翌朝
朝食を終えた私と王女は、理の女王からの支給品を持って厚手のコートを羽織り、零下の雪原へと足を踏み入れた。
「うわ…寒……!」
アルテナの城壁から一歩踏み出す。
今まで温和だった周囲の空気は一変。肌を刺すような寒さが襲い来る。それだけ理の女王による結界の恩恵が大きい証左だ。
「ここから氷壁の迷宮までは大凡昼までに着く予定です。まだ日が射している内に城に戻れるように少し急ぎましょう。」
「そ…そうね。この寒さ、出来れば長居はしたくないもの。」
幸い昨晩は余り雪が降っていなかったのもあり、足取りはそれ程悪くない。これなら存外早く着きそうだ。
「ねぇ。」
道中、無言でサクサク歩くという退屈に耐えられなかったのかアンジェラ王女が口を開く。
「アンタの道を変えたって人、どんな人なの?」
「どうしたのですか?藪から棒に。」
「だって、何か気になるでしょ?死んだ目をしてたアンタがこんなにも強くなって活き活きしてるんですもの。それだけの影響を与えたのがどんな人なのか気になるのは、何らおかしな事じゃないと思うけど。」
死んだ目…。
あの時の私はそれ程までに窶れていたのだろうか。
「そうですね。…あれはアルテナを出て1ヶ月ほど経ったときでしたか。」
私は道すがら説明する。
私を救ってくれた幼い少女を。
彼女が私の運命を変えてくれた、何物にも代えられない恩人であることを。
思えば、私が光の司祭殿に示されたフォルセナの道を辿らなければ、ガラスの砂漠に足を踏み入れ、また違う運命となっていたのだろう。司祭殿の言っておられた邪悪な何かに出会い、心を染めていたやも知れない。
流石にその分岐までは話すことはないものの、やはりリリィ様の御陰で私はこうして全うに人生を歩めているのだから、感謝も仕切れない。
…しかし、
「邪悪なもの…か。」
ふと右側…西の方角を見れば、海の遥か先に薄らと浮かぶ島が確かに存在する。
ガラスの砂漠。
10年前の世界大戦終息地
その根幹となる竜帝が眠る地
もしそこへ向かうことを選んでいたら、…今を羨んでいただろうか?
「邪悪なもの?なにそれ?」
「いえ…ただの独り言です。」
もし、たら、れば、は今更考えても詮無きことだ。
私が選んだ今の道、それを歩むことが何より大切なのだから。
見上げれば絶壁だった。
氷で出来た崖と言うに相応しい程のそれは、高々と目の前に聳え立っている。私達が目指していた氷壁の迷宮の名前の由来である。この氷の中に、アルテナの管理下にある水のマナストーンが保管されている。今回は、同行しているアンジェラ王女がそれに触れ、あわよくば魔法を使えるようになる切っ掛けにするのが目的だ。
ポッカリと開いた洞窟…いや、名前にあやかって迷宮への入り口を抜ければ、存外労せずして目的のものを見つけるに至った。
「これが…マナストーン…。」
眼の前に神秘的な輝きを放つそれを初めて見たアンジェラ王女は、あんぐりと口を広げて見上げている。
彼女の気持ちもわからなくもない。何せ、私自身も初めてマナストーンを見たとき、同じような状態だったのだから。
「こんな綺麗な石の中に、神獣なんて恐ろしいバケモノが封印されているのよね。」
「えぇ。だからこそリチャード国王は、各国に呼び掛けて、各々の領地内のマナストーンの監視を提案されたのでしょう。」
「まぁウチはともかく他の国々は、英雄王の一声とあっちゃ、無視できないわよねぇ。」
もし、マナストーンが何らかの形で異常を来し、想像したくはないが神獣が世に放たれでもしたら、それこそ世界存亡の危機だ。かつて闇のマナストーンに封じられていたという神獣ゼーブル・ファー一体が復活しただけでも、世界が滅亡寸前まで追いやられたのだから。
「見たところ、今は異常はないようですし、手早く本懐を済ませましょうか。」
「それもそうね。こんな寒いとこ、ちゃっちゃとおさらばしたいし。」
息も凍りそうなほどに寒いこの氷壁の迷宮。流石の私もこの寒さは堪えるので、出来るならば足早に立ち去りたい。
それは王女も同じらしく、身を震わせながらマナストーンに近付くと、淡い光を放つその石にそっと掌を触れさせる。
「…どうですか?」
「ん……なんとなく、なんとなくだけど。手を通じて私の体に流れるモノ。それがわかる。」
きっとそれはマナの奔流。魔法を扱うものとして、身体の内部にはマナの貯蔵が出来る。それは全身に張り巡らされた血管のように、マナの粒子が駆け巡っている。おそらく、マナストーンからの外的要因が、王女の感覚を研ぎ澄まさせているのだろう。マナストーンに触れることで、何らかの足掛かりになればと思っていたが、なるほど。存外ハズレではなかったのだろうか。
「ん〜…でも何かもっとこう…触ったら頭にずびびって、魔法の使い方が思い浮かぶと思ってたけど…、なんか拍子抜けかも。」
「世の中そううまくいくものではありませんよ。もっとも、こんなことで容易く魔法が使えるようになっていれば、私も騎士になっていませんし。それこそ世界にもっと魔法が普及している筈ですから。」
「それもそうね。結局無駄足かぁ…。ま、収穫はなしだけど、いい気分転換になったわ。」
そもそも賭けに近い提案だったのだ。こうなるのも致し方ない。だが、体を循環するマナの流れを感じること。それが王女が魔法を扱えるようになるキッカケとなれば…。
「では帰りましょうか。…大丈夫。王女なら、きっと魔法が使えるようになりますよ。」
「気休めでも、今はなんかそんな気がするわ。前なら癇癪起こしてたかもだけど。」
「ほほぅ…それだけ王女が大人の落ち着きを持てたと考えれば……、む?」
氷壁の迷宮の出口へと向かう中、ふと私は歩みを止め、そして後ろからついて来る王女を手で制して止める。
「な、なに?どーしたのよ?」
王女が不思議に思うのも無理はない。
私とて微かなその気配を感じ取るのが精一杯なのだ。
そしてそれは、私達が向かわんとする先…氷壁の迷宮の出入口から感じるのだ。
『チ…闇討ちで一気に仕留めようと思っていたが…流石はフォルセナの騎士といったところか…。』
そしてそれはおどろおどろしい気配を露わにすると、幻影のように景色を歪ませてその姿を現した。
緑のローブに赤い血のようなマント。その頭には龍の頭部を模した兜。そして背には同じく一対の翼。そいつの放つ圧は、まるで身体に突き刺さらんばかりにこちらを穿ってくる。
「…何奴だ?」
『我が名は竜帝。素晴らしい提案をしよう。お前達も我が眷属にならないか?』
………
ここは驚くべきなのだろうか?
だがしかし、奴の放った勧誘の言葉が、虚しく氷壁の迷宮に木霊していた。