ゾイドワイルドZERO NEARLY EQUAL   作:高杉祥一

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IMPRESSION

・ファングタイガー
 サーベルタイガー種の中型ゾイド。肉食獣系ゾイドの中でも野性下では単独行動を取る種であり、Z・Oバイザーを用いない場合その獰猛な性質を御しきれるライダーは少ない。
 またコントロール下でもその強烈な格闘戦能力は集団での砲戦を主とする軍事作戦では足並みを揃えにくく、奇襲・強襲などの任務における単騎駆けを求められる場合も多い。それはゾイドを戦闘に用いる歴史の中でも、高速格闘戦ゾイドの晴れ舞台ともいえる場面でもあるが、惑星移住から間もなく生活基盤を整えている最中の惑星Zi人文明においては無用な危険を冒す戦い方ではないかと議論される場面もある。
 それでもこの種を始め高速戦闘ゾイドを任せられ、あるいは自ら選ぶライダー達を支えるのは『ゾイド乗り』の究極系とも言える猛獣使いの誇りであると言えるだろう。
 無論、それ以外に立脚する者もまた存在するが。


NEW EARTH ERA 30『惑星の頂点にて』

新地球歴三〇年 六月一七日 〇九〇〇時

スピッツベルゲン辺境基地

 

「夏も近いというのに随分と涼しいものであるなあ! 流石はこの惑星地球の北極圏というものか!」

 夏の日差しを浴びながらも、氷結の白が目立つその土地に男の大声が響き渡った。

 傍らには紫の装甲を帯びたサーベルタイガー種ゾイド、ファングタイガーの姿がある。逆三角形の"帝国"の紋章通り、男も帝国軍の軍服に袖を通している。寒冷地仕様の上着には襟元のファーもあるが、しかし刈り上げた髪を青く染めて顔の横に流した髪型とアイシャドウが目立つのは避けがたい。

 男の名はアルベルト・ララーシュタイン。帝国軍の少佐であると同時に、帝国社交界に広い影響力を持つ名家ララーシュタイン家の現当主である。

 愛機であるファングタイガーの〈ローゼンティーゲル〉もララーシュタイン家の財を投入して作られた強力な機体。惑星Ziからこの星に移住した人々の中でも有数の成功者にして戦士というのが、ララーシュタインに向けられる多くの視線の内訳だ。

 だが今、ララーシュタインの奇矯な言葉を聞くのは傍らのローゼンティーゲルのみである。彼らをここまで輸送してきた帝国軍の砕氷用グラキオサウルスは、積み荷を残したバージを引いてまた別の辺境基地に向かっていく。凍てつく北極海の移動手段は限られており、ララーシュタインの権力を持ってしても専用便などを手配できるものではない。

「母星での歴史から長い旅路を経て、今ララーシュタインの歴史はこの惑星地球の北極点にまで至ろうとしている。これは人間の可能性を示す偉大なる挑戦と言えよう。

 それをなし得る力である誉れ、お前も十分に味わうがいい! ローゼンティーゲル!」

 ララーシュタインに呼びかけられたローゼンティーゲルは低く唸る。帝国軍に属するゾイドは皆その操縦性を高めるために、本能を抑制するZ・Oバイザーを装着されているが、特注品であるローゼンティーゲルはその抑制も薄い。それを御しきるだけの腕前があるララーシュタインの実力の証左でもある。

「では手始めに博士との合流までに軽く慣らしと行こうか。

 年始の雪山での戦いの経験はまだ記憶に新しいが、ここは山地ではなく海。この先に続く無限の平坦を征するためにもまずは一歩を踏まねば――」

「アルベルト様ーぁ、もーう着いてましたかーぁ」

 楽団の指揮者のような動きで手指を伸ばして振り上げ、ローゼンティーゲルに指示を飛ばそうとしたララーシュタイン。しかしそれに被さるように、間延びした遠い声が響いてくる。

 水を差された様子で動きを止めたララーシュタインは、首だけの動きで声の方角を見た。そこには雪が濃く残るこのスピッツベルゲン島基地敷地を重たげに進んでくる四足歩行ゾイドの姿があった。背部のユニット上に存在する操縦席からは、人影が身を乗り出している。

「スピッツベルゲンへようこそーぉ」

 どすどすと重たげな足取りで接近してきたゾイドから、その人影は降りてくる。機体装甲に設けられたラダーをおっかなびっくりな調子で踏むのは、帝国軍の寒冷地用コートに身を包んだ女性だ。大雑把に伸ばした前髪が目元を隠してしまっているが、髪の下に眼鏡の下リムが見えている。

「ポラリス博士、お出迎え感謝する。博士が乗ってきたところを見ると、こちらが例の探検用ゾイドで?」

「そうでーぇす。アルベルト様の寄付で補充できた〈ラリーブル〉の新しい子ですねーぇ」

 どうにも体を動かし慣れていない様子の女性にララーシュタインが問うと、彼女は間延びした声で応じる。コートの胸元には『ヌール・ポラリス』と彼女の名が刺繍されていた。

 ここスピッツベルゲン基地は帝国軍の最北エリアに属する拠点だが、軍事目的としての性格は薄い。むしろ地球北極圏に対する様々な国家戦略のための拠点という立ち位置にあり、ポラリスはそんな施設に所属する学者の一人というわけだ。

 そしてララーシュタインがこの地を訪れたわけは、彼が出資したポラリスらの北極圏探検に同行するためである。自然の驚異渦巻く極北を征するために、愛機ローゼンティーゲルも引き連れての参戦だ。

 それは決して道楽ではなく、彼とローゼンティーゲルの力が必要だからこその招聘でもある。

「なに、金は貯めたところでせいぜい一時の安心にしかならぬというものだよポラリス博士。何に用いるかによって初めて生きた金となり、ララーシュタイン家がそうすることによって庶民達の浄財を為す。これは我らが母星の時代から続く行いなのである」

 名家といえどその名だけでララーシュタイン家は保ってきたわけではない。帝国に様々な産業を興し、特にこの地球移民後は社会インフラを整えるために先代であるアルベルトの父が奔走したものだ。

 その見返りとして得られたものをララーシュタインはまた帝国に還元する。それが家名を継いだ己の責務の一つであると、ララーシュタインは自らに任じていた。

「――それで、このラリーブルというゾイドは確かキャノンブルの民生仕様であったね?」

「装甲や武装を変更しただけでほとんど同じ仕様のまま輸送ゾイドになってるんですよーぉ。キャタルガよりも過酷な環境に耐え、複雑な地形を踏破できるんですーぅ。

 私達の北極圏探検には必要不可欠ですーぅ」

 ララーシュタインの前で足を止めたゾイドは、確かに彼が知る帝国軍ゾイドキャノンブルと同じ基礎骨格を持っているのが見て取れた。しかしその特徴的に盛り上がった背部には操縦席以外にはコンテナユニットしか無く、本来太く長い角もバンパーに換装されている。装甲に至っては防寒用のキャンバス地だ。

 だが力強い体格は戦闘ゾイドであるローゼンティーゲルにも匹敵する。ララーシュタインは大仰に腕を組んで感心した。

「立派なものだ。良い旅路に期待しよう」

「はいー、早速基地で今回の探検のミーティングに入りましょーぅ。ご案内しますねーぇ」

 ポラリスはそう言って、再びラリーブルに乗り込もうとラダーに手をかけた。

 もたもたと登っていく彼女を待ち、ララーシュタインが島の北側に存在する基地施設へと先導されるには今しばらく時間が必要である。

 

新地球歴三〇年 六月一七日 一九二一時

スピッツベルゲン辺境基地 士官食堂

 

 基地への着任。ポラリスの研究チームへの挨拶と、ミーティング。それらが済む頃にはすでに夕食にちょうどいい時間になっていた。

 しかしララーシュタインが食堂の窓から見る空には、まだ太陽の姿が見える。

「これが白夜というものか……」

「最初は物珍しくてーぇ、段々鬱陶しくなって、最後には慣れますよーぉ」

 ララーシュタインの呟きに応じるポラリスの前に夕食が給仕されていく。この辺境の地においても帝国の士官向け食堂ともなれば従兵がいるものだ。

 ララーシュタインとポラリスと共にテーブルを囲むのはさらに三人。

「研究チームの科学者諸氏は結構な人数がいるのに、探検に行けるのはポラリス博士のみとはね。

 アディーン、ベネット、チャンプ。やっかまれたりするのではないのかね?」

「いやあ、そんなことは……」

 ラリーブルのライダーである三人の男達は、ララーシュタインに冗談めかした問いを向けられると苦笑を見せる。

「仕方ないですよーぅ。極地の環境に向かう人員は少ないほど物資の負担も少ないですからーぁ……。

 その分は現地からの大容量通信での情報共有でカバーです」

 ポラリスも握り拳を作る。軍服の襟にナプキンを挟んで食事の支度をするララーシュタインを前に指を立て、

「おさらいしておきますねーぇ。

 今回の探検は未だ地上からの到達例が少ない北極圏の、生態系を含めた環境調査です。状況を見つつ、場合によっては北極点まで足を伸ばします。到達できれば地球移民後初の陸路での北極点到達になりますが、まあそれは副次的な目標ですーぅ。

 もちろん、チャレンジしたいですけどねーぇ……」

「そして私とローゼンティーゲルが護衛に呼ばれた理由は、これまでの北極圏調査においてジャミンガ並びに野生ゾイドの存在が確認されているから、ということになっていたね」

 応じつつ、ララーシュタインはナイフとフォークを手に取る。給仕されたものは兵卒にも配給される拠点での配給食だが、盛り付けなどに気が配られているのは高官なども招くことがある士官食堂のプライドというものだろう。

 カツレツを切り分けつつララーシュタインはミーティングを回想する。

「ただでさえ地殻が存在せず、洋上の氷山に存在する北極は金属生命体であるゾイドにとっては砂漠以上の過酷環境ですーぅ。

 微弱なゾイド因子だけで生存し得るジャミンガ以外に、純粋な野生ゾイドが存在する理由を解明できれば……第一世代の人々がマスク無しで生活できる環境を作る助けになるかもしれないんですーぅ」

「野生のゾイド、ね。私も以前、野生出身の戦闘ゾイドと交戦したことがあるが……探検隊に護衛を付ける必要が求められるほど、頻繁に遭遇するものなのかね」

「過酷環境ですからーぁ……。探検のための物資を満載したラリーブルはターゲットになりやすいんですよーぉ……」

 ポラリスも、ラリーブルのライダー達もしみじみと頷く。これまでの経験というものがあるのだろう。

「……ふむ。まあ、出発までにこれまでのデータを元にしたシミュレーションはこなしておくとも。

 安心したまえ、在野の獣に後れを取るようではララーシュタインの家名を掲げることなどできぬ」

 フォークに刺したカツレツの一切れを掲げてそう告げるララーシュタインに、ポラリスもライダー達もおお、と視線を向ける。

「まあなんにせよ、この後に備える諸々には多くのカロリーが要るであろう? 存分に食しておこうではないか。

 白夜の会食というのも風流なものであるしね。カツレツは私の好物なのだよ。

 ……ん、む?」

 一切れを口に含んだララーシュタインは、思わぬ歯応えに困惑の表情を浮かべた。反発力の高い肉を噛み、もごもごと顎を左右に揺らすその姿にポラリスが合点した。

「うちの基地では食糧供給の試験として、鯨肉を活用してるんですよねーぇ……。

 初めてですか、アルベルト様ーぁ?」

「なるほど、これは鯨肉のカツレツ……。なかなかの歯応えであるな。

 しかしこれは……甘露!」

 存分に咀嚼し、肉を呑み込んだララーシュタインはきりりと姿勢を正す。

「脂が他の獣肉とは違うのであるな、この味は。北海の味というわけだ……。

 我々の旅がこの肉のように甘露な成果を得られることを期待しようではないか!」

 次の一切れをフォークで刺して掲げ、ララーシュタインはポラリス達にそう宣言してみせる。

 実際の所彼が味わうこととなる事柄はその脂の甘みではなく、歯応えの方に近いという事実は、残念ながら翌日になるまではわからなかったが。

 

新地球歴三〇年 六月一八日 一一〇四時

スピッツベルゲン辺境基地 環境再現施設

 

「ふーむ……!」

 操縦席とバイザーに情報を流し込むケーブルを接続されたローゼンティーゲルから、ララーシュタインは地上に降り立った。

「なかなか……思わぬ相手が出てくるではないか」

「やっぱり難しいですかーぁ?

 ナックルコング・スノーマンの相手とか特に大変だと思いますけどーぉ……」

「それもあるがね、足場だよポラリス博士」

 ララーシュタインは首や肩をほぐしながらポラリスに応じる。

「氷が薄いのだよ。私のローゼンティーゲルの蹴り足に耐えられない薄さの時がある。地を蹴って機動するゾイドにとってこの足場の弱さは問題だろう?」

「まあ確かにーぃ……。でもこれまでの規模の小さな探検ではーぁ、遭遇したゾイドはそういうの気にしてるそぶりは無かったですよーぉ?」

「む……。野生の勘とでも言うのであろうか。

 野のけだものに後れを取るのは避けたいものではあるがね」

 ポラリスの指摘に、ララーシュタインはばつが悪そうに髪を掻き上げると腕を組んで考え込んだ。そしてそんな彼の様子はさておき、ポラリスは北極の環境について語り続ける。

「ゾイドの構成要素として重要な金属というものは地殻に属する物質なのでぇ、それが海の底にしかない北極の氷上はゾイドにとって砂漠みたいなものなんですーぅ。人間にとっては水や食物が無いようなものですからーぁ……」

「昨晩話題にした件だね。それは……確かに」

 考え込んでいたララーシュタインも、ポラリスが語る理屈には素直に納得した。そしてララーシュタインの聞く姿勢に、ポラリスはぱあと顔を輝かせて、

「それなのに地球のゾイド生態系がこの地まで広がっているのは本当に不思議ですーぅ……。その理由も解き明かせたら素敵ですねーぇ」

「ポラリス博士の探究心は十二分に漲っているというわけだね。

 むう……弱音を吐くのは情けない場面であったかな」

 感心するララーシュタインに、ポラリスはぱたぱたと手を振った。『そんなことないですよーぅ』とでもキャプションが付きそうな身振りは、派手な立ち居振る舞いや奇抜な化粧をしたララーシュタインがまとう空気とは全く異なる、牧歌的なものだ。

「これまでの探検でも夏期は氷の薄さがネックなのでーぇ、ゾイドが足を踏み外すことはよく指摘されてはいるんですよねーぇ」

「聞いていないのであるが?」

「余計な情報が無い方がファーストインプレッションにはいいかと思いましてーぇ」

 てへへと頭を掻くポラリスに、ララーシュタインはこいつめと横目を向けるしかない。

「ならば冬場……と考えるが、それこそこの極地では命取りなのだろうね」

「寒すぎて鍛えた人じゃないと探検には行けないですねーぇ。極寒期の環境にも興味ありますけどーぉ……。

「まあ寒さは危険ではあるよ。私に声がかかったのも出資で関係していたからだけではなく、今年初頭に寒冷地での戦闘の経験があるからという点は無視できまい。

 私が戦ったのは雪深い山中だったが」

「はえーぇ……」

「…………」

 ララーシュタインが己の過去について話を振るが、ポラリスは特に食いつかない。ポラリスの興味の範疇では無いということだろう。

 自らの研究対象について語った際とは打って変わってきょとんとした表情にララーシュタインは釈然としないものを感じるが、あからさまにそれを表情に浮かべるのも美学に反する。

 渋い表情になってララーシュタインが話題が流れるのを待つと、

「ララーシュタイン様みたいに、研究者以外で話をよく聞いてくれる方は初めてですねーぇ」

「なんとなくわかることではあるね」

 隠しきれない皮肉が漏れ出てしまったがララーシュタインの過失は少なかろう。

「私は話が長くて間延びしてるってよく言われるのでーぇ、ララーシュタイン様の人徳なんでしょうねーぇ……」

「んん……それはどうだろうかね」

 ポラリスの口調には、出資者に向けてのおべっかの類いは感じられない。良くも悪くも実直な学者なのだろう。そう好意的に捉えられる理由がララーシュタインにはあった。

 そこへ、施設のゾイド駐機スペースに入ってくる人物がいる。白衣を羽織ったその姿は、ポラリスの研究チームの一員だ。

「ポラリス博士……ポラリス博士ー……。ドローンからの信号の件なんですが……」

 声を潜め、ポラリスにだけ聞こえるようにしようとする研究員。だが当然、戦場に身を置くララーシュタインの鋭敏な感覚からは逃れられない。

「ん? 博士の部下かね」

「ヒッ」

 険しい顔に青いアイシャドウのララーシュタインに視線を向けられ、温厚そうな研究員は縮み上がる。

 その様子にどこか納得したような目を向けたララーシュタインは、首を傾げているばかりのポラリスを研究員の方に促す。

「あれーぇ? スペックさんどうしたんですかーぁ?」

「ええ、ですからその、ドローンからの信号が届きまして……」

 研究員はこそこそとララーシュタインの視線から外れ、ポラリスと共に施設の隅で内緒話の態勢に入る。そして手短に話を済ませると、そそくさと施設を出て行ってしまった。

「なにかよくない話かね」

「いえーぇ? 先行して飛ばしていた無人ゾイドから観測データがちゃんと届いたんですーぅ。だからむしろいい話ですねーぇ」

「ならば結構」

 ララーシュタインは気にせず、またシミュレーションに戻ろうと踵を返した。だが、

「おかしいですねーぇ、スペックさんは普段あんなじゃないんですけどーぉ」

「そばに私がいるからであろうよ」

 こともなげに言うララーシュタインに、今こそポラリスは目を見開いた。

「なぜララーシュタイン様がーぁ?」

「残り少ない帝国貴族当主で、研究のスポンサーとなる富豪ともなると『怒らせでもしたら』と思うのが普通だろう。ましてや、私のようにこんな得体の知れない顔をした輩はなにが引き金になるかわからないだろうしね」

「はえー……ぇ」

 実感が無い様子のポラリスに、ララーシュタインは呆れたような目を向ける。

「大抵の者は私相手にはそうなるものだよ? まあ、私のメイクなどはそのためにやっている面もあるがね。

 金をせびられたり、腕前をやっかまれたりするのは面倒なのだよ」

「あうー……ぅ。もしかして私、迷惑だったりしますかーぁ?」

 自分の話に熱中していた時とは異なり、ポラリスは不安げだ。専門分野がはっきりとしている学者ならではと言ったところかと、ララーシュタインは一人妙な納得を覚えていた。

「なに、ポラリス博士の話は聞いていて面白いから構わんのだよ。変におべっかも使ってこないからね」

「そ、そうですかーぁ?」

 自己評価は低いようで没頭すると周りが見えない。そんなポラリスに調子を崩されつつも、ララーシュタインは朗らかな感覚を噛みしめていた。

 

新地球歴三〇年 六月二〇日 一五三一時

スピッツベルゲン辺境基地 沖合

 

 シミュレーターによる環境訓練が終わると、ララーシュタインのローゼンティーゲルを交えたポラリス探検隊の行軍演習が始まった。

 基地がある島の沖合と言っても、洋上に氷が広がるこの極地では白い平原のようなものだ。平坦な地形は、凍えるような風を除けば移動にはさほど問題が無いはずであった。しかし、

「思いの外ラリーブルとファングタイガー種の相性が良くないですね……。

 ラリーブルもバイザーで本能を抑制しているんですが、民生用のものは性能が低いんでしょうか」

「開発者のランド博士は軍事以外にあまり興味が無いようですし、ローカライズが適当なのかも知れませんね。

 しかしファングタイガー種とキャノンブル種が捕食者被捕食者の関係にあったということでしょうか」

「デスレックス以外の地球種ゾイドの捕食行動に関してはまだ仮説段階ですがね」

 システムがフリーズしてしまったラリーブルを囲み、コート姿の研究者達が話し込んでいる。そしてそれを遠巻きに見る位置で、座り込んだローゼンティーゲルに寄りかかるのがララーシュタインとポラリスだった。

「まさか私のローゼンティーゲルがポラリス博士達のラリーブルを怯えさせてしまうとはね。

 私の方もバイザーの効果は抑えているが、その分躾はしているつもりだったが」

「いやあ、これは個々のゾイドの相性と言うよりーぃ、ゾイドの種同士の相性みたいですねーぇ。

 軍用のゾイド同士ならZ・Oバイザーの効果で互いの本能が抑制されていたはずなんでしょうけどーぉ……」

 ローゼンティーゲルとラリーブルの行軍演習は中断。その原因はローゼンティーゲルがそばにいたことであろうと、ポラリスと研究員達は即座に目測を立てていた。

「ゾイド同士の相性……ララーシュタイン家の蔵書にそのような記述があったな」

「惑星Zi時代の書物ですか?」

「真偽が定かではないものだがね。

 他のゾイドを怯えさせてしまう竜のゾイドが、炎で清められて仲間を得る物語だ。

 起源が異なるとしてもゾイドという存在同士なら、同じような現象が起きる可能性はあるかもしれないね」

「へーぇ、一度拝見したいですねーぇ」

 ララーシュタインの話に応じるポラリスは興味深げだ。自身の得意分野にかかることだからだろう。しかし名残惜しげに、

「でも、ラリーブルとファングタイガーの相性がこう悪いとなると探検のプランも少し変更がいりますねーぇ」

「私の同行は無しかね?」

「いいえーぇ、ララーシュタイン様の同行は絶対に必要ですーぅ。ただラリーブルが怯えてしまうなら、行軍や休憩の時に距離を置かなければいけないですねーぇ」

 どんな態勢を取ればいいかを、ポラリスは顎に手を当てて考え始める。だがその手のゾイドの扱いに詳しいのはララーシュタインだ。

「となると、探検隊に対して私とローゼンティーゲルが先行することで安全を確保して、そこにラリーブル隊を進行させるフォーメーションを取るのが良いだろう。距離を取る必要を活用できる」

「あっ、それがいいですねーぇ!

 でもそうなると詳細なナビゲーションができないのでーぇ、ララーシュタイン様に北極の環境を読んでルートを探れるだけの知識が必要になりますねーぇ……」

「まあ……それは戦うために覚えることになるのだからなんとかなるであろう」

「ルートを選んだりするのはもっとマクロな視点ですよーぉ?

 その辺りを訓練してきたラリーブルライダーの皆さんは一年以上かけて技能を覚えていますねーぇ……」

 ララーシュタインは遠い目をした。北極圏への滞在期間はそれほど長く取ってはいないのだ。

「……ローゼンティーゲルにより強力な撮影と通信の機材を積もう。博士がモニタリングしてくれればカバーできるのではないかね」

「そうですねーぇ。ラリーブルの皆さんは自分のゾイドを動かすので忙しいですしーぃ」

 二人のミーティングで、今後の態勢への提案が溜まっていく。物怖じせず言葉を交わす二人だからこそだろう。

 そんな二人をローゼンティーゲルは無言で見下ろしている。前向きに冒険に向かおうとする二人に対して眠たげなその様子は、まるでこの先に待ち受ける何事かに気付き力を蓄えようとしているかのようであった。

 

新地球歴三〇年 七月七日 〇九二一時

スピッツベルゲン辺境基地 沖合

 

 かくして、基地近郊でのトライアンドエラーを繰り返し探検隊の運用法は定められ、さらにララーシュタインも氷上での行動と戦闘の訓練を繰り返した。

 その結果探検の日程も決定され、この日ついにポラリス探検隊は北極の奥地を目指して基地を発った。編成はララーシュタインのローゼンティーゲルと、ラリーブル三体。

 三体のラリーブルはそれぞれが実験観測機材の運搬、スピッツベルゲン基地との交信によるデータ転送、そして探検中の隊員の寝食を支えるキャンピング装備だ。

「私が離れて行動する分、キャンピングユニットに余分に食糧を積めるようになったのは僥倖だったね。行動可能な期間に余裕が出来るというわけだ」

 装甲に加え、ラリーブル同様防寒ジャケットを張り巡らされたローゼンティーゲルが先行し、その操縦席でララーシュタインは呟く。極地に向かう旅路の始まりだが、アイシャドウはしっかりと塗りつけられていた。

『その分行動中の食事などはご不便をかけますけどねーぇ』

 交信用ラリーブルの通信室に座るポラリスがそれに応じる。

 ラリーブルのカーゴスペースは大きく盛り上がった背部で、キャタルガのキャリアよりは規模が小さい。しかし脚部で歩く上に地表から遠い位置にカーゴを持つラリーブルは物資に負担が少ないことが強みだ。流石に食糧はフロート付きのソリに積んで牽引しているが、それを引く力も大きい。

 冒険の足として、それもこの極限環境を渡っていく手段として申し分ないラリーブル。だが彼らをはじめから使っているポラリス達をして、必要とされたのがララーシュタインとローゼンティーゲルだ。

「活躍の場がある誉れは苦難に勝るものだよ。それも騙されてこき使われるわけでもなく、自ら求めた活躍であるならね。

 しかし敵たる野生ゾイドの姿はしばらくは見えない。存分に進みたまえポラリス博士、私が先導しよう」

 堂々と告げるララーシュタインを乗せ、ローゼンティーゲルは氷の丘に駆け上がった。見渡す限り続く白い平原を見下ろし、鋭い牙を備えた顎を引いて鋭い視線を巡らせる。

 と、そんなローゼンティーゲルの後方から何かがへし折れるような鈍い音が響いた。

『あっ……ララーシュタイン様、氷に大きな亀裂がーぁ。こっち側に戻ってきて下さいーぃ。下手するとあっという間に離れてしまいますよーぉ』

「……うむ」

 振り向けば、氷の平原に川が生じたかのように黒い亀裂が走っている。その向こうに見えるラリーブルの隊列は、氷の流れに乗って徐々に加速して見えていた。

 出鼻をくじかれたような様子でララーシュタインはローゼンティーゲルを引き替えさせていくが、しかしその加速は離れていきそうなラリーブルに容易く追いつく瞬発力だ。

 驚異の空間である北極圏の冒険には、この速度と鋭い爪と牙を備えた力の使い手も必要である。

 

新地球歴三〇年 七月七日 一五二三時

北極圏 氷上

 

 出発初日に、早くもララーシュタイン達は問題の存在に遭遇した。再度先行したララーシュタインの視線の先で、対象は氷の大地に蠢く。

「ナックルコング・スノーマンの群れであるな……」

 白いナックルコング野生体の集団が、風に巻かれる雪に紛れて遠く見えている。木々など影も形もないこの地にその姿がある点に違和感は拭えないが、彼らがこの地に適応し進出しているのは厳然たる事実だ。

「文句だけでどうにかなることなど無いのだよ、と……」

 氷の丘の稜線越しに様子を窺っていたローゼンティーゲルを、ララーシュタインは丘の頂上へと進ませる。軍事ゾイド同士の戦闘であれば気付かれずに奇襲するのが定石だが、

『貴重な野生ゾイドですからねーぇ、なるべく個体数を維持してくださいーぃ』

 ポラリスの指示通り、ララーシュタインはローゼンティーゲルに発破をかける。

「雄叫びを上げてみせよローゼンティーゲル。帝国の威光がこの弱々しい白夜などとは比べものにならないことを示せ!」

 ララーシュタインが操縦ペダルを蹴れば、ローゼンティーゲルはしなやかな背を反らして白夜の太陽めがけて吠える。掠れながら伸びる咆哮は硬いアイスバーンの大地を振るわせ、周囲からは音叉のような共鳴が追随してくるほどだ。

 突風のように駆け抜けた叫びに、ナックルコングの群れは動きを止める。そしてローゼンティーゲルは雪を蹴立てて、一直線に群れへと飛び込んでいく。

「退けい猿共!」

 ララーシュタインの鋭い声はローゼンティーゲルの唸りとなる。帝国式のゾイドに対する強制操作介入を極力抑えた一人と一体は、意思や感情に通じる部分を持つのだ。

 そして野生の姿で迫るローゼンティーゲルに、群れの中から一回り巨大な個体が進み出てくる。ドラミングと咆哮を上げる姿は、群れのリーダーということなのだろう。

「貴様を下せば群れも下がるということか?

 一騎打ちならば歓迎するところであるよ!」

 思わず口の端を吊り上げながら、ララーシュタインは間合いに踏み込んだ。一方の掌をかざして間合いを残そうとする相手の足下へ、ローゼンティーゲルは水銀の雫のように滑り込む。

 短いナックルコングの膝下へローゼンティーゲルは牙を剥いた。しかし次の瞬間、ナックルコングはつま先を蹴り出して食らいつく顔面を迎え撃つ。

 頬を蹴飛ばされたローゼンティーゲルは仰け反って跳ね上がった。しかしその動きはまるで振り上げられた鞭のようでもあり、その先端でバイザーを備えた顔は顎を引いてナックルコングを捉え続けている。

「受け流しという技術をご存じかな? 君の手足ならできそうなものでもあるがっ」

 告げながら、ララーシュタインは操縦をする。ローゼンティーゲルは空中で渦巻くように体を丸め、その中から飛び出す後ろ爪がナックルコングの顎を引っかけた。

 金属管を打ったような軽い音と共に、ナックルコングは顎を上げ膝から崩れ落ちる。それでも揺れる目でローゼンティーゲルを捉え掴みかかってくるが、ローゼンティーゲルはその手の甲を踏んで飛び退いた。

「大した気力。鍛えられれば良いゾイドにもなろう」

 着地するローゼンティーゲルの足下では氷が軋み響きを上げるが、割れ爆ぜるほどではない。再び突撃のために四肢を張るローゼンティーゲルの姿を見せ、ララーシュタインはナックルコングへと吠える。

「だが貴様も群れの長ならば己の為すべきを知っているのではないかね!?」

 揺れる頭を押さえる群れの長に、群れの別個体達が前に出ようとする、しかし長は振り向き際に叫びを上げてそれを制した。

 野生の群れを治めるものは最強の個体でなければならない。それ故の責任と闘争をこなせなければ、群れの安寧は無い。

 野性の中に存在する高貴さに、ララーシュタインは微笑む。

「立ち向かう姿を見せるのも強き者の役目であるか……!

 なるほど私も学ばされる!」

 交戦の構えを見せるナックルコングに、ララーシュタインは愛機を跳ばした。大振りの迎撃を躱し、その胸板に爪を突き立てて押し倒す。

 巻き上がる氷の粉塵の中でローゼンティーゲルはナックルコングと額を擦り合わせた。首を長い牙で掻き切ることも出来るタイミングだが、

「だが私とて在野の者ならぬ理屈と世界に生きる身よ」

 ローゼンティーゲルはひらりと跳ねた。そして背部ユニットに取り付けられたフレキシブルアームが、懸架した火器を足下の氷に向けている。

 このアームは取り付ける武装を変更できるものだ。この北極探検に合わせて換装も終えている。一方は極寒の澄み切った大気に相性がいいレーザー機銃だが、

「実弾は補給が見込めないのが辛いね」

 もう一方、パワーライフルには野生ゾイドへのストッピングパワーと威嚇効果を重視して榴弾を装填している。だが相手は下がるクチではないのがわかったので、

「惜しいがコレで幕引きである!」

 着弾は相手と、ローゼンティーゲルの着地点の間。そして横薙ぎに振られた砲身が放つ着弾は点を穿ち線を引く。

 ローゼンティーゲルの着地と同時に、周囲の氷は鳴動した。そして着弾点に沿って亀裂が走ると、対峙する二つの影は左右に勢いよく離れていく。

 氷山を断ち切ることで、ララーシュタインはナックルコングの群れと後続のポラリス達を分断したのだ。

「……うむ。こんな首尾でいかがかね、ポラリス博士」

 流れ去っていく群れでは長の背後の個体達がワイルドブラストの拳に氷を纏わせて振り上げているが、ララーシュタイン達と切り結んだ長は身を起こしながらじっとこちらを見ていた。

 捕食関係でもなし、恒常的な縄張り争いでもなし。一時のルート確保のために戦うララーシュタイン達の存在は野生のナックルコングには理解できかねるだろう。

『充分です、ララーシュタイン様ーぁ。

 ナックルコング・スノーマン種は北極探検の物資に興味を持つ群れが増えていましたけどーぉ、群れの間で脅威となる相手の情報を共有する傾向もありますからねーぇ。

 当面彼らとの遭遇は気にする必要が無くなりましたーぁ』

 陽気なポラリスの声を乗せたラリーブル達の姿が後方に姿を現わす。ララーシュタインが刻んだ亀裂に沿って進んでいくその影から通信は届き続ける。

『残る問題は……ハンターウルフ達ですね』

「〈シベリアンエクスプレス〉だね」

 北極圏に定住するナックルコング・スノーマン達とは別に、探検に適したこの夏期に北極圏に現われる集団。それはポラリス達がララーシュタインに助けを求めた真の理由だ。

『ハンターウルフの中でも特殊な〈バウンサー〉種はゾイド以外も含めた多くの生物を率いて北極を渡るわけですがーぁ、ゾイドではない生物も引き連れていることでより捕食行為に貪欲ですーぅ。

 探検隊の食糧を積極的に狙ってくるのは必定ですねーぇ……』

 同種だけではなく多様な生物を庇護するというゾイド。その生態への驚きもあったが、ララーシュタインが気に留めるのは一点だ。

「またハンターウルフなのであるなあ……」

 この年の初頭、ララーシュタインが共和国のエースを狩りに訪れたある雪山。そこで待ち受けていた相手もハンターウルフを駆るゾイドライダーであった。そしてララーシュタインは彼らを前に撤退を余儀なくされたのも記憶に新しい。

「夏を迎えて、この永遠の冬の地で雪辱を果たせるかもしれぬというのは一つの因果であろうか」

『ララーシュタイン様ーぁ?』

 独り言に疑問を浮かべるポラリスに、ララーシュタインはかぶりを振ってローゼンティーゲルをまたラリーブルの先に走らせる。個人の確執は胸に秘めても表に見せる必要は無い。

 まだ旅は序盤。ここで己のために躓くことがあってはなるまい。ララーシュタインは自らを戒めた。

 

新地球歴三〇年 七月七日 一九〇三時

北極圏 氷上

 

 夏期の北極は白夜の季節である。夕食時となっても太陽は地平線上で低空飛行を続けていた。

 ラリーブル二体の間に天幕を張ってキャンプとしているポラリス達から距離を置いて、ララーシュタインはローゼンティーゲルの操縦席で夕食を摂っていた。料理はキャンプで受け取り、この操縦席まで自分で運んできたものだ。

「普段とは逆であるな」

 ローゼンティーゲルとラリーブルの相性、そしてララーシュタインが周囲を警戒するという役目を合わせて考えればやむを得ないことではある。

 ともあれ、ポラリス達の輪の中に自分がいないことが彼女らの研究と安心を守る結果となるならばララーシュタインにとっては充分なことだ。味気ない圧縮高カロリーバーによる夕食も気にならない。

 とはいえ無言で過ごす時間は持て余すものだ。ララーシュタインとローゼンティーゲルは多くのコミュニケーションを取る段はとうに過ぎた仲であり、そして狭い操縦席には書物などを持ち込むスペースも無い。ポラリス達と気軽に言葉を交わし合う仲でもないとくれば、後は寝るぐらいしか彼にはやることがなかった。

 まあ体力を温存することも探検の旅路では重要であろうと、ララーシュタインは夕食のトレーを片付けると銀色の遮熱シートを収納部から取り出し始める。しかしそこへ、ノイズ混じりな通信が入ってきた。

『ララーシュタイン様ーぁ、まだ起きてますかーぁ』

 強力な通信装備を持つラリーブルからの通信ではないのが明らかだった。思わずララーシュタインがキャノピー越しに周囲を見渡そうとすると、ローゼンティーゲルが伏せたまま首を巡らせる。

 そこにはコートで着ぶくれしたポラリスが一人、天幕からここまで歩いてきていた。手にはトランシーバーと、私物入れの鞄が提げられている。

「どうしたのであるかね博士」

 ララーシュタインはシートを操縦席の端に寄せ、コートの合わせを閉じながらキャノピーを開く。するとフードに包まれたポラリスは無邪気そうな笑顔を浮かべ、

「一日目お疲れ様ということで少しおしゃべりしませんかーぁ? 秘蔵の一品もあるんですよーぉ」

 そう言ってポラリスが取り出すのはタッパー一つ。首を傾げながら操縦席を降りるララーシュタインに、ポラリスは小さな折りたたみ椅子を広げて差し出した。

「まあまあおかけになって下さいーぃ。今日はナックルコングの群れを撃退してくれたのが本当に大収穫でしたねーぇ」

「いやなに、あの程度は大したことではないのであるよ。こと私にしてみればね」

 ララーシュタインが謙遜する間にも、ポラリスは瓶も取り出して氷の上に並べていく。グラスに注がれるのは無色透明な液体だが、

「まま一杯どーぞーぉ」

「ん? よくわからんがいただこう――オッホ!」

 自然に差し出される一杯を、流れで傾けてしまったララーシュタインは突き抜けるアルコール臭に顔をしかめた。それはよく冷えて味が丸くなってはいるが、かなり度数の高い酒であった。

「度数の高いお酒は氷点下でもなかなか凍らないので便利なんですよーぉ」

「そ、そうであるかね……」

 霜が貼り付いていくグラスにちびちびと口を付けるポラリスにララーシュタインも倣う。そしてポラリスは話題を戻し、

「あの群れを追い返してくれたことだけではなくてーぇ、至近距離から撮影できたことも大きな収穫なんですーぅ。ラリーブルでは危なくて近づけないですからねーぇ。

 さらに今回はワイルドブラストする様子も捉えられましたからねーぇ」

 耐環境仕様のタフタブレットでポラリスは昼間の映像を再生する。亀裂の向こうに流れていくナックルコング達は、拳に纏った装甲にさらに氷の塊を形成しているのが見えた。

「現在の本国仕様ナックルコングに用いられる種は、拳を赤熱させることができたな。同じ性質の方が寒冷地では役立つような気もするが……」

「さてーぇ、外気温が冷たい中で熱を発しようとすると大陸の種より大きなエネルギーが必要ですからねーぇ。私達もそれで苦労してますしーぃ」

 ララーシュタインの疑問に、酒を含んで紅潮した頬でポラリスは応じる。そして先程掲げたタッパーを開くと、似た色がそこには詰まっていた。

「私達にとって厳しい世界ではありますがーぁ、そこの生物にとっては合った環境でもありますーぅ。

 そういう特殊な生物は研究し甲斐もありますしーぃ、利用価値もあるんですよーぉ。例えばこれですーぅ」

 乾いた音を立てるタッパーの中身を、ポラリスはララーシュタインに見せる。怪訝そうに覗き込んだララーシュタインが目にするのは、

「小エビ……かねこれは」

「近い種ですよーぉ。これはオキアミを煎ったものですーぅ。

 いろんな海洋生物のエサになるプランクトンですがーぁ、この北極海近辺ではたくさん獲れるんですーぅ。これを活用できれば安価な蛋白源としていろんな活用法が考えられますーぅ」

 説明を受け、ララーシュタインはタッパーに詰まったオキアミをひとつまみ手に取る。指二本で五、六匹は捉えられるサイズだ。

 口に含むと想像したよりも殻の固さなどは感じない。代わりに磯の風味が強く鼻に抜けていく。

「エビの類いとしては肝の味が強いね。なるほど酒の肴にもいいかもしれぬ」

 続けてグラスに口を付けるララーシュタインに、ポラリスは微笑んだ。

「このオキアミだけじゃなくてーぇ、他にもいろんなものがありますよーぉ。

 北極には地面が無いと言いましたけどーぉ、その一方で太平洋大西洋にも匹敵する広大な海底があるとも言えるわけでーぇ、独特の資源を採掘できる可能性もありますーぅ。

 今は白夜の季節ですけど、冬ならオーロラも見られて観光資源になり得ますねーぇ」

 ポラリスは間延びした口調ながらに熱っぽく語る。そうしつつ、氷の上に薄く積もった氷をかき集めて瓶を刺せば、倒れるのを防ぎつつ瓶も冷やすことが出来る。幾度もこの氷の大地に通い手慣れた仕草だ。

「氷しかないこの場所が本当がとても豊かだなんてーぇ、素敵じゃないですかーぁ」

 ほろ酔いで笑うポラリスの姿に、ララーシュタインは不思議な感慨を抱く。

 人を遠ざけるような化粧や言動を気にせずに、自身の知る分野について活き活きと語る女性。しかもただ快活に生きるだけではなく、自分達が生きる国に与する意志を持っている。それは遠ざけて尚多くの人と関わるララーシュタインをして初めて見るタイプの人間像だ。

「博士の夢を私も支持したいものであるな」

 ララーシュタインはグラスを掲げる。婉曲な言い回しにポラリスは首を傾げるが、すぐにそのグラスに乾杯を重ねた。

 短い時間ではあったが、凍える鼻に鮮烈な潮の香りを送る晩酌はララーシュタインの記憶に強く残ることになる。隣に座るポラリスの笑顔と共に。

 

新地球歴三〇年 七月一〇日 一〇三四時

北極圏深部

 

 ポラリス探検隊の旅は続く。

 進行につれ氷の厚みは増し、一年を通して残り続けるような氷山ばかりになっていった。傾斜や凹凸も激しくなり、まさに氷の大地という塩梅だ。

「海面が見られるのはここまででしょうねーぇ」

 ポラリスはそう判断すると、機材運搬用ラリーブルから一つの装備を下ろした。一抱えほどの流線型のその姿は複数のヒレを持ち、帝国軍のゾイド同様バイザーを取り付けられていた。

「遊泳型の深海探査ドローン・ゾイドですーぅ。北極点付近の深海を調査して帝国に情報を送信……できたらいいなーぁ、というものですねーぇ」

 本格的な有人水中ゾイドがあればいいんですけどねーぇ、とぼやきながらポラリスはそれを氷の断崖から海に放る。そしてリモコンで起動コマンドを送ると、ドローン・ゾイドは一度バイザーの発光を見せて水中に消えていった。

「海中で自ら活動のエネルギーを補給してーぇ、これから十年以上北極海の海底を探査してくれるはずですーぅ……。

 それを私達が受信してーぇ、活用できるかはこれから次第ですがーぁ」

 立ち会うララーシュタインにポラリスはそう説明する。彼女は自らの研究活動の一つ一つを実行する度にそうしてきた。自らが研究するものとそこにかける熱意を誰かに伝えようとするひたむきさがそこにはある。

 きっと今までそれは、限られた人々にしか届かずにいたのだろう。

「……なに、博士が研究を続けるなら、ララーシュタイン家はそれに協力を惜しまぬよ。この脅威の大地を自ら踏破しようとする意志が向かう先を、私は支持するとも」

「ありがとうございますーぅララーシュタイン様ーぁ」

 厳かに告げるララーシュタインに、ポラリスは照れくさそうに微笑む。そんな二人の背後で、ラリーブルのライダー達は何か噂話をするようにクスクスと顔を見合わせていた。

 旅路は順調である。――ここまでは。

 ポラリス探検隊の行く手である北……もはや北極点までのわずかな距離しか残らぬ空間には、在るべき困難が濃縮されたかのような灰色の靄がかかっていた。

 そこには氷上の雪が巻き上げられた地吹雪が渦巻き立ちこめている。ポラリス達はこれをやり過ごす意味も込めてこの場所で足を止めているのだ。

 だが北極探検の物資に限りがある探検隊に時間的猶予は少ない。翌々日、ポラリスは苦渋の決断を下す。

「……北極点付近までの到達は断念しつつーぅ、帰還可能な地吹雪圏外周部に多少踏み込んだ調査をしましょうかーぁ……」

 地吹雪への突入の決断。それはこの探検が本格的な困難に踏み行っていくことを意味していた。

 

新地球歴三〇年 七月一三日 〇七三一時

北極圏深部

 

 地吹雪圏突入の翌朝。悪天候ということで一行は密集して夜を明かし、ポラリス達は早朝のララーシュタインを目にすることになる。

 そこには特徴的なくどいアイシャドウを付けていない、精悍な顔つきのララーシュタインがいた。

「ララーシュタイン様ーぁ? お化粧がーぁ……」

「アイシャドウが凍り付いていてな。あれはもはやただの青い粉末である」

 ララーシュタインはローゼンティーゲルの隣で腕を組み、忌々しげにぼやいた。そして吹き付ける雪を避けるためのマスクを襟元から引き上げる。

 ララーシュタインの意外な姿は笑いを呼んだが、しかしこのエリアの笑えぬ恐ろしさは突入初日に全員が実感していた。ノーメイクのララーシュタインの姿を見るのに、スクラムを組めるほど接近しなければならないのがその証左だ。

 地吹雪下の視界は狭い。白い闇とも形容できるその空間で頼りになるのは、人類が用いるゾイドの場合はレーダーということになる。

 そしてノイズが走るその捜索画面に明確な影が映る時がやってきた。

 

新地球歴三〇年 七月一三日 一八四三時

北極圏深部

 

「対象との距離は三〇〇〇メートル。移動速度は時速三〇キロ――。

 しかし進行方向が我々と交錯することはないようであるな」

 氷の丘の上に立つローゼンティーゲルから、ララーシュタインは白い闇の彼方に目をこらしながら告げる。だが風に巻く雪は見通せず、結局視線を落とす先はレーダー画面だ。

 そこには光点の連なりが一直線に画面を横切っている。それは自機の位置を示す画面下部のポインタに気付かずか、左から上へと向かうルートを取っていた。

 シベリアンエクスプレスの通称を持つ北極圏横断の集団。強力かつ快速のハンターウルフ種ゾイドの亜種〈バウンサー〉に率いられた彼らは、集団を構成する生物の生態次第で、一年のあらゆるタイミングで北極を渡る。今ララーシュタイン達が遭遇した相手は、冬をシベリアで過ごすために移動している集団のようだ。

『気をつけて下さいーぃ。バウンサー種のハンターウルフは頭が回るのでーぇ、群れにゾイドがいる場合斥候に出したりするんですーぅ。群れがレーダーに映るってことはーぁ、ゾイドを含んだ大規模な群れなのでーぇ……』

「要警戒というわけであるな。

 このような場面ならゾイドライダーが頼るものは一つだよ」

 ポラリスの指摘にララーシュタインは独りごちる。そして操作するのはZ・Oバイザーの抑制レベルだ。

 極力本能の抑制をカットし、機体挙動もローゼンティーゲル自身に明け渡していく。そしてララーシュタインの操作はフレキシブルアームに接続されたレーザー砲へ、

「…………」

 ゾイドとの交流に言葉はいらない。そう語るライダーは多いし、ララーシュタインもそれを実感している。別の道もあろうという可能性を知った今でも、己の、己達のやり方はこうだと感じる。

 脳裏で考えるララーシュタインの意識は、ローゼンティーゲルがかすかに首を動かしたのを見逃さなかった。

「――そこかあっ!」

 ララーシュタインは虚空にレティクルを向け引き金を引く。そして閃光が地吹雪を貫くと、風の唸りの奥で何かが跳躍する気配があった。

「上ッッッ!」

 ララーシュタインが理屈で理解する場所を、ローゼンティーゲルは本能で見つけている。顔を上げ、機体は背後に跳んだ。

 その眼前に両前脚の爪を立てて飛び降りてくる影が一つ。足下の氷に亀裂を走らせながらも嫌に静かな着地音のそれは、

「ハンターウルフではないな……!」

『よく似た姿ならーぁ、キツネ種のゾイドかもしれないですーぅ!』

 雪風の中に垣間見えた影からポラリスはそう判断する。そしてその影は白い闇の中に即座に溶け込んで見えなくなっていった。

 そして響く、甲高い笛の音のような咆哮。レーダーの走査線が画面を洗うと、その隊列が乱れるのがわかった。

 群れのリーダーは群れを全て見渡すために最後尾に付くという。そして乱れた光点の群れにおけるそれは、もう見えない。

「私達は発見された。ポラリス博士、ラリーブル隊は退避させたまえ」

『ララーシュタイン様ーぁ!?』

「そのための私とローゼンティーゲルであるよ」

 ポラリスに優しく告げるララーシュタインの一方で、ローゼンティーゲルは重低音で白い闇の奥へと怒鳴りつける。貴様ら全ての敵はここだと。

 そしてローゼンティーゲルは駆け出した。硬い氷を蹴立てる足音は金属音じみて風の唸りの中に差し込まれていく。耳ざといものはそれを聞き逃すまい。

「さあ来い! 私が『出る杭』だけだもの共めが!」

 ララーシュタインがローゼンティーゲルを向ける先はポラリス達とは逆方向。そして蹴立てる氷山の背後に、ララーシュタインは確かな気配を感じていた。

「来い、来い――来たぁ!」

 ローゼンティーゲルは跳び、そして今いた空間に食らいつく横顔を見下ろした。暗い灰色の中に赤い眼光を持った影は、ララーシュタインがかつて相対した存在と同じシルエットを持つ。

「ハンターウルフ〈バウンサー〉!」

 多彩な生物を導く代わりに身の回りを任せるという、生まれながらの群れの長たるゾイド、ハンターウルフ〈バウンサー〉。それが自ら襲ってくるということは、ララーシュタイン達は群れの敵として認められたということだ。

 金属の牙が噛み合う勢いは火花を生み、バウンサーの横顔を照らす。しかしそれを見下ろすローゼンティーゲルから放たれるのはさらに強く鋭い人工の光だ。

 レーザーの連射で着地点を確保して舞い降りるローゼンティーゲル。そして着地と共に駆け出す紫の影に、灰色の影がすぐさま追いすがってくる。

 疾走の周囲で金属のパーカッションが火花と共に瞬く。迎撃のフレキシブルレーザーガンの連射は彗星の尾のように広がり、しかしその中をバウンサーは掻き分けてきた。

「やはり亜種でも相手の方が優速であるな! ならば!」

 相手は単騎ながら、まるで一つの群れに食らいつかれるかのような気迫。その最先端で思わず口の端を吊り上げながら、ララーシュタインは吠えた。

 ローゼンティーゲルは察している。爪を立てると、氷に鋭く食い込ませながら全力制動をかける。前脚一本で堪えるローゼンティーゲルを思わずバウンサーはオーバーシュートし、

「榴弾の使いどころであるなあ!」

 フレキシブルアームのもう一方、パワーライフルに装填された砲弾が空中へ放たれる。それは地吹雪の最中で爆発すると、周囲の凍える風を吹き飛ばした。

 一瞬の中で、白夜の陰鬱な日差しが周囲の景色を露わにする。着地し身を伏せたローゼンティーゲルの視線の先には、振り向いた眼前で榴弾の炸裂に目を眩ませるバウンサー。

 人騎一体を旨とするララーシュタインとローゼンティーゲルは本能の斬り合いと人の技を併せ持つ。二つのスキルの切り替えは、一つの技しか持たないものには抗しがたいものだろう。

 首を振って眩んだ視界を振り払おうとするバウンサーに、低く構えたローゼンティーゲルは飛びかかっていく。下から首を狙う突進にはハンターウルフ種が首元に蓄える毛皮状の天然装甲が妨げになるが、爆風から目を逸らそうとしたバウンサーは首も反り返しているがために、

「首元いただきェアッ!」

 剥き出しの喉へ牙が走る。ゾイド対ゾイドの一対一ならば決まり手の一撃。

 しかし思わず叫びながらも、ララーシュタインの視線は周囲を警戒していた。

「――ッッッ! キツネェ!」

 急速に狭まっていく空間めがけ、地吹雪の層を飛び越えて襲いかかってくる白い影。

 先程のキツネ種ゾイドだと確信するよりも先に、ララーシュタインは操縦レバーを倒す。身を捻ってバウンサーの横に転がるローゼンティーゲルの前に、両前脚を突き出した姿が舞い降り氷の破片をまき散らす。

 そして二体の影は地吹雪に掻き消されていく。ローゼンティーゲルはすぐさまそれに向き合うべく側転を続け氷の上にスライディングした。

 だがララーシュタインが気配を感じる方向は背後。

「群れのゾイドか!」

 ポラリス達からバウンサーの群れを引き離すために取ったルートの先に、停止してバラけた群れの構成個体が散らばっている。ララーシュタイン達はそこに突っ込みつつあった。

 背後の重苦しい気配は、さらに風を切る唸りを上げ始めた。すかさず跳んだローゼンティーゲルの足下に、きらめく刃が襲いかかる。

 地吹雪の中になおまばゆい多数の刃。ミキサーの底のように旋回するその金属光沢の連続にララーシュタインはその正体を悟った。

「ステゴゼーゲ種か!」

 刃の連なりの奥に振り向く視線。体を傾けブレードを振り下ろしたその姿は四足歩行の恐竜種ゾイドだ。

「恐竜種ゾイドが北極渡りの集団に加わっているとは!」

 爬虫類系ゾイドの一派である恐竜種は、その分類にも関わらず比較的寒さにも強いとされている。それでも比較的という但し書きがつく存在であり、野生の個体が自ら寒冷地を通過するというのはあまりにも意外な事実だろう。

「とんだ百鬼夜行の中に踏み込んでしまったようであるな……。見ているか博士!」

『見ていますーぅ! す、すご……』

 思わず語尾で息を呑むポラリスの気配に、ララーシュタインは高揚してしまった。無辜の民に未知なる世界を見せられるのは、力あるものにとって誉れ以外の何物でもない。

「群れを遠ざける上でも内部突入は有効であろう。踏み込めるか!?」

 ララーシュタインの問いに、ローゼンティーゲルは喉を鳴らして応じた。そして着地すると同時に跳ね、紫の影は鞠のように群れの中に転がり込んでいく。

 ステゴゼーゲは一体だけではなかった。銀の絨毯のように連なる刃の間に脚を差し込み、ローゼンティーゲルは飛び跳ねた。そしてそれを追ってくる気配も一つ。

「バウンサー、追ってきているな。そうだろうとも貴様には無視できまい。群れの長として!」

 操縦席で振り向き笑うララーシュタイン。しかし同時に、ローゼンティーゲルの眼前に黒い影が立ちはだかる。

「この巨体はっ!」

 ぶち当たる直前、脚一本で無理矢理方向転換したローゼンティーゲルの前に現われるのはグラキオサウルスだ。さらに地吹雪の中に林立する長い首は遠くまで続いている。

「恐竜型が一種だけではないとは……!」

 長い管楽器が鳴るような低音が響く中、ローゼンティーゲルめがけさらに周囲から飛びかかってくるものがいた。

「こちらはギルラプターか!」

 連続して振り下ろされる刃をララーシュタインは看破。そしてそれを潜ってローゼンティーゲルをさらに駆けさせていく。

 奇襲から追跡に転じきれないゾイド達の中に、まだ追いすがる気配はある。それに相対すべく、ローゼンティーゲルは宙で身を捻り、ララーシュタインは照準を向けた。

 放たれる榴弾。広がる爆風。再び晴れる吹雪の中に、群れの全容が浮かび上がった。

 そこには並び立つグラキオサウルスの巨体。追跡してくるハンターウルフ〈バウンサー〉。

 そしてその足下にうずくまって見えるのは、兎や鹿といった生身の、ゾイドに比べれば小さな生物達。

「……ゾイド以外の生物までも引き連れていくというのは本当なのであるな!?」

 改めて実感するララーシュタインめがけ、今こそ守り手の気迫を込めてバウンサーは食らいついてくる。牙の鋭さが眼前に迫る中、ララーシュタインは唸った。

「つくづくハンターウルフというゾイドは! 野良狼でありながらに! 忌々しいほどに貴族の有り様を示そうとするゾイドであるな!」

 ララーシュタインの叫びに、バウンサーは応じない。しかし襲いかかる牙を真上に蹴り、ローゼンティーゲルはグラキオサウルス集団の中央に着地する。

 氷を巻き上げ、周囲の小動物達が逃げ出す中長い牙の猛獣は空を見上げる。その上空で、顎を蹴り飛ばされたバウンサーは背面のレゾカウルを展開した。

「ワイルドブラスト……!」

 ララーシュタインは繰り出される一撃を知っている。

 ハンターウルフ種のワイルドブラストは急加速と衝撃波の二つの形態を持つが、

「群れの中に撃ち込むことはできまい!?」

 カウルは後方に威力を収束させるように展開している。バウンサーは空中から突撃してくる構えだ。

「その一撃と相対したかった!

 ヴィルデエクスプロジオン!」

 ララーシュタインとローゼンティーゲルは咆哮を上げる。

 かつて勝てなかった敵――負けもしなかったが――と同種との対決。牙を剥くには万全のシチュエーションだ。

「ブリッツェンシュヴェールトォォォ!」

 背面装甲の拘束が解放され、鈍色の刃が二振り天に突き立った。さらにその間にスパークが走り、バウンサーの突進を待ち構える。

 宙空からの瞬発は一直線にララーシュタイン達を狙った。すかさず展開したツインドファングを振りかぶるローゼンティーゲル。

 だが突進の一瞬の中で、バウンサーの背面カウルとタービンが前傾した。その瞬間をララーシュタインは目撃する。

「セカンドギアっ……!?」

 収束する超音波のインパルス塊。その向こうに歪むバウンサーめがけ、それでもララーシュタインとローゼンティーゲルは刃を叩きつける。

 超震動が切っ先から尾までローゼンティーゲルを激震させるが、刃は衝撃を突き抜けた。何か金属を切り裂く手応えを感じる中、ララーシュタインの視界は衝撃の破裂から来る蒸気流に埋め尽くされる。

 一瞬の交錯の直後、蒸気はすぐさまダイヤモンドダストと化して周囲を巡った。そしてツインドファングの切っ先はバウンサーの耳とレゾカウルの先を、バウンサーの爪はローゼンティーゲルのフレキシブルレーザーガンをそれぞれ切り裂いていた。

「一手深く踏み込まれようがっ!」

 眼前の氷でバウンドするように跳躍に入るバウンサー。そして側方で誘爆するレーザーガンの炎に包まれながら、それに押されてローゼンティーゲルはツインドファングの峰をバウンサーの脇腹に叩きつけた。

 間にスパークを残し、互いに弾け飛ぶ二体。そしてそのスパークの間を真っ直ぐに視線が貫く。

 地吹雪がまた二体の間に立ちこめる。だがギラついた二つの眼差しは、凍てついた風の中でも互いの居場所を確かに明らかにしていた。

 対峙する野性と高貴の担い手。周囲でオルガンのようにグラキオサウルス達の鳴き声が連なる中、視線は互いを射貫きながら距離を保って旋回していく。

 しかし、周囲で響くグラキオサウルスの声に不意に高い響きが混じった。そして刃を振るわせていたステゴゼーゲ達も背面を閉じ、一目散に駆け出し始める。

「……? なんだこの変容は」

 緊迫した、誰にも立ち入れないような一戦に不意に差し込まれたパニック。ララーシュタインが疑問した瞬間、その視線を乗せた操縦席は大きく旋回した。

「ローゼンティーゲル!?」

 振り向く愛機に問うララーシュタイン。だがそれに応じたのはローゼンティーゲルの唸りではなく、遠く響く氷山の断裂音だった。

「――! ポラリス博士!?」

 ラリーブル達がいる方角だ。

 しかし思わず気を逸らした瞬間をバウンサーは見逃さなかった。赤い光が地表に迫り、そしてすくい上げるような軌道でローゼンティーゲルの喉元に食らいついてくる。

「――ッ! ええい下がっておれ!」

 振り上げた前足が、その甲で迫り来るバウンサーの横面を張った。そしてよろめくバウンサーを尻目に、ローゼンティーゲルはポラリス達がいるはずの方角へ駆け出した。

「ポラリス博士! 返事をしたまえ! なんだ今の音は!?」

 無線機にがなるララーシュタイン。しかしそれに応じる声は無い。代わりに前方の空間から大蛇が迫るように、ローゼンティーゲルの足下を一筋の亀裂が後方へと駆け抜けていく。

「クラック……!」

 すれ違った亀裂が徐々に広がっていく様に、ララーシュタインは歯噛みした。通信機のチャンネルをポラリスのものから探検隊全体のものに切り替えると、

『ララーシュタイン少佐! クレバスです! 巨大なクレバスに機材用のラリーブルが転落しています!』

『現在救出を試みていますが……!』

 吹雪の奥に重厚なラリーブルの姿が見えてくる。しかしその数は二機であり、総勢で牽引していたはずの食料品コンテナのソリも姿を消していた。

 ソリへの連結ワイヤーに加え、ラリーブルの頭部に備わる鼻輪型ウインチからも頭角ダンパーにワイヤーが回されて亀裂の中に続いている。わずかな弛みも無くピンと張ったワイヤー達は、その先に重量物が存在することを示していた。

「わかった。よく持ちこたえたぞアディーン! チャンプ!」

 名を呼びながら、ララーシュタインは機体を二体の後方に回して肩口からぶち当たり助力とした。鋭い爪が抵抗を受けて氷に食らいついていくが、その一方でラリーブルの蹄は踏み出す動きで浮き上がった。

「ワイルドブラストを使え! 私が許可する!」

『了……解!』

 ゾイドの本能解放時のパワーは凄まじいが、それは莫大な消耗とトレードオフだ。この場でその力を発揮させるということは、この探検はここから帰途につくしかないという結論にもつながる。

 ポラリスが無事なら惜しむことだろう。だがその惜しみを見られるかという瀬戸際でもある。

『制御トリガー解放!』

『ラリーブル、マシンブラストぉ!』

 ライダー達の号令と共に、ラリーブルの排気ダクトから蒸気が吹き上がり、肩口に突き刺さった槍のような放熱索も展開していく。

 野太い咆哮と、地吹雪をも押し返すような蒸気を上げながら二体は突き進んでいく。その背後でワイヤーは強烈なテンションに耐えて弦のような音を立て、クレバスの縁を削りながら引き上げられていった。

 そしてクレバスの中から黒々とした塊が一つ現われる。ローゼンティーゲルはすぐさまそれに飛びつくと、食らいついて氷上に引き上げた。

 それはやはりラリーブルだ。しかし微動だにしないその姿には、背後から食糧コンテナとソリが覆い被さるように食い込んでいる。

「操縦ブロックが……!」

 戦慄したララーシュタインは、ローゼンティーゲルの爪を向けさせた。めり込んだ鉄骨を引き抜き、噛み合った部位を切り落としていくと本来の背部ユニットが見えてくる。

 そして鉄骨の一本が操縦席のキャノピーに突っ込み、赤い流れが垂れている。

「ベネット……。

 皆手を貸してくれ! 博士……ポラリス博士はどうだ?」

 ラリーブルのカーゴブロック内にポラリスの席は用意されていた。彼女はどうなったのか。ララーシュタインはスピーカーを起動し、さらに無線機も元の直通チャンネルに戻し、

「博士! ポラリス博士! 何を寝ている!

 まだ私達の冒険は終わっていないぞ! 聞こえているのか!」

 ローゼンティーゲルのキャノピーを解放し、ララーシュタインは自らの声でも呼びかける。

「ヌール・ポラリス! なんのためにこの北極までやってきたのだ!

 挫けるためではあるまい!?」

 上に立つ者として鍛え上げた大音声が、横たわるラリーブルと氷の大地とを震わせる。それは獣同士の唸り声の応酬にも匹敵し、上回るほど鋭い叫びだった。

 そしてそれは分厚い防寒装備を貫いた。

『ララーシュタイン様ーぁ……』

 か細い声を拾い上げたのは、命綱のように細い通信回線一つ。

「無事か博士!

 出てこられるか……いや無理をするな! 外からカーゴスペースをこじ開ける! コートを着込め! いいか!?」

 降り立ち、ひしゃげたハッチに飛びつくララーシュタイン。金属が噛み込んだハッチは半端に開いて軋む音を立てるが、

「ええい開けぇい!」

 数度アタックをかけ、ララーシュタインはコートの中から拳銃を引き抜いた。

 佐官のサイドアームズは自費購入品。ララーシュタインのそれは惑星Zi時代から存在するモデルの高精度品であり、この極寒の地でも万全に稼働した。

 銃声と共に蝶番が吹き飛び、ゆっくりとこぼれ落ちようとするハッチをララーシュタインは投げ飛ばす。そして、

「博士!

 ――っ」

 覗き込んだカーゴスペース。そこでは、探査機材の多くが固定ラックごと脱落し、そこにいるべき人の姿を飲み込んでいた。

『ララーシュタイン様……』

 か細い声は、無線インカム越しにしか聞こえない。わずかな距離しかないはずなのに。

 ララーシュタインは絞り出すような唸りを上げ、機材を掻き分けにかかった。

 

新地球歴三〇年 七月一四日 〇二四八時

北極圏深部

 

 急遽設営された天幕。その中に立つ影は三、横たわる影は二。

 ララーシュタインとラリーブルのライダー達が背を向けるのは、袋に包まれ物言わなくなった最後のライダーであるベネット。

 彼は即死であった。そしてララーシュタイン達の視線の先からは苦しげな息づかいがずっと続いている。

「肋骨の骨折といくつかの臓器の破裂。さらにそれらの影響による内出血が無事な臓器まで圧迫しています。

 緊急の外科手術で対応するようなダメージで、我々が持ち合わせている装備では対応しきれません……」

「うむ」

「折からの地吹雪でスピッツベルゲンへの空輸も困難です。そもそも、あの基地の航空ゾイドでは航続距離不足ですが……」

「うむ」

 医療資格を持つキャンピング装備のラリーブルライダーが上げていく絶望的な報告に、ララーシュタインは無表情に頷き続ける。

「我々には何も出来ぬと、そういうわけであるな」

「…………」

 ララーシュタインの結論を否定する者は誰もいない。騒ぎ立てたり詰る者もいない。もとより困難な旅に選抜されたライダー達だ。ララーシュタインは改めて彼らの優秀さを認める。

「……しかし貴重な記録を多く得ることができた。この探検の学術的価値は決して否定されるものではない」

 ララーシュタインはあえてそれを口にした。機材運搬機から回収された記録はスピッツベルゲン基地への送信と、キャンピング機の積み替えを終えていた。

「皆の献身に感謝する。後はこの記録を無事に持ち帰ることが君達の任務だ」

「はい……。しかし」

「しかし?」

「博士のことは……」

 隠しきれずに漏れ出る思いに、しかしララーシュタインは首を振った。

「失敗があったのではない。我々は最善を尽くし、その上で自然の驚異が我々を上回ったのだ。

 これを敢えて形容するならば……礎と言うべきであろう。人類の未来に対する」

「そんな風には、なかなか割り切れませんよ……」

「ならば誰かの失敗として、誰を責めるのかね。君のような人はやがて自分を責め、自分を押しつぶしそうであるな」

 ララーシュタインは皮肉げにそう告げる。挑発するような流し目をライダー達に向け、

「責めるなら私にしておきたまえ。貴族という立場にはそういう役目もある。

 どうせ帰投すれば民衆はそうするのだしね」

 実態としてこの探検隊はポラリスの研究のための部隊であるが、ララーシュタイン家の出資と責任こそが社会的には重視される。そういうものだ。

「殺人者がいるとすれば私なのだよ。最も、今回相手をしたのは獣達であるはずだがね」

「芝居がかったことはおやめ下さい、閣下……」

「本心だよ」

 と、嘘をつく自分は一体何なのだろうかとララーシュタインは内心で疑問する。己は悪党ぶるためではなく、信念を持って生きているつもりだったのだが。

 貴族故に求められる振る舞いとは無縁であり、しかし目指すものを持つポラリスならばどう思うだろうか。

「博士……」

 ララーシュタインはマットに横たわるポラリスの隣に跪いた。遮熱シートにくるまれたポラリスの表情は苦しげだが、痛みからくる緊張が彼女の生命を保っていると言っても過言ではない。意識を失えば弛緩した体は内出血を悪化させ死に至るだろう。

「……あなたはこれから一つだけ行く場所を選ぶことが出来る。どうなさりたい?」

 どんな答えが返ってくるかわかっていることを敢えて問うことも芝居がかっているだろうか。己を笑うララーシュタインに対し、ポラリスの口は小さく動いた。

「北の……果てにーぃ……」

 何かを演じる余裕など無い状況――。そうでなくても、ポラリスは己を偽るような人ではあるまいとララーシュタインは確信していた。

 もっとも、彼女の本心を知ったが故にララーシュタインが気付いてしまった偽りもあるのだが。

「わかった博士、あなたをこの星の極北にまで連れて行こう」

「閣下、それは……。博士を本国で待つご家族も」

「いないのであるよ」

 たしなめようとした相手にララーシュタインが浴びせた断言は、彼らに驚きを呼んだ。だがララーシュタインにとっては既知の事実だ。

「出資者が相手の素性を調べるのは当然のことであるよ。

 ヌール・ポラリス博士のご両親は地球入植後に博士を生んですぐお亡くなりだ。お二方は地球到達後の環境調査を担当していた環境・生物博士であったが、地球環境に体質が適合せずに、な。

 その後ポラリス博士は天涯孤独の身ながらに学問の道を歩み、ご両親同様博士号を得るに至った」

「そのようなことは……博士は一度も……」

 間延びした、木訥とした顔の下にポラリスが隠していた素性。しかしララーシュタインは思う。その重たげな経歴よりも前に、短い期間でも見知った彼女のルーツがあるのだ。

「学生時代の博士はご両親が成し遂げられなかった地球上の極限環境の調査と利用を志していたと記録に残っている。数は少ないがね。

 しかし彼女はそういった義理だけではなく、この極地の驚くべきエネルギー自体にも惚れ込んでいたようであったが」

 呟きながら、ララーシュタインはポラリスの体を抱え上げた。姿勢の変化だけでも痛みが走るのか、ララーシュタインの腕には硬く縮こまるポラリスの感触が伝わる。

「私は博士の意志こそ貴いと思うものであるよ」

「閣下、ご自身だけで行くと……?」

 天幕の入り口に向かうララーシュタインへの問い。だがララーシュタインは、真に貴い者のために己を憎たらしい貴族とする。

「ララーシュタイン家の人間が世界で最も速く、最も北の地に到達することにもそれなりの価値があるのだよ。

 そのついでに博士の最後の望みを叶える。美談であろう」

 それだけを告げ、返事も表情も待たずにララーシュタインは天幕を後にした。

 彼らは自分達の使命を知っているし、為すだけの責任感も持った者達だ。愚かな貴族を置いて確実な道を歩んでくれるだろう。

 ここから先は……理屈ではなく意思で通じる者達の時間だ。地吹雪の中に蹲るローゼンティーゲルへ、ララーシュタインはポラリスを抱きかかえて歩んでいく。

 

新地球歴三〇年 七月一四日 〇四三二時

北極点付近

 

 ローゼンティーゲルはまた白い闇の中へと駆け出していった。

 そもそもが寒冷地での単独生活をしていたと目されるファングタイガー種だ。気遣う相手がいなくなったその足取りは驚くほど速い。

 そして風と雪を掻き分けていくその鼻先は驚くほどブレが少なく、操縦席にも風が巻く音しか響かない。前傾して操縦レバーを握るララーシュタインの背では、ポラリスが幾分か穏やかになった息を吐いていた。

 無言のままに二人と一体は北へ。しかしもはやこの惑星の『北』の残りは少ない。北極点にたどり着けば、そこから見える場所は全て南側だ。

 球体の惑星でも南極点と並ぶ特異点。それに相応しい到達の困難さを持った場所へ。

 しかしその疾走の前に影が現れ始める。

「……昨日の群れか」

 ララーシュタインが進路を変えようと襲撃したハンターウルフ〈バウンサー〉の群れ。ララーシュタインが後退したことで再び集結し移動を再開したのだろう。煙る地吹雪の向こうに、グラキオサウルス達の影が連なっている。

「今更追い払うこともあるまい」

 ララーシュタインは操縦レバーを傾ける。ローゼンティーゲルもそれに応じてルートを変え、群れを追い抜いていく。

 グラキオサウルス達はちらりと視線を向けてきている様子だが、戦う意思を向けないローゼンティーゲルには興味が無いようだ。群れの長の気配も感じられない。

 そしてローゼンティーゲルのひたむきな視線は北を向き続ける。その足取りも。白夜の光が散乱するこの北の果てを、ローゼンティーゲルは走り続けた。

 そして徐々に、吹雪に差し込む光が強くなり始めた。否、渦巻く吹雪の層が薄くなりつつあるのだ。

「北極点までの距離は、残り数キロ……」

 コンソールの表示を読み上げ、ララーシュタインはポラリスをはげます。レーダー上にも障害物の影は無い。

「ローゼンティーゲル……一息に行こうではないか」

 ララーシュタインは操縦レバーを叩く。それに応じてローゼンティーゲルは加速するが、しかし姿勢を下げたその足取りにはわずかな警戒の気配があった。

「…………?」

 ララーシュタインは下がる視点の高さと、操縦レバーの手応えに首を傾げる。しかしその瞬間に、機体は地吹雪を突き抜けた。

 白夜の太陽が氷の大地を照らす風景は、旅の道行きで多く見てきたもののはずだ。しかし吹雪に閉ざされながらポラリスの衰弱を見ていた時間が、記憶を遠い過去に押し込めたようにすら感じさせる。

 各部から吹雪の残り香を曳いたローゼンティーゲルは、わずかな傾斜を駆け上がる。だがそこで広がった景色に、ローゼンティーゲルは氷にスキール音を立てて急停止した。

「な……これは……」

 広がった視界にララーシュタインも絶句した。そこには氷の白とは異なる色彩が広がっている。

「氷が……無い」

 そこにある景色は氷山の終わりと海の始まりだった。地吹雪を起こす風の断片がわずかな波を起こす水面は、北極点までの眼前とそれを囲うように収束した東西にまで繋がっている。

 そして対岸となる氷山は見えない。ただただ海面に下る氷の斜面があり、打ち寄せる波だけがその先に続いていた。

「北極点周辺の氷が……無いというのか」

 呆然としながらローゼンティーゲルを進ませるララーシュタイン。しかしその足下で響く水音に、これが幻の風景ではないことを自覚する。

 ポラリスを抱きかかえ、ララーシュタインは降り立つ。水音を立てる足下に感じるのは、地吹雪に突入する前に比べて明らかに穏やかな気温。

「……地球の気候異常は報告されていたが、このような事態が起こっているとは……!?

 あのクレバスの存在も……そういうことか」

 極寒故に氷の大地が続くべきその地に存在する水面。周囲では吹雪が周回するその荘厳な風景は、しかし一方で地を這う者が極点に到達することを何者かが拒否しているかのようであった。

「なんということだ……。こんな形で阻まれるのか、博士の夢は。こんな、あからさまな悪意のようなもので……?」

 一歩を踏み、しかし足に伝わる水の抵抗にララーシュタインは膝をついた。

 この先は、脚で歩む者には進むことが出来ないのだ。

「お、おお……。ララーシュタインの名と力がなんだと言うのだ。

 意思持つ人の思い一つ叶えられずして何が我が家名だ……!」

 莫大な水量を前にララーシュタインは呻く。この水面を渡っていくことなど、歴史上の救世主にしかできぬことだろう。

「このような運命を作った者がいるならば私は大いに恨むだろう。我が無力を呪った上で……」

 頭を振るララーシュタイン。しかしそこで、傍らに立つローゼンティーゲルが鋭く振り向いた。

 その身じろぎにララーシュタインも振り返れば、そこには数多のゾイドの影。追い抜いたはずのバウンサー達の群れが、地吹雪の中から歩み出てララーシュタイン達を見下ろしているのだ。

「――笑うか貴様らも! 私の無力さをぉ!」

 思わず叫びを上げたララーシュタインに、ゾイド達の間から顔を出していた鹿や兎達は驚いて逃げ去った。しかし虎や山猫達生身の肉食獣達は威嚇の唸りを返す。

「博士を貴様らに食い散らかされるわけにはいかんなぁ……!?」

 唸りを上げるララーシュタイン。しかし彼を足下に置くローゼンティーゲルは振り向きはすれど、集まってきた動物達を見渡すだけだ。

「ダメですよーぉ……ララーシュタイン様ーぁ……」

「博士!?」

 抱きかかえられたポラリスも、ララーシュタインに穏やかな笑みを浮かべてゆるゆると手をかざした。歯ぎしりを止めたララーシュタインは、彼女の体を波打ち際の氷上に下ろす。

 これまでの苦しげな顔つきとは違う、何か憑き物が落ちたような笑み。そして石の彫像のように白くなったその横顔に、ララーシュタインは状況を察した。

「博士……」

「ここに氷ができていないことも、これだけの命も、驚くべき事実ですよーぉ……。それと巡り会えたことは喜びではあっても怒ることじゃないですーぅ……」

「しかし、これでは北極点への到達は……!」

「大丈夫……もうすぐ私は違う存在になりますからーぁ……。

 肉の体を持つ者でもーぉ、金属の体を持つ者でもーぉ……たどり着けない場所まで行くことが出来るようにーぃ……」

 微笑みながら、ポラリスはララーシュタインの手を取った。

「だからその時まで、心静かにーぃ……。

 ほら、これもありますよララーシュタイン様ーぁ。気に入ってくれましたよねーぇ……」

 そう言って、ポラリスが遮熱シートの――さらにその下の服から一つの塊を取り出す。

 それは機材に押しつぶされ歪みながらも、密閉を保っていたタッパーだった。開かれる中身は、かつてララーシュタインと共につまんだ煎りオキアミ。

「美味しいですよねーぇ……。お酒もありますよーぉ。

 こんな風にきれいな景色の中でーぇ……静かに……素敵ですねーぇ……」

 タッパーを差し出すポラリスの視線は、ララーシュタインに向かいながらもさらに遠くまで定まらぬ瞳をしている。

「もっといろんな人達も、この景色を見られるようにーぃ……」

 そう願い、ポラリスの微笑みから力が失われていく。傾いていくタッパーをララーシュタインが手に取ると、彼女はしなだれかかるように首を傾けた。

 力ない体が己の腕に預ける重みによって、ララーシュタインはその瞬間に、ポラリスが傷ついた体から自由になったことを知る。その生まれからも、己を含めたあらゆるしがらみからも。

 ララーシュタインはタッパーを己の懐にしまい込んだ。そして魂の去ったポラリスの体を改めて抱え上げ、波打ち際を進んでいく。

 氷が終わり、底知れぬ北極海が口を開ける縁まで。ララーシュタインは歩みを止め腰を落とした。

「この地が多くの人々に益するよう、私も力を尽くそう。そして、この地に眠るあなたが多くの人々の目指すべき指標となるように……」

 ララーシュタインはポラリスの体を冷たい北極の海に浸す。空気を多く含む防寒装備を身につけているために一度はその体は浮かび上がるが、しかし少しずつ水を吸ったコートによって澄み切った水の中に沈んでいく。

 その身を苛んでいた痛みや苦しみや、内心に抱え込んでいた諸々を祓うような冷水の海。その遙かな水底に消えていくポラリスの亡骸を見送って、ララーシュタインは水面から立ち上がった。

「……これで我々の旅は終わりだ、ローゼンティーゲル。実りあり、そして次に繋ぐべきことの多い旅であったな」

 ララーシュタインは俯いて顔を隠しながらローゼンティーゲルへと戻っていく。ローゼンティーゲルはそれをしゃがみ込んで操縦席に迎え入れるが、バイザー越しの視線を逸らして彼の顔を覗き込もうとはしなかった。

 それが気遣いか、単に背後の存在達を警戒しているためだけか。それは一人と一体の当事者達だけにしかわからない。

 そして立ち上がったローゼンティーゲルがまた地吹雪の中へと歩み出すと、集まっていたバウンサーの群れは道を空ける。かつて群れの中を単騎突破しかけた強敵への恐れか、ここで行われた行為への敬意か。ただ一つだけの事実は、群れの長たるハンターウルフ〈バウンサー〉自身も姿を現わし、ローゼンティーゲルと視線を交わしたということであった。

 そして鋼鉄の虎狼はそれぞれの道へ。吹雪に掻き消されていくローゼンティーゲルの背後で、バウンサーは群れを動かすための遠吠えを放った。

 そうして、ポラリスが見送られるために費やされた時間を白夜の太陽は見つめ続けていた。

 

新地球歴三〇年 一〇月一五日 一五二一時

帝国首都ネオゼネバス

 

 その後のララーシュタインが辿った経緯は複雑なものだった。

 ポラリスを失いながらも帰還した探検隊が持ち帰った研究データは、帝国の科学界から大きな反響を得た。

 北極圏に生きる通常生物とゾイドに接近して得られた映像、特殊な気候の記録、そして北極海のそこで活動を続けデータを転送してくるドローン・ゾイドの存在。それらはこの地球の現状を理解する上で大きな助けになるものであった。

 しかしその一方で探検隊の主任研究者ポラリスの死と、事実だけを記述すればララーシュタインがその遺体を遺棄して帰ってきたという結果はセンセーショナルな反応を引き起こすこととなる。それに対し、ララーシュタインは一切の反論をせず、己の処遇を司法に委ねた。彼は学会の弁護と市井からの糾弾に晒されたのだが……。

「まさかそれどころではなくなってしまうとはね」

 首都の中枢をなす惑星間移動時代の植民船を後にしながら、ララーシュタインは独りごちていた。背後の巨大宇宙船は長旅を終えたことで老朽化しているが、しかしそれ以上につい最近に空けられた大穴が目立つ。

 周囲のネオゼネバス地上新市街も大きな被害を受けていた。高熱で焼け焦げた建物も、大重量の激突で破壊された建物も同じだけ連なっている。この地で戦いがあったことは明らかだ。

「前帝陛下の落とし胤を担ぎ上げての真なる帝国の立国などと大それたことを……。

 シーガル某の策略には帝国の騎士たる私が直々に剣を振るわねばなるまい」

 帝国軍の元准将にして、共和国への侵攻を企て実質的な終身刑を科せられていた男、ジョナサン・V・シーガル。そして共和国から亡命の末帝国の最高科学顧問に上り詰めたフランク・ランド。その二者が帝国の血筋を継ぐというハンナ・メルビル少尉を皇帝に立てて真帝国建国宣言と軍事攻撃を開始したことは新地球歴世界を緊急事態に陥れた。

 そして帝国首都ネオゼネバスが新型戦略ゾイドの脅威に晒されるに至り、自らもエースでありながら帝国軍に多額の資金援助をもたらすララーシュタインは超法規的措置によって釈放。罰を求める市民感情の消滅もあってか即座の戦線復帰が決定されたのである。

「お労しやアルベルト様……。お体の具合は」

「元々冬山と北極に向けて鍛えていた身がこの程度でどうにかなるものか。精々窮屈な休暇程度のことであったわ」

 肩を怒らせ、新たな戦場に向かおうとするララーシュタインに執事が歩み寄る。だがララーシュタインは歩みを止めずに応じ、執事もその姿勢をよく知っていてか小走りに追随した。

「すぐにでも対真帝国作戦に参戦する。我が愛機の準備は如何に?」

「はい、あらかじめの指示通りの仕上がりにございます」

 二人が向かう先には、倒壊した市街の中に設けられた軍の一時拠点。その駐機場の一番手前には紫のファングタイガーがじっと主を待ち続けていた。

 およそ二ヶ月ぶりの再会。そして今ララーシュタインが見上げるその姿はある変化を見せていた。

「新型四足歩行ゾイドの背面ユニット、移植は滞りなく行われたようであるな」

「近似の性質を持つ種のために開発されたものです故……。しかしそのコンバットプルーフの証明を行った機体が真帝国側にあるというのはなんとも」

「なあに、我々のために下働きしてくれたというものであろうよ」

 ローゼンティーゲルの背面には、新型破壊工作戦用ゾイド〈ドライパンサー〉のものと同じユニットが搭載されていた。三連装のサイレンサー付き砲塔二基と強力な視覚センサー、そして炎熱式ブレードを内蔵したサークルシールドが備わっている。

「ノイエ・ローゼンティーゲル。真正なる帝国を標榜する者がいるならば我々が正統なる帝国の未来を切り開く剣となろうではないか」

 愛機の仕上がりに満足げに頷くララーシュタイン。すると、彼は愛機の頬に新たに刻まれたパーソナルマークを目に留めた。

 それは北斗七星を模した図像。北極を指し示す星の並びが、ローゼンティーゲルの目元に刻まれたのだ。

「アルベルト様、こちらもお持ち下さい」

 ララーシュタインが足を止めたタイミングで、執事はすかさず一つの重箱を差し出した。ララーシュタインがそれを受け取って紐を解くと、蓋の下から現われるのは桜色の小粒の連なりだ。

「ご指示通り北極海産のオキアミを煎ったものでございます」

 執事の説明に頷き、ララーシュタインはひとつまみを口に含む。

「――これで陛下や民草と酒を酌み交わせる時を到来させることが我がララーシュタイン家の新たな使命である」

「新設の北極開発事業は帝国軍と帝国学会との連携を密に、活動を始めております」

「よし。その事業は皇帝陛下をはじめ帝国の全ての人々に益することであると改めて伝えたまえ。

 そしてこれより私が上げる戦果はララーシュタインの名の下に集う全ての者達の成果として皇帝陛下に捧げられるものである」

 堂々たる宣言に、執事は頭を下げる。そして一方で操縦席を差し出すローゼンティーゲルの姿は、力を蓄えた獣そのものだ。

 ララーシュタインはひらりとその操縦席に飛び乗る。その姿と北斗七星の図像と共にローゼンティーゲルが立ち上がれば、背後に控えていた戦闘部隊もゾイドに力を漲らせる。

『皇帝陛下より賜りしこの戦力。本日より貴殿らはアルベルト・ララーシュタインの戦友にして新設のセプテントリオン戦闘団(カンプグルッペ)の一員である。

 諸君らの奮戦が帝国に極星への道を開くことを願ってやまぬ。志を同じくするなら我に続きたまえ! 逆賊これを成敗すべし!』

 ララーシュタインの叫びと共に、ローゼンティーゲルも雄々しいウォークライを上げた。後続のゾイド達も、バイザーを装着した身でありながら思わずその咆哮に同調する。

 そして進撃を始めるララーシュタイン達。奇しくも、その進路は北であった。

 ポラリスが願った時代。それを叶えることを新たに胸中に秘め、虎を駆る騎士は北の極みへ向けて進撃を始める。今は戦いのために。やがては別の目的のために。

 強き陽光の時でも、北極星(ポラリス)は同じ天に輝き続けている。


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