刹那の夢と嘘の玩具   作:月影 梨沙

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救済÷伝達

 聞こえる。 

 

 聴こえる……。 

 

 グライガーの瞳が、また一段と潤んだ。瑞穂の腕から飛び出ると、グライガーは宙を睨みながら静止する。 

 

「ねぇ、どうしたの?」 

 

 そう瑞穂が訊くと、グライガーは手のハサミで、ちょんと耳の辺りをつついた。硬質なハサミだが、遺跡の冷ややかな空気よりも、ずっと暖かかった。 

 

 自分の耳を撫でながら、瑞穂は目を閉じた。先程のグライガーは瑞穂に、耳を澄ませ、と伝えたかったのではないか。そう思ったのだ。 

 

 しかし、何も聞こえない。 

 

 ゆかりは瑞穂に寄り添う。ふたつの影がひとつに重なった。

 

 たすけて……。私をたすけて……。 

 

 苦しい……。ここから出して……。

 

 聞こえた……。 

 

 正確には、聞こえたというよりも、頭に直に響くような感じだ。 

 

「なに? 今の声……」 

 

 すぐさま瑞穂は、ゆかりを見やった。ゆかりにも声が聞こえていたらしく、口に手を当て驚いた様子をしている。 

 

「今の声……今、女の人の声が……聞こえた……」 

 

 空気が震えた。闇が、影が、ざぁっと散っていく。何かを警戒していたようなグライガーが、雄叫びをあげた。 

 

「グラァァァァッ!」 

 

 今まで一度も聴いたことのない、鬼気迫るグライガーの叫びに、瑞穂はハッと息を呑んだ。足下から伸びる影が、どんどんと膨らんでいくのが見える。影は分裂し、その中から、無数の黒々とした奇妙な物体が浮き出すように現れた。 

 

 ゆかりは仰けぞった。瑞穂は膝がガクガクするのを感じた。何これ? それが正直な気持ちだった。

 

 奇妙な形をした物体は、瞳のような部分で瑞穂達を舐めるように見回している。瞬間、無数に群がる物体にグライガーは、紫色の刃を振りかざした。眼が血走っている。先程からずっとまとわりつく恐怖に耐えてきた証拠であった。 

 

 物体は、刃に叩きのめされ、地面へと次々に落ちた。しかし謎の物体も負けてはいない。奇声を発し、瞳のような部分が虹色に発光したかと思うと、グライガーは蒼白い光に包まれ、壁へと叩きつけられた。 

 

「きゃ……! 大丈夫?」 

 

 悲鳴をあげ、瑞穂はグライガーに駆け寄った。痛みのせいでのたうっているグライガーを抱き上げると、額を優しく撫でた。その間にも、物体は虹色の瞳を爛々と輝かせ、瑞穂へと迫っている。ゆかりは叫んだ。 

 

「お姉ちゃん! 危ない!」 

 

 瑞穂はハッと物体を見やった。今まで暗くて気付かなかったが、物体は、遺跡の壁に刻まれた模様と、形状が酷似していた。 

 

 虹色の瞳から白色の光弾が発射された。瑞穂は思わず目を閉じた。グライガーが決死の覚悟で光弾へと飛び込んだ。皮膜で体を覆い、防御態勢をとる。光弾がグライガーへとぶつかり、はじけるように衝撃波が広がった。 

 

 瑞穂とグライガーは衝撃波によって、数メートルほど飛ばされた。 

 

「きゃっ!」 

 

 ゆかりは思わず、手で視界を覆った。 

 

 瑞穂は壁へと勢いよく叩きつけられ、全身の骨が砕け、頭蓋が陥没する、グシャ、という音を響かせながら、力なく倒れ、鼻と口から夥しく血を吹きながら、狂ったように地面で転げ回り、辺り一帯に脳漿を撒き散らす惨めな様など、想像するだけでも耐えられない。 

 

 しかし、瑞穂は怪我ひとつしていなかった。青い特殊な光に包まれながら、ゆっくりと地面に着地したのだ。瑞穂は驚いた様子で、グライガーを見つめた。 

 

 グライガーの瞳は紫に輝き、体全体が青い色調を帯びていた。その妖しい色の瞳は、どことなく射水 氷に似ている、と瑞穂は思った。 

 

 物体は、そのグライガーを恐れているように見えた。次の瞬間、無数の物体が、グライガーと同じく青い光に包まれ、弾け飛んだ。幾つかの物体は粉々に砕け散る。その破片は光りだし、吸い込まれるように消えていった。 

 

「……今の……グラちゃんの力……なの?」 

 

 呆然とした様子で瑞穂は呟いた。脱力しているのか、両手がだらりと垂れている。 

 

 物体にも意志が、恐怖心というものがあるのか、一斉にざわめき、消えていくのが見えた。 

 

 グライガーはと見ると、全ての力を使い果たしたのか、ドサリと音をたて地面に倒れた。 

 

「あ……、はやく逃げなきゃ……」 

 

 瑞穂は辺りを急いで見回し、グライガーを抱きかかえると、目を閉じたままでいるゆかりの手を引いて、遺跡の出口へと駆け出していった。

 

 

 ○●

 

 

 跫音だけが哀しく、絶望を煽った。 

 

 また、ダメだった……。希望は消え、後には悲痛な毎日が続くのだと思うと、それだけで気が滅入る。逃げていく瑞穂の背中を見つめながら、影は再び集結していく。 

 

 誰も聴くことのできない笑い声を響かせて、男はそこに立っていた。余裕か、今の自分に満足しているのか……永遠に訪れることのない、幸せ、を噛みしめている。 

 

 そう。幸せなのだ。 

 

 誰だって、人間ならば、幸せでありたいという意思を持っている。だが、その意思は時に暴走し、自分自身を蝕むことがあることを、まだこの男は知らない。 

 

 男は背後に、刺さるような視線を感じ振り返った。そして、苦笑した。 

 

「なんだ、脅かすなよ……」 

 

 男は言った。睨んでいるような目つきで、少年は男を眺めている。見るもの全てを嫌悪するかのような、光のない瞳を目の当たりにして、男はたじろいだ。 

 

「そ、そんな目で見るなよ。おまえのおかげで、僕はいま、とても楽しく暮らしている。感謝するよ。……ところで、なんのようだ?」 

 

 銀色の長い髪を撫でると、少年は心情の読めない微笑みを浮かべた。柔らかそうな頬に刻まれた黒いタトゥが、薄い光を帯びて輝いたように見える。 

 

 突然、少年は呟いた。頭の奥から響くような、不思議な声だった。 

 

「警告しに来た」 

 

「警告……だって?」 

 

 腰を屈め、男は少年の顔を覗き込んだ。黒いタトゥが一段と鋭さを増している。 

 

「彼らは、意識、察知する力あり、外、拒む」 

 

 ふとした少年の言葉に、男は顔を歪めた。なんだい、そりゃ? 俳句か……? 

 

 少年は壁に刻まれた紋様に触れた。紋様が黒々とした光を帯びて、少しばかり歪んだ。 

 

「彼らは、外からやってきた意思を嫌う。気を付けた方がいいよ。彼らに嫌われたら、彼らは二度とキミの前に姿をあらわさない……」 

 

 男は得意げに鼻を鳴らした。 

 

「大丈夫だよ。さっきの邪魔者だって、あんなに簡単に追い出せたんだ。おまえも見ていたんだろ……?」 

 

 そこまで言って、男はハッと息を呑んだ。少年の姿は、目の前から消えていた。残されているのは三日月の描かれたカードだけだった。 

 

「本当に……あいつは何者なんだ……」 

 

 男は恐れ怯えながら、影の中へと沈んでいく。 

 

 悲鳴が聞こえた。 

 

 たすけて……ここから出して……。

 

「あの2人を殺してくれたのはキミだね……」 

 

 少年の声が聞こえた。新聞を読みふけっていた氷は、思わず顔を上げ、辺りを見回した。しかし喫茶店内には、少年の姿などない。気のせいね。氷は首をまわした。最近、疲れているのよ―― 

 

 氷は首を傾げたまま、新聞に再び目を通そうとした。 

 

「……ありがとう……殺してくれて」 

 

 気のせいなどではない。空耳などではない。 

 

 すぐさま氷は窓の外を見やった。雪の降りしきる中、彼はそこにいた。 

 

 少年は、白い顔に銀色の長髪をしていた。背は氷とたいして変わらないか、少しばかり彼の方が大きいだろうか。純白の平原で、少年は微笑みを湛えている。頬には、黒いタトゥがあり、そこにはどうしようもなく妖しげな雰囲気が漂っている。 

 

 窓ガラスを隔てて、白色の少女と、黒いタトゥの少年は対峙していた。 

 

「あなた……何者なの……?」 

 

 聞こえないとはわかりつつも、氷は冷静を装い訊いた。少年は微笑みを維持したまま、氷を楽しげに眺めている。 

 

「美しいね……。今日は何故だか、カワイイ女の子を、よく見かける……。さっきの青髪の女の子も可愛かったけど、キミはその娘とは、また違った魅力がある」 

 

「質問に答えて……」 

 

 氷は少年の瞳を睨んだ。蛇睨みをするつもりなのだ。少年は平然とした様子で、氷を眺めたまま動かない。これには氷も焦りを隠しきれなかった。普通の人間ならば、体が痙攣を起こして、口から泡でも吹きながら倒れるはずである。 

 

「ボクが、怖いの……?」 

 

 核心を突いた少年の問いに、氷の肩がビクリと跳ねた。 

 

(氷……あんた、私のことが、恐いの?) 

 

 カヤの優越感に満ちた言葉が、氷の脳裏に蘇った。 

 

 臆病者。 

 

 氷は立ち上がった。喫茶店を飛び出し、少年の立っていた場所へと走った。しかし少年は、既にそこにはいなかった。代わりに、三日月の描かれたカードが、雪で覆われた地面に突き刺さっている。 

 

「逃げたのね……」 

 

 悔しさと安堵の狭間で氷は呟いた。氷の白い肌が雪の色に溶けこみ、まるで昔話にでてくる雪娘のように見える。 

 

「本当に、キミは美しいな……」 

 

 感嘆したような少年の呟きに、氷は驚いて振り向いた。喫茶店の中の、氷のいた席に座って、少年は飲みかけのアイスティーを飲み干していたのだ。 

 

 今度こそ、氷の表情が恐怖にひきつった。 

 

「あ……あ……あなた――なんなの、何者なの……?」 

 

 腰が抜けたのか、氷はその場に尻餅をついて倒れた。少年は笑いながら、ウェイターにジンジャーエールを注文している。 

 

 雪まみれになりながら立ち上がる氷を見つめ、少年は言った。 

 

「ボクは、キミを恐がらせに来たわけじゃない」 

 

「じゃあ、あなたは何者なの、誰なの……なんのために私に話しかけたの……?」 

 

 氷は少年の瞳を睨みながら訊いた。少年は小さく首を横に振り、囁くように氷へと告げた。 

 

「あまり、ボクの眼を見ない方がいいよ……」 

 

 思わず、氷は少年の瞳から目をそらした。 

 

 やっぱりボクが怖いんだね。少年は心の中で呟きながら苦笑した。 

 

「ボクは、キミに……」そこへジンジャーエールが運ばれてくる。ストローを口につけ、少しばかり飲むと、少年は氷の方へと向き直った。 

 

「お礼を言いに来ただけさ……」

 

 

 ○●

 

 

 アルフの遺跡研究所は、アルフの遺跡から、歩いて3分ほどの場所にある。 

 

 研究所の主任研究員である韮崎教授は、延々と降り続ける雪と、白い平原を見つめていた。物思いに耽る彼の横顔は、教授という割には若く、30代ほどに見える。 

 

 既に研究を開始して10年以上が経ったのだ。長いような短いような……。2年前にトキワ大学から赴任してきた韮崎自身には、まだ、それほどの実感はないが、10年前から地道に調査を続けてきた研究員などは、一向に新しい発見がないことに諦めを感じているのだ。 

 

 なぜ、何も見つからないのか。韮崎は思っていた。 

 

 誰が、なんのために、このような大きな建造物を造り上げたのだろう。もしかしたら、謎は、永遠に自分達の前に姿をあらわそうとはしないのではないか。どうして? どうして、隠れようとするのだ。私の前に、全てを見せてはくれまいか……。 

 

 韮崎の手には、不思議な形をしたピースが袋に入れられたまま握られている。ピースは光っていた。もっとも、雪の光を反射させているに過ぎないのだが。 

 

 去年、遺跡内から大量に見つかった数々の遺物は、たしかに証言者ではあるが、決して真実を全て教えてくれようとはしない。永遠に答えの見つかることのないパズルを前に悪戦苦闘する自分を想像し、韮崎は思わず苦笑した。 

 

 そうさ、たしかに解けないパズルさ。断片のたりないジグソーパズル。 

 

 頭に積もった雪を振り払い、韮崎は研究所の方を向いた。あまり長い間、外にいれば、風邪をひいてしまうかもしれないからだ。 

 

 今までも、そしてこれからも毎日繰り返すであろう、深い溜息をつくと、韮崎は深く積もった雪に足を取られながら、研究所へ入ろうとした。 

 

「あれ……? 先生……韮崎先生ですよね……?」 

 

 自分を呼ぶ声が聞こえる。まさか。明らかに子供の声だ。確かに2年前までは先生と呼ばれていた。しかし教鞭を執っていたのは大学でのことだ。 

 

「先生。私です」 

 

 たわいのない子供の悪戯だと思いながらも、韮崎は声のする方へと顔を向けた。小さな少女が2人、雪の上で手をつないで韮崎を見つめている。 

 

 青い、水色の髪を左右で束ねた少女は、寒そうに首をすくませていた。 

 

「洲先君か……?」 

 

 驚いた様子で、韮崎は少女をまじまじと見つめた。名前を呼ばれ、少女はにこりと微笑むと、深々と頭を下げた。 

 

「あの時は、お世話になりました」

 

 

○●

 


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