刹那の夢と嘘の玩具   作:月影 梨沙

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#7 視界。
魂に再会すると


 異常だ。 

 

 風を切り空気を凍えさせ、雲の間を縫うように飛びながら、伝説の蒼い光は思っていた。 

 

 翼を振り、空を翔るその姿は、まさに伝説の名に恥じないほど優雅で気品に満ちている。 

 

 激しく鳴いた。野太い声が雲の中に響きわたった。 

 

 まるで不安に駆られるように飛び続けた。本来ならば、来てはいけない場所であるにも関わらず。 

 

 異常だ。もう一度、確かめるように考えた。おかしい。空気が乱れている。空も、雲も、太陽も、朝も、昼も、夜も、星も、月も乱れている。なにか強大な力によって、この星を構成する全てが、ねじ曲げられたようだ。 

 

 それ故に不安なのだ。 

 

 動揺していた。すぐそこまで接近している人間の気配にすら気づけぬ程、集中力が落ちていた。 

 

 ライトが眩しく光る。鋼の機体が唸りをあげて近づいてきた。人間の造り出した鋼の鳥であった。二発、誘導弾を鋼の鳥は発射した。身を翻しそれを避け、迎撃体勢にはいった。体の輝きと同じ青い光を、口から吹いた。爆音を響かせながら雲の中に消え、鋼の鳥は気配を消した。蒼い光線は雲を突き抜け、上方へと飛んでいく。辺りを見回す。下だ。 

 

 そう感じたときにはもう遅かった。鋼の鳥の先端から針のようなものが打ち出され、首筋に刺さった。痛みは感じなかった。なにも感じなかった。感覚が消えていた。 

 

 そして、知らないところで、意識しないうちに時は流れる。 

 

 感覚が、意識が戻ったのは、すべてが終わった後のことだった。

 

 

 ○●

 

 

 黒の嵐だった。 

 

 雪の嵐が止んだかと思えば、今度は涙の洪水が巻き起こっているのだ。 

 

 涙の一滴一滴は、ごく僅かであるが、すべてを集めれば雨を降らし、海をつくることができる。海は生命を生んだ。海が神の涙であって欲しい。意味もなく、そう思った。 

 

 生暖かい雪解けの風が、俯いている皆の間をすり抜け、少女の頬を貫いた。枯れ葉が落ちる。誰も、これから腐っていこうとする木々の方を見ようとはしない。すべては終わったのだ。 

 

 太陽が照り光り、それまで虐げられてきたことの欲求を吐き出していた。今日、熱射病で死んだ人間は、独りよがりな太陽の不幸な犠牲者だろう。 

 

 犠牲者。その言葉が心に引っかかり、瑞穂は胸が詰まった。表情が歪んでいないか、気になって窓ガラスに映りこんでいる自分の顔を覗き込む。いつもと同じだ。ただ、瞳に涙がたまっていることを除いて。 

 

 泣いてはいけない。自分に言い聞かせた。泣いてはいけないのだ。すべては終わったのだから。 

 

 鼻を啜り、瑞穂は、隣で俯いているゆかりの手を強く握った。ゆかりは驚いた様子で瑞穂の顔を見たが、すぐにまた俯きに戻った。ゆかりの眼は赤く腫れている。 

 

 棺が運ばれてきた。遺族の1人に無言のまま勧められ、瑞穂は棺を覗いた。あの時のままだった。彼の蒼白な顔は、どこか微笑んでいるように見える。 

 

 特別に美しいというわけではなかったが、どこかに人を和ませるような暖かみがあった。 

 

 棺の蓋を閉じ、釘を打つ。小石を手に持ち、遺族が打ちつけていく。音が鳴る。鎮魂歌か。 

 

 枯れ葉が踏まれた。誰かに。音をたて、ちぎれる。皆、棺を見つめていた。 

 

 竈の中に棺は押し込められ、前面に位牌と遺影が置かれた。彼は笑っている。 

 

 焼香した。瑞穂とゆかりもそれに続いた。竃に火が入り、煙と煙が空へと昇っていく。そして彼も魂も。もう二度と話すことも、触ることもできない彼は、雲の奥へと消えていった。 

 

 喪服姿の人々は、流れるように控え室へと入っていく。瑞穂もそれに続こうと思い、竃に背を向けた。 

 

「あの……」 

 

 自分を呼ぶ声に気付き、瑞穂は振り返った。中年の女性が独りで立っていた。気丈にも、その眼に涙はない。ゆかりに、控え室へ行っているように、と眼で合図をし2人きりになると、瑞穂は訊いた。 

 

「私……ですか?」 

 

 彼女は頷いた。また、生暖かい風が吹き、瑞穂の黒い服は揺れた。 

 

「私は、氈瓜トウガの母の、氈瓜ナエといいます」 

 

 ナエと名乗った女性は、軽く頭を下げ一礼した。瑞穂は彼女を見た。 

 

 彼女の顔は、彼の優しげな表情と、とてもよく似ていた。

 

 キキョウ通り沿いの喫茶店『枸櫞』に入り、ナエと瑞穂は腰を下ろした。 

 

 ナエはコーヒーを、瑞穂はナエに勧められて、レモンティーを注文した。ウェイトレスが去ると、瑞穂は訊いた。 

 

「あの……」 

 

「なに?」 

 

「こんな時に、喫茶店なんかにいて、大丈夫なんですか……? あ、余計なお世話ですね――」 

 

 運ばれてきた御絞りで手を拭きながら、ナエは息をはいた。窓の奥に目をやる。視線の先には騒音とともに黒い煙を吐きながら、車が行き来している。 

 

「まぁ、大丈夫ということはないけど、会葬者のお相手は夫がしてくれているし、それになにより……」 

 

 ナエは視線を落とした。人気アイドルの新曲がBGMとして流れている。耳障りだった。 

 

「どうしても、できるだけ早く、あなたと話がしたかったの」 

 

 彼女は顔を上げ、瑞穂の白く可愛らしい顔を見つめた。そこに、どこか既視感のようなものを感じて、ナエは目を見開いた。 

 

「あなた、どこかで見たことがあると思ったら……此花みなとに似ているって、言われない?」 

 

 此花みなと、とは可愛らしい童顔と抜群の歌唱力で、最近注目を浴び始めた人気アイドルのことである。今、流れているBGMも、此花みなとの曲だ。ナエは、それで思い出したのである。 

 

「はい……よく、言われます……。それよりも、あの、私と話がしたかったって、どういう意味ですか?」 

 

「トウガの……あの子の最期を聞きたいの」 

 

 瑞穂は止まった。眼を伏せ、声を絞るように言った。 

 

「すみませんでした……」 

 

「あなたが謝ることはないわ。あなたのお陰で、トウガは無駄に死なずにすんだんだから……。そうだわ、これを……」 

 

 ナエは懐から小さなバッジを取りだして、瑞穂に見せた。そのバッジがキキョウジムのジムリーダーに勝った証の、ウイングバッジであることに気付き、瑞穂は驚いた様子で、ナエを見やった。 

 

「どうしてこれを……? それに、なぜそのことを……」 

 

「昨日、キキョウジムのハヤトさんにお会いしてきたの……そこで、今日、あなたに逢うことをお伝えしたら、このバッジを渡すように頼まれたの」 

 

 バッジを受け取り、瑞穂は背中に汗が浮いていることに気付いて、体を震った。本来、貰うべきものでないことは解っていた。これは、自分が貰うべきものではない。だが、このバッジを受け取るべき人は、もう、この世にはいない。いないのだ。 

 

 胸が痛んだ。ナエも同じことを思っているらしく、顔を伏せている。 

 

「本当に……すみませんでした」 

 

 深く頭を下げた。瑞穂の肩は小刻みに震えている。ナエは慰めるように応えた。 

 

「謝らないで……。それよりも、聞かせてくれる? あの子のこと……」 

 

 小さく頷き、瑞穂はナエの顔を直視した。強い日差しがガラスで反射し、2人は眼を細める。もう、こんな形でしか償えない。そう思っていた。 

 

 もう、こんな形でしか、彼の魂とは再会できないのだから。

 

 

 ○●

 

 

 その日は雪が降っていた。 

 

 いや、その日に限らず、ここ数日、季節外れの大雪が続いていたのだ。気象予報士が口を揃えて異常気象と言っていた。原因は、特殊な寒気団によるものらしい。 

 

 さすがに、こうも雪ばかりが降り続けると、瑞穂もゆかりもいいかげんに飽きてくる。足を取られて歩きにくいし、着衣に雪が染み込むと、冷たいのだ。ゆかりなどはあからさまに空へ向かって罵倒を浴びせたほどであった。 

 

 だが、その日は違っていた。瑞穂だけでなく、ゆかりすらも雪に見とれた。美しかったのだ。それまでの不満を忘れさせてくれるほど青く澄んだ、輝きの雪。 

 

 瑞穂たちはキキョウシティ近くに差し掛かり、休憩所でひとまず休むことにした。そして雪に見とれた。 

 

「ねぇ、ユユちゃん」 

 

「ん……なんやの?」 

 

 言葉に反応し、ゆかりは瑞穂の方を向いた。 

 

「ここ数日、変な天気が続くね」 

 

「そやね……」ゆかりは頷く。「けどもう、ええ加減飽きてきたわ」 

 

「うん。こんなにずっと雪が降ってたらね……さすがに飽きちゃうよね」 

 

 美しいが、単調に降り続ける雪を眺め、瑞穂は小さく溜息をついた。ゆかりは肩をすくめ、灰色の空を仰ぐ。空はいつもと変わりはしない。いつまでも同じ。 

 

「変な天気って言うたら……何週間前やったかな、お姉ちゃんと出会う、ちょっと前にな……」 

 

 目線を遙か遠くへ向け、ゆかりは話し始めた。信じられないようなものを見たような眼をしていた。

 

「満月が続いたんや」 

 

「え?」 

 

 息を呑み、瑞穂は聞き返した。胸が奇妙な音をたてて鳴っているのが自分でもわかった。 

 

「それって……」そこまで言い、瑞穂は慌てて口をつぐんだ。 

 

「あの時、ウチ独りで家にいたんや。暇やったから、ずっと空みてて気付いたんや。あの日、2日連続で満月やった。昨日も、今日も満月やったんや」 

 

 ウチの気のせいかもしれへんけどな。その、ゆかりの付け足しは聞こえていなかった。瑞穂には、目の前で舞う雪が、なにか別のものに見えてきた。ぼやけてきた。 

 

 喉が意識してもいないのに唸っている。悲鳴のようなものが聞こえた。しかし、瑞穂の耳には入らなかった。羽ばたきの音。ゆかりが肩を揺すっている。激しく。 

 

 二度目の満月。あの時、リングマとグライガーの背後に光っていた星は満月。満月だった。気のせいではなかった。たしかに自分は、2日連続で満月を見たのだ。たしかに月は、昨日も今日も満月だったのだ。なぜなのかは見当もつかない。ただ一つだけ言えることがある。 

 

 異常なことだ、ということだけ。 

 

「お姉ちゃん!」 

 

 大声でゆかりは瑞穂に言った。瑞穂はハッとして立ち上がった。次の瞬間、目の前を無数の羽音をたてながら、オニスズメの集団が通過した。羽ばたきの風が砂雪を巻き上げ、瑞穂は思わず顔を覆う。 

 

 羽音が過ぎ去った。なにか叫き声のような音が聞こえる。悲鳴のような音も、はっきりと聞こえる。瑞穂はすぐに駆け出し、いまだに風の震える中、オニスズメの集団を眼で追いかけた。 

 

 オニスズメは怒っている。凄まじい雄叫びを聞いて、ハッキリと感じた。怒りの対象は、なんなのか。そう思い、瑞穂は視線をオニスズメの追いかける方向へと向けた。 

 

 炎だ。白く赤く燃え上がる炎だ。見た途端、みるみる額に汗が浮いた。 

 

「あ……あれは……」 

 

 深く積もった雪に足を奪われながらも、瑞穂は走り出した。ゆかりが慌てて後を追いかける。 

 

 赤い炎は一瞬で白く翻り、飛び上がっている。喫驚し足がもつれ、そのまま瑞穂は雪の中に倒れた。ゆかりが寄り添い、なんとか抱き起こす。口に入った雪を吐き、ゆかりに礼を言い、空を見上げる。 

 

 どんよりと灰色に染まっている空の一点に、白い炎が揺らめいていた。 

 

 瑞穂はそこに馬の姿を見た。白い炎は、またメラメラと赤く濃くなる。影兎という言葉がよく似合った。着地し、たてがみが真の炎であることに気付いた。馬は尻尾を振り、火の粉が舞う。威嚇しているようだった。 

 

「ポニータ……あれはポケモン……」 

 

 駆け寄りながら瑞穂は譫言のように呟いた。ポニータという名の馬のようなポケモンは尻尾を降り続けている。ポニータの周りの雪は水蒸気となり、後には茶色い地肌が剥き出しになった。 

 

 オニスズメはポニータを睨み付けている。そして、鳴いた。オニスズメ集団の親玉による合図で一斉に襲いかかった。 

 

 よく見ればポニータは、盛んに燃えるたてがみ以外は、すり切れ、そこから血が滲み出ていた。オニスズメにやられたのだろう。長期間、駆けていたせいか、息も荒い。 

 

 瑞穂は跳び上がり、オニスズメの大群を押しのけモンスターボールを投げた。グライガーが飛び出す。突然のことに驚いたのか、怯んだのか、オニスズメの大群は少しだけ後退した。 

 

「こんなに大勢で、一匹を苛めるなんて卑怯だよ……。グラちゃん。オニスズメたちを追い払って!」

 

 そうだよ。卑怯、アンフェアだよ。こんなに大勢で。それに、よく見るとこのポニータ、まだ子供だし。 

 

 相手を傷つけない程度にグライガーがハサミを振るのを見ながら、瑞穂はポニータの首筋を優しく撫でた。先程は遠くから見ただけで熱く感じた、たてがみの炎だったが、今は不思議なことに、なにも熱くない。 

 

「グラー……ッ!」 

 

 鳴き声と雪が弾けた。雪の上に傷だらけのグライガーが横たわっている。相手が多すぎたのだ。瑞穂はグライガーを抱きかかえた。全身に嘴でつつかれた跡が残っている。思わずオニスズメを睨んだ。 

 

 オニスズメの一匹が執拗に瑞穂の胸に抱かれるグライガーに襲いかかろうと、嘴を前面に突きだした。 

 

 瑞穂は再び睨んでしまった。 

 

 拳が飛ぶ。血が舞った。雪が真紅に染まった。 

 

 激痛を感じ、手の甲を見て、瑞穂は息を呑んだ。皮が剥がれ、赤い血が滴っている。 

 

 殴っていた。 

 

 

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