刹那の夢と嘘の玩具   作:月影 梨沙

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#2 傷痕。
闇に堕ちた街


 どんなに美しい輝きをもつ宝石でも、光がなければ輝くことはできない。どんなに他の景色よりも際だって見える黄金でも、闇の中にあっては、すべて色の無い塊でしかない。そんな形容は、この街、コガネシティにもあてはまる。

 

 太陽が空にあるうちは、ジョウト地方最大の商業都市として燦々と輝いている――ように見える、この街。しかし、ひとたび太陽が落ちて、街全体が暗い闇につつまれたとたんに、状況は一変する。

 

 夜になり、闇に包まれ途端、この街はジョウト地方最悪の劣悪な環境で有名な、闇に堕ちた街と化す。

 

 そんな夜の街を一人の女が歩いていた。その足取りは重く、夜だからこそ映える派手な電飾を見回しながら、溜息混じりに呟いている。

 

「なんやこの街も、さもしゅうなったなぁ」

 

 久しぶりに歩く夜の街。彼女の視線の先に移るのは、派手な看板でも電飾でもなく、その奥に沈んでいる闇だった。今まで眼を背けてきた分、より鮮烈に見える、この街の邪悪な部分。

 

「やめてよ。やめてってば! 誰か助け――」

 

 何処からか女の悲痛な呻き声が聞こえてきた。彼女は立ち止まり、瞳だけを動かすようにして辺りの様子を伺った。女の声は路地裏から響いていた。

 

 不良に犯されているんやろか、と彼女は思った。できることなら助けてあげたい。だが、その体は動かなかった。下手に助けに行けば自分も襲われてしまうのではないか。その危険を怖れていた。

 

 女のうめき声は、次第に激しさを増していく。

 

「いやぁ、やめてよ――」

 

 何かの折れる大きな音がした。女のうめき声は、途切れた。断ち切られたかのように、唐突に。

 

 彼女は俯き、下唇を軽く噛んだ。小刻みに震えはじめる彼女の身体は、情けない自分への怒りだった。背中に背負った牛乳瓶が、意気地のない自分を嘲笑っているかのように、カチャカチャと冷たい音を立てる。

 

 こんな夜の街を女一人で出歩くから襲われるんや。

 

 彼女は必死に自分へと言い聞かせた。そうでもしなければ、今すぐにでも悲しみと情けなさのあまり、泣き出してしまいそうだったから。

 

 例外もあるが、夜のコガネシティを若い女が一人で出歩けば、確実に襲われる。殺されることも少なくはない。それはコガネシティの人間ならば皆知っていることだった。理由は知らないが、こんな街を夜に1人で出歩いている女の方に落ち度があるような気もしてくる――頭の中では。理屈では。

 

 だが、感情はそんな考えを許したりはしない。

 

 首を振った。辺りを見回した。男達の気配はない。やっぱり自分は『例外』なのだと思った。そして、その例外に甘えている自分が悔しかった。

 

 コガネシティで「ダイナマイトプリティギャル」とあだ名される程の美人である彼女が、夜のコガネシティをブラブラしても襲われない理由が、1つだけある。

 

 彼女は、コガネポケモンジムのジムリーダーだった。名前はアカネ。いくら不良共といえども、コガネジムのジムリーダーを襲うことはできなかった。

 

 昔、なにも知らない不良がアカネを襲ったことがあった。しかし不良は、逆にポケモンをアカネに出されてボコボコにされたあげく、コガネシティ中に響きわたる程の大声で泣かれてしまい、あっさりと逮捕された。それ以来、街の不良どもはアカネには寄りつこうともしない。

 

 アカネは、ふぅとため息をついた。

 

「だいぶ、遅うなってしもたなぁ」

 

 今日の昼間、彼女は、親戚の運営する牧場に牛乳をもらいに行っていたのだが、ちょっとしたトラブルに巻き込まれてしまったため、帰ってくるのが予定よりかなり遅れてしまったのだ。

 

「きゅ――くうぅ――」

 

 その時、再び声が聞こえた。アカネはうんざりした。

 

「あぁ――や――やめて――」

 

 その声は、なにかを嫌がっているように聞こえる。そして、怯えている。

 

 ガキッ――

 

 何かの音も聞こえる。何の音かは考えるまでもなかった――誰かの壊れる音。

 

 アカネは急いでその場から立ち去ろうとした。はやく暖かい自分の家に帰りたかった。面倒な事に巻き込まれるのはもう沢山だ、とすら思った。

 

 細々とした悲鳴が、アカネの耳を突き抜けた。アカネの我慢は切れた。即座に音のする路地裏へと駆け込んで、大きな声で叫んだ。

 

「アンタら、なにしとんねん。恥ずかしないんか!」

 

 男達は驚きながらも、こちらを――アカネの立っている方を睨み付けた。しかし、相手がアカネだと認めるやいなや一目散に逃げ出していった。

 

「大丈夫か? こんな所、一人で歩いてたら危ないで。気ぃつけや」

 

 アカネは、倒れている少女に声をかけた。少女は水玉リボンをつけており、人形のように可愛らしく白い顔をしていた。だが、衣服は切り裂かれ、ボロ布のように汚れていた。

 

 突然、水玉リボンの少女は起きあがった。青ざめた顔をしている。その放心しきった瞳は、アカネの顔を捉えてはいなかった。恐怖と痛みに覆われて、何も見えてはいなかった。

 

 礼も言わずに、少女は逃げるように一目散に駆け出していった。少女の長い髪の毛がアカネの鼻先を掠めた。街の奥に消えていく少女の背中を見つめながら、アカネは肩を落とした。

 

 遅すぎたと、アカネは後悔した。遅すぎたのだ、なにもかも。

 

 

○●

 

 

「あの、コガネジムって、どこにあるか知りませんか?」

 

 ふいに後ろから、女の子の声が聞こえた。アカネは驚いて後ろを振り返った。街の光を背にして、少女が独り、ぽつんと突っ立っている。涙で潤んだ瞳は、訴えかけるようにアカネへと向けられていた。胸を押さえている両腕は怯えからか震えている。

 

「コガネジムやて?」

 

 アカネは、聞き返した。

 

「はい。コガネジムです。この辺りにあるはずなんですけど――」

 

 少女は、澄んだ水色のツインテールをわなわなと震わせながら答えた。

 

「ああ、一応知ってるで。案内したるわ」

 

「本当ですか? ありがとうございます」

 

 少女は言った。それまでの硬い表情が嘘のように消え、柔らかに微笑んでいる。ささくれ立ったアカネの心にとって、その微笑みは、まるで天使の救いのようだった。

 

「コガネジムを探してたっちゅうことは、嬢ちゃんはポケモントレーナーなんやな」

 

 コガネジムへ向かう道中で、アカネは歩きながら少女に訊いた。

 

「はい。そうなんです」

 

 少女は、洲先瑞穂と名乗った。瑞々しい稲の穂という名の意味そのままに、少女の肌は白く艶やかで、握り締めた掌は瑞々しく柔らかかった。この辺りではあまり見かけないタイプの美少女。ただ、10歳という年齢の割には幼い印象があり、身長も、朗らかな顔つきも、胸の大きさも、7、8歳位が妥当なところではないだろうか。少女と言うよりも幼女と言った方が、しっくりくるかもしれない。本人は、怒るかもしれないが。

 

 アカネは、辺りを執拗に見回しながら歩き続けた。コガネシティの大通りは、一見すると華やかに輝いているように見える。しかし、その裏側では耳に入ってくることのない、黒い呻きが絶えず響いているのだ。その呻きは、ビル風よりも激しく冷たく、アカネの指先を震わせている。

 

「ところでな、女の子が一人でこんな夜の街をウロウロしたらアカンで。ここらは物騒やさかいな」

 

 アカネは、そう言うと、少女の顔をまじまじと見つめた。この娘、今までなんも無かったんが奇跡なくらいや――と、アカネは思っていた。この近辺の不良どもは女に飢えている。そこへ、こんな可愛らしい少女が迷い込んできたら、真っ先に餌食になるのは確実だった。

 

「そうなんですよ。ここの人達、みんな怖そうな人ばっかりで」

 

 そこまで言って、瑞穂は言葉に詰まった。

 

 そやから、ウチにジムの場所を訊いたんやな――と、アカネは頭の中で、言葉を続けた。コガネジムのジムリーダーであるアカネだが、見た目はそこら辺にいる、ミーハーな姉ちゃん達と同じなのだ。少なくとも、この街の不良よりはモノを訊きやすいはずだ。

 

 ウチに訊いた、その判断は正しい。アカネは心の中で頷いた。もし仮に、この少女がそこら辺の不良に道を聞いたりでもしたら、もう二度とこちらの世界に帰ってくることはできなかっただろう。死にたくなるような酷い仕打ちを受けたあげく、コマギレにされてコガネ湾に沈められて終わりだ。

 

「ホンマに危ないねんで。襲われてからやったら、遅いんやから」

 

 言いながら。うやむやに語尾を掻き消しながら。アカネは、ボロ布同然になってしまっていた水玉リボンの少女を思い起こした。放心しきった瞳。逃げ出していく時の、惨めな後ろ姿。

 

「いくらなんでも、襲われたりしませんよ。私、まだ10歳ですよ」

 

 瑞穂の言葉に、アカネは首を振り、少女の顔を覗き込みながら思った。甘いで。確かに、この娘はまだ10歳かもしれん。そうは、見えんけど。そやけど、関係ないんや。幼くても、ここの連中には。ましてや、こんなに可愛い子をほうっておく訳ないやん――

 

「あの、どうかしました?」

 

 少女は、物思いに耽っているアカネを心配そうに見上げていた。アカネは、突然の眼差しにどぎまぎしながら答えた。

 

「な、なんでもないで。それよりも見えてきたで、あっこがコガネジムや」

 

 瑞穂の問いかけを避けるように、アカネはネオンの光の奥に見える、こじんまりした建物を指さした。コガネジムは、立待月の光を受けて穏やかに光っていた。外から射し込む光の合間に、静かにその身を横たわらせている。

 

「やっぱり、閉まってますね」

 

「そりゃまぁ、こんな夜中やもんな」

 

 ポケギア(時計)は、夜の10時を示していた。普通のポケモンジムは、夕方の5時くらいまでで閉まってしまう。当然のことながら、コガネジムの明かりは消えていた。

 

「それじゃあ、アカネさん。どうもありがとうございました」

 

 瑞穂は、アカネの方を向いてお辞儀をした。

 

「”それじゃあ”って、どないするつもりなん?」

 

「ポケモンセンターに戻って、泊めてもらうんです。コガネジムの場所は、解りましたし」

 

 言い終わるかいなかのところで、アカネは瑞穂の腕をグッと引っ張った。

 

「な……なにするんですか!? アカネさん」

 

 瑞穂は、驚いた様子で言った。

 

「夜のコガネシティは、一人で歩いたらアカン言うとるやないか」

 

「でも――それじゃ私どうしたら」

 

 すると、アカネはジムの扉を、ドンドンと叩き始めた。

 

「ちょ……アカネさん?! そんな事したら、怒られますよ」

 

 瑞穂が口に手を当て、驚いた様子で言った。そんな瑞穂の言葉を無視して、アカネは大声で言った。

 

「ウチや、アカネや、はよここ開けてな」

 

 コガネジムの窓から明かりが漏れ、扉が開いた。開かれた扉の奥から出てきたのは、アカネよりも少し若い少女だった。少女は、アカネを見るなり言った。

 

「アカネさん。遅いやないですか! 今、何時やと思ってるんです!」

 

「ごめん、ごめん。いろいろ、あってな。遅うなってしもうたんや」

 

 アカネは、頭をかきながらごまかした。

 

「とにかく、話は中でききます」

 

 少女は、帰ってくるのが遅れたアカネに対して、怒っているようだった。

 

「あのぅ」

 

「なんや? 瑞穂ちゃん」

 

「アカネさんって、このジムのトレーナーなんですか?」

 

 少女が口を挟んだ。

 

「なに言うてんの? アカネさんは、このジムのジムリーダーやで。知らんかったん?」

 

「じ……じむりーだー?! 本当ですか、アカネさん」

 

 アカネの方へと向き直り、瑞穂は訊いた。

 

「え? ま、まぁな。いや、隠すつもりやなかったんやけど」

 

「とにかく、ジムの中に入ってから話しても遅くないですよ。もう、すでに遅れてるんやから」

 

「アスカちゃんは、いっつも嫌味なこと言うなぁ」

 

 アカネは呆れたように顔をしかめ、瑞穂をジムの中へ招き入れた。

 

 

○●

 

 

 無秩序に建ち並ぶ高層ビル群。

 

 その中の1つに、コガネホテルと呼ばれるビジネスホテルがある。たいていは、このコガネシティに出張に来たビジネスマンが泊まるのだが、珍しいことに2日前から、2人の少女が宿泊していた。

 

 ホテル3階の一室で、その2人の少女は俯きながら話し合っていた。

 

「なんで、なんで、こんな目に遭わなきゃならないのかな」

 

 真っ暗な部屋の中で、1人目の少女は涙声で言った。

 

「運が、悪かったのよ」

 

 真っ暗な部屋の中で2人目の少女は囁き、1人目の少女に寄り添った。突き放すような冷たい、冷静な口調だった。

 

「私が、代わりに行けばよかった」

 

 2人目の少女の言葉に、1人目の少女は慌てた。涙声のまま言った。

 

「駄目よ。あんな思いするのは、私一人で充分だから」

 

「でも、私だったら、何とかなったかもしれないわ」

 

「それは、そうだけど――そうよね、私は失敗作だもの」

 

 1人目の少女の悲しげな呟きに、冷静な口調だった2人目の少女は、少し語調を強めた。

 

「それじゃ、私みたいに成功した方が良かったとでも言いたいの?」

 

「そうじゃ、ないけど――」

 

 暗闇の部屋は、暫くの間、重たい沈黙に包まれた。その沈黙を破ったのは、1人目の涙声をした少女だった。

 

「私、もう死にたいよ」

 

 嘘でも冗談でもなく、少女の本音だった。その言葉に含まれた危険な部分を察知したかのように、もう一人の――2人目の少女の口調は、冷静さを失いかけた。突き放すような冷たい話し方は変化し、不安げな色が濃かった。

 

「なに言ってるの姉さん。”2人で静かに暮らそう”って、約束したじゃない」

 

「もう耐えられないよ、毎日をビクビクしながら過ごすのは」

 

「それと、これとは関係ないわ」

 

 姉と思われる少女は、うなだれながら言った。

 

「ほんとに、耐えられないんだもの」

 

 姉はそのままベッドに倒れ込み、咽び泣いた。

 

「何でこうなったの? それまでは、みんな平和に暮らしてたのに。おかしいよ、私達だけ、こんな事になるなんて――」

 

「それは、今日のことを言ってる? それとも昔のこと? 昔の事なら、もう忘れた方がいい。姉さん、前に私にそう言っていたのに」

 

「両方よ――」

 

 姉の嘆きを聞いて、妹はふっとため息をついて言った。

 

「確かに、私も理不尽だと思う――でも、仕方がない」

 

「”仕方ない”――ね。そう言われて、私は5年間も我慢し続けていた」

 

 姉の泣きは、次第に激しさを増していく。

 

「ねぇ、姉さん」

 

「なに?」

 

「姉さんを犯した男って――なにか特徴とかなかった?」

 

「そんな事聞いて、どうするつもり?」

 

「別に――なにも」

 

 姉は目をつぶり、声を搾りきるようにして呟いた。

 

「二の腕に、ニドリーノのタトゥが――あった」

 

「ニドリーノのタトゥ、ね」

 

「でも、もうそんなの、どうでもいい」

 

「姉さん?」

 

 姉は、ベッドのシーツを堅く握りしめた。

 

「もう嫌だよ――こんなの」

 

 姉は再び、思い出したように咽び泣いた。部屋の空気が小刻みに震えだした。妹は姉の泣き声を背に眼を細めて、呟いた。

 

「姉さん――私を、一人にしないでよ」

 

 しかし、姉からの返事はなかった。

 

 

 ○●

 

 

 

 

 

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