだという報道もまた、真実のニュースだったのではないかという疑いが国民の間に蔓延してしまった。

国は各種報道機関を使い状況の収拾を図るも、SNSの発達した現代において、世論をコントロールしきれるはずもない。

当然のように、政権の支持率は急落。

四国各地で政治の透明性を求める声は高まり、一部では許可のない反政府的なデモが発生し、機動隊が出動するまでの事態となった。

とはいえ、ここまで事態が悪化した原因は、政府の失策だけではない。

人々の中に蔓延る、社会的な不安が原因であった。

バーテックス出現以後、神樹の存在も相まって、人々の中の政治、経済、宗教的価値観が大きく揺らぎ、人々は何を信じてよいのか分からなくなってきていた。

先の見えない不安、人を食い殺す化け物への恐怖、世界の大半が滅んだという絶望。

これらのストレスに平和ボケしていた日本人が順応できるはずもなく、社会不安は着実に醸成されていった。

だが、これらのストレスや不安は、根本的に行き場がない。

何故なら、相手は物言わぬ化け物。

人間相手のように、暴力的、言論的な圧力はかけらず、それ故に感情の捌け口とはなりえない。

必然、無意識のうちに人々は不満をぶつけていい対象を探す。

そんな中で、このような事件が起きたのだ。

人々の不満の矛先が政府へ向くのは自明の理であり、最早事態は、国が何らかの成果を示さなくては収まらないところまで来ていた。

かくして四国政府は決断せざるを得なくなった。

国民を黙らせ、政府への支持を高める「政治的成果」の為の作戦。

それは、古今東西の統治者が失政を誤魔化す常套手段でもあり、国を崩壊させないための最善の策でもあった。

 

「とはいえ、殆どの職員にとってはいい迷惑だろうな……」

 

そう呟いて、スマホの画面を閉じる。

結局、民主主義といってもこのような動乱の時代では、指導者層の専横は避けられない。

情報統制に国民の声を無視した独断的な政策、国民主権は建前ですらなくなる。

しかしながら、それら全ては非常時故仕方ないと正当化され、割を食うのは政治家ではなく、意志決定権のない現場。

今回の件もそうだ。

元を正せば上のミスであるのに、つくづく面の皮が厚い。

もっとも、こんなこと烏丸さんに聞かれれば、首謀者がよく言う、だとか一番面の皮が厚いのはお前だろう、とか言われるだろうが。

 

「頼人、何か言ったか?」

 

と、そこで若葉から声を掛けられた。

ここは丸亀城の二の丸。

今日は休みなのだが、若葉に「勇者のお披露目も近いので居合を見てほしい」と言われてやってきていたのだ。

なお、ひなたは宿舎で晩御飯の準備を手伝っている。

 

「いや、ちょっとした連絡があって。独り言だよ」

 

「そうか。つまり、よそ見をしていたんだな?」

 

不機嫌な声色。

少し見てなかっただけでこうなるあたり、まだまだ若葉も子供だなと感じる。

 

「悪かったよ。もう一度見せてくれないか?」

 

「……今度は目を離すんじゃないぞ」

 

そっぽを向いてそう言うと若葉は少し離れ、また座構えをとる。

そこから、流れるように腰を浮かし抜刀。

綺麗なものだ。

こういう風に、居合にだけ集中できている時は良い居合ができるのにな……。

立ち会うとよく分かるが、一瞬でも勝負だとかバーテックスについての雑念が浮かぶと、若葉の剣筋は途端に濁る。

やはり、柳生宗矩の言は正しかったのだろうと、つくづく思う。

 

「……どうだ?」

 

「綺麗だったよ。ちゃんと居合になってた」

 

「そうか……!」

 

若葉は嬉しそうに口元を緩ませる。

その笑顔は妙に園子を想起させ、その度に自分が若葉に甘くなっていることに気付く。

居合になるという言葉の重さを、理解していてもなお言ってしまうあたり、かなりの重症だろう。

そうは言っても、治すこともできない。

思った以上に、ままならない。

 

「よ、頼人!だから、頭を撫でるなと……!」

 

と、気付けば、若葉の頭を撫でていた。

まただ。

時折、無意識のうちに若葉の頭を撫でている。

まぁ、理由は分かっているが。

 

「そんなに嫌か?」

 

「嫌というわけでは……」

 

「それならいいだろ?」

 

そうして、若葉の頭を撫で続ける。

若葉の髪の感触は園子の髪に似ており、こうして撫でていると、少しだけ昔に戻れた気になれる。

郷愁と切なさと奇妙な安心感。

いつもこの髪を撫でてしまうのは、その感覚が忘れられないせいだろう。

 

「……もう少しだけだぞ」

 

若葉はぷいと顔を背けると、ぼそりと言う。

随分と反応が変わった。

以前は普通に嫌がられていたが、最近はこうして、頭を撫でることを許してくれる。

距離が縮まったこともあるだろうが、やはり、若葉の気質が原因だろう。

ひなたとの関係を見ていて思ったが、若葉は気を許したものには結構な甘えん坊だ。

もっとも、そういう気質も、周りに人がいない時だけしか見せないが。

 

と、そこで誰かが本丸から降りてくる足音がした。

途端、若葉は俺と距離をとる。

 

「おー若葉に頼人か~。何してたんだー?」

 

欠伸交じりに降りてきたのは球子だった。

服はいつものごとく、制服の上にパーカー。

眠そうにしているところを見るに、どうやら、さっきまで昼寝をしていたらしい。

 

「どうしたんだ土居。伊予島は一緒じゃないとは珍しいな?」

 

「ああ。あんずは多分本屋に行ってるんだ。どーせまた恋愛小説だよ。部屋にあんなにあるのにまだ増やす気なんだ。まったく、タマには理解不能だぞ」

 

若葉の質問に、球子がやれやれと言った様子で肩をすくめる。

 

「なるほど。それで球子は暇だからぶらついていたと」

 

「そういうことだ!」

 

アハハと笑う球子。

だが、そうだとすると……。

 

「そうか。暇ならちょうどいい。私が鍛えてやろう」

 

「へっ?い、いやタマは……」

 

「やることがないんだろう?断る理由はないはずだ」

 

若葉が声を低くして言う。

相変わらず、真面目だ。

 

「た、タマは用事を思い出したからそろそろ行くな!それじゃあっ!」

 

そう言って球子は、走り去っていった。

それを見て、若葉はやれやれと息をついている。

球子のああいう慌ただしいところを、若葉は気にしているのだろう。

 

「まったく、諏訪への救援が決まった今こそ鍛練に集中すべきだというのに」

 

「まあ、気負い過ぎるよりかはいいんじゃないか?」

 

「しかし、勇者のお披露目だって近いんだ。これからは放課後や休日も鍛練にするべきではないか?」

 

再び、若葉の眉間にしわが寄る。

こうして話していると、色々考えてしまって焦るのだろう。

特に諏訪の話となると、白鳥さんと話していたせいか、若葉は他の皆より冷静ではいられなくなる。

気持ちは理解できるが、面倒な傾向でもある。

 

「若葉の言いたいことも分かるよ。けど、そういうお披露目の前だからみたいな考えは、戦を見て矢を矧ぐようなものじゃないか?」

 

「それは……」

 

若葉が口ごもる。

戦を見て矢を矧ぐ。

事が起きてから準備を始めることの愚かさを表現した言葉。

常在戦場を心掛ける若葉としては、無視できない言葉だろう。

 

「そう、だな……。お前に常在戦場だと言ったのだから、私もそうあるべきだった。すまない」

 

「気にしなくていいよ。若葉の気持ちはよく分かるつもりだから」

 

「相変わらずだな……。まあいい。それより頼人、久しぶりに立ち会ってくれないか。どれほど腕が上がったか、確かめたいんだ」

 

「悪いな若葉。このあとちょっと用事があるんだ。また今度な」

 

「なんだ、そうだったのか。どこかに行くのか?」

 

「野暮用だよ、本当にちょっとした」

 

 

 

 

 

「さて、杏はどこにいるかね……」

 

二の門の前で、軽く伸びしながら呟く。

自室で着替えたあと、丸亀城を出てきた理由、それは杏だ。

本屋に行って帰ってくるだけなら、杏はとっくに寮に帰ってきているはずだ。

だが、帰宅時間が近づいているのに、杏はいまだに丸亀城に帰ってきていない。

球子と一緒なら門限ぎりぎりで帰ってくる場合もあるが、杏一人ではこんなに遅くなったケースはない。

別に、杏が門限を破ったりしても気にしないし、自身の『知識』から杏の身に差し迫った危険があるとも思ってはいない。

問題は、杏の帰りが遅くなって、丸亀城の職員たちを含めて探し回るような事態になること。

ちょっとした理由で、連中には遅くまで丸亀城近辺に残ってほしくなかったりする。

他にも、杏を探しに行く理由は色々あるが、主な理由はこれ。

そういう訳で、杏を探しに来た。

 

歩きながら、杏のいる場所を考える。

可能性としては幾つか考えられるが、杏一人でなら、公園で本を読んでいる可能性が高いだろう。

喫茶店などの可能性もあるが、公園だと考えたのは、以前杏から聞いた話が理由だ。

以前、本を読むスポットについての話題になった時、春や秋などの過ごしやすい時期には、公園のベンチで読むのがおすすめだと話していた。

今日は特に天気も良く、気温も比較的高い。

外で本を読むには、うってつけだったと言える。

だとすると、遅くなっている原因は、大方、本に夢中になっていたか、途中で寝てしまったの二択だろう。

そういうわけで、近くの公園に向かうと、案の定杏子はいた。

公園のベンチに座った杏は、文庫本を膝に上に置いて俯いていた。

 

「杏、ここにいたのか」

 

「え……頼人さん?」

 

驚いて顔を上げた杏と目が合う。

その表情にはいつもより元気がなく、頬には涙が伝っていた。

 

「どうしてここに……?」

 

「もうすぐ門限だからさ。心配になって迎えに来たんだ」

 

そう言うと、杏はスマホの電源を入れて、時刻を確認した。

 

「あ……ほんとだ。もう、そんな時間だったんですね」

 

「随分集中してたんだな。それより、どうかした?」

 

「え?」

 

「これ。その本のせい?」

 

俺が自分の頬を軽く指でつつきながらそう言うと、杏は自分が涙を流していたことに気付いたようで、慌てて頬を拭った。

その隙に、俺はその本のタイトルを見た。

 

「『渚にて』……か……」

 

よりにもよって、こんな時代にそれを読んでしまうとは。

それも、勇者である杏が……。

 

「……はい。頼人さんも、読んだことあるんですか?」

 

「うん、あるよ」

 

『渚にて』

二十世紀中ごろに発表されたネヴィル・シュートのSF小説。

核戦争の余波で滅びゆく世界と、人々の最期の生活を描いた作品。

 

「私……この本を読んでいると、すごく悲しくなって……それで読むのを止められなくなって……」

 

「そっか……、それで、ちょっと不安になったんだ」

 

杏は、コクンと頷いた。

彼女は、この世界も『渚にて』のように滅びてしまうんじゃないかと思ったのだろう。

確かに、この国だけでも総人口の九十五%はバーテックスに喰われ、事実上、既に世界は滅ぼされていると言ってもいい。

人類がなすすべもなかった相手に使える戦力は子供が数人。

不安にならない方がおかしい。

だが……。

 

「大丈夫だよ」

 

「え……?」

 

「この世界は絶対そうならないよ」

 

そういいながら、俺は杏の隣に座る。

 

「……勇者がいるから、そう言えるんですか?ですが……」

 

杏が不安そうに言葉を紡ぐが、俺は黙って首を振る。

 

「そういう事ではないな。どうしてか分かる?ヒントは『渚にて』の世界と、この世界の違い」

 

俺は、杏の隣に腰かけると、そんな問いを投げかけた。

 

「え……?違い、ですか?」

 

「ああ、なんだと思う?」

 

「えっと、勇者の存在は違うんですよね?」

 

「ああ。確かにとても大きな違いだけど。他には何かある?」

 

「……世界が滅びかけてる理由、とかでしょうか?」

 

「その心は?」

 

「あの……『渚にて』では、核戦争のせいで世界が滅びかけてて……それって人間の責任とも考えられますよね。けれど、バーテックスの襲来は……って、これは違いますよね。世界がこうなったのは人間の増長が原因って、大社の人も言ってましたし……」

 

杏は途中で言葉を止めて、また俯いてしまう。

 

「いや、杏の言いたいことは分かるよ。普通に暮らしてただけなのに、どうしてって気持ちはよく分かるよ」

 

「頼人さん……」

 

「まあ、回答としては間違いだけど」

 

「やっぱり間違ってるんじゃないですか……」

 

杏が肩をわざとらしく肩を落とす。

 

「それじゃあ、答えは何ですか?」

 

答えというか俺の主観だけど、と前置きしてから口を開く。

 

「人の生きる意志だよ」

 

「人の生きる意志……ですか?」

 

「そう。『渚にて』に出てくる人たちはさ、皆諦めてるんだ。シアトルからの信号に何の意味もないと分かった時ですら、誰も落胆すらしなかった。世界が滅んでいくことを知っても、誰も抗おうとはしなかった。だから、最後は皆、毒薬を口にした」

 

そう。

彼らは滅びを受け入れ、ただ、平穏に命を終えていく。

来るはずもない来年の話をしながら、死にゆく花を植えて。

それ故に、あれほど静かな結末を迎えた。

 

「……けど、この世界はそうじゃない。多くの人達が頑張ってる。戦ってる。四国でも、諏訪でも。それぞれの明日を生きるために。この差は、決定的だと思うよ」

 

「……ですが、それは勇者がいるからじゃないんですか……?」

 

「確かに、勇者や神樹の存在がなかったら、ここまで事は簡単に運ばなかったかもしれない。けどね、神や勇者がいたところで、人の中に生き抜こうとする意志がなかったら意味がないよ」

 

人類の大半を殺した化け物相手に、使える戦力が子供五人だと聞いて、普通はどう思うだろうか?

客観的に見れば、勝てるはずがないと思うだろう。

だが、それでもこの時代の人間は彼女たちに賭けた。

毒杯を(あお)ることよりも、無様に足掻くことを選んだ。

 

「それじゃあ……それじゃあ頼人さんは、生き抜く意思があれば、この本の結末は変わってたっていうんですか?」

 

「そうは思えない?」

 

「正直……」

 

「それじゃあ、あの世界で人々はどうすればよかったか考えてみよっか」

 

「ええ……?」

 

少しふざけた様子で言ってみると、杏は困惑した様子を見せた。

当然の反応だろう。

この作品の主題は、終末を迎える人々の営みであって、どうしたら滅びなかったか、みたいな話は本来ナンセンスだ。

だが、話のタネにはなる。

 

「そうだな……。あれに出てきたのはコバルト爆弾だったから……大体三十年ほど耐えれば放射能は消えて地上で暮らせるわけだ。その間、地下都市でも作ってそこで耐えればいい」

 

「えっと、エネルギーや食料、それに空気はどうするんですか?」

 

「原子力潜水艦があっただろ?あれの原子炉をエネルギーに使って、人口電灯で作物を育てればいい。部分的に地下都市と海を繋げておけば、原潜の機能で真水も酸素も作れる。ふむ。意外といけそうだな……」

 

「ふ……ふふふっ。頼人さん、真面目な顔して、何言ってるんですか?さすがに無茶すぎますよ」

 

俺の無茶な意見を聞いて、杏はおかしそうに笑った。

 

「やっと笑った」

 

「え?」

 

「さっきから暗い顔ばっかりだったから。やっぱり、杏には暗い顔はあまり似合わないと思うよ」

 

「そ、そうですか?」

 

「そうだよ。そっちの方が可愛いよ」

 

そう言うと、杏は顔を赤くして俯いた。

 

「杏の言う通り無茶かもしれないけどさ、それでも、そういう可能性を信じてみるのは悪くないんじゃないか?そうやって、人間は長い歴史を生き抜いてきたんだから。それでも不安なら、こう考えればいい。パンジャンドラムを作るような人間の未来予想図を信じてたまるか!って」

 

「そ、それはネヴィル・シュートに失礼じゃないですか……?それにパンジャンって……」

 

「パンジャンドラムを知らない?イギリス屈指の迷兵器。爆薬詰めたドラムを車輪で挟んで───「すみません。そこは聞いてません」ああ、そう……」

 

パンジャンの説明をしようとしたら、食い気味に打ち切られた。

よほど興味がないらしい。

 

「今のは冗談。けど、悲観しすぎないほうがいいのは確かだよ。物語の中ではひどい核戦争が起きてしまったけど、実際にキューバ危機が起きた時、ソ連もアメリカも核のスイッチは押さなかった。人間は愚か、みたいな話は多いけど、それでも最後の一線を守ってきたのも人間なんだから」

 

「頼人さん……」

 

「大丈夫。そう簡単に人類は滅びはしない。少なくとも、杏と球子は俺が守るから」

 

歯の浮くようなセリフを吐いた直後、杏のスマホが音を鳴らした。

しかし、杏はぼうっとした様子で、電話に出ようとしない。

 

「杏、電話来てるよ」

 

「あっ、そ、そうですね……!」

 

俺の声で、杏は慌ててスマホに手を伸ばし、通話を始めた。

電話の相手は球子だろう。

どうやら、帰りが遅いので心配してかけてきたようだ。

腕時計を見れば、門限を微妙に過ぎてしまっていた。

思ったより話し込んでしまったらしい。

そんなことを考えていると、杏は電話を終えて、スマホをポケットにしまった。

 

「ごめん杏。俺が引き留めたせいだな」

 

「い、いえ、私もうとうとしてて、頼人さんが来てくれなかったら、きっと寝ちゃってましたから」

 

「そっか。なら、探しにきて正解だったよ。……それじゃあ、帰ろうか」

 

手を差し伸べると、杏は躊躇いながらも手を取った。

 

 

 

 

 

 

目の前には、薄暗い雲と鈍色にくすむ海。

そして、瀬戸大橋の威容。

ゴールドタワーの展望フロアに来ても、結局頼人が目を向けるのは、瀬戸大橋だけだった。

どこにいても無意識に目で追ってしまうのは、未練か、感傷か。

きっと、本人にもわからないだろう。

ただ、頼人は黙って瀬戸大橋を見つめ続けていた。

その背に、久美子が声をかけた。

 

「随分と暇そうだな」

 

「……ええ。何しろ学生ですから」

 

隣に並ぶ久美子に見向きもせず、頼人は答えた。

 

「そちらは逆に、随分忙しそうですね。やっぱり、責任者は辛いですか」

 

「ああ。お前に殺意が湧くくらいには」

 

言葉とは裏腹に、烏丸の言葉に怒りはなく、ただ気だるさや疲れのようなものしか感じられなかった。

事実、疲労しているのだろう。

諏訪への救援の実施が政府内で決定すると、各省庁の消極的権限争いが激化し、最終的にバーテックス関係はお前の仕事だろうと大社に丸投げ。

端から作戦が成功すると思っていない大社の面々は諏訪撤退作戦の立案を理由に、久美子を半ば強引に責任者に任命。

結果、烏丸久美子は諏訪撤退作戦の事実上のトップを務めることとなった。

元とはいえ、勇者を導いた巫女であった烏丸は神官としての格は高く、首切り用の責任者として、これ以上ない人材であった。

大社の老人との対立が深まり、彼らから邪魔だと思われていたのも、この人事の決定に一役買った。

 

「で、話はなんだ?これでも忙しいんだ。手早く済ませろ」

 

「慌てないでください。きっと、烏丸さんも知りたがってることですから」

 

「はぁ……撤退作戦か」

 

「やっぱり分かってたんですね」

 

「当たり前だ。今の作戦には、致命的な欠陥がある。おかげで鎮守庁や善通寺でも、現状の作戦成功率があまりに低すぎると問題になっている」

 

「どうせ、滑走路の問題でしょう」

 

「ああ。松本ではすべての住民が避難するには時間がかかりすぎる。いくら陽動で事前に敵を引き付けても、これでは被害は避けられないだろう。滑走路が結界の外であるからなおさらな」

 

「まあ、二千が一本ですからね。無理もありませんよ」

 

滑走路の数は輸送量に直結する。

特に、松本空港の規模では、一度に待機できる機体は非常に限られており、一日に輸送可能な人員は決して多くはない。

さらに、電力供給が途絶えているため、夜間の離着陸もできない。

夏至の最も日が長い一日ですら、輸送可能な人員は多く見積もって三万と言われていた。

十万もの人員を輸送するには、最低でも四日はかかる。

冬季の実施となると、さらに時間を要するだろう。

問題は滑走路の本数だけではない。

松本空港は日本の空港の中で最も標高の高い場所に位置しており、そのため、空気密度の影響により推力が他の空港に比べて低下し、機体の重量制限が厳しくなる。

松本空港の滑走路の長さが2000Mと比較的短いこともあり、大型機での離着陸は難易度が高い。

日本一着陸の難しい空港とも言われるだけのことはある。

また、バーテックスの支配地域では、パイロットに精神的に非常に大きな負担がかかることは明らかであり、事故の危険性についても、言及されており、大社の人間が、作戦の失敗を確信するのも、当然のことであった。

しかし───

 

「ただ、その点はご心配なく。解決方法はあります」

 

「解決方法、か……。プロの連中が出せない案を出せると?」

 

「仕方ありません。自衛隊はあくまでも軍事のプロですからね。寿司職人に牛を解体させようとするようなものです」

 

「よく分からん例えを……。元はお前の案なのに、よく言えたものだよ」

 

烏丸は辟易した表情で吐き捨てる。

 

「これは分かりやすさを重視した常識的な作戦ですからね」

 

「これで常識的か……。で、お前の考えは常識的でないと?」

 

「ええ。勇者システムを最大限活用します」

 

「勇者の力なら、十万人を簡単に逃がせるとでもいうつもりか?そこまで便利なものとは聞いてないが」

 

「今回考えてるのはその裏技みたいなものです。説明……の前に、河岸を変えましょうか。新鮮な空気が吸いたくなりました」

 

「人目に付くぞ。いいのか?」

 

「構いませんよ。外に出たくらいですべてがばれるなら、どこにいたって変わりませんし」

 

そう言うと、頼人はエレベーターへ向かって歩き出した。

 

 

 

 

「おい、いつから私たちは恋人になったんだ?私はガキに興味はないんだが?」

 

移動した先は、隣の臨海公園。

「恋人の聖地」としても知られる場所だった。

 

「ここからの眺めが好きなだけですよ。すみませんが、恋人なら他をあたってください」

 

「いちいちむかつくことを言うな。……で、話の続きだが」

 

久美子は鼻で笑うと、本題に戻った。

 

「『切り札』のことは?」

 

「大雑把にはな。勇者システムを介して神樹に蓄積された概念的記録にアクセスし、抽出。そして、抽出した力を、勇者の体に顕現させる技術……だったな?」

 

「ええ。言ってしまえば、降霊術みたいなものです。ただ、人外の化け物を直接宿す以上、現れる力もその危険性も月とスッポンですがね」

 

「狐憑きのようなものか……。で、どう使うつもりだ?」

 

「これを」

 

頼人は、カバンの中から書類の束を取り出し、烏丸に差し出した。

 

「用意していたのか」

 

「当然です」

 

受け取った書類をめくっていくと、徐々に烏丸の表情が変わっていった。

書類に記載されていたのは、諏訪湖が完全に凍結した場合の推定耐荷重と、航空機が着陸した際の活荷重並びに、精霊、雪女郎の性能等の推定データ。

つまり……頼人は、諏訪湖を巨大な滑走路とするつもりだった。

 

「正気か?こんな作戦、夢物語だと笑われるぞ」

 

「想定通りに事が運べば、理論上、数十機単位の着陸も可能だと、複数の研究機関からお墨付きをもらっています。極地での前例だってあります」

 

頼人の想定した作戦はまさしく常識外のそれであった。

作戦予定日は一月中旬。

まず、諏訪湖を雪女郎の力で完全に凍結させ、さらにその上に、大量の雪を降り積もらせる。

そして、降り積もらせた雪を湖全体に敷き詰め、ローラで踏み固めることにより滑走路にする。

あまりにも狂気的な作戦であったが、頼人には勝算があった。

まず、精霊の威力。

頼人は『記録』を通じて、雪女郎の詳細なデータを得ていた。

雪女郎の威力は、バーテックスを完全に凍結するほどに高く、その効果は、丸亀市全域を覆うほど広範囲に及んだ。

諏訪湖の面積が13.3平方キロメートルであるのに対し、丸亀市の面積は111.8平方キロメートルとおよそ八倍。

諏訪湖を完全凍結させ、その全域に雪を降り積もらせることは可能だと考えられた。

また、裸氷上に薄く雪を敷き詰めローラで踏み固めるという工法は、南極の米マクマード基地において実際に使用されており、夏季においても運用している前例がある。

実際に、C-141、C-17グローブマスターⅢ、C-5ギャラクシーなどの大型輸送機の離着陸も、夏季に実施されていた。

氷が融けるのではないかとの懸念もあるが、2013年の南極昭和基地の一月(南半球なので夏)の平均気温は0.8度、最高気温は8.6度。

対して、2013年一月の諏訪の平均気温は-2.5度、最高気温は7.1度。

気温という面では問題なく、短期間であれば地熱の問題もぎりぎり何とかなるというのが、研究機関の結論だった。

だが、最大の問題は別にある。

 

「想定通りなら、だろう。いくら勇者だとは言え、一個人がこんな力を使えると本気で思っているのか?そもそも、お偉方が信じるはずがない」

 

そう。

いくら理論上は可能とはいえ、湖を滑走路にするなんてこと、ほとんどの人間は信じられないだろう。

それに、不安要素もあった。

諏訪と南極では前提となる環境が違いすぎる。

天候など環境面の違いが、作戦にどこまで影響を及ぼすのかは未知数であり、反対されるであろうことは目に見えていた。

だからこそ……。

 

「だからこそ、テストが必要なんですよ」

 

「実験だと……?」

 

「ええ。最初に、自分が起動テストを行います。そこでシステムの動作確認をした後に、彼女の精霊の性能実証テストを行います。実験場所の第一候補は仲多度郡の満濃池。そこが一番性能を見るのに適していますから」

 

「その実験一つするために、どれだけの手間がかかるか分かっているのか?もし成功しても、自然破壊だと言われるだろうし、非難は避けられないぞ」

 

「分かってますよ。それでも必要なんですから仕方ありません。この世界に、勇者を見殺しにできる余裕はないんですから。それとも、ほかに代案が?」

 

そう言われると、流石に久美子も押し黙るほかなかった。

沈黙が辺りを支配する。

 

「……お前、こうなることが分かっていたな。最近、伊予島杏との距離が近いと噂を聞いてはいたが、それもこのためか。作戦のために勇者を口説くとはな」

 

「人聞きの悪いことを言わないでください。元気がなかったから励ましてあげただけですよ」

 

「よく言う。だが、そうなると土居球子はどうする。確実に反対するぞ。諏訪まで同行させるつもりか?」

 

「いえ、折衝は自分がする必要がありますし、諏訪の人たちの信用に外の埋蔵金も欲しいので、諏訪には自分と杏の二人だけで向かうつもりです」

 

三人で、というわけにはいかない。

諏訪撤退作戦発動時には、同時に勇者二名を陽動に使う手はずで、四国防衛のためにも二人は丸亀城に残らなくてはならない。

そして。頼人は球子を連れていくつもりはなかった。

 

「……拗れるぞ。万一、土居球子が勝手に追いかけてきたらどうするつもりだ」

 

「それを理由に安芸真鈴さんを丸亀城に来させます。年長者ですし、作戦期間中くらいは球子を抑えていてくれるでしょう。暴走抑止なら、上も許可を出すはずですしね」

 

「わざわざ安芸を引き込んだのはそれが理由か……。くそ、一発殴らせろ。そうでないと割に合わん」

 

「子どもに殴らせろとは、良識を疑いますよ?」

 

「お前が子どもだとは、面白い冗談だ」

 

「さっきはガキには興味がないとか言ってませんでしたっけ?」

 

その言葉を聞くと久美子は軽薄に笑い、頼人に背を向けた。

 

「……もういい。話は済んだんだ。私は帰るよ」

 

「分かりました、と言いたいところですが、もう一つ大事な話がありまして」

 

「おい……また厄介ごとか」

 

「一応、朗報だと思いますよ」

 

「言ってみろ」

 

久美子は、頼人に背を向けたまま促した。

 

「沖縄にも勇者と生き残ってる人がいます。陽動も兼ねて、諏訪と同じタイミングで回収しますので、そちらの準備のほうをお願いします」

 

「……………は?」

 

久美子は思わず振り返った。

 

「さしあたっては、人口の調査と連絡手段の確立が必要なので、船の用意と調査要員の確保を。海自や海保あたりが使えるはずです。あと、実戦訓練も兼ねて友奈と千景、それに巫女として美佳もつれていきますので」




赤嶺は元々沖縄の人間。
沖縄を脱出する時に、ある勇者に守られて無事に港を出て、四国に逃げ延びた。
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