「これで、余計な事は、考えずにすむわ……」
カヤは身構える。瑞穂はただただ、呆然とその様子を眺めていることしかできない。氷の瞳が妖しく光った。ライチュウは、ピクリとも動かなくなる。痙攣していたのだ。
吹き出す鮮血が霧のようになり、氷の肩から、血ではない、紫色をした、異形な腕が飛び出した。一本ではない、何本も、まるで無数の蔓のように、わしゃわしゃと伸びていく。右の白い腕も、紫へと変色していく。パックリと先が裂けるが、血は出ない。唇が膨らみ、氷の口から白く、鋭い牙が剥き出しになった。
瑞穂は、変貌していく氷の様子を見つめ、息を呑んだ。
眼球が破裂し、鮮血も程々に、腕に生えているのと同じ紫色の触手が伸びた。同じく、体中から無数に、紫色の触手が、白い肌を突き破っている。黒々としたワンピースが引きちぎれ、触手は氷の体を覆った。無数に絡まりあう触手の中に、少しだけ氷の小さく白い裸体が覗いている。
咆哮した。少女の面影はなく、ただ、獣の雄叫びをあげているのだ。
「ギャーボ!」
絶句した。瑞穂はその触手の一本一本が、蛇ポケモンのアーボであることに気付いたのだ。
「う、ウソ……」
隣では、ゆかりが瑞穂に抱かれるように倒れた。ゆかりを抱きかかえる瑞穂。失禁に濡れたオーバーオールが生温い。
再び咆哮。無数の触手であるアーボが、一斉にカヤへと襲いかかった。
「ヒッ……ひぃぃッ!」
ヒエンは金切り声をあげた。がくがくと忙しなく震え、怯えながら、飛び退く。カヤは薄笑いを引き締めた。モンスターボールを手に取り、氷へ……異形へと投げつける。
その瞬間、異形の生物の触手は引きちぎられた。
鮮血が飛び、瑞穂の足下には、ビクビクと痙攣するアーボの首が転がっていた。異形はと見ると、緑色の唾液を滴らせながら、平然とカヤへと向かって前進している。
「ア……ひ、ヒェ……!」
縺れる足で、ヒエンは洞窟の奥へと逃亡した。先程までの余裕が嘘のようだ、と瑞穂は思った。
「あの、ヘボ!」
惨めに逃げ去るヒエンの背中を嘲るように見ながら、カヤは吐き捨てた。その目の前では、先程、異形の触手を切り裂いたサンドパンが。異形の攻撃にそなえ、構えている。
首のない触手は黒く、腐敗したように溶け、そこから新たに触手が生えてくる。華奢だった少女の体は、膨れ上がっており、まるで野獣、雪男のような風体へと変貌を遂げていた。
「ライチュウ、そっちは、よろしく」
言うが早いか、痙攣の治まったライチュウはグライガーへ向けて高速星形エネルギー体を発した。今度は電撃ではない。瑞穂の指示で、グライガーは旋回、エネルギー体をかわす。気絶したままのゆかりを抱きかかえながら、瑞穂は叫んだ。
「れ……連続斬り!」
グライガーのハサミが蒼白く光り、無数の空気の刃がライチュウを襲った。電光石火でなんとかかわすも、ライチュウは体勢を崩した。だが瑞穂は、この好機を待っていたのだ。
鎌風。
グライガー繰り出す鎌鼬の風圧で、ライチュウは吹き飛ばされ、岩で頭部を強打した。目を回し倒れて、それきり動かない。
同様に異形と対峙していた、サンドパンも動かなくなっていた。痙攣しているのだ。異形の蛇眼によって、身動きを封じられている。蛇睨み。蛇睨まれ、痙攣、失神。口から、泡を吐き出しながら、白目をむいてサンドパンは力なく倒れた。
「相変わらず、醜い面ねぇ……。醜い。醜い」
サンドパンとライチュウをボールに戻し、異形の顔を見つめながらカヤは呟いた。異形の生物は緑色のヨダレをしきりに太い腕で拭いながら、一歩ずつカヤへと近づいていく。
「ホントに、見憎い」
「ギャゥ! ギャオ、ゲギャ!」
オマエの、せいだ!
少女は、異形は、そう叫んだつもりだった。
「ふん……。私のせいじゃないわよ。勝手に責任転嫁しないでほしいわ。それとも、もう、自分が、なんでそんな醜い身体にされたのかも覚えていないくらい、アンポンタンになっちゃったわけ? ノーミソまでバケモノになっちゃたわけ? 笑わせるわ。笑わせる。ちゃんちゃらおかしい。とっとと、復讐でもなんでもやれば? オ馬鹿で醜い、バケモノちゃん」
異形は怒りを露わにし、緑色のヨダレを、カヤめがけ吹き出した。
あっさりとカヤはヨダレを避ける、ヨダレの付いた地面がジュゥと音をたてて、溶けていく。溶解液だと、瑞穂はとっさに緑色の涎がなんであるかを見切った。よく見れば、異形の口元は爛れ、薄い煙が立ち上っている。
驚愕するとともに、瑞穂は不審に感じた。おかしい。異形と女を見比べてみる。
あの女の人、全然怯えていない……、むしろ余裕がある。何でだろう。笑っている。何かを企んでいるかのような、不気味な笑み。
いつだったか、偽の育て屋へ忍び込んで見つかったときの、男の緩んだ口元。
(フフフ……それはな……)
笑っていた。間違いなく。その男も企んでいた。その直後、振り返った自分を襲った、打撃。頭が割れたように痛かった。
(うぅぅ、うっぅぅ……あぁっ!)
響く、自分の呻き、悲鳴。
グライガーを戻し、瑞穂は唇を噛みしめた。あの女の人……何か企んでる。何を? その瞬間、瑞穂の視界に飛び込んできた。カヤの企み。カヤの握りしめているスイッチを。
カヤの笑みは、痛いほど瑞穂の瞳に突き刺さった。危ない!……それは直感だった。
「……死ね」
「危ない!」と、瑞穂はゆかりを抱いたまま、異形へと飛びついた。
カヤは握りしめているスイッチを押した。
ズゴォォォォン!
爆音が響いた。外壁が炸裂した。瑞穂の周辺に幾つもの岩石が落下してくる。爆発だ。煙は充満し、洞窟が音をたてて崩れていく。煙の奥へとカヤは消えていった。
ゴゴゴゴゴゴ……。
崩れていく。洞窟の壁が崩れ、その中から大量の水が溢れて、飛び出した。突然の爆発で地下水脈に穴が開いたのだ。鉄砲水が、全てを押し流していく。異形も、少女も……。
全ては水に流されていく。
流されていく……。
○●
特殊工作部隊専用のVTOLに乗り込み、離れていく地面を眺めながらカヤは溜息をついた。
「作戦失敗……か。遊びすぎたわ」
作戦を嗅ぎつけられ、警察がやってくることは、ある程度想定していたものの、まさか、幼い少女や、氷が来るとは思いもしていなかった。仕掛けていた爆薬も、まさか警察以外の人間に使うなどとは想定していなかった。爆薬が爆発し、地下水脈に穴を開けることも、予想していなかった。
そして、この作戦が失敗するなど、夢にも思っていなかった……。
予想外だらけだ! カヤは、自分を笑った。自分の計画性の無さを、笑い飛ばしたかった。組織に属して初めての失態……。
今回の件が、カヤの自尊心を、どれだけ傷つけたか、想像に難くない。怒りの炎を瞳に漲らせ、カヤは無線機から聞こえてくる青年の声に、耳を傾けた。
「失敗したようだな」
「ええ……」
「ヒエンはどうした?」
「ふん……、おいてきたわ。あんなヘボ」
「まぁ、いい。どうせ、この作戦が失敗しても、『あの計画』には関係ないからな」
「お咎めナシ……ってわけ?」
「そういうことだ。ただ……」
「ただ……、なんなの?」
「帰投する前に、もう一仕事して欲しい。なあに、簡単な仕事だ」
「具体的に何をするわけ?」
「『あの計画』の実行に向けた、最終実験だ」
座標確認用のディスプレイが光った。前方4.6キロメートル付近に、青く光る、謎の飛行生物が映しだされている。
「そのポケモンに、例のモノを……特殊電波発生装置を取り付けるだけだ……」
○●
あの時と、同じだ。
冷たい水の中で、もがき苦しんでいた。泳げない、あの時の恐怖が未だに脳裏にこびりついている。
冷たいよ……冷たい、助けて!
そして途切れた。何もかも。全てが。自分が。運命が。それが、本当の地獄の始まりであることも知らずに……。
ここで時は止まっている。明日はない。明日と呼べるような明日は来なかった。
身体が、醜き姿が縮んでいく。元の姿へ、偽りの姿へと戻っていく。恐いよ……戻りたくない。元に戻ったら、みんな私を虐めるもの……。姉さん、助けて……。
ふいに誰かが手を引いているのを感じた。
そして、引っ張られる。ぐい、ぐい、と。空が近づいてくる。
姉さん? 姉さんなの……?
相手は答えない。
……暗転。
○●
瑞穂は、ゆかりと氷の手を握ったまま、洞窟の出口に倒れていた。手を振りほどき、立ち上がると、ずぶ濡れのまま氷は、倒れている瑞穂に呟いた。
「助けて……くれたの……?」
瑞穂は蒼白い顔をしたまま、動こうとはしない。氷は瑞穂の胸に、耳をあてた。鼓動が聞こえない。心臓が止まっていた。
その時、ゆかりが目を覚まして起きあがった。
「お姉ちゃん……、ど、どないしたん?」
「鼓動が……聞こえない」
ゆかりの顔がひきつった。すぐさま、泣きそうな声で氷に縋る。
「お姉ちゃん、なんでか知らんけど、心臓が弱いんや……! この洞窟まで来るのに、だいぶ負担がかかってもうたんや。そんな状態で、この冷たい水の中に入ったもんやから……。このままやったら、お姉ちゃんが……死んでまう……。」
座り込んだまま、ゆかりはポロポロと泣きじゃくった。それを尻目に、氷は瑞穂の胸を、腕で思い切り叩きつけた。
「な、なにしてるん!?」
ゆかりは驚きの声をあげる。氷はそれを無視し、ただひたすら叩き続ける。
トクン……。
鼓動と同時に、瑞穂は眼を開いた。それを見て、ゆかりは涙を拭おうともせずに瑞穂に抱きついた。
苦しそうに、瑞穂は氷の顔を見つめながら言った。
「ありが……とう……」
「それは、こっちの台詞よ……」
「あは……、泳ぐの……結構、得意だったんだ……けど、途中で、苦しくなっちゃって……」
「無理は、ダメよ……」
「それは、こっちの台詞だよ」
瑞穂は微笑む。氷は呆れたように、立ち上がった。
「あなた……、本当の……名前、なんて言うの……?」
「ふぶき……ひょう……」
そこまで答えて、氷は歩き出した。着ているワンピースはボロボロに引きちぎれており、濡れている。冷たい雫が、体中から滴っていた。
「どこに……行くの?」
瑞穂の問いに、氷は振り返らずに応えた。
「どこでもいいわ……どこにもいけないけれど……」
○●
あの計画の実行が、近づいてきた。
しかし、その計画すらも、少女達の運命の一端に過ぎないのだ。
そして、後に少女達は、気付くだろう。
この出会いよりも、遙か以前に、運命の歯車が回りだしていたことに――