ありかす風です。
他人の目を見るのが、苦手だ。
目は口程に物を言う、とはよく言ったもので、言葉にされなくても目を見ればありありと感情が映し出されている。
それは嫌悪であったり。侮蔑であったり。嫉妬であったり。嘲りであったり。
笑顔でも目が笑っていないなんてことは日常茶飯事だったのだが見慣れることはなく、人を見ずに話すようになった。
それを失礼な奴だと捉えて離れていくようなら離れればいい。
無理をしてもお互い疲れるだけだ。
このままいつでも人と距離をとって、何事もなく進級して、卒業して、大学に入ってまた卒業して、適当な会社に入ってそれなりの人生を送るのだと思っていた。
しかし、アイツは真っ直ぐな目で見詰めて来て、隔てた壁をぶち壊して来て。
陥落して、しまったのだ。
いつの間にか居心地がよくなって、手放せなくなって、欲してしまった。
それに応えてもらえた時の幸福感たるや、言葉では言い表せない程だった。
今でも色褪せることなくその時のことは思い出せるし、感動も変わらない。
気持ちが変わらないことは良いことに決まっているのだがそれは行動にも表れてしまっており。
「ありさ……実は、赤ちゃん、できたみたい」
爆弾が投下された。
「は、はぁっ!?ちょま、私たち、女同士だぞ!!」
「え?でも付き合ってるよね?」
「付き合ってるし確かにそういうこともしてたけど……!!無理なもんは無理だろ!」
「……してる時赤ちゃん欲しいなって神様にお願いしてたから、叶えてもらえたのかも?」
「っ、そんなこと、考えてたのかよ」
「うん。だから……産みたいな」
私との子供が欲しいと考えてくれていたのかと胸が熱くなったのは一瞬で、すぐ冷たい現実に引き戻される。
私たちは社会人などではなく受験を控えた高校3年生で。
今は卒業間近というわけでもなく、6月の終わりだ。卒業まで半年以上ある。
この時点で妊娠がわかっているのであれば、夏の終わりか秋頃にはお腹が目立ち始めることだろう。
卒業の前にはもう子供が生まれていることにもなる。
問題は生まれるまでだけではない。生まれた後もだ。
香澄も私も進学するつもりで過ごしていた。
仮に子供が生まれた後は親御さんに面倒を見てもらうにしても、悪阻もあるのに香澄は受験勉強を続けられるだろうか。
私は香澄の心配をするだけで、大学に進んでいいのか。
高卒で就職をするならば、今は活動時期ぎりぎりだ。
香澄と子供を養っていくならば、早々に切り替えていかなければならない。
ぐちゃぐちゃとした思考で潰されそうになる中で香澄が不安そうにしていることに気づいて、とりあえず、親御さんに頭を下げに行かなければならないと思った。
香澄の両親の反応は、初め何とも言えないものだった。
それはそうだ。
まず娘が異性ではなく同性と付き合っていたというのも驚きだろうし、そうにも係わらず身籠っていると聞かされてもどちらも俄には信じ難い話だろう。
香澄自身からも本当のことであると話し、信じ切っていなくともその前提で話を進めてからは凄まじかった。
ドラマにもありそうな、母は泣き、父は声を荒らげ、だ。
高校在学中に何をしているのか、今後どうするつもりなのか、と。
床に手をつき頭を下げ、私は進学せず就職すること、許してもらえるなら卒業後は部屋を借りて香澄と生まれて来る子の3人で暮らしていきたいことを説明していく。
これは香澄と話し合って決めたことだ。
香澄の卒業はまだ学校に相談していないのでどうなるかわからないし籍も入れられないが、私が香澄と子供を守っていく。
ばあちゃんは歳も歳なので部屋を借りるにしても香澄の両親に迷惑をかけてしまうかもしれないが、どうしようもない時以外は自分たちの力でやっていくということも。
そう上手くいくはずないだとか、考えが甘いだとかも重々承知の上で、ひたすら、頭を下げ続ける。
香澄にはもう、新たな命が宿っているのだ。一緒に暮らすことはさておき、産むことは認めてもらいたい。
それまではこの場を動かないつもりで、長い間床を見詰めていた。
動かない、と思いはしたものの流石にトイレに行きたくなってしまった、不味い、と焦り始めた所でタイミング良く、溜め込んだ息をふぅっと長く吐き出すように香澄の父親は許しを出してくれた。
3人で暮らしていくことも。しっかり、支えあっていくようにと。
香澄の家から帰って私は其処でようやく、ばあちゃんに香澄のことと今後のことを話した。
ばあちゃんは私の話が終わるまでじっと聞いていて、そう、とだけ言うとその後は何も言わなかった。
責められるかと思ったが予想外の反応に拍子抜けしたが、そうされるのはきっと私が香澄たちを守れなかった時だろう。
まだ許しをもらっただけで何も始まっていないのだから。
それからはとにかく、忙しかった。
進学ではなく就職となると、まだ募集をしている企業は数える程しかない。
いきなり進路を変更することも教師に反対されもした。
事情を説明すれば可笑しなことを言っていると馬鹿にした目をされ、あぁ見てしまったと逸らすが変更は取り消さない。
募集がある企業に片っ端から応募し、それぞれの志望理由を考え、面接の練習も行って。
民間企業は悉く駄目だったが、何とか役所の内定を受けることができ、一先ず卒業後の収入は確保することができた。
今の内に少しでも貯金をしようと飲食店でアルバイトも始めた。
学校に行かない日はフルでシフトを入れたかったのだが、高校生が頻繁に昼間から働いているなんてサボっているとばれてしまうだろう。
フリーターだと思われればまだ良い。
しかし役所関係の人に知られ内定が取り消しにでもなったら困る。
やむなく平日は学校が終わる頃の時間から働き、休日はがっつり働くことにした。
香澄はというと、退学や休学ではなく、卒業をさせてもらえることになった。
退学者や留年者をあまり出したくないという思いだとしても有難い。
ただ、他の生徒と全く同じというわけには勿論いかない。
お腹が目立ち始めたら時間帯をずらし保健室登校をして、保健室の中でも目立たないよう、なるべく生徒の目に触れないように、だそうだ。
隠されるようなこと、という扱いで言いたいことはあるが、ぐっと飲み込む。
香澄もそれで全然いいよと笑っていたのに私が文句をつけて決まったことを拗れさせるわけにはいかない。
黙って働いて。働いて。香澄と過ごして。
昨日検診に行ってね、と切り出した香澄からお腹の子は女の子だと聞かされる。
私に似て可愛い子だろうなと返せばそうだねと笑う香澄が愛おしい。
「ねぇねぇ!名前、星って書いてきらりにしない?」
「流石に読めないだろ……。星って入れるかきらりにするかにしろ」
「えー!迷っちゃうなぁ……」
香澄らしいと苦笑が漏れる名前についての話をしたりもして。8月半ばには香澄のお腹が膨らみ始め。
定期健診の時はなるべくついて行くようにもして、悪阻がつらそうなら少しでも気分が良くなるようにと色々試して。
そうして1月の中旬に、待望の女の子が生まれた。
名前は星と入れるのを諦めきらりだ。
自分が腹を痛めて生んだわけでもないのに、初めてきらりを見た時には涙が零れた。
あぁ、私と香澄の子なのだと。
生物学的にあり得ないけれど、奇跡が起きて生まれたのだと。
これからは、私が2人を守っていかなければならない。
どんなに辛くても。
そう、辛くても苦しくても弱音なんて吐けない。
卒業して入った役所では窓口を担当することになったが、仕事を憶えるのも一苦労だ。
役所に訪れる相手にとっては私が新人かどうかなんて関係なく、間違えれば当然怒り出す。
来た時から怒っている相手もおり、課長を出せ、お前じゃあ話にならないと怒鳴りつけられることも多い。
そういった場合呼ばれている人間はほぼ絶対に来てくれないし、周りの職員も助けてはくれない。
出ておりましてとにこやかに嘘を通そうとすれば、信じる信じないに係わらず誰の金で食ってると思ってるんだ、とよく聞く台詞を吐き始める。
お前からの金じゃ此処にいる1人分も賄えねーよと笑顔を崩さず内心悪態をついても消耗するものは消耗する。
「……ただいま」
「有咲、おかえり!」
疲弊しきった状態で、卒業前に移り住んだアパートに帰れば香澄が笑顔で迎えてくれることだけが救いだ。
その笑顔も、隈が酷いものだが。
きらりの夜泣きが凄まじく、眠れていないのだ。
私も同じような顔をしているとは思う。
まだまだ夜泣きが止む兆しも見えず、度々隣の部屋の住人にドンドンと壁を叩かれるのも精神的にきつい。
安いアパートなので壁が薄く、泣き声が筒抜けなのだろう。
申し訳ないと思う。
それでもきらりが悪いわけではない。
子供は泣くものだ。それも一時的なもので少し成長すればすぐにこにこ笑って、色々なことに興味を示し始めて、言葉も話すようになる。
そんな成長を、これから見届けていくのだ。
それを心の支えにして踏ん張り1年が経った。
相変わらず嫌な住民はしょっちゅう来るが、仕事は慣れた。
香澄は家計の為とお義母さんに頼んできらりを預け、その間パートに出ることにした。
スーパーのレジ打ちだそうだ。終わった後買い物もできるから便利!と笑っていた。
基本的には平日の数時間。頼らないと決めていたのに恐縮してしまうが、お義母さんはお義母さんなりに孫との触れ合いを楽しんでいるらしいので謝罪よりも感謝を伝えることにしよう。
その日は土曜日だったのだが、香澄は急に仕事仲間からシフトの代役を頼まれたらしい。
ばたばたと準備をして、「有咲は折角の休みなんだからゆっくりしてて!」ときらりと連れて家を出て行く。
きらりは私が見ておくと言ったのだがお義母さんが会いたいらしいと言われれば食い下がれない。
仕事で荒んだ心を癒す為にもっと我が子と触れ合いたいのにとぼやいても1人だ。
特にやることもなく2時間程だらだらと過ごす。が、つまらない。
私が休みの日に香澄が仕事なんて滅多にないのだから、その折角の休みで見に行ってしまおうと小さな悪戯心が芽生えて、身支度を整えると香澄が働くスーパーに向かう。
どうせなら香澄のレジに並んで驚かせたいと適当な商品を手に取り、遠くからレジを観察する。
しかし、香澄がいるレジはない。
長時間の勤務ではないので休憩ではないだろう。
トイレかもしれないとしばらく様子を見ても香澄が戻って来て誰かと交代することはない。
仕方なく1番近いレジに並び、自分の番の時に店員のおばさんに声をかける。
「あのぉ、戸山香澄さんは……?レジにいないみたいですけど……」
外行きの態度でしおらしく訊けば、返って来た言葉は聞いていないもので。
「戸山さん?戸山さんは今日お休みよ?」
そうなんですね。知らなかった。高校の同級生なんですけど、此処にいるって聞いたから。今日はいない日だったんですね。
笑顔を貼り付けたままそんな言い訳めいたことを言い、礼もそこそこに商品を受け取ってスーパーを出る。
香澄は仕事だと言って家を出たのに、スーパーにはいなかった。
他の場所でも仕事をしているというのは聞いたことがない。秘密にされているのでなければ間違いなくこのスーパーだけだ。
となると、仕事と偽って違う場所に行っているとしか考えられない。
それが何処なのかは検討がつかず、香澄の携帯に電話してみるがどれ程鳴らしても繋がることはない。
がむしゃらに探しても無意味だ。
香澄が確実に戻って来る所、香澄の実家で待つことにしよう。
そう考え、手土産になりそうなものなど持っていないが香澄の実家に向かう。
その、途中。
イチャつく為に立ち止まっているのか、カップルらしき人影に歩を進める度近づいていき、その後ろ姿に胸騒ぎがした。
「もうお別れなんて寂しいよー……またすぐ会いたいなぁ」
聞き慣れた声。
見慣れた独特な髪型。
まさかな、と思っても声が震える。
「香澄……?」
近いとは言えない距離でもその震えた声は届いたらしい。
振り返ったのは紛れもなく今朝見送った香澄自身で。
「あ。有咲~、どうしたの?」
蕩けきった顔で相手と腕を組んだまま、態度はいつも通りで。
香澄の顔も男の顔も見られず俯いてしまう。
なぁ、そいつ、誰なんだよ。
嘘は吐いていないが愛も神も存在しなかった。
DNA鑑定しろよというツッコミは書いている間4度程心の中でしました。