話して済むなら連絡でと言われたのに呼び出したのは返事をする暇もないのなら会って話すしかないと思ったことと、まだ続くなら対価を払え、という下衆の考えでだ。
教師の話が終わり解散になるとすぐさま席を立ちホテルへと向かう。
弦巻のクラスは先に帰っていたようだったのでもう着いているだろうかと解錠し部屋の扉を開けると。
「あら智昭、会いに来てくれたの?」
扉の直線上にあるソファに腰掛け、金の散切り前髪の女が笑って、俺を出迎えた。
体が瞬時に動きを止め、扉を開いたままの状態で向かい合う。
傍から見たらおかしく思うだろうがラブホテルでもあるまいし顔を合わせて気まずい思いはさせないだろうと中に入ることはしない。
弦巻が此処にいるということは、バレたのだろう、色々と。
それをわからない振りをして弦巻に尋ねる。
「何で此処にいるんだよ」
「あたしがいたら変かしら?だって此処、うちの家が借りてる部屋なのよ?」
「そうかい。俺は間違った鍵を渡されたみたいだからフロントに戻るわ」
「鍵を間違えちゃうなんて、うっかりさんなホテルマンね。それで、智昭は誰とホテルに何の用だったの?」
「お前には関係ねぇだろ。じゃ、ごゆっくり」
身を引くようにして扉を閉めると全力で走り出す。
あたしもついて行くわ、なんて可能性が0ではない。
フロントに駆け戻り鍵を突き返すと外へ出る。
その勢いのままホテルから離れ、クーに電話をかける。
呼び出し音が延々と鳴り、出る気配はない。
メッセージも電話も無視するとはいい度胸だと盛大に舌打ちをするが、それでアイツと連絡が取れるわけでもなく。
アイツの家など知る由もなく、本名を知らないので探しようもない。
俺が知っている範囲でアイツがいそうなのは、1番は弦巻の傍か弦巻の家だろうか。
どちらにも行ったら逃げられなくなりそうなので行けはしない。
俺が来ると踏んで学校に残ってはいないだろうかと学校に戻りあちこち探したが、黒い服の女は見当たらない。
アイツと会ったのなんてほぼホテルで、他に会えそうな場所は、あと1ヶ所だけだ。
学校で時間を食い過ぎた所為で辺りは薄暗くなって来る中急ぐのは公園である。
2度とも俺の後をつけて来ただけなのでいるとは思わなかったが、頼りない外灯に照らされた、座って緩くブランコを揺らす女の姿を見つけた。
纏う服は見慣れた黒服ではなく、シャツにジーンズというラフな私服だ。サングラスもつけていない。
素顔を知らなければ知らない奴と気に留めなかっただろう。
おい、と声をかければ此方を見てふっと笑う。
「遅いです。待ちくたびれました」
「何度も連絡しただろうがよ……」
「あなたと連絡を取ることを禁止されたので。こうして会うこともですが……偶然ならば仕方ないでしょう」
「接触禁止だけか?」
「……クビになりました」
「うわ、無職じゃん。やってけんの?」
「いけるわけないでしょう。昨日クビになってすぐ求人に応募しましたが、夜中にもかかわらず何故か即座に不採用の通知が来ました」
「あー……。俺と寝てたわけだし、そういう仕事は?それも駄目かもしれないけど」
「しません」
「どうすんの」
「……実家に帰ろうかと。あちらでは仕事が見つかるかもしれませんから」
「かも、ねぇ……。ま、良かったじゃん。もう俺に呼び出されることもなく、我儘なお嬢様に振り回されることもない」
「……そうですね」
すっと立ち上がると、クーは俺を見詰めて少し頭を振り、視線を地面へと落とした。
「偶然ではありますが、折角なので最後の挨拶をさせて頂きます」
「恨み言じゃなくていいの」
「……あくまで私がこころ様の為を思い自分で判断したこと。恨む筋合いはないでしょう」
「俺があんなこと言い出さなければ、とか、何かないの」
「ありません。……短い間でしたが、お世話になりました。お元気で」
「あぁ。そっちもな」
あの日と同じように、俺に背を向けて歩き出す。
違うのは俺がついていかないこと。
振り返らずに元黒服は見えなくなって、俺も家へと帰って、寝て。
次の日、朝1番に弦巻のクラスへと足を運んだ。
「弦巻、いるか」
「智昭、おはよっ!あなたが来てくれるなんて初めてね!嬉しいわ!」
「少し話そうぜ」
「えぇ!少しと言わず、いっぱいお話ししましょ!」
裏庭まで行くのが面倒になり、朝からは使っていないだろうと空き教室を探して其処へ入る。
何人かが物珍しそうに見ていたがもうどうでもいい。
「一昨日、誰かクビにしたらしいけど、理由は?」
「どうしてそれを智昭が知ってて、気にするの?」
「いいから」
「……勤務時間中に怠けていたようだったから、職務怠慢で、かしら」
「そういうのって普通最初は注意から始めんじゃねぇの」
「注意したら退職願を出したから受理したらしいわ」
笑って、笑って、嘘を吐いている。
本当に気に食わない。吐き気までして来る。
「辞める時もその後も、そいつとか周りに圧力かけてないよな?」
「さぁ?知らないわ」
「あっそ」
今コイツの顔を殴れたらさぞかしすっきりするだろう。
あぁ、顔はわかりやすいから駄目だ。腹に思い切り拳をめり込ませられたら、か。
俺のことが好きだというのなら一発、いや、五発くらいは許してくれないだろうか。
そういうプレイを好むカップルだってこの世にはいるのだろうし。
しようとしている提案の成功率に係わりそうなので頭の中で何発でも気が済むまでやらせてもらうことにして。
「弦巻。お前俺のことどれくらい好きなの」
「い、いーっぱいよ!表現しきれないくらい!」
「じゃあ、付き合ったら俺の頼み叶えてくれたりする?」
「えっ、付き合ってくれるの!」
「こっちが訊いてるんだよ。で?叶えてくれんのか?」
「えぇ!勿論よ!何でも言ってちょうだい!」
「……おーけー、だったら付き合ってやる」
やったぁ!と抱きついて来る弦巻を俺はもう振り払えない。
どうしても嫌なことは嫌だと言うが、付き合う範疇ですることは拒否できないだろう。
「早速だが1つめの頼みだ。今まで渡して来た金、1日100万にしろ」
「わかったわ!今日は2万円しか入れてないから、足りない分は明日の分に入れておくわね!」
「あともう1つ。誰のこととは言わねぇけど、圧力かけんのやめてやれ」
嬉しそうだった弦巻がピクリと反応する。
上目遣いで此方を見上げる顔はいじけているようにも、不安がっているようにも、僅かに怒っているようにも見えた。
「……智昭は、やっぱりあの人のこと好きだったの?」
「んなわけねーだろ」
「そう……そうよね。安心したわ!」
ぐりぐりと頭を押し付けられて不快だが、やめるように言ってあげる、と了解は得た。
先程のように嘘だったら俺との約束を破ったと切り捨ててやればいい。
恨まれはしなかったが恨まれた方が気が楽なことも多々あるもので、弦巻家の黒服に就けて安泰だった将来を俺が壊してしまったことに罪悪感を覚えないわけではない。
毎回俺の所為にしていたくせに、最後は自分の所為と言っていなくなったアイツへの餞と小さな罪滅ぼしだ。
いつも会っていたやつが弦巻にすり替わるだけだ、問題はない。
「やっぱり辞めてもらって正解だったわ。智昭が手に入ったもの!」
あぁ、やはり辞めさせた、が正しかったか。
純粋そうな顔して平然と嘘を吐きやがって。
今までなら思ったままに口に出していた文句ももう吐き出すことはできなくなったのだが、それでもいい。
正直俺の何処が良いのかわかっておらず人間的魅力もないと自分で思っているのだが、精々もっと好意を寄せてもらおう。
その時は泣くのでは済まないくらいボロボロにして捨ててやる。
それまでは好きにさせてもらうし、弦巻も勝手に甘い一時に溺れればいい。
「ねぇ、付き合ったのだから、苗字じゃなくてこころって呼んで?」
「……こころ、そろそろ朝のホームルームが始まるぞ」
「もうっ、もっと智昭といたいのに、学校って面倒ね!」
何かの為に心を擦り減らす感覚はこんな感じだったのだろうかと、最後に見た後ろ姿を思い浮かべた。
こころはこれで終わりになります。
1話目の西が1番モデルのイメージに近い気がします。