私はその時生まれて初めて、自身が憧れる存在を見つけた。
目の前で刃を潰した騎士剣を携えるのは、偉丈夫と言うに相応しい体格の男性。
彼の威厳を表すかのような鬚と、高貴さを表すロールした金髪。
「どうした?その歳で旅を続けるからには、その程度ではあるまい?」
相手は無傷、対し私は打撲痕だらけ。
圧倒的だった。
剣を握って1~2週間の未熟者が相手をするなど、お門違いも甚だしい。
「さぁ、アルテナより来た剣士の腕前、このリチャードに示すがよい!」
何せ相手は、世界大戦を終結に導いた立役者、英雄王リチャード国王陛下なのだから。
遡り数時間前。
目の前に威厳を象徴するかのような巨大な門が聳え立つ。
その大きさに私は圧倒されながらも、光の司祭の助言を頼りにやって来た意味を思い出す。
私はリリィ様と約束した。
私の為し得たことを、いつかお話しする。
あの御方のお陰で、私は変われたのだと。
当時、たった一人の少女との小さな約束。
やがてそれは、私の運命その物が180度変わってしまうものだとは、誰も、私自身ですらも知らない。
フォルセナの城下町に足を踏み入れた私は、まずは英雄王にお目見えしようと、大通りを真っ直ぐ王城へと進める。国王ならば、良い見識を持っておられるだろうと考えたのだ。
長旅で疲れているはずなのだが、その足取りは軽い。むしろ、草原を歩いていたときよりも。
やはり、光の司祭に言われた運命を変える存在と言う言葉に惹かれたのだろう。一刻も早くその存在に会いたいと、気持ちが急けていた。
途中、王城へとつづく階段前の広場。
そのど真ん中に、なにやら職人達が石柱と思しき巨大な石を、木で出来た足場を使って某かを削っていた。
「…これは何を作っているんだ?」
手近に居た親方らしき男性にふと尋ねてみる。
「お?坊主は旅人かい?まぁ今はまだ面影すらねぇが、これは英雄王の石像を作ってんだよ。」
「英雄王の…。」
軽く10メートルはありそうなそれを、職人達が少しずつ、少しずつ丁寧にハンマーとミノで削っていく。
「あの方と…帰ってこなかったが、ロキの奴のお陰で、世界は竜帝の奴から救われたんだ。その栄誉を俺達なりに広めるために、こうして石像を掘ってんのさ。」
「…そうか。」
そういえばアルテナにも理の女王の石像があったな。両親は…元気にしているだろうか。…まぁ、今となっては親不孝者の私が言えた義理ではないが。
「ロキも予定してたんだが…アイツの妹のステラの奴が、『家族遺して逝くような奴の石像は要らない』って泣きながら言うもんだから…作ろうにも作れないんだよな。」
「………。」
その時、幼い私はステラさんの思惑は解らなかったが、今なら解る。
きっと、ロキの姿を模した石像を見る度に、在りし日の彼を思い出し、亡くしたときの事を思い出してしまうからだろう。
それに、きっとロキが生きていたなら、その時も石像を作らないように言っていたとも想像できる。
「…と、坊主。これから城に行くのかい?」
「そのつもりだが。」
「で、その背中の剣。もしかして、騎士団に入ろうって腹積もりかい?」
「いや、英雄王にお目見えしたいだけだ。」
「だよな!坊主の歳で騎士団に入りたいってのは、流石に無謀って奴だよな!」
…まぁ9歳で屈強な大人がひしめく騎士団に入ろうと言うのは、些か高望みであるのは確かだが。
「…ま、6歳で騎士団に入るって吠えてる奴もいるけどな。」
そう言うと親方が向ける視線の先には、その年相応の赤茶色の髪をした少年が木刀を持ち、恐らく騎士が鍛錬用に使うかかしに向かって、「俺は騎士になるんだぁぁぁっ!!」とタコ殴りにしている。
「…まぁ気持ちはわからんでもないがなぁ…。」
「???」
「ん、まぁこっちの話だ。まぁ英雄王に謁見するなら、失礼の無いようにだけな?」
「勿論だ。」
そうして俺は、作りかけの英雄王の石像の横を抜けると、目の前を先程の少年が、「うぉぉぉぉっ!英雄王バンザーイ!」と砂埃をあげながら通り過ぎていった。…元気なものである。
さて、手っ取り早く英雄王を尋ねて私の行く先を示して貰うため、見張りの兵士に用件を伝え、城内へ入ることの許可を得る。
見るからに子供で、そこまで小綺麗でもなかったが、光の司祭の紹介である旨を伝えると、そこまで労せずして兵士は警戒を解いた。やはり光の司祭の存在は偉大なようだ。
兵士が稽古に励む中庭を抜け、さらに豪華絢爛と言わんばかりのホールを抜け、ようやく私は謁見の間へと足を踏み入れる。ホールの優美さとまた違った、荘厳な雰囲気を漂わせるそこは、王が座するに相応しいものだった。
「ほう、お前か。光の司祭殿がここに向かうように伝えた少年は。」
私を射貫くように見詰めるその眼光に一瞬怯むが、ここで礼を失しては意味が無い。すぐさま片膝をついて頭を垂れる。
「は……ブライアンと申します。英雄王と名高きリチャード陛下との謁見、光栄の極みに…」
「はっはっは!そう固くなるな。…まぁ、英雄王…と聞こえは良いが、まだ王としては新米だ。そこまで畏まられるのに慣れておらん。ましてや貴殿のような少年にはな。」
そう、リチャード陛下は先の大戦の後に王位を継承しておられる。それまでは王子だったとか何とか。
「して、私にどのような用件だ?光の司祭殿に私に会えと言われてきたのか?」
「いえ…光の司祭殿の助言では、フォルセナに俺…いや、私の運命を変えうる人物がいる、と…。ならば到着して先ずはリチャード陛下に窺うのが早いと感じた次第です。」
「ふむ、運命を変える、とな?」
「えぇ。陛下なら御存知ではと…。」
フム、とその蓄えられたヒゲに指を添え思案するされるリチャード陛下。
ややあって、陛下は申し訳なさそうに眉をハの字にされる。これで答えは出たようなものだ。
「私の知る限り、その様な人物にこころあたりはないな。」
「そう、ですか。」
「すまぬな。力になれなくて。」
「いえ。私としては英雄王に謁見できただけでも充分な成果です。故郷の奴等が羨ましがりますよ。」
「ほう…故郷、とな?差し支えなければ、何処の出か聞いても良いかな?」
「魔法王国アルテナです。」
その名を出したとき、リチャード陛下の目が丸くなった。余程予想外だったようである。
「アルテナ…随分と懐かしい名が出たものだ。」
「はぁ。」
「なに、私の知り合いがアルテナにいるものでな。最近は音沙汰がないから少し心配しておったのだ。」
確かに、アルテナは少し閉鎖的なものもあるから、周辺の国からは若干孤立している。そもそも環境が環境なので、好んで知り合いに出会いに行く人など稀だ。ましてや一国の王ともなれば殊更。
「時にヴァル…いや、理の女王は御健勝かね?」
「えぇ。相も変わらぬ美しさでございます。ただ…」
「…ただ、なんだ?」
「王女であるアンジェラ様の御転婆ぶりに、毎日頭を抱えておられる御様子でした。」
「ぶふぅっ!?!?」
よもや英雄王が目の前で壮大に吹き出そうとは思いもよらなかった。何が悲しくて彼の唾液を浴びねばならないのか。
「む、むむむむ娘、だと?理の…女王にか?」
「…??えぇ、そうですが。」
陛下の問いに肯定すると、思いっきり悩ましげな表情で俯いてしまわれた。その額には脂汗が浮かび、先程の威厳はかなり薄れてきているような気がする。
「おい。」
「はっ!」
傍らに傅いていた近衛兵と思しき人に、何やらゴニョゴニョと話し込んでいる。
無礼と思いつつも聞き耳を立ててみた。
「これから毎月、アルテナの理の女王に10万ルクを渡すように。」
「はい?」
「子細は聞くな。一言で言えば養育費だ。」
「…はぁ、陛下がそう仰るなら。」
???…よーいくひ?
「んっんん!!ブライアンと言ったな。見苦しいところを見せた。」
「あ…いえ、お構いなく。」
「ところで、何故にアルテナ出身の其方が剣を携えている?アルテナは魔法が主流のハズだが…。」
「それは…。」
ここで私は思い悩む。
私の旅の根元の部分にあたるものだ。これを陛下にお話しするような内容なのだろうか?
否、ここまで一国王が私に親身に接して下さっているのなら、話すべきだろう。話した上でならば、陛下が某かの道を示して下さるかもしれない。
そうして私は陛下に包み隠さず話した。
魔法が使えないこと。
そのコンプレックスで国を飛び出したこと。
リリィ様の助言で光の司祭殿と出会ったことを。
「…そうか。周りとの格差、それによる劣等感。…辛かったな。」
「…いえ。」
「これからも旅を続けるつもりか?」
「ええ。私は約束しました。私が何かを成し遂げることを。それが成されるまでは、最低限続ける腹積もりです。」
「ふむ、ならば。」
陛下はすっと立ち上がり、一歩一歩踏みしめるように私に近付いてくる。
かなりガッシリした体格だけに、私は少し身を引いてしまう。
「護身術として、私が剣術を少しばかり指南しよう。これからの旅、強いに越したことはない。」
「へ、陛下!?この後の予定は…」
「構わん。少しくらい後に回しても問題なかろう。」
「し、しかし!」
「私とて玉座に座ってばかりでは身体が鈍ってしまうからな。そうなってはあの世にいるロキに笑われてしまう。」
状況が飲み込めない私は、ポカンと口を広げて陛下を見上げる事しか出来ないでいた。
そんな私の手を、陛下は握って立たせると、先導するように中庭へと歩いていく。
「どうした?付いてこいブライアン。」
私は言われるがまま、ついて行くことしか出来なかった。
そして、冒頭に戻る。
陛下の怒濤の攻めにより、私は完全に防戦一方だった。
未だ完全に剣に慣れきっていない為、思うように防御できない。そんな私に陛下はお構いなく攻めを続けた。
「そんな腕では、かの少女に報告など夢のまた夢だ!」
「くっ…!」
大きく吹き飛ばされた私は、磨り減った体力を戻すため、大きくなった呼吸を整える。
だが、リリィ様の事を出された私は、それが思うように出来ないでいた。
「このまま魔物の餌になる位なら、約束など忘れてアルテナに帰るがよい。…さもなくば、この私に一太刀入れてみせよ!」
その一言で、私は何かがプツリと切れた。
約束を、忘れるてアルテナに帰る?
あの惨めな日々に戻れというのか?
居場所などない、唯々堕落した日々に?
そして…リリィ様との約束を破れと?
「ふざ…けるな…!」
腸が煮えくりかえる。
いくら一国の王といえども、その時の私は許容できなかった。
私の中に、まるで紅蓮の炎のごとき怒りが、ぐつぐつと沸騰してくる。
「あの子との約束を…忘れろ…だと?」
もはや、歯止めが利かなかった。
目の前にいるのは英雄王ではなく、ただ私の中の根元にあるものを否定してきた忌むべき存在。
一太刀…せめて一太刀。
一矢報いなければ気が済まない。
「絶っ対…ぶっ飛ばす!!!」
そこからは覚えていない。
真っ白になった視界。
手に走る鈍い痛み。
背中に感じる固い石の感覚。
「…やるでは…ないか。」
視界が戻る。
目の前には、右手を押さえた英雄王。
その手には、ポッキリと折られた木刀。
頬には、うっすらと一文字に血が流れ落ちてきていた。
「先の踏み込みと剣の振り、そして全身のバネを最大限に乗せた一撃。…見事、私に一太刀入れたな。」
一太刀?
私が?
頭がぼやけて、一体何をしたのか解らない。
覚えていない。
「確かに、お前は魔導師としての才能が無い。」
…そうだ。
だから私はアルテナで落ちこぼれていたのだから。
「だがマナの扱いに慣れていないお前の体の使い方は、どちらかと言えば剣士向きだ。」
…そう。
これがきっと私の分岐点の1つの言葉。
「故に先程の一太刀は見事だった。
いいセンスだ。」
「いい…センス…。」
陛下のその言葉を最後に、精根尽き果てた私は意識を手放した。