赤紫色の見識   作:ムラムリ

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 確かに、この森は虫の勢力が強い部分があります。

 様々な種類の木の実が自生していますし、甘い蜜を出す木もそこらに数多くあります。

 その分数多く卵を産めます。そして幼体から栄養をたっぷりと蓄えてサナギとなれば、その殻を鳥に破られない事も多くありますし、そして数多く成長した虫達は捕食者である鳥達に反逆を翻す事すらあります。

 それがそのままであれば想像出来る事の先は、この森の木の実から蜜から、魚から獣から鳥までを全て喰らい尽くした後に滅んで行くか、もしくは沢山の虫という栄養を求めて鳥が殺到し、私達が逆に食い尽くされるか、そんな暗いものしか思い浮かびません。

 そのままだと増え過ぎて自滅してしまうであろう私達の数を、強大な力を正しく扱える人間の手で調整して貰うのが最も被害が軽微なのです。

 ええ、論理としては私自身も、そしてこの森で季節の巡りを経験した虫達全てが理解しています。一部の虫達はそれを受け入れた上で駆除を出来るだけ回避しようと努力しながら生きていました。

 ……ええ、昨年までは私もそうでした。

 ただ、昨年……超能力を扱える者か誰かでも連れてきていたのでしょう。子が隠れた場所を悉く見つけられて耐えきれなくなった番が反逆を翻し、そして死んでいったのを見てまで、私はそれを受け入れ続ける事は出来なかったのです。

 そこまで耐えなければいけないのでしょうか? そもそも何故、私達はそんな事を耐えなければいけないのでしょうか?

 理解はしています。ただ、だからと言って納得は出来ません。

 その感情は、季節が完全に一周しようとする今でも疼いて残ったままでした。

 番の言葉が思い浮かびます。

「俺達が何をしたってんだ?」

 ええ。何もしていません。

 

 

 それから数日後の事でした。

 一匹の鳥が遥か高くの空をぽつんと飛んでいるのを私は見かけました。

 夏の太陽が激しく明るい為にその鳥は黒い陰としか目では見えませんが、それは降りて来る事も無く、この森の一帯をぐるぐると飛び続けていました。

「もうそろそろでしょうね」

「だろうな」

 私の隣に居るデンチュラがそれに頷きました。

 その鳥は今年の森の状況を確かめに来た、人間の手先でしょう。

 そして今年も虫は多く育っていました。……ええ、この数が全て健全に育ったらこの森の木の実や狩り易い獣は全て居なくなってしまいそうな程に。

「あんた、今年は子を産んでいないんだろう? これから暫くは安全そうな場所に逃げておいた方が良いんじゃないか?」

 子供を為してしまえば、慣れ親しんだ場所をその成長盛りの沢山の子供達と離れる事は、その先とても困難な道を歩む事となります。

 駆除をどうにかしてやり過ごす方が失うものが少ないと言う程に。

 ……去年は運悪く、私は殆どを喪ってしまった訳ですが。

「そのつもりですよ。やるべき事をやり終えた後ですが」

「?」

「まあ、一つだけ言っておきますと、駆除の時に私の寝床の近くに居ると面白い物が見れるかもしれません」

「……何か、企んでいるのか?」

「些細な事ですよ。……少し、楽しみたいだけです。ええ、少しだけ」

 

 水辺に出ると、水浴びをしていた鳥達が逃げていき、そしてその後は川の水が流れる音だけが涼しく続いていました。

 上空から開けた空をまた、眺めます。

 黒い影は変わらず上空を旋回し続けていました。

「……」

 きっと、私の事も冷徹に眺めているのでしょう。今年の夏はどれ程に虫が成長したのか、このまま放置したらどうなるか、それを見定めながら。

 そんな私の中にある感情は純粋な恨みではありませんでした。やるせなさ、無常感、そんなものが強く混じっていました。

 純粋に恨みが強かったならばこんな回りくどい事はしないでしょう。

 やるせなさ、無常感に完全に流れてしまったならば、私は今年も子を産む事に励んでいたでしょう。

 納得出来ない理解とは恐ろしいものです。どうしようも無い感情だけがつらつらと積もっていくのですから。

 私はそれへの捌け口を作らなければいけませんでした。私自身がそれに押し潰されてどうにかなってしまう前に。

 ざばざばと音が遠くからして来たのに気付いて目線を上から戻すと、ヌマクローが川の流れに逆らいながら、泳いできました。

「あ、おば」

「おば?」

「お、お姉ちゃん、久しぶり!」

「ええ、久しぶりですね」

 ラグラージも後ろから泳いできました。

「余り俺のガキを苛めてやるな」

「私、まだ十年も生きてないのですよ? 虫の中では長寿な部類とは言え……」

「分かった分かった。

 ただな、正直お前、去年よりかなり老けたように見えるぞ」

 じっと私を見る目に、おちょくったりなどという部分は全くありませんでした。

 ヌマクローがそう言いかけるのもあって、きっと私の顔は多少なりとも老けた……のでしょう。

「そう、ですか」

「それで? 今回は何か用か?」

 私はそれを言うかどうか、少し迷いました。私は、私の中の感情と暫く相談してから少しだけ、言いました。

「……一回だけ言います。

 森の中には、暫くの間来ないで下さい。

 理由も、聞かないで下さい」

 ラグラージがまた私をじっと見て来るのに対して、ヌマクローはその間に流れる空気を掴みとれずにいました。

「……坊、行くぞ」

「え、何なの?」

「後でな、ここで話す事じゃない。

 じゃあな、俺は行く」

 そう言って、ラグラージはヌマクローの手を掴んで、さっさと去っていきました。

 ええ、それで良いのです。

 私は、貴方達との関係まで変えようとは思いません。

 日は高く昇り始め、じりじりと私の肉体を焼き始めていました。

 日中の活動はこれまでにしましょう。

 私が森の中に姿を隠し、そしてふとまた上を眺めると、夜明けからずっと旋回していた鳥ももうどこかへと消えていました。

 刻は、近いのでしょう。

 

◎◎◎◎◎◎◎◎

 

 冬が過ぎて活動に支障を来さなくなってから、私はずっと、一つの場所を縄張りとして誰も近づけて来ませんでした。

 デンチュラ等、親しくしている仲は来た事がありましたが、彼等、彼女等にも私がしてきた事はずっと秘密にしてきました。

 この私の寝床、縄張りには、私がここを縄張りにしているのだ、という痕跡が数多く刻まれています。

 木に刻まれた平行な二本の傷跡はペンドラーが誇る角でつけたものであり、その傷の深さと鋭さは、私の角が鋭いだけではなく、私の膂力に耐え得るだけの硬さを持ち、それに伴う威力を発揮出来る事を示しています。そしてまた、枯れた大木に刻まれた数多の刺し傷は、首の爪で突き刺したものであり、大木を枯らす程に私の毒が強い事を誇示するものでした。

 そして草が生える隙間も無い程に固く踏み慣らされ、地面が剥き出しになった私の寝床には所々、寝心地の良いように枯草が沢山敷き詰められています。

 寝る場所は単純に日陰から月夜を眺められるような場所、また雨を凌げる場所など幾つかあり、そしてその寝床の一つの下には、落とし穴を作ってありました。

 誰からも気付かれないように作ったその落とし穴の中には、私が食べた獣や鳥の骨を鋭く裂いたもの、そしてエアームドの鋭い羽根と共に、私の毒を数多に注いでありました。

 ここに落ちれば最期、体は穴だらけになり、そしてその穴から私の毒が一瞬にして全身を駆け巡る事でしょう。

 ――駆除に来た誰かが落ちると良いな。

 そんな小さい願いを込めながら私は穴を掘り、そして淡々と準備を進めてきました。

 もし、ここに誰かが落ちるとしても、私はその時この場には居ません。また落ちたとしたら、血眼でこの穴を作ったペンドラーを探すでしょうから、暫くは戻って来れないでしょう。

 いや……確認しに来る事を考えて逆に罠を張られているかもしれませんし、もう戻らない方が良いかもしれません。

 ただ、そんな事を考えても、ここを去って駆除が行われた後に私がここに戻らない事は出来ないと分かっていました。

 作った落とし穴がどうなったのか、それを気にしない事など流石に出来そうにはありませんから。

 

 穴を覆っている枯草等を横にどけて穴の中を覗くと、エアームドの鋭い翼が夕暮れの明かりを僅かに反射して中を照らしました。

 臭いを嗅げば私の毒そのものが日月を経て腐った臭いがしますが、そう強いものではなく、枯草で隠してしまえば、雑多な臭いで溢れる森の中では気になりません。

 そこにまた、毒を出来るだけ垂らして枯草で覆いました。

「……誰か、落ちませんかね……。本当に……」

 自然と、そう呟いていました。

 出来る事ならば、その悲鳴を聞きたいとも思います。それでもきっと必死に助けるであろうその仲間を後ろから突いて落としてやりたいとも。

 ただ、絶望的な実力の差を持つ相手にそれをしようと思う程恨みに燃えている訳ではありません。

 だから多分、これは復讐と言うよりは趣味に近いのでしょう。

 趣味だとしても随分と薄暗いものを持ってしまったものです。しかしながら、そうせざるを得なかったのだとも思いました。

 出来る限りの毒を吐いた私は、少なからず栄養を求めていました。そしてここを去る前にやるべき事が一つ、まだ残っていました。

 

 エアームドの所へと歩いて行くと、体の調子を確認するように体を動かしているのが見えました。

 曲がっていた翼はもう、殆ど元通りでした。

「何の用じゃ、翼はまだ生え変わっておらんぞ」

 と言ってきます。

「今日、私はここを去るので、お別れを言いに来ました」

「……それはどうしてじゃ?」

 エアームドが一歩、後ろへと足を引きました。

「貴方ももう知っている事かもしれませんが、この森は私達虫の種族の勢力がやや強いです。

 冬が雪が降る程に寒くなる事を除けば、様々な獣達が生きていくよりも、虫が生きていくにより適した環境が揃っています。

 特に夏は、このままでは私達の勢力が更に強くなります。貴方も数の多くなった彼等に見つかれば、一匹一匹は弱いとは言えども圧殺されてしまうでしょうね」

「……」

「そんな事を防ぐ為にか、人間達が定期的に私達虫を駆除しに来るのですよ。

 明日、明後日辺りに来る事が予測出来たので、私は別の場所に避難する事にします」

「……」

「貴方の事は大して知りませんが、そういう事をもしかしたらここに来る前から知っていたのですかね?

 私達虫が増えてしまう事で起きる問題は、この森を食い尽くされてしまうから、という事も考えられますが、もしかすると、全く逆なのかもしれないとも考えられます。

 虫が多い事を知って来る貴方みたいな輩が増え、虫が逆に食い尽くされてしまうから、という事もあるのだろう、と」

「……だったら、何じゃ」

「さよならという事です」

 私は一歩、前へと詰め、そして歩き始めます。

「一度だけは寛大に許すのではなかったのか?」

 エアームドが前に自らの翼を利用したまきびしを撒きました。

 私はそれを踏み砕きながら更に詰めました。

「自分を殺そうとした者を本気で許すとでも思っていたのですか?

 それに、貴方の事は元から殺すつもりでしたよ。私が何か企んでいる事を、駆除に来る人間に知らされては溜まったものではありませんから」

 エアームドはそして後ろを向き、一気に駆け始めました。

 翼を利用したまきびしは鋼の体を軽くする効果もあったのでしょう、飛べないとは言え、中々速く走っていました。

 しかし、体を軽くしたとは言え、老体で尚且つ、地を駆ける事に余り慣れていない鳥に私が追いつけない道理はありません。

 追いついた勢いのまま蹴り飛ばすと、エアームドは木の幹に思いきり叩きつけられました。

「ぎゃあ!」

 ずるりと落ちていくエアームドに対し、頭を低くし角を向けました。

「や、やめ」

「やめると、思いますかっ!?」

 渾身の一撃はドグゥ、とエアームドの胴体と首を突きました。

 ただ、老いていて傷を負っていたとしても鋼の鎧は流石に貫けず、エアームドはそのまま地面に落ちました。

 しかしながら、エアームドは起き上がれずにその場でのたうち回りました。

「アッ、ガッ、グゥッ!?」

 喉を突いた為か、声も出せないようです。

「……やはり、鋼というのは面倒なものですね」

 エアームドを思いきり踏みつけて、私は最期に言いました。

「でも、そこで死んでいた方が良かったと思いますよ。貴方自身の頑丈さを恨んでください」

 何度も体重を掛けて踏み抜き、そして鋼の鎧が砕けるともうエアームドも何も言いませんでした。

 それからまた木に首で押し付けると、虚ろな目と目が合います。そして、私は砕けた鎧の中へとここに来るまでに溜まった僅かな毒を全て流し込みました。

「……ギャボッ!?」

 もう声も出せない程に痛めつけたエアームドは、しかし最期にそんな断末魔を上げました。

 ごぽごぽと音がして、私はそのエアームドと口を合わせ、噴き出してくる血をごく、ごくと飲み干しました。

 吐き出される血が無くなり、また地面に落とすと、もうエアームドは絶命していました。

 皹だらけになった鎧を剥いで肉を一口食べますが、

「……やはり、余り美味しくないですね、貴方」

 久々に食べようとも、毒に冒そうとも、エアームドは余り美味しくありませんでした。

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