刹那の夢と嘘の玩具   作:月影 梨沙

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消失=増殖

「おまえに、何がわかる……?」 

 

 男は言った。おまえに。何が。わかるんだ? 僕の、俺の、何が、わかるんだ……? 

 

「おまえに、容姿にも何もかもに恵まれたお前達に、俺の気持ちがわかるのか? いや、理解できるはずは無い」 

 

 あまりの男の形相に、今まで怯まなかった瑞穂も、思わず後ずさった。男の狂気で、殺気で、瑞穂の表情に恐れの感情が浮いた。男は続ける。 

 

「逃げるのか? 逃げられると思うのか? おまえたちは俺のことを知った。そして俺を否定した。それで本当に、逃げられるとでも思っているのか……?」 

 

 韮崎は背後に何者かの気配を感じて振り向いた。出口は消えていた。消したのだ、アンノーンが。 

 

 男は口を動かした。声は出ていない。アンノーンの姿が男の足下から次々と浮かび上がる。声が奪われていた。男の声は男の口からは発せられなかった。アンノーンの一体が奇声を発した。 

 

「おまえガ、おれノ、なにヲ、しッテイル……。おれノ、きもちモしラナイクセニ。おれガ、サバイテヤル。コロシテヤル」

 

 アンノーンが一斉に瑞穂を捕らえようと、近づいてきた。光弾が発せられ、瑞穂は横へ飛びついて、それをすんでの所で避けた。床にめり込み、光弾が炸裂した。地面が抉られ、破片が辺りに飛び散った。 

 

「先生は、伏せていてください!」 

 

 瑞穂に言われるままに、韮崎はその場にかがみ込むように、伏せた。 

 

 それを確認し、瑞穂は胸に抱いていたグライガーを解放し、もう一つ、モンスターボールを投げた。

 

「グラちゃん……! それに、ナゾちゃんもお願い!」 

 

 ボールから光が迸り、ナゾノクサがその姿をあらわすと同時に、アンノーンが真っ二つに割れた。地面に落ちたアンノーンの上に、はっぱカッターがヒラヒラと舞い落ちる。 

 

 青い光が空を斬った。断末魔の悲鳴をあげ、アンノーンがバラバラに砕けた。グライガーの鎌鼬が、アンノーンを切り裂いたのだ。 

 

 黒い異形は束になって、ナゾノクサを押さえつけようとした。ナゾノクサは黄色い粉末を吹き出して、飛び上がり、痺れているアンノーンへはっぱカッターを発射した。 

 

 踊るように舞い上がって、グライガーはハサミを振り、青い光の筋が黒い霧を祓う。瞳が紫の光を帯びてきた、叫び声をあげ、グライガーはハサミを振り回した。 

 

 アンノーンは、青い光に包まれて、弾け飛び、砕け、消えていった。 

 

 男はあからさまに狼狽していた。額には汗と脂が浮かんでいる。 

 

「そんな……アンノーンが……、ありえない」 

 

 ナゾノクサをボールに戻し、グライガーを抱きかかえると、瑞穂は男の顔を直視した。 

 

「すべて……すべてが自分の思い通りになるわけがないんです。もう、こんなこと、やめてください」

 

 激しく頭を振り、男は食い入るような眼で消えていくアンノーンを睨んだ。口元から夥しく涎が溢れている。歯を食いしばり、立っている。痙攣しているように見えた。 

 

「あ……あぅ……。違う。これハ。なにカノマチガイダ! 俺は望んだ。望んだんだ。なぜ、叶えてくれない? 答えてくれ。答えろ、アンノーンっ!」 

 

 叫び声をあげ、男は瑞穂の元へと駆け出した。拳を振り上げている。 

 

 瑞穂は危険を感じた。男は狂った。自暴自棄になり、自分を殺そうとしている。 

 

 男の懐から、鈍く光る刃物が飛び出した。口を開いて、眼をしっかりと瑞穂を睨む。頭のなかには、既に血塗れになって死んでいる、瑞穂の姿が映し出されていた。 

 

「ころシテヤル。ころシテヤル。おれヲひていスルナ! おれヲばかニスルナ! おれノきもチガ、オマエニワカルカ!? しネ、しネ! ころシテヤルッ!」 

 

 俺を否定するな……俺を馬鹿にするな……。それが男の究極の望みだった。俺を否定するな。叫いた。狂ったように、叫き立てる。俺を馬鹿にするな。俺を否定するな。俺の望みを叶えてくれ。 

 

 しかし、それは男の言葉ではなかった。刃先が光る。瑞穂は身を屈めた。 

 

 叫び声が揺らいだ。冷たい音とともに、瑞穂は、そこに無数の意識をみた。 

 

 皆、泣いていた。

 

 

 ○●

 

 

 外は吹雪だった。雪が吹き荒れ、道は白に埋まった。 

 

 少年は頬のタトゥを撫でる。鍵型のピアスが、風に吹かれて揺れていた。 

 

「裁かれただろう……? あの男」 

 

「そうね……。でも、あなたが現れなければ、あの男は罪を犯さずにすんだ――」 

 

 不快そうな顔で氷は言った。顔を背けている。少年は嗤笑した。辺りが暗くなってきた。夜が始まろうとしているのだ。 

 

「それは、違う」 

 

「何が違うの……?」 

 

「人間は、存在自体が罪なんだ。それに、ボクが現れなくても、誰かが同じ罪を犯す。同じ人間だから」 

 

 氷は、もう、何も言わなかった。何を言っても意味のないことを悟ったのだ。 

 

 一歩足を踏み出せば、その後は簡単だった。すぐに、2歩目が続いた。少年と氷の距離が少しずつ開いていく。その隙間を埋めるように、雪が降り積もった。 

 

「最後に教えて」氷が言った。歩きながら振り返らずに。「お礼を言いに来るためだけに、ここに来たの?」 

 

「いいや。裁きの準備に来た。お礼は、そのついでさ」 

 

「準備って──あなたは、どうやって人間を裁くつもりなの?」 

 

「ボクが裁くわけじゃない」 

 

 言い切って、少年は振り返った。白い闇の中へと、氷は消えていく。 

 

「待って……」少年は言った。嗤ってはいなかった。 

 

 氷は止まった。しかし少年の方を見ようとはしなかった。 

 

「ボクに……ついてこないかい……?」 

 

「なんで、そんなこと訊くの……?」 

 

「キミは美しい。それに、いずれキミは、ボクを理解してくれる筈だ。だからボクと……」 

 

 氷は再び歩き出した。少年は口を噤んだ。追いかけようともしなかった。 

 

 消えていった。あとには沈黙だけが残った。少年は俯いていた。なぜ、あんなことを言ったのか。いつしか氷の不思議な魅力に取り憑かれている自分に気付いた。氷と自分は、どこか共有している部分がある。少年は漠然と考えていた。だから惹かれるのだ。 

 

 少年は軽く舌打ちして、空を仰いだ。同時に携帯が鳴った。 

 

「ボクだ……」峻厳な顔つきと態度で、少年は言った。相手は事務的な口調で訊いた。 

 

「いままで、どこに行っておられたのですか……?」 

 

「訊くな、私用だ。……それと、少しばかり面白いことをしてみようと思う」 

 

「『裁き』に関係する内容なのですか?」 

 

「そうだ。僕たち……いや、私たちの理想に少しでも近づくための……」 

 

 ――理想って、なんだ――? 

 

 そこで少年は口ごもった。気を紛らわすために、雪の地面を踏みしめ、歩いた。 

 

「ねえ、レミエル……。ボクは、本当に選ばれた者なんだろうか……」 

 

「何を仰います。先代の御子息のなかで、唯一生き残ったのは、あなた様なのですよ」 

 

「そうだね……ボクは選ばれたんだよね……。それじゃ、今から帰る」 

 

 携帯を懐にしまい、少年は胸を押さえた。自分は、いつしか氷に惹かれていた。だから殺せなかったのだ。同じだ。少年は思った。選ばれた者でも、同じなのだ。苦しみは。誰でも―― 

 

 苦しみの気持ちは同じなのだ。

 

 

 ○●

 

 

 彼女は泣き続けた。 

 

 友人を同時に2人も失い、そして自分自身の命までもが危険に晒されたのだ。悪夢から覚め、母親にしがみつき泣きじゃくる子供のように。彼女の肩はいつまでも震えていた。 

 

 彼女は、何も言えないでいる瑞穂と韮崎に泣きながら訊いた。 

 

「私たち……そんなに非道いことしたの? 殺されなきゃならないようなことしたの? 教えて……教えてよ……」 

 

 無惨な二つの屍体を前に、瑞穂は息の詰まるような思いで彼女を見つめていた。 

 

 彼女はしゃくりあげながら続けた。 

 

「だって……だって……あの時は……」 

 

 弁明のしようがなかった。彼女に弁明する権利などなかった。そこで彼女は押し黙った。歪んではいたが、男は正しかった。正しかったが、彼女たちは間違っていた。 

 

 男は絶対に許せない。若い彼女たちの命を奪い、それで平然と自分の正当性を主張していた。許せない。しかし、彼女たちが男にした仕打ちが、男にとってどれほど残酷なものであったかを考えると、瑞穂は鬱々とした気分になる。心の迷宮は深く浅く、すれ違い、争いを、憎しみを生む。 

 

 彼女は裁かれたのだ。 

 

 瑞穂は、二つの屍体と涙の止まらない彼女を乗せて去っていく車を、雪の降る中見送った。辺りは既に真っ暗になっていた。肩に手が掛かるのを感じ、瑞穂は振り返った。韮崎が優しげに立っていた。 

 

「先生……ユユちゃんは……」 

 

「大丈夫。もう、眠っているよ」 

 

「そうですか……」 

 

 雪をはらい、韮崎の部屋に入る。戸棚には、3年前に撮った瑞穂の写真が飾ってあった。瑞穂は驚いた様子で、写真をまじまじと見つめている。気付いたのか韮崎が苦笑した。 

 

 ゆかりはベッドの上で、眠っていた。柔らかい掌が小さく動いた。そして、寝返りをうつ。 

 

「私……ずっと疑問に思っていたんです」 

 

 韮崎が瑞穂を見た。小さく頷く。瑞穂が何を言おうとしているのか、韮崎には解っていた。 

 

「アンノーンが、なんで人間の意識を察知し、それを具現化するのか。どうして、人間の望みを叶えようとするのか。そんな人間にとって都合のいい能力を有していたのか……」 

 

「キミは、その答えがわかったのかい?」 

 

「先生は、だいぶ前から、その可能性を考えていたんですよね……?」 

 

 すこし微笑んだだけで、韮崎は何も言わなかった。瑞穂は微笑み返し、続けた。 

 

「アンノーンは、人間が創りだした始めてのポケモン……かもしれないですよね。あれほどの遺跡を造ったり、あんな細かい像を造ることのできる優れた文明です。自分の夢や、望みや、欲望を叶えてくれるような、人間にとって都合のいいポケモンを創りだせても不思議じゃないですよね」 

 

「あくまで、推測だけどね」 

 

「確かに推測ですけど、もし正しいとするとアルフの遺跡は……」 

 

「アンノーンの製造工場……という解釈が成り立つ」 

 

「だから、アンノーンは古代の遺跡でしか見つからないんですね」 

 

 アンノーンに襲われたとき感じた快感。あれは、麻薬のようなものだ。瑞穂は思った。自分がいる、夢が具現化され、そこにある。それに飛びつかない人間はいない。 

 

 瑞穂は感じた。恐ろしかった。実際に、夢をみた代償は、大きかったようだ。 

 

「しかし古代人の創りだしたアンノーンは完全ではなかったようだね。でなければ、あんな事は起こるまい」 

 

 韮崎は言ったが、瑞穂は首を横に振った。 

 

「たぶん、違うと思います。アンノーンは、あれで完全だったんです」 

 

「どうしてだね? あれでは、欠陥品じゃないか」 

 

「たしかに、利用する人間の立場から見れば、明らかにアンノーンは欠陥品です。でも、アンノーンが物体ではなく、機械でもなく、生物であるならば、その能力は有って然るべきだと思います」 

 

「皮肉なものだな……」韮崎は暗い顔で言った。 

 

「アンノーンはポケモンです。道具じゃないんです。生きているんです。古代の人達は、アンノーンを創るべきじゃなかったんです。アンノーンに憑かれて、古代文明は滅び、アンノーンは数千年も孤独であることを強いられた……。間違っていたんです。結局、お互いが苦しい思いをしただけなんです」 

 

 瑞穂の頬は火照っていた。悲しみが瞳に浮かんでいるようだった。 

 

「人間はいつの時代も……変わらないものなんだね」 

 

 韮崎の言葉も哀しげだった。雪のふる滅びの遺跡を、瑞穂は窓をとおして見つめている。胸の奥には、床に落ちたナイフの音が染みついていた。 

 

 あのとき、恐る恐る瑞穂は顔を上げた。男は、既にそこにはいなかった。消えていた。消滅していた。しかし、ただ消滅していたわけではなかった。アンノーンが一体、増えていた。増殖していた。そのアンノーンはくるくると回った後、張り裂けんばかりの奇声を発し、壁の中へと消えていった。 

 

 幻はそこで途絶えた。 

 

 女の瀕死の体と屍体が天井から落ちてきた。腐敗していた屍体は潰れた。鈍い音をたてていた。哀しみと孤独に満ちた、男のナイフの鋭い音とは対照的だった。 

 

 部屋は消えていた。瑞穂たちは回廊に立っているだけだった。もちろん、男はそこにはいない。 

 

 あの人はどうなったのだろう。瑞穂は呆然と思い出していた。掌を窓ガラスにつけて考える。ひんやりと冷たい心地よさが瑞穂の体を軽く痺れさせた。 

 

 アンノーンは、仲間を欲しがっていたのだ。孤独だったのだ。夢を、欲望を、希望を、望みを叶えるふりをして、その実、その人間の力を奪い、アンノーンへと、仲間へしようとしていたのだ。そして、あの男はアンノーンへと姿を変えさせられた。不幸にも、夢を見た代償だったのだろうか。 

 

 アンノーンは人間を欺いていた。仲間が欲しい。孤独は嫌だ―― 

 

 古代も、現在の人々もアンノーンに喰われていただけなのだ。人間は、アンノーンの幻に酔い。アンノーンは、酔いしれた人間に寄生していたのだ。 

 

 そして、ある日、人間の殻を破り、アンノーンは増殖した。 

 

 今も、遺跡では男は泣き叫んでいるに違いない。誰もいない。仲間が欲しい。青年が独り、近づいてきた。欲望が見える。憑依した。話しかける。願いを叶えてやる、と……。 

 

 後に、この青年は知るだろう。そして叫ぶに違いない。誰もいない。仲間が欲しい。終わらない、永遠に。 

 

「Parasiteか……」瑞穂は呟いた。 

 

 隣のベッドから聞こえる、ゆかりの静かな寝息が、一日の終わりを告げている。 

 

 今夜は眠れそうにない。

 

 

 ○●

 

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