赤紫色の見識   作:ムラムリ

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「世界は歪んでいるのが普通なんだな」

 片角のペンドラーが言った言葉を私は思い出していました。

 私と彼は、夏の最中から冬の終わりまで沢山の事を話しました。互いの生まれから今に至るまで。そこまでに起こった様々な事に考えを巡らせて。

 交わらずに、静かに、けれど温かく。

 秋の恵みをしっかりと体に蓄えて、冬は掘った穴の中で眠りに就き。

 親しい同族が隣に居るという事に勝る安心感は早々無いでしょう。

 ええ、これ程に温かい冬を迎えるとは、私自身想像していませんでした。

 ただ、そんな中でもふとした拍子に、私は自分が掘った落とし穴の事を思い出しました。他愛ない事を話している最中に、獲物を仕留めた直後に。眠りに就こうとする時、どうしてか真夜中に起きてしまった時から、目が覚めたその直後。そして冬の眠りから覚め、まだ肌寒い風を感じながら久々に太陽を浴びた時。

 私は片角のペンドラーと共には戻らない事を決めていました。

 私のこの身に残り続けた感情を解消する為には、私の味方となってくれる誰の介入も許容出来ませんでした。

 私の番は、私の子供達は、私だけの番、私と番だけの子供達だったのですから。

 

 世界は歪んでいるのが普通、というのは言われた時にすとんと胸に落ちました。

「きっと……皆が知っていて、そして表には中々出ない言葉でしょう」

 私はそう返しました。

 そのような事柄は沢山ある。どうしてか、確固として言える言葉でした。

 この森の中に限らず、どこでどうやって生きていくにせよ、そのような事柄は気付かない内に身の回りに溢れている。

 そしてそれらは生きていく為に必要な事柄でしょう。世界は歪んでいるからこそ、その歪みを受け入れなければいけない。その歪みの流れに身を委ねなければいけない。

「ただ、その歪みを受け入れられなかったら、どうすれば良いのでしょうね?」

 私は聞きました。

「それは、あんたがしようとしている事がその答えだろう」

 落とし穴を作る。

 結局のところそれは、真正面から受け入れられない歪みに対して立ち向かう事も、それから逃げる事もせず、私自身も歪む事で、私なりに形を合わせようとしたのでしょう。

「不利な相性の相手や、強い敵には正面から戦わない。

 夜、寝ている所を踏み砕く。じっと相手が隙を晒すのを忍び耐えて、気付かれないままに背後から胸を一突き。

 似たようなもんだろう」

「でしょうね」

 

 

 森の向こうから太陽が昇ってきて、眩しい光が私の体に差し込みました。

 私は足を止めて、一旦目を閉じて呼吸を落ち着けました。

 未だに体を震わせ、しかし体を刺す程でもない冷たさの風が私を撫でていきます。太陽の光も眩しさはあるものの、夏のような大地全体を温めるような強さはありません。

 そんな中、私の体はどこか浮ついていました。

 私の故郷、前の夏までずっと過ごしてきたその場所に帰り始めて数日。

 体は浮ついています。何が起きているか予想もつかないその緊張感と期待から恐怖まで、そんな様々な感情が私の精神を確かに削っていました。

 未だに誰かが落とし穴を作った私を殺そうと待っているかもしれない。私の浮つきとは別に何も起きていないかもしれない。

 ただ、何も起きていない可能性があるにせよ、私が警戒しない理由にはなりませんでした。

 片角のペンドラーが縄張りとする場所の近辺には駆除とは無縁な、純粋な人間が良くやって来ていました。人間とそれに従う獣達の仲の良さは時に絆と呼べる程に強固で、私がそれを引き裂いたとしたら、きっと殺すまでどこまでも追って来るだろうと思えたのです。

 死にたくはありません。死ぬつもりは毛頭もありません。

 けれど私は受け入れられない歪みから、私が幾ら何をしようがきっと変わらないであろう程に強い歪みから、何もせずに逃げる事などは死の危険を伴おうとも出来ませんでした。

 受け入れる事を出来なくとも、何をしても変わらなくとも、それでもほんの僅かにでも、私自身の力でその歪みに抗いたかったのです。

 陰湿な方法でも、全くの無力ではない、私も殺す事が出来ると示したかったのです。

 番への、子供達への弔いとして。そしてそれ以上に、私自身の心の安寧の為に。

 ……私はその行為を趣味、と称していました。

 それが合っているかと言われれば、片角のペンドラーと数多に会話して、こうしてよりはっきりと自分が抱いている感情を言語化する事が出来た後では、やや違うとも思えました。

 ただ、やはりそれ以上に似合う言葉は、少なくとも私は知りませんでした。

 私にとってこの行為はやりたい事なのか、やらなければいけなかった事なのかと言われればきっと、やらなければいけない事だったのでしょう。

 ただ、強い感情を伴ったものではないのです。そしてまたこれは、亡くなった番や子供達の為よりも、自分の為の行為でした。

 ですから、やはり復讐や使命感と言ったような言葉は趣味以上に似合いません。

 私は長く細く、息を吐きました。

 似合う言葉は私が知る限りでなくとも無いかもしれない。ただ、それは後で考えれば良い事です。

 死ぬつもりは毛頭も無いのですから。時間はこれからもたっぷりとあるのですから。

 私は前を向いて、また歩き始めました。多分、早ければ明日位には着く事でしょう。

 

◎◎◎◎◎◎◎◎

 

 木々の並びに見覚えがある、と気付いて私はより一層警戒を深めました。

 片角のペンドラーの所から持ってきていたオボンとラムを口の中に含め、そのまま歩みを続けます。

 まだ、何事も起きてはいません。体が感じる限りでは何も変わった事は察せられていません。

 ……何も、起きていないのでしょうか?

 分からないまま、一歩一歩を慎重に歩きました。慣れ親しんだ記憶のままに、落とし穴を掘った場所、私の縄張りだった場所へと。

 足を進める度に、僅かずつ近づいて行きます。

 しかし、森は何事もありません。唐突にがさがさっ、と茂みが揺れてそちらに角を向けましたが、出て来たのはただのミネズミでした。

 ……何も起きていなかったら、私は何を思うのでしょう?

 正直なところ、その可能性に対しては余り考えてはいませんでした。

 誰か一匹でも、一人でも殺す事が出来なかったなら私はまた落とし穴を掘るだろうと、その位しか。

 いや、考えるのは止しましょう。そんな事を考える余裕は、警戒に意識を回さなければいけません。

 何か起きていて欲しい。私はそれを願っていましたし、起きていたならば私にとって不利な相性且つ私より強大な実力を持つ敵が、冬が過ぎた今でも私の命を未だに狙っている可能性があるのですから。

 

 しかしながら本当に何事も無く、私の縄張りのすぐ近くまで辿り着いてしまいました。私が毒を注入して枯らした大木が目の先に見えています。

 冬の明け、まだ春ではない寒さの中、獣達の数は未だ少なく静かなまま。

 落とし穴がどうなったかを見るには、ちょっとだけ走ればもう辿り着きます。しかし、それは堪えました。

 誰かが待ち伏せしているかもしれない。

 集中して、全身の神経を最大限に周囲に張り巡らせながらまた歩きます。

 近付いていくと、その枯れた大木の後ろから誰かが姿を現しました。

 初めて見る獣でした。

 二足歩行で、顔つきは若干、騙し事が好きなゾロアークと似ています。耳からは赤い毛を強く生やしており、また全身も赤や黄と言った色の毛皮で覆われていました。

 その姿からは私の苦手とする炎、また超能力系統の属性も感じました。

 そしてその獣は、私が隠れるよりも先に、私に気付きました。

「……」

 しまった、と思いました。しかしながらもう、手遅れでした。

 その獣は、やっとか、というような表情を見せました。

「……」

 私がもう一度辺りを見回すと、

「私しかいない。待ち伏せなどしていない」

 と、冷たい声で言われました。

 その一言でこの獣は、駆除をしに来た人間の手持ちだとそこで確信を持てました。

 しかし、私は返します。

「……信じられると思いますか?」

「それもそうだな」

 淡々とした声のまま、私をじっと見つめたまま、その獣は言いました。

 それに対して私は木の実を口に含んだまま、深呼吸をしました。

 この獣が何を考えているのか、私に対してどのような感情を抱いているのか、それは余り分かりませんでした。

 そしてその獣は少しだけ、声を大きく出さなくとも通じるだけの距離まで歩いてきました。距離はまだ、十分にあります。妙な挙動もしていません。

「お前が落とし穴を作ったのだろう」

 確信している言葉でした。

「ええ」

「私の主人が死んだ」

 その一言で、唐突に喜びが湧き上がってきました。しかしながら、私は平静を努めて装いながら言いました。

「……。貴方は、主人を殺した私の事をどう思っているのですか?」

「お前と同じだろうよ。これだけの時間を待っていた私と同じように」

「……なるほど。それで、私を殺すのですか?」

「お前は今、どんな気持ちなんだ?」

 逆に質問され返されて、私はどうにも答えられませんでした。

「そういう事だ」

 私が答えない事で、その獣はそう答えました。

「殺されてやるつもりは微塵もありませんよ」

「知っている」

 私は角を向け、その獣は腕の毛から整った木の枝を取り出しました。

 やはり、周りに誰も居る気配はありません。この獣が言っている事は全て本当の事なのでしょう。

 冬を越してまで待った甲斐はありました。

 相性が不利でも、相手が単体でオボンとラムを持っていれば、そして人間が居なければどうにかなるかもしれない。そう思えました。

 しかしその時、誰かががさがさと茂みをかき分けてやってきました。

「お前……?」

「貴方、は……」

 かき分けてやって来たのはこれもまた、初めて見る姿の獣でした。

 人型であり、頭と脚は私の甲殻と似た色をしていました。

 ただ、私はその姿に進化前の姿の名残を、そう、生まれながらに聡く強かった彼の名残を見ました。

 超常の力と格闘の力を併せ持つ種族。

「……嫌な予感がしたんだ。

 マフォクシー。ペンドラー。

 ……こんな事、しなければいけないの?」

 

 マフォクシーと呼ばれた獣が感情を露にしながら言いました。

「チャーレム。夏の初めから、お前は消えたままだったな。この森に居たのか。

 お前が……お前が消えなければ、主人は死ぬことは無かった!」

 それに対して、彼は同じ程の感情を込めて返しました。

「もう僕には耐えられなかったんだ! 何度もあんな事を繰り返すなんて、必要な事だとしても僕には耐えられなかった!」

「だから、ここに居ようとも見殺しにしたのか」

「僕は、僕は主人の事も大切だったけど、この生まれ故郷の沢山の命の事も、必要な事だったとしても無碍には出来なかったんだ、必要な事だとしても」

 マフォクシーはそれを聞いて唖然としていました。

 私も口を開きました。

「久しいですね。

 それで、貴方は何をしに来たのですか?」

「嫌なんだよ、こうやって恨みをぶつけあって殺し合うのを感じてしまうのは。

 特にどちらも僕の……知り合いだ」

 仲間とか、そんな言葉を彼は使いませんでした。

 そして、おずおずと彼は続けました。

「……殺し合わないのは、無理なのか?」

「無理ですねそれは」

「無理だ」

 互いにそれは即答、一致しました。

「聡い貴方にも、最愛を喪ったときに抱く感情がどのようなものかは分かりはしないでしょう。

 ですから、貴方に取れる選択肢はそう多くないですよ。

 私達を止める程の力を持たないなら、どちらかの味方になるか、見ているか、それだけです」

「そん、な……」

 項垂れるチャーレムにマフォクシーが畳みかけました。

「お前はどちらの命を重く見ているんだ? 主人を殺したこいつだなんて言わないよな?」

 しかし、私は彼の答える言葉がどうしてか予測出来ました。

 生まれが同じこの森の中だからでしょうか、それとも彼の言葉を幼少の頃に聞いていたからでしょうか。

 彼は昔も、そして今も、物事を見て分析する事に長けていても、自ずから何かを決める事は余りせず、そしてそれは苦手でした。

「僕は……どちらにも付かないよ。僕は、どちらの命だけを重く見るかなんて、出来やしない」

「……なら、さっさと去ってくれ。邪魔だけはするな」

 それを聞いたマフォクシーは、感情を込めずに言いました。もう、興味など無いと言うように。

「…………」

 それを聞いて彼は懇願するように私の方を見ました。

 彼はきっと、昨年に私の番や子供達を殺すのに加担したのでしょう。ただ、彼に対して恨みはどうしてか強く湧いて来ませんでした。

 しかし、それも考える時ではありません。

 私も首を振って去るように示しました。

「…………悲しいよ」

 彼は去り際にそう、一言だけ言いました。

 その言葉には少しだけ苛つきましたが。

「さて」

「ええ」

 私はまた、角を向けました。

 マフォクシーが枝を向け、そして炎がその先に集まりました。

 

 飛んできた炎を横に避けて、そして更に何度も炎が見境なく飛んできました。避けられる距離ですが、マフォクシーは距離を詰めては来ずに至る所に炎をまき散らしていました。当てる気よりも、ここら一帯を燃やすつもりのようでした。

 ばち、ばちばちっ、と辺りの枯草が燃え始め、勢いを強くし始めていました。

「……」

 マフォクシーは私を確実に、そして残忍に殺そうとしていました。

 この森全てを燃やしてでも、私が逃げ場を失って焼けていき、出来るだけ長い苦痛を味わいながら死んでいくのを願っているのでしょう。

 そんな様子を見て、私は思いました。

 ……ああ。貴方はきっと、ずっと人間の手持ちとして生きて来たのですね。

 私は逃げました。燃え盛り始めた所を突っ切って。

「殺すと言ったのは口先だけか!?」

「……」

 後ろから炎は何度も飛んできます。同じく走って来る音も聞こえます。

 しかしながら脚力は私の方が強く、逃げるのにそう苦労はしません。

 私は川にまで出ると、その雪解けの冷たい川を一気に渡り、そして振り返りました。後からマフォクシーが追いついてきて、また下流からは異変を早速感知したラグラージがやって来ていました。

「水があれば炎を和らげられるとも思ったか?」

「…………」

 私はもう、このマフォクシーに対して答える事はありませんでした。

 マフォクシーは私が来るまでに溜め込んだであろう恨みを爆発させていました。私だけに完全に意識が集中している程に。

 川を泳いでくるラグラージも無視して、また森に生きるデンチュラが背後からやって来た事にも気付かないまま。

「何だ、その目は」

 私は、マフォクシーを憐れんでいました。それが表情に出ていたのでしょう。

 そのマフォクシーは、死角から放たれたデンチュラの電撃をまともに身に受けました。

「ぎゃっ、ぐぅ?」

 私は、何も言いませんでした。

 このマフォクシーには炎というものを無暗に放ったら、私だけではなく本当に様々な生き物達が暮らす森を燃やそうとまで恨みを爆発させてしまったらどうなるか、そんな思考が無かったのです。微塵たりとも。

「あが、ぐぅ、貴様、邪魔をぉ、するなぁ?!」

 痺れるマフォクシーにデンチュラが更に電撃を放つと、耐えきれなくなったマフォクシーが膝を着きました。

 そこへ水辺から上がって来たラグラージが、動けずにいるマフォクシーの首を無造作に掴みました。

「お前た」

 ボキッ。

 ラグラージは、何も聞かないままに首を折りました。そしてそのまま片手でぽい、と投げ捨てました。

「…………」

 途轍もなく、呆気ない。私の中にずっと渦巻いていた感情がぼろぼろと崩れてしまうほどに。

 そんな私に、ラグラージが言いました。

「おい! ぼけっとしてないで火事を止めるのを手伝え!」

「え、あ、はい。ええ、そうですね、そうです。はい、手伝います」

 

◎◎◎◎◎◎◎◎

 

 火事を止めてから、結果的にとは言え火事を起こしてしまった事をラグラージやデンチュラに謝り、そしてここにはもう来ない旨を伝えました。

 多少寂しがられもしましたが、その程度のものです。

 私は新しい番が居る地へと、すぐにでも帰る事にしました。

 この火事でそのマフォクシーと同じ主人を持つ獣達がやって来るかもしれませんし、私の中の感情も綺麗さっぱりとまでは行かなくとも、落ち着きました。

 そんな私を、チャーレムが追ってきました。

「……何の用でしょう?」

 私の番と子供達を殺したのに少なからず加担したであろうこの幼馴染を、私は殺すまでの気は無いとは言え、良い気持ちでは見ていませんでした。

「ちょっとの間だけ、一緒に歩いて良いかな」

「…………良いですよ」

 ただ、殺そうと思う程の気持ちはもう、ありませんでした。

 

 私がホイーガだった頃に鉄壁を覚える為に、また、その当時アサナンだったチャーレムの鍛錬の為に、何度も殴打や蹴りを繰り出して貰っていました。

 互いに疲れると少しだけ話して別れ。

 そんな時間は確かにありました。思い出すと、当時は格好つけてもいたのでしょう、そのアサナンの言葉が苛ついて仕方ないのですが。

 しかしながら、今のチャーレムの言葉にはその苛立ちを感じませんでした。

 きっと、彼の言葉がただ物事を見て内側まで知った気になって言ったものではなく、きちんとその内実までを理解した上での言葉になったからでしょう。

「その、君の仕組んだ事が全て終わった今、君はどんな気持ちなのか聞かせて貰って良いかな……」

「それはマフォクシーとやらが生き残っても聞くつもりでしたか?」

「……多分、聞けなかっただろうね。聞こうとすればきっと、僕も殺しにかかっている」

「そう、ですか。

 ……。どうなんでしょうね?

 私は、あのマフォクシーのように怨嗟に塗れている訳ではなかった。私は、私の、私自身の気持ちの整理に必要だった事柄をやったに過ぎないのです。

 確かにすっきりしましたが、私自身が想像していた程のものではありませんでしたね。

 けれども、それでも私はこれから前を向いて生きていきます。

 新しい番も出来る事ですし」

「随分とドライだね」

 そう言いながらも、チャーレムも嫌悪感を示す程ではありませんでした。

「元々、理解はしていたのです。

 私自身もこの森で生きていく為にはその事が必要だと分かっていましたし、そしてその中で生きてきました。

 ただ、納得が出来なかったのです。昨年、番すらも喪った事で出来なくなりました。

 ……終わった今になって思えば、納得し直す為には僅かでも己を通す必要が出来たのです。私達は虫という一括りではなく、それぞれが生きているという事を示したかった。

 憎悪の感情を虫ではなく、私に向けられた事、それ自体で私は示す事が出来ていました。

 ……そうですね、言葉にするとよりすっきりしたようです」

「そう、か。

 ……。

 …………」

 迷うように項垂れたり前を向いたりを繰り返すチャーレムに聞きました。

「何か、言いたい事でも?」

「……僕は。

 …………僕は、君の番と、君の子供達を殺すのに一役買った。

 生き物の気配を探知する役割を昨年、担ったんだ。

 謝れる事じゃないけど……謝れる事じゃないけど、生き残った君に対しては言っておかないといけないと思ったんだ」

「ああ、その事ですか。

 もう、良いですよ。それは」

「え?」

「私が気付かないと思っていたのですか?

 マフォクシーの発言から、もう知ってました。

 それに私は、もう納得し直していますから」

「……」

「そして貴方は、しっかりと私達を虫と包括せずに、私達と見ているのでしょう?」

「……うん。でも、それだけで良いの?」

「それだけで、良いのです。それはとても、特に私にとっては重要な事です。

 ……それとも」

 私はチャーレムに向き合い、そしてずい、と私は顔と角を近づけました。

「自ら罰を受けたいと言うのならば、手伝ってあげますけどね」

 チャーレムは引きつった顔で言いました。

「……遠慮しておくよ」

「賢明な判断です」

 私は顔を前に戻して、そう言いました。

 

 別れる前に、最後にと私は聞きました。

「人間との生活はどうでしたか? その主人は私が殺してしまいましたけど」

「え? あ、うん。別に良いよ。僕も酷い事をしたし。

 うん……何だろうな、昔の僕みたいだったよ。

 結果もそりゃ勿論大事だけど、結果が第一で、結果ばかりが表に出て来る。それはこの森の中もある意味同じだろうけどさ、何か違うんだ。

 その違いは上手く言葉に出来ないけど、あのマフォクシーが森の皆の怒りを買ってしまった事や、そして何の特別な力も持たない華奢な人間がここまで発展した事に紐づくんだと思う。

 うん。色んな事を経験出来て楽しかったし、歴史から科学から色んな事を学べたけど、そんなところからか、心の底から馴染む事は出来なかったなあ」

 チャーレムの言葉は変に格好つけたりしない、自然で、そして彼の成長ぶりを見られるものでした。

 言っている事は、若干何となくの部分もありますが私にも理解出来ました。そして、私は思ったままの事を言いました。

「やはり、私はこの森で生きていくのが似合っているようですね」

「だろうね。

 ……それで、もう君は、本当に戻って来ないのかい?」

「ええ。もう、あそこに留まるのは危険過ぎますし、それに新しい番も待っています」

「……そうか。僕も色々考えるよ、これからも」

「それが良いでしょう」

 より良く生きる為には、それが必要です。

 

 去っていくチャーレムを見届けてから、私も体を翻しました。

 太陽は高く昇り、柔らかい日差しの温かさが私にも届き始めていました。

 毎年変わらない、春の訪れでした。

「私は、変わったのですかね?」

 新たな番の元へと帰ろうと歩き始めた私の足取りには、行きに感じていたような心の重さは全くありませんでした。

 灰になった子供達の事も、そして番の事も同時に頭の中で重さを占めていませんでした。

 けれども忘れる事は無いでしょう。私の過去は引きずるものではなく、前を向く為の軌跡となった。

「……」

 自分で思っておいて、その言葉の格好良さはおかしいだろうと思いました。

「でもまあ、何とだって言えます」

 過去や生まれ持った物に対して引きずられない事。それはどのようにも形容出来るでしょうが、少なくとも幸福に属するものでしょう。

 私は息を大きく吸って、そして一気に吐き出しました。冷たい空気が今となっては心地良く、もう一度。

 体を伸ばすと、いつの間にか凝り固まっていた節々がごきごきと音を立てました。

 これからまた、夏が来ます。

 ええ。前の夏より、とても楽しく過ごせる事でしょう。

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