ただし枕という枕詞が入る。
「千聖さん、お疲れ様です。今日のお仕事はこれでお終いですね」
「西さんもお疲れ様。車を回しておいてもらえるかしら」
「はい」
芸能事務所でマネージャーとして働き始めて2年。
1年目は先輩マネージャーについて回り、どんな仕事をするのか、問題が起きた時どんな対応をするのかをひたすら学ぶ年だった。
あっという間に1年が過ぎ、まぁそろそろ1人でも大丈夫だろうとゴーサインが出て担当を任されたのは新人アイドルや所属したばかりの俳優ではなく、女優でアイドルの白鷺千聖だった。
俺みたいなまだ新人マネージャーでいいのかと上に尋ねたが、問題ないとの一言で終わり、それから半年程この華奢で可愛らしい芸能人と仕事をしている。
練習量から努力家な面が窺い知れ、素直に尊敬の念を抱くし、それが世間からの評価や仕事にも繋がっているのだと何もしていない俺もつい誇らしい気持ちになる。
少しでも千聖さんのサポートができればいいとは思っているのだが、それが叶う日はいつになることやら。
「行き先は家でいいですか?」
「えぇ。安全運転でお願いね」
車を回し、言われた通り安全運転を心掛け千聖さんの家へと向かう。
練習をする日は事務所に戻ったりもするのだが今日は疲れてしまったのかもしれない。
車内でも体を休められるように口を噤んで運転に集中する。
その数分後。
ピコン、と静かな車内に電子音が響く。
千聖さんの携帯だろう。
家に着くのをじっと待っていた千聖さんが動く衣擦れの音がして、バックミラーには携帯の画面の明かりに照らされた千聖さんの顔が浮かび上がる。
その顔は仕事場では見ない、無表情だ。
「西さん、申し訳ないのだけれど、行き先を変更してもいいかしら?」
「大丈夫ですよ。何処ですか?」
「此処にお願いします」
道路の端に停車し、千聖さんの携帯に示された住所をナビに入力する。
その住所は見覚えがある。この半年の間に度々彼女を送り届けている場所だ。
其処以外にも時々俺は彼女を指定された場所に送っているのだが、そのどれもが高級マンションの前であったり、高級住宅街の一角であったりする。
こんな所に住んでる人はどんな人だろうと千聖さんに何方のお家ですか、と尋ねた時は知り合いの家よと濁して答えられた。
大っぴらに外を出歩くことも難しいのだろうし煌びやかな業界ではあるからホームパーティーみたいなものでもしているのだろうと考えて納得していたが、先程の表情は知り合いの家に遊びに行く人がする表情ではない。
疲れているのに付き合いで行かなければならないのならばそりゃあ表情も死んでしまうが。
「何回か来ていますが、仲が良い方なんですか?」
「そんなのじゃないわ。ただのお付き合いよ」
「疲れていたり気が乗らないのならお断りしてもいいと思いますけど」
「そういうわけにもいかないのよ。これも仕事の内だから」
「仕事の内、ですか」
千聖さんの仕事の内なら当然俺にも関わって来ることだ。
今まで友人とのプライベートだと思い聞かないでおいたことが悔やまれる。
近づきつつある目的地に、もう少し話が聞きたいと僅かにスピードを緩める。
「仕事の内なら、俺も同席した方がいいですよね」
「大丈夫よ。着いたら西さんは帰って」
「でも、仕事なんですよね?」
「えぇ。でも私が個人的にしてる営業だから、あなたはいいの」
「え、」
営業。
芸能人がマネージャーも連れず個人宅に営業に行くなんてあり得ない。
驚きで思わずアクセルから足が離れかけるが事故を起こすわけにはいかないと再び道路の端に車を寄せ停止する。
今はバックミラー越しでも千聖さんの顔を見られない。
「それって、枕営業、じゃないですよね……?」
「さぁ、どうかしらね」
「さぁって……否定しないんですか」
「……あなたがどう思おうと構わないの。車を出してもらえるかしら?」
「じゃあ勝手にそういう前提で話をします。千聖さん、そんなことやめましょう」
「そんなこと?」
千聖さんの声音が変わる。
面倒そうに相手をする声から、明確に攻撃性を孕んだ声へ。
「私がどんな思いで仕事をもらってるか、この半年何の仕事も持って来ていないあなたにわかるの?」
「それは次々仕事が入るので、詰め過ぎても千聖さんに負担がかかると思って……」
「だったらその先の仕事を取ればいいだけなのに、あなたはそれもしなかった。するのは現場への同行と送迎くらい。スケジュールは自分で把握できているし、日替わりでマネージャーが交代しても大して困りもしないでしょうね。……そんな人に私の努力を『そんなこと』って否定される筋合いはないわ」
「でも枕営業なんて千聖さんが傷つくだけじゃないですか!」
「だったら、あなたが代わりに頑張ってくれるの?死ねと言われれば死んででも私に仕事を持って来られる?」
「それは、」
「あぁごめんなさい。私もそれはできないわ。死んだら仕事をもらっても意味ないものね。この場合、自分より40も歳の離れた相手と肌を重ねられるか、かしら。勿論嫌々ではなく喜んで、相手に尽くさないといけないの。ねぇ、できる?」
直接的な表現は取られていないがそれだけで千聖さんがどんなことをさせられているのか想像はつく。
そんなことは、彼女の仕事ではない。
彼女の言う通りマネージャーである俺の仕事なのだ。
覚悟を決めて、できますと答えるがそれに被せて彼女は言葉を続ける。
「でも残念ね。あなたに需要はないのよ」
「……ちゃんとした方法で、仕事を取って来ます。だからもうそういったことは、」
「あなたが今みたいな大きな仕事を連続して持って来られるの?この仕事は少し期間が空いただけで最近見なくなったね、なんて言われるの。そのまますぐに忘れ去られてしまう。実力があってもいくら努力しても機会を得なければ意味がないの」
車を出してくれないならもういいわ、と千聖さんがシートベルトを外しドアを開ける。
目的地は近いので歩いてでも行くのだろう。
引き留めても、一笑に付されて終わるのだろう。
「一応、20代半ばの男性を必要としてる人がいないか訊いてみるわ。お疲れ様」
「千聖さん」
「また明日ね、マネージャーさん」
バンとドアが閉められて1人残された俺は小さくなる背中を見詰めることしかできなかった。
性格的にしていても千聖は言わなそうですが、敵意高めということで。