『この民に行って言え、
あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らない。
見るには見るが、決して認めない。』(『新約聖書 使徒行伝』)
○●
夕焼け空は、何者にも平等だ。平等に紅く染まり、平等に眩しい。しかし、彼らは紅く染まりはするが、眩しくはない。
不平等だ。
しかたがない、彼らは命が尽きているのだから。
不公平だ。
目の前に転がっている、真っ二つとなった彼女と、今ここに立ってそれを眺めている私。同じ命なのに、同じ生き物なのに、なぜ私だけが助かったのだろう。
傷は痛むが、それほど苦しくはない。どうせ『発作』が始まれば、痛みなど全く感じないのだから。
なぜ、私と彼は『発作』を起こすのだろうか。そして元主人の手元の機械から発せられた、怪しい赤い光……。
解らないことは沢山あった。
あの男は、一体何がしたいんだ……。人間という生き物は、自分の許容を超えるモノに対して、どこまでも残酷になれる。それが狂気。……狂気を持つ人間は、心が驚くほど小さな『臆病者』なのかもしれない。
では、あの男は、狂気の持つ破壊の力を、何処へ向けようとしているんだ……なんのために……。
頭が痛い。
また……、また発作?
ハァ、ハァ、ハァ、ハァ……。
苦しい。
瞳が夕焼け色に染まっている自分が、そこにいた。
私は、どこかへ走り出した。どこへ……いくの?
○●
「女の子が2人だけで、こんな薄暗い森を歩くのは危険だよ。どうせボクも明日にはヒワダの町に帰るから、一緒に行かない?」
ツクシがそう言ってくれたときは、正直、瑞穂は嬉しく思った。別に、この森が怖いというわけではない。暗い森には慣れている。正確には、その後に続く言葉が、瑞穂とゆかりを喜ばせたのだ。
「食料の事は心配しなくていいよ。いざというときのために、大目に持ってきてあるから」
あらかじめ買っておいた食料全てを、瑞穂は34番道路のトイレに忘れてしまっているのだ。
ただ、……タダ食いやからちょっと、気が引けるけど……。
「もちろん、その分のお金はしっかり払うから……」
瑞穂のその言葉を聞いたとたん、ゆかりはビックリ仰天、驚いた。その後すぐに開かれた、ヒソヒソ論争は、当然といえば当然だが、瑞穂に軍配が上がった。
……もちろん、ウソやろ?
……ウソなんて、つくわけないじゃない。
……ホンマに払うん? ……もちろん。
「せっかく、タダやったのに……」
夕暮れ時、ゆかりは、まだブツブツと文句を言っている。そんなゆかりを全く無視して、瑞穂は薪に使えそうな木を捜して歩いていた。
空は鮮やかで気味悪いぐらいのオレンジ色に染まっている。小鳥ポケモンは、もう自分の巣へと帰ってしまったのだろうか、気配すらない。
「あ、丁度いい木、発見」
そう言って、瑞穂は指を前方に指しだした。瑞穂の指さした先には、薪にするのにピッタリな、細い雑木がはえている。
「でも、お姉ちゃん。こんな木、どないして切るんや?」
ふくれっ面のまま、ゆかりは訊いた。どうやら、先程のことが、いまだに不服らしい。
「それなら大丈夫」
そう瑞穂は答えると、腰から二つモンスターボールを取り出して宙へ放り投げた。
「出てきて、リンちゃん、グラちゃん」
パシュという音と共に、リングマとグライガーがモンスターボールから飛び出してきた。2匹を見比べて、瑞穂は言った。
「リンちゃん、グラちゃん。お願い、この木をさ、この位の大きさに切って欲しいんだ」
身振り手振りで、言いたいことを伝えようとする瑞穂に、リングマとグライガーは、こくんと頷いた。早速、リングマはグォォと吠えながら、鋭い爪で木を次々と切り刻んでいく。
ザクザクザクッ! みるみる内に雑木は原型を失っていく。
「凄い……」
瑞穂とゆかりは、呆然とリングマの仕事を眺めている。
あの時、もしかしたら私、真っ二つになってたかも……。瑞穂の背中を冷たい汗が流れた。
が、しかしそれとは対照的に、グライガーの仕事は欠伸が出るほど遅い。
もちろん、グライガーはグライガーなりに一生懸命やってくれているのだが、懸命にやっているとかいうのとは、それ以前の問題で……、斬れないのだ、木が。手のハサミを何度振り下ろしても、木には少しばかり傷が付くだけ……、これでは斬れるはずがない。
グライガーは落ち込み、その場に座り込んでしまった。枯れ葉がパリパリと音をたてた。
「あ、グラちゃん……」
すっかり悄げ込んでしまったグライガーを見て、瑞穂は声を掛けた。
「リンちゃん、ちょっと……」
「ガゥ?」
呼ばれて、絶好調、得意満面のリングマは瑞穂の方を振り向いた。
……どうしたの?、と顔に書いてある。
「アレ、作ってくれる?」
お安い御用だよ、と言わんばかりにリングマは木を削り、すぐさまソレを作り上げた。
「なんやの?」ゆかりは、瑞穂に手渡されたソレを見て首を傾げた「木刀、みたいやけど……」
「そう、木刀だよ」
簡易製作木刀を手に握った瑞穂は、グライガーに目で、ちょっと見てて、と合図をした。
「いい?いくよ」
「いく、って……なにすんの?」
ゆかりの問いには答えず、瑞穂は木刀を目にも止まらぬ速さで振った。
シュッ……、という音が一瞬だけ聞こえた。
その、あまりの素早さに、ゆかりとグライガーは息を呑んだ。気のせいだろうか、振った瞬間、剣先が蒼白く光ったようにも見えたのだ。
ゆかりもグライガーもただただ、唖然とする中で、リングマだけはニヤリと笑っている。
「……で……」ようやくゆかりの口から言葉が発せられた「だから、どうなん?」
木刀を振ってから数秒経っても、瑞穂にも木刀にも変化はない。グライガーも同じ気持ちらしく、……だからどうした……?という気持ちをあらわにしている。
「すぐにわかるよ」
瑞穂はそう言って、リングマと顔を見合わせ、笑った。ますます意味が分からない。
ギシッ!
突然、雑木の一本に亀裂が入った。
ギシギシギシッ……、と音をたて、口をアングリと開けたままのゆかりとグライガーの目の前に、ドスッ! という音響をたてながら、雑木は倒れた。
雑木の切り口は、糸鋸で斬ったかのように、滑らかである。
「これ……お姉ちゃんが斬ったん?」
数秒の後、信じられない、といった顔で、ゆかりは瑞穂に訊いた。
グライガーに至っては、なにがなんだか解らずに、ひきつった笑みを浮かべている。
「うん。……影蘭流剣術、奥義『鎌鼬(かまいたち)』っていう技なの。この技はね、風……つまり空気を利用してモノを斬ることができる、っていう理論を元に独自に考案された技なんだ。空気を利用するから、力のない私や、グラちゃんでもできる筈だよ」
「お姉ちゃん、なんでそんな技を……」
「あ、私ね、剣道が趣味なんだ。前に言わなかったっけ?」
ハァ……。ため息をつき、ゆかりは疲れた様子で、隣にいる筈のグライガーを見やった。しかしグライガーは、もう、そこにはいなかった。
グライガーは、瑞穂に飛びついていた。
……ねぇ、どうやったら今の技、できるの……? そう訊いているように見える。
「それはね……」瑞穂は笑いを堪えているようだ「練習あるのみ、だよ」
○●
朔。
これまで毎日、闇夜を切り裂いてきた月も、2、3日の休養が必要らしい。気色の悪い夕日が落ちて、何時間ほど経過しただろうか。
や……。
やめて……。
(やめて……ください)
少女は懇願した。しかし、アイツはけたたましく笑って、少女をその場に引き倒した。
(ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……)
少女は涙を流しながら懇願した。アイツは耳が張り裂けそうなほどの大声で笑った。
アイツは少女の背中を踏みつけた。少女は涙まみれの呻きを発した。
ストン、と目の前に、少女の目の前に、小さな黄色い何かが落ちてきた。
(あぁ、あぁ……)少女は恐怖からか、身を縮ませた(やめて……)
バヂン!電撃が発せられ、少女は5m程弾け飛んだ。痛みからか、のたうちまわる少女の腹に、アイツは容赦なく蹴りをいれた。
(ゲフッ……ううぅ……)少女は口から血を吐いた。痙攣を起こしているように身を震わせて、怯えるような目つきで、相手を見つめた。
後頭部を踏みつけられた。グシャ、という音と共に、少女の幼くも美麗な顔が、四散した。
バキバキッ。少女の前歯は、粉々に砕け、血涙と混じり口から流れ出た。
(やめて……)
アイツは動くこともままならぬ少女の頬を、思い切り蹴り飛ばした。
バギ、と顎の骨が、へし折れる音が聞こえた。
それが悪夢であると認識するのには、長い時間を要した。氷は、横になりながら、星すらも輝かぬ闇夜の空を睨み付けている。
今日は新月であり、月は見えない。
たとえ、さっきのが夢であったとしても『現実にあった、過去』を拭い去ることはできないのだ。あれは夢でない。自分の過去が、時を超えて夢という形で再現されたものなのだ。
時を司る森の神さまも、ずいぶんと意地悪なことをしてくれる、と氷は思った。現在よりも、氷は過去を恐れていた。違う、過去を憎んでいるのだ。
氷の表情は崩れない。だが、少女の全身には、冷たい汗が流れていた。
「姉さん……」と氷は闇に呟いた。鋭利で静かな普段とは違った、悲しそうな涙声だった。
「ねぇさん……、わたし、どうしよう……。もう戻れないよ、だって……わたし、人殺しになっちゃた……。」
闇しか映っていない瞳から、不覚にも一筋の涙が流れ落ちた。
私らしくもない、涙なんて……、と氷は細く白い腕で目を擦った。
……死にたいと思ったときも、どうしようもなく苦しかったときも、姉はいつも慰めてくれた。姉がいなかったなら、支えてくれなかったなら、私は、もう死んでいる。
しかし、その姉は、もう現世にはいない。過去の記憶として、おぼろげな状態でのみしか存在しない。
そう思うと、余計に悲しくなった。
悲しくない、悲しくなんてない。まだ夢を見ている、まだ夢から覚めていないだけ。氷は、そう自分に言い聞かせた。
辺りは凍りつきそうなほどに、静まり返っている。どこからか、いい匂いが漂ってきた。旅人が、この森でキャンプでもしているのだろうか。
「ダメね、煮込みすぎて素材の味が台無し……」
そう呟いて氷は目を閉じた。今の自分には、料理を作っても食べてくれる人がいない。もしかしたら、そんな現実を直視したくないだけなのかもしれない。
ふと思いついて、目を閉じたまま、氷は自分の首筋を優しく撫でた。首筋には、普通に見ただけでは気付かないような、小さな刻印がなされている。
えす。える。すらっしゅ。えいち。えす。えふ。にじゅうさん。はいふん。ぜろ。えす。かっこ。わい。
『sl/Hsf23-0s(y)』と刻まれている。
ふぅ、と氷は息をはいた。
この小さな刻印が、自分の命であり、自分の力でもあるのだ。
「私は……」と、氷は言いかけた。その時だった。
ガサッ。
すぐ側の茂みから、物音が聞こえた。氷は起きあがり、目を光らせた。
ガササッ。
茂みから飛び出してきたのは、青い、一匹のナゾノクサだった。しかし、普通のナゾノクサではなかった。頭には刃物で斬られたような傷があり、そして――
瞳は赤々、ギラギラと光っていた。
狂っている、と氷は直感した。
急いで立ち上がろうと氷が体を動かすと、ナゾノクサは頭からはっぱカッターを飛ばした。
ザシュ、シュゥゥゥ……。
はっぱカッターは、氷の肩にグサリと突き刺さった。肩から血が吹き出た。
「ク……、なに、突然……」
そう呟くと同時に、氷は腕でナゾノクサを殴りつけた。ナゾノクサは数メートル程飛ばされ、木にぶつかりその場に倒れた。呻きを上げると同時に、ナゾノクサの頭の傷跡から、体液がドビュッと飛び出した。
起きあがり、冷たく自分を睨み付けている氷をにらみ返すと、ナゾノクサは突然、毒の粉を振りまいた。毒の粉は辺りに一帯に散乱し、ナゾノクサの姿を包み隠す。
「逃げる、つもり、ね……」
氷の言葉通り、毒の粉が消える頃には、ナゾノクサはその姿を消していた。
なんだったのだろう、今のは。
氷は再び横になり、目を閉じた。少なくとも、肩の傷が癒えるまでは、安静にしていなければならない。
ヒワダタウンへは、明日の夜までに着けばいい。
今は、時が経つのを待つだけだ。
そう、今は。
○●