初めての駆除を何とかやり過ごした私や兄妹達が、人間や駆除をする獣達に対して憎悪を抱いたのは自然な事でしょう。しかし、その感情を諭すかのように父母に駆除が何なのかというものをより詳細に教えられました。
この森で生きていくのならば、それが一番マシなのだと。
外から来た虫達も、駆除があってもここに留まる者が多いのだと。
そんな事を言われてもすぐに納得出来るものではありませんでしたが、その中で一つ、強く覚えている事があります。
「生まれながらに罪を背負っていたとしても、それに対する罰を受けなければいけない理由がどこにあるだろうか?」
私達虫という種族がこの森で生きていくに当たって課せられたそれを罪と呼ぶのには今でも不適切だと思いますが、それが罪であれ何であれ、罪に対する罰のようなものは避けては通れないものでした。
私は、昨年までそれを馬鹿正直に受け止めていました。これでも良い方なのだと。これさえ乗り越えれば他に脅威はないのだから、と。
罰はあって仕方がない。だから、出来るだけ逃れられるように努力しようと。
しかし、納得はやはり出来ません。
けれども、もっと良い方法など私には分かりませんでした。この森の外に出たくない私には分からなくて当然なのかもしれませんが。
燻る感情は、私には絶対に実現出来ない欲望を抱かせました。
炎に炙られても何とも無い体が欲しい。念動力によって体の内部から攻撃されようとも何事も無いように付き進める耐性が欲しい。如何なる風にも動じない硬さと重さが欲しい。
誰よりも速く誰よりも強く、この角で鋼すらも容易に貫き、何者にも邪魔されず生きたい。
……ええ、理解しています。そんな事が実現出来たところできっと、今よりも酷く虚しいだけなのだろうと。
生きると言う事は、互いに影響を及ぼし合う事です。私は鳥や獣を殺して食べますし、鳥や獣も他の誰かを殺して食べています。そんな巡り巡る関係から抜けてしまったらそれは死んでいるのと同じです。
ただ、そんな事を思ってしまう程に私は鬱屈とした感情を抱くようになってしまいました。
――生まれながらに罪を背負っていたとしても、それに対する罰をうけなければいけない理由がどこにあるだろうか?
番が灰になってからより良く思い出すようになったその父の言葉に対して、私なりに長く考えました。
そして、現状の結論はとても簡素なものでした。
誰もが好きに生きたいのですし、誰もが死から抗っているのですから。そんな奔放な、冷徹な仕組みでこの世界は動いているのですから。
生まれながらに私が罪を背負っていたとしても、そんなものは知った事ではありません。
★
この森が広いと言えど、それがどれ程の広さなのか私は知りませんでした。
一番の遠出は、一度だけ森の外に出た事がある位です。それもすぐに、開けた視界に突っ立っていられる程の蛮勇も無かったのですぐに戻りましたが。
そんな森の中をつらつらと、しかしながら初めて歩く場所ですので警戒は怠らずに彷徨っていました。
余り楽しい事はありませんが、もしかすると父や母、兄妹と歩いていれば出会えるだろうか、という僅かな祈願が、私の歩みを少しだけ軽くしていました。
しかしながらそう簡単に私の願いが叶う訳でもなく、ただただ歩くだけの数日が経ちました。
もう、私の居た場所の駆除はきっと行われた事でしょう。そして、落とし穴が働いたかどうかも、結果が出ている頃です。
落とし穴が働いたら、残りの駆除しに来た獣達は私の事を血眼にでも探すのでしょうか?
それは皆目見当もつきません。でも、そうしてもうとっくに遠くに逃げている私を無意味に探しているのだとしたならば、それはとても愉快でした。
小腹が空いてきた頃に甘い匂いがしてそちらに連られて歩くと、ミツハニーの群れに出会いました。
「こんにちは」
「こんにちはー!」
一匹一匹は弱いとは言え、群れで襲い掛かられれば私もただでは済まないでしょう。
それはあちらも同じようで、少し距離を置いて会話をしました。
「見ない顔だね」
「どこから来たの?」
「南の方から。駆除が行われる事を察したので、ちょっと避難してきたのです」
「一匹なの?」
「まあ、はい。ここは貴方達の縄張りですか?」
「うん! ここら一帯は女王様の敷地だよ!」
女王様、中々良い響きです。
「蜂蜜を奪おうとするなら容赦しないよ」
「しませんよ、そんな事」
有益な情報もありませんし、この数相手に戦おうとも思いません。
「こちらから差し出せるものは何も無いのですが……一つだけ聞いても良いですか?」
「なに?」
「少しだけね」
「ここ辺りで他のペンドラーを見かける事はありませんでしたか?」
「知ってる?」
「知らないー」
「あれ? 女王様、ペンドラーの話をした事無かったっけ?」
「あー、あったあった、片方の角が折れたペンドラーの話」
「どんな話だったっけ?」
「暴れん坊のリングマを角を折りながらも倒したペンドラーの話だよ。数年前はそのペンドラーと子供を作ったんだって」
「思い出した思い出した、女王様赤くなってたね」
「好きだったんだろうね」
「それはどこだったのでしょうか?」
「分からないなあ」
「ぼく覚えてるよ、西の方を見ながら顔を赤く染めていたんだ」
それを聞いてから、何事も無く分かれました。
◎◎◎◎◎◎◎◎
西の方へ歩いて数日、駆除の跡も見かける事がありましたが、幸いにも私を追うような獣に会う事は無く、しかし森の外れの方までやってきてしまいました。
人が入った痕跡がちらほらと見え、そして獣や虫の数もそんな多くありません。
池を見つけましたが、そこでは人間が獣達を鍛えている光景が見えました。駆除をしに来た訳でもない、単純に獣達を鍛えに来た人間でした。
彼等、彼女等は全員種族も属性も違いますが、いがみ合うような事は全く無く、生き生きと、伸び伸びとしていて、私達の動きとはまた別の方向に洗練された動きをしています。
それは対等な条件で相手を真正面から打ち倒す為の動きでした。弱者を確実に仕留める為の動きでもなく、強者に対し気付かれないように一撃で打ち倒すような動きでもなく。
そのように自らを鍛える事は、それはそれで楽しいのだろうと私は思いました。
虫であろうが駆除から逃げるような事もなく、そして命のやり取りをする必要も無い。
小さい頃から強く聡く、そして今に思えばただただ苛つく言葉を吐き出していたような彼も、人間の手持ちとなってどこかへと行きました。
ただ、そうなろうと思う気持ちは微塵も沸いては来ません。
駆除という事柄があろうとも、今の暮らしを捨てる気にはなれませんでした。
獲物を仕留める快感が無くなってしまうのだけは、許容出来ませんから。
「襲おうとしているなら止めとけ」
後ろから唐突に声を掛けられました。咄嗟に後ろを向いて角を向けると、その声の主は同じペンドラーでした。
角が片方折れた、雄のペンドラーです。
「あ、すいません。驚いてしまって……」
「別に良い」
互いにじろじろと眺めました。
そのペンドラーは片方の角が折れているだけではなく、全身がもう消えないであろう傷で覆われていました。
「……生まれはこの森ですか?」
「そうだが」
「南の方ですか?」
「いや」
「そうですか……」
残念ながら私の兄妹ではありませんでした。
「あんたはどうしてここに?」
「駆除から避難する内に、ここ辺りに同じペンドラーが居ると聞いて来たのです」
「なるほど。子でも作るか?」
いきなりのそんな発言に私は面食らいました。
確かにこのペンドラーは片角であれど魅力的です。傷だらけなその体はただ単に傷だらけな訳ではなく、歴戦を生き抜いて来た強さと、そして謙虚さを備えたものでした。
粗暴なだけならば、身を隠す事が難しい私達ペンドラーという種はそう長生き出来ないものですし。
私は悩みました。いや、とても強く。
落とし穴がどうなったかを確認するにせよ、季節が一巡りする位は待った方が良いかもしれない。番となれば、子が出来れば、それを強く気にする間も無く時間が過ぎてくれるかもしれない。
中々決めきれなかったので、ひとまず、
「……保留にして下さい」
と返しました。
「互いに知り合う必要があるか?」
「……まあ、そんな感じです」
「じゃあ、取り合えず別のところに行くか。人間がこっちに気付いてる」
後ろを振り向くと、獣達が私達の方をちらりと見ていました。
「そうしましょう」
片角のペンドラーの寝床は巨木の木陰でした。いつも寝ているであろう場所以外にも草が生えていて、そんなに縄張りを示すような類の印などはありません。
人間が良くやって来るからでしょう、この辺りには獣や鳥から虫なども余り居ません。その分駆除に怯える必要も無ければ、しかし食事にもやや困るような気がします。
同じ森の中に住んでいるとは言え、私等とは生き方が全く違うのでしょう。
「腹は空いているか?」
「いえ」
「なら、良いか」
ただ、片角のペンドラーに対して言える事は、会って間もないと言うのに私を番にしたいと思っている事が大体間違いないという事です。
「……さて、まず、ちょっと聞きたいんだが。
俺の事は誰から聞いた?」
そして座って私を見る、その姿だけでも私の前の番に負けず劣らず格好良いという事です。
「ミツハニー達が、貴方が数年前にビークインの番だったという事を聞きまして」
「あー、あいつか。元気だったか?」
別れた事に関しては大して何も思っていないようでした。
「ビークインそのものには会っていませんので、良く分かりません。
ただ、ミツハニー達の様子を見る限り、元気だとは思いますよ。数も多かったですし、特に何か困っている様子も無かったですし」
「あいつはここの、人間と接する境界線上の暮らしには慣れなかったからなあ。
俺は見ての通り傷だらけで角も一本折れてる、俺を捕まえようとする人間なんて居ないからな。だから俺にとっては中々快適なんだが、ビークインにとっては、蜜を取りに行ったミツハニー達が気付けば人間に出遭ってしまって雌だけ選ばれて捕獲されていったとかそんな事が良く起きてな、別れられちまった」
片角のペンドラーは全身の傷を見回しながら、そう言いました。
「何故、そこまで傷だらけなのですか?」
「一時期な、人間の手持ちだったような奴等がここ辺りで好き勝手やってたんだ。
捨てられたのか単純に好き勝手やらせてたのかは知らんが、とにかく迷惑だったんでな、一匹一匹潰していった」
「強いのですね」
「いや、駆除に来るような奴等とは別さ。相性も悪くなかったしな。
でもな、途中からは真正面から戦わざるを得なくてな、それがこの様だ。その時の番はやられて俺が楽にしてやったし、俺の角も片方折られちまったし、そしてこの全身の傷は冬になるとじくじくと痛む。
もうちょっと考えるべきだったよ」
……番はやられて?
ミツハニーは確か、片角を折られながらも勝利したペンドラーと子を為したと言ってました。
そしてこの片角のペンドラーは、その獣達と戦い、番がやられた時に片角を折られたと言っています。
そんな事を考えていると、それを察したかのように片角のペンドラーは言いました。
「経験した奴にしか分からないだろうな。番を殺されても最後まで戦い抜いた後の感情なんてな」
「…………でしょうね」
「あんたは? 今までに子を為した事が無い訳じゃないだろう?」
「私の前の番は、駆除によって殺されていく子供達を見捨てられずに戦いを挑んで、灰にされました」
「……そうか」
互いに番を殺されていますが、その後に抱いた感情は全くの別物なのでしょう。
それからも互いの事をつらつらと話した後、片角のペンドラーは言いました。
「それで、どうするんだ?」
私は話している間に、私自身がどうしたいか、晴らすべき感情とどのように決着を付けるべきかも考えていました。
「貴方は、私から見てとても魅力的です。ええ、貴方が良ければ番いたいと思います」
ほう、と言うように片角のペンドラーは顔を上げました。
「ただ。
私の中の番を喪った感情はまだ整理が出来ていません。
それは、私が行った事の結果を確認しなければ終わらないのです。
……それまで、待って頂けますか?」
片角のペンドラーはじっと私の事を見つめました。
「……死ぬつもりは無いだろうな?」
「まさか。私は弔い合戦などするつもりなど微塵もありませんよ」
だったら何と言ったら良いのか、それは私自身にも良く分かりませんが。
復讐したい気持ちはあります。ただ、私自身がそれで尽き果てようとも思いません。
ですから、やはりそれは趣味という言葉が一番近いように思えました。趣味だからと言って継続するつもりも無いのですが。
「分かった。
また聞くが、それでどうするんだ?
もう確認しに行くのか? 危険だと思うが……」
「もう暫く待った方が良いと思っています。季節が一巡りする位は」
「ならここに居て良いぞ。俺からはあんたに手を出さないとも約束して良い」
「……良いのですか?」
「飯を食うのに、特に木の実じゃなくて肉を食いたいなら多少遠出する必要もある。駆除は無いが、さっき見たように修練等の目的で人間は良くやって来る。
それでも良いなら、な。
これでも少し寂しかったんだ。特にああやって人間が仲良く獣達と修練に励んでいる所を見てしまうと、な」
「……お願いします」
私は頭を下げました。