刹那の夢と嘘の玩具   作:月影 梨沙

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抱擁と約束と

 異変を感じて、おそるおそる瑞穂は目を開けた。金髪の男はいなかった。見上げると、長髪の男が脂汗をかきながら、瑞穂とはあさっての方を向いて叫んでいた。 

 

「サミジマ! 大丈夫かっ!」 

 

 路地裏の奥まで、サミジマという名の、金髪の男は吹き飛ばされていた。サミジマの無防備な下半身に、そして上半身にも、いくつもの火傷が浮き出していた。 

 

 この火傷の形に、瑞穂は見覚えがあった。破壊光線の直撃をうけたときの火傷の形。 

 

 瑞穂は、サミジマが倒れているのとは正反対の方を向いて呟いた。 

 

「……リン……ちゃん……」 

 

 そこにリングマはいた。 

 

 リングマは怒りに満ちた表情で、もう一発、こんどは長髪の男の方に向けて破壊光線を発射した。破壊光線独特の、大音響が辺りに響きわたった。 

 

「くそっ!」 

 

 長髪の男は、間一髪のところで破壊光線を裂けた。路地裏の壁をよじ登り、どこかへ走り去った。 

 

 サミジマは、路地裏の奥で、ぐったりとしたままだった。体中が沸々と煮立つような熱さと痛みは、サミジマの逃げる気力を失わせるのに充分だった。 

 

 痛みからか、突然、サミジマは悲痛に泣き叫び始めた。 

 

「あ……アギィィッィ! づ……痛ゥゥッ!」 

 

 瑞穂は、男の体中に浮き出た、火傷を目の当たりにして、息を呑んだ。昼間コガネジムで見た破壊光線とは、桁違いの威力であることに気付いたのだ。 

 

 激痛にのたうちまわるサミジマは、自分の目の前に巨大な影が伸びているのを見た。まっすぐ闇の中に立つ、リングマの姿だった。男は、このリングマが先程自分を吹き飛ばした破壊光線を放ったことに、即座に気付いた。 

 

「うぁ……ヒ……ヒィ……!」 

 

 叫んだサミジマの体は、恐怖のあまり震え始めていた。なま暖かいものが、サミジマの股座から、勢いよく流れ始める。 

 

 失禁していた。 

 

 臭いたつ空気のなか、リングマは怒りに満ちた瞳で、サミジマを睨み付けた。 

 

 こいつが姉さんに、非道いことした男。それを思うと、我慢できなくなる。リングマは鋭い爪が揃った腕を、闇夜に振り上げた。 

 

「た……たすけてくれ……」 

 

 掠れた声で男は、リングマに命乞いをした。 

 

 ふざけないでよ、姉さんが許しても、僕が許さないよ。もっとも、僕も姉さんのこと傷つけちゃったけど。 

 

 姉さん。僕のこと、許してなんかくれないよね。僕だって、姉さんに酷い事しちゃってたんだものねあの傷のせいで、お嫁にいけなくなっちゃたら、姉さん、僕のこと一生、恨むよね。僕が意地を張って、どっか行ったりしなかったら、姉さんこんな目に、あわずにすんだんだものね。 

 

 でも――やっぱり嫌だよ。僕は姉さんと一緒に居たい。僕って、すごい自分勝手だよね。 

 

「アギャァァァァァァァ!」 

 

 リングマの鋭い爪は振り下ろされた。サミジマの体は勢いよく引き裂かれた。傷口からは大量の血が飛び散り、サミジマはこの世のものとは思えぬ程に絶叫した。 

 

 サミジマの足下には、切り離された性器が鮮血にまみれて、だらりと落ちていた。 

 

 リングマは、それを見つけて拾い上げた。男の性器は小さく萎んでおり、見窄らしかった。 

 

 握り潰した。サミジマの性器は、鈍い音と共に破裂した。リングマはサミジマを担ぎ上げると、遠くへと放り投げた。 

 

「ギャァァァァァ!」 

 

 サミジマの絶叫は、そこで途切れた。なにかの落ちた大きな音の直後に。リングマは力を抜き、下唇を軽く噛んだ。 

 

 もう、姉さんに、近づかないでよ。僕は、自分で自分をうまく制御できないんだから。

 

 リングマは、冷たくなりかけている瑞穂の体を優しく揺すった。 

 

 瑞穂の瞳は焦点を失いかけていた。なにも聞こえていない、なにも見えていない。ただ、男の断末魔のような悲鳴だけは、聞こえていたようだった。 

 

「リンちゃん……あの男の人は……?」 

 

 リングマは、首を横にふった。それは「殺してはいない」という意味だった。 

 

 冬の冷風に吹かれて、瑞穂の体は段々と暖かみを失っていく。顔色が少しずつだが青白くなっていく。少女は、なにも羽織っていないのだから無理もない。 

 

 リングマは、瑞穂の体をそっと腕に抱いた。暖かい。昔は、いつもヒメグマだったときのリングマを抱いて、一緒に寝ていた。その時の暖かみと同じだった。 

 

 ベッドの中で2人は、2人だけの秘密をいくつも隠し持っていた。もちろん今でも。なんだか凄く、懐かしかった。 

 

「ありがと。すごく、あったかいよ」 

 

 変な気分だった。悲しくないのに、なんだか悲しい。なんでだろう。なにかが、心に引っかかってる。 

 

 暫くしてから、瑞穂とリングマは、同時に言った。 

 

「あの……あのね、リンちゃん……」 

 

「がぅ……ぐあ、ぐあ……」 

 

 人間である瑞穂には、ポケモンの言葉は分からない。いや、ポケモンに”言葉”という概念があるかどうかすら、明確にはなっていない。ポケモンであるリングマにも、人間の言葉は理解できないはずだ。 

 

 だが、そんなことは今の2人にとって関係なかった。どうやっても断ち切れなかった2人の絆であれば、言語の違いなど、簡単に超越できるはずなのだから。 

 

 居待月の光の下で、瑞穂とリングマは、お互いの暖かみを感じ取っていた。

 

 

○●

 

 

「リンちゃん……ごめんなさい。あんなこと言うつもりなんて、全然なかった。ただ、なんだかリンちゃんに馬鹿にされたみたいで悔しかったの。だって私は、リンちゃんに比べたら、背も低いし、力もないし。そう思ったら、また、頭がカッとなっちゃって。あ、何言っても、言い訳みたいに聞こえちゃうよね。なんて言ったらいいんだろう」 

 

 なんと言ったらいいのか。言うべき言葉が見つからずに困惑する瑞穂を見つめ、リングマは細々と呟いた。 

 

 もう、いいよ、姉さん。 

 

「え……?」 

 

 瑞穂は考えてもみなかった、リングマの反応に驚いた。リングマは、瑞穂の体をさらに強く抱きしめた。 

 

 それ以外に、なにもいらない。それが、答えだった。瑞穂を強く抱きしめたまま、リングマは悲しげに言った。 

 

 僕ってさ、すごい自分勝手だよね。そんな、そんな僕だから、僕はさ、姉さんのこと、見殺しにしようとしたんだよ。『死んじゃえばいい』だなんて思ってたんだよ。 

 

 わざと姉さんのこと、怒らせて。しかも、姉さんのこと傷つけて。だから姉さんは、ボクのことを許さないで。姉さん、優しいか。だからボク、調子に乗っちゃったんだ。 

 

 だから、ちょっとショックだったかな。嫌い、なんて、姉さんに言われたの初めてだったから。 

 

 でも、僕、自分勝手なんだよね、本当は許して欲しいんだ。ごめんなさい。だから、許してください。僕さ、姉さんと、少しだけだけど……離れてみてわかったんだ。 

 

 一緒にいたい。ボクは、姉さんと一緒にいたいんだ。 

 

 いつしか、リングマは涙声になっていた。 

 

 瑞穂は、泣きじゃくるリングマの姿を見たくはなかった。とても、悲しくなるから。 

 

「リンちゃん、約束したよね……?」 

 

 ……約束……? 

 

「ほら、リンちゃんのママが亡くなってから、リンちゃんずっとずっと泣いてたでしょ……? そのとき、約束したじゃない」 

 

 リングマは、思い出した。たしかに、そんな約束をした。 

 

 うん、思い出したよ。あの約束だね?……。 

 

「そう、リンちゃんさ、『もう二度と泣かない』って、約束するかわりに」 

 

 そこまで言って、青白かった瑞穂の顔が急に紅潮した。 

 

「とっ、とにかくさ、泣いちゃだめだよ、リンちゃん。これ、約束なんだから」 

 

 リングマは、こくりと頷いた。その顔は、瑞穂と同じく真っ赤に染まっている。その時、どこからか水玉模様のリボンが、風に吹かれて瑞穂の腕に絡みついた。 

 

「わぁ、可愛いリボン」 

 

 瑞穂は、リボンを手に取り、リングマの肩につけた。 

 

「すごくよく似合うよ、リンちゃん。」 

 

 瑞穂にそう言われて、リングマは照れて頭を掻いた。危うく、抱きかかえていた瑞穂を落としてしまうところだった。

 

 一瞬の静寂。 

 

 なにも邪魔しない、だれにも邪魔されない。 

 

 それだけで、充分だった。 

 

 リングマは、瑞穂の首筋が湿っているのを感じた。 

 

「姉さん……、泣いたでしょ?」 

 

「う……。そ……そうだよ」 

 

「そんなんだからさ、いつまでたっても『泣き虫』とか、言われて苛められちゃうんだよ」 

 

「だいぶ前の、話じゃない……それって。でも、よく覚えてたね……」 

 

「姉さんだって……覚えてるじゃない」 

 

「夢を見たの。6年前の」 

 

「あ、偶然。ボクも見たんだ。昔の夢」 

 

「リンちゃん……変わったよね」 

 

「うん。でも、姉さん、全然変わってない」 

 

「え……?」 

 

「『泣き虫』なのは、全然変わってないよ」 

 

「あ、ひどい! じゃあ、約束する。『もう二度と泣きません』ってね」 

 

「ほんとに、守れる?」 

 

「大丈夫! そのかわり……」 

 

「そのかわり?」 

 

「もっと、強く抱いてよ……」 

 

 硬直。 

 

「あれ、リンちゃん。聞こえなかった? もっと強く抱いてって……さむ……」

 

 瑞穂が「寒いから」と言う前に、なにかちょっと勘違いしている、リングマは、瑞穂をギュッと抱きしめた。そういえば、瑞穂は今、なにも着ていないのだ。 

 

「ありがとう、リンちゃん」 

 

 それが、その日、瑞穂の最後の言葉だった。走り疲れたし、ほとんど何も食べてないし、怖い思いしたし。瑞穂の体力は、既に限界を超えていた。 

 

 暖かいリングマの腕の中で、瑞穂は眠るように、気を失った。

 

 ……約束だよ……。

 

 

○●

 

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