ちなみに現在、ブックマークは昇進Ⅰです。
今更ながら、オーキッドの図鑑情報よりロドスは鉱石病治療費を取っているみたいなので訂正しました。
ロドスの通路の一つを、一人の男が歩いていた。
いや、歩いていると形容していいのだろうか。
その足取りは酷く覚束なく、まるで墓場の死体を無理やり叩き起こして歩かせているかのような、一切の生気を感じさせないものだ。
顔は真っ青で、虚ろな瞳には光が灯っておらず、動く死体というものがあるのならば、きっとこのような挙動をしているのだろうと思えてしまう。
今すぐ男を通路の逆方向に押し返し、その先にある医療部門に放り込んだほうがいいのではないか…見る者にそんな感想を抱かせるには、十分な風体を晒していた。
だが、彼とすれ違う一般オペレーター達は、そのようなことは決してしない。
静かに道を開け、哀愁のこもった瞳で男を見つめるのみだ。
別に、彼らは薄情なわけではない。むしろ、ロドスの一員として、人々のため、世界のために日々鉱石病に抗い続けている分、常人よりも情があると言っていいだろう。
そんな彼らが、男に救いの手を差し伸べない理由はただ一つ。
彼らには助ける手段が無いのだ。
なぜなら、男がこうなってしまった原因は、その医療部門で行っている定期健診なのだから。
男のコードネームはブックマーク。
今しがたハイビスカスの特性スペシャルデラックス栄養食を完食したばかりの憐れな新人オペレーターである。
なぜオペレーターブックマークがこのような苦痛を受けることになったのか、それは数か月前、彼が初めてロドスを訪れた日にまで遡る。
○○〇
彼がロドスを訪れた日、彼はその日のうちに手術を受けることになった。
理由は単純、彼の鉱石病がすでに命に係わる段階まで進行してしまっていたからだ。
体内で結晶化した源石による臓器の破損。傷口の化膿。ロドスを訪れた時点で腹部からの激痛と息苦しさ、吐血、血便などが起きている状態であり、あと数週間もすればまともに動くことすらできなくなり、間もなく死に至ることは間違いなかった。彼には一刻の猶予もないと見たロドスの医師達は、一も二もなく手術を決定した。
彼は手術と聞くと顔色を変え払える金が無いと言ったが、医師たちは聞き入れなかった。今ここで救える命をそんな理由で取りこぼすなど、到底許容できる話ではなかったからだ。
それに、ロドスの患者のほとんどは鉱石病患者であり、彼らが現在の社会において手術代が支払えるほど裕福であることなど非常に稀だ。それゆえ、ロドスではどうしても鉱石病の治療費が払えない場合は実験的な医療を受け入れることを引き換えに格安料金にしたりしている。他にも能力が基準に見経っていればロドスで雇い医療費を給料から天引きにしたりもできる。このように支払いの種類は豊富で、手術後にいくらでもお金のことは相談できるのだ。
かくしてブックマークは一命を取り留めた。
術後の体力回復も非常にスムーズで、ほとんど数日で普段と変わらない生活が行えるようになった。傷の治りも早く、この調子なら一週間後には復調と認められるだろうとの見解が医師達からも出されていた。
そんな折に彼は医療費を払うためとオペレーターに志願したのだが、そこで彼の手術を担当したケルシー医師から待ったがかかる。
曰く、術後間もない状態でのオペレーター志願は許容できないし、支払い方法も完全に復調してから話し合って決めればいいと。
その言い分は正論であったが、ブックマークは引き下がらなかった。
どちらにせよ払うだけのお金は無い。また命を助けられたお礼をするためにもここで働かせてほしいと食い下がったのだ。
数時間の問答の末、オペレーター採用試験は復調が認められてから行うこと、異常を感じたらすぐに医療部門に申し出ることなどのいくつかの条件を彼が飲むことでケルシー医師が折れる形になった。
その中の一つに、後に彼を苦しめることになる、しばらくの間は他のオペレーター達より密に定期健診を行うという条件も含まれていたのだ。
復調してから最初のうちは何の問題もなかった。
オペレーター試験も危なげなく合格し、成長途中の術師達への指導によって自身の有用性も証明できた。
同僚たちとも打ち解けて、順調にオペレーター生活を送っていた。
爆弾を抱えるようになったのは、彼がロドスに来て一月が経ったある日の定期健診からだ。
彼はいつものように医療部門のケルシー医師の部屋を訪れた。彼の健診も彼女が担当していたからだ。
普段通り軽い問診の後、聴診、触診、レントゲン、呼吸検査、血液検査、などを一通り行って終了だと思っていたのだが、その日の健診は少し違った。
いつも一人で病室にいるケルシー医師の隣に、一人の少女が立っていたのだ。
紫のポニーテールに、同じく紫のぱっちりとした瞳。浮かべた笑顔に快活そうな印象を受けるサルカズの少女は、こちらが声をかける前に元気よく挨拶をしてきた。
「初めまして…じゃ、ないですね!お久しぶりです。私はハイビスカス、ロドスの医師見習いです!今日からブックマークさんの定期健診を担当することになりました!」
その明るい声音を聞き、彼は少女のことを思い出す。彼が初めてロドスの戸を叩いた時、ずぶ濡れの彼に驚いて腰を抜かした子だ。
少女に挨拶を返しケルシー医師に事情を聴くと、彼の病状が安定して一定期間経ち、緊急を要する症状が突発的に現れる可能性も低いと判断したため、経験の浅い医師見習いのハイビスカスに実践練習も兼ねて健診担当が引き継がれるとのことだった。
この一月で分かったことだが、ロドスは代表のアーミヤ社長、軍事や事務を担当するドクター、医療と対外交渉を担うケルシー医師の三人のトップによって支えられている。この三人はいつも忙しない。時には龍門のような大都市とも交渉をするこの企業の屋台骨を三人で支えているのだ。きっとその仕事量は想像を絶するだろう。そんな中にあって、このように引継ぎなどで少しでも削れる負担を削っていく姿勢は正しく、適切な負担の分配を行いながらも後進の育成を考えた采配は好感が持てた。それに見習いと言ってもロドスで働いているのだ。その実力は疑うべくもない。
彼は快く引継ぎを了承した。異を唱える必要もないと判断したのだ。
今思えば、もう少し考えても良かったかもしれない。いや、引継ぎがされた時点では、彼はただの無知な子山羊だった。考えたところで結果は変わらなかっただろう。部屋から出ていくケルシー医師の横顔が、つい今しがた殉職者を看取ったかのような空気に包まれた理由を今になって気付いても、もう遅すぎるのだ。
その後、彼の健診はハイビスカスが行った。ケルシー医師ほどではないにせよ、手際よく仕事をこなす彼女の姿はとても見習いとは言えず、しっかりとした一人の医療従事者の姿がそこにあった。彼女は彼が思った通り優秀で、もしかしたら見習いというのも能力云々ではなく、単に歴がまだ短いというだけなのかもしれないと思うほどだった。
やがて滞りなく健診は終わりを迎えた。
彼女の手際の良さもあり、時計を見てみれば彼の次の職務まで少し時間が余っていた。彼女の方も次の仕事まで余裕があるとのことなので、二人はせっかくだからと軽い談笑に興じ始めた。片やずぶ濡れの姿を晒し怯えさせ、片や悲鳴を上げ腰を抜かした者同士。出会いこそ強烈ではあったが、それ故にお互いの人となりが気になっていたのだ。どちらにせよこれからロドスで生活し、また定期健診も行っていく以上、一定の友好関係の構築は重要になる。二人はそれの入り口を、雑談に求めた。
得意分野の話や、ロドスの印象など、あまり親しくない間柄で選ばれやすい鉄板な話題ではあったが、思いのほか盛り上がり、それなりに話し込んでしまった。
そのうちある程度の話題が消費され、時間との兼ね合いも考慮すると今回はこの辺りかという考えが過り始めたころ
「あ!」
彼女は何かを思い出したように声を上げた。
妙に嬉しそうなその顔に、彼はなんだか無性に嫌な予感を覚えた。
あるいはこの時退避していれば、これから起きることを回避できていたのかもしれない。
「どうしたのハイビスカスちゃん…?」
「ハイビスでいいですよ!私ってばブックマークさんのためにプレゼント作ってきたのすっかり忘れちゃってたんですよ!」
そういって彼女は彼の死角となる場所に置かれていた何かを取り出した。
「…あの、何、これ」
「これはですね、私特性の健康食です!ブックマークさんにもーっと元気になってほしくて、一生懸命考えて作ったんです!」
満面の笑顔だ。花が咲くような、という表現がこれ以上に合う笑顔もそうないだろう。彼女の両手に持たれていたのは、形容しがたい色をしたドリンクと、えぐみが強そうな深緑の色をしたサラダ、血色の悪いパン一切れが乗った…曰く健康食が盛り付けられた皿だった。
彼女はそれを、ぐいと彼に差し出して朗らかに言う。
「食べてください!」
これが、オペレーターブックマークの受難の始まりだった。
○○○
「ぅ…腹がゴロゴロしてきた…」
つい今しがた摂取した大量の食物繊維の効果がすでに出ているというのだろうか。恐るべし、ハイビスちゃんの健康食。味と見た目は、それこそ青虫向け定食と言われても誰もが納得してしまうようなものだが、その効果は本物だ。実際、健診の度にスペシャルメニューを振舞われているブックマークは、ここ最近体調がとてもいい。
まさに良薬口に苦し。未だかつてこれほどこの言葉を地で行く食事があっただろうか?少なくとも彼の記憶にはない。
正直なところ、彼は何度も彼女から振舞われる健康食を断ろうとしたのだが、その度に彼女はとても悲しそうな顔をして言うのである。
「そうですか…ブックマークさんのためを思って頑張って作ったんですけどね…仕方ありません。これはドクターに食べてもらいます…あの人も不摂生しがちですから…」
良心へのボディーブローを放つと同時に、我らがロドス三本柱の一人を人質に取る暴挙。悲し気な声音で放たれたそれを彼が避けてしまえば、今度はドクターの味覚にブローが見舞われてしまうのである。
本当に末恐ろしい。これを善意100%でやっているのだから殊更恐ろしい。
結局のところ、ブックマークは彼女の善意からは逃れることが出来ず、今まで健康食を食べ続けているのである。回数を重ねるごとに徐々にパワーアップしていくえぐみ、渋み、青臭さ、ボリューム…それに比例して確実に上昇しているその効能。彼は毎回、味覚を犠牲に素晴らしいお通じを手に入れているのだ。
この効果を詳細に記し購買に卸せば、女性オペレーター達に結構受けるのではなかろうか?今度ハイビスちゃんを交えクロージャに話してみるのもいいかもしれない。
そんなバカなことを考えながら、ブックマークはふらふらとトイレへと吸い込まれていく。
果たして味覚由来の拒絶反応が臨界点を迎えるのが先か、消化管が限界を迎えるのが先か、彼は今から戦々恐々とした思いが止められずにいたのだった。
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