刹那の夢と嘘の玩具   作:月影 梨沙

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或る計画

 暗い部屋。もう、朝になっている筈なのに、薄暗い部屋。

 

 妹は、そこにいた。瑞穂の妹……そう、百合ゆかりが。

 

 うっすらと目を開けて、ゆかりは、すぐに辺りの様子をうかがった。薄暗いのと、頭がぼんやりしているのとで、よく見えなかったが、数人の人影、何か不思議な音をたてている機械などは、確認できる。

 

「う……うぅ……。ここは……ここは……?」

 

 ゆかりは小さく呻いた。身体に妙な痺れがあるのだ。そして、身動きがとれない。どうして、動かへんの……? 疑問に思って、自分の身体を見つめ、ゆかりは言葉を失った。縛られていたのだ。緑色の、粘着性のゴムテープで、ゆかりは、白いベッドに縛り付けられている。身体が妙に痺れているので、実際に見てみるまで、縛られていることに気付かなかったのだ。

 

 そうだ……! まるで火をつけたように、ゆかりの頭に鮮烈な記憶が甦った。捕らえられたのだ。このビル……このコガネ・パレスの五階に行こうとしたとき、白衣の男によって。

 

 ここは、どこだろう? ゆかりは思った。部屋の広さ、形からして、おそらく、まだコガネ・パレスの一室にいるのだろう。そして、間違いなく、ここは五階だ。四階から微かに聞こえたテープ音が、ここで、はっきり聞こえるからだ。

 

 ゆかりは藻掻いた。だが、どんなに藻掻いても、ゴムテープを断ち切ることはできない。叫び声はあげなかった。自分でも不思議だったが、叫び声をあげる気にはなれなかった。ここは五階なのだ。周りのビルは、廃墟と言ってもよく、誰も住んでいない。だから叫んでも無駄だ。と、ゆかりは、考えていたのだ。以前の自分では、考えられない冷静さだった。

 

 今の自分の冷静さは、瑞穂の冷静さと、とても似ていることに、ゆかりは気付いた。いつの間にか自分は、姉の……瑞穂の影響を受けていたのだ。姉の、瑞穂の穏やかそうな顔が、笑顔が、一瞬だけ脳裏をよぎっていく。

 

 叫び声はあげなくとも、ゆかりは激しく暴れた。汗が全身に滲んでくる。闇に隠れた人影は、ゆかりの方を見ようともしない。何かしきりに囁きあっているだけだ。

 

 そんな時だ。あの男が……白衣の青年が話しかけてきたのは。

 

「あんまり暴れると、体によくないよ……」

 

 冷ややかに、白衣の青年は言い放った。ゆかりは、青年を睨み付ける。青年は、フッと鼻で軽く笑うと、縛られた、ゆかりの哀れな姿を眺めた。

 

「そう言えば……私は、名前を名乗っていなかったね……ゆかりちゃん?」

 

 ゆかりは目を剥いて驚いた。どうして知っている? どうして、私の名前を知っているんだ?

 

「あんた……なんでウチの名前を……」

 

「調べたんだよ」と、髪を掻き上げ、白衣の青年は呟いた。

 

「私の名前は、シグレだ。これでもロケット団最高幹部の1人なんだよ」

 

 ロケット団の最高幹部、シグレ……。心の中で、ゆかりは呟いた。

 

 ロケット団……! そうだ、ロケット団なのだ。暗闇に潜んでいる、怪しい人影は、皆ロケット団なのだ。

 

「あんたら……ここで、何しようとしてるんや?」

 

 できる限りの冷静を装って、ゆかりは、シグレに、溜まっていた疑問を訊いた。シグレはわざとらしく、ゆかりを嘲笑うかのように苦笑した。何故か、その影には疲労の色が濃かった。

 

「或る計画のため、としか言えないな。まぁ、すぐにわかるさ……」

 

 苦笑しながら、シグレは先程とは反対の腕で、髪を掻き上げた。

 

 あれ……? 相手を睨み付けていたゆかりは、目を見張った。シグレの左腕の手の甲が、爛れていたのだ。酷い火傷の痕のように見える。事故にでも遭ったんだろうか? どんな? どんな事故に? 手の甲が爛れてしまうような、酷い事故に?

 

 じっと、シグレは、自分を睨み付けているゆかりの表情を見つめている。逆に、ゆかりは見ていた。シグレの、こめかみに浮いた汗を。シグレの様子の変化を、ゆかりは見逃すことはなかった。……この人、なんや様子が変やな……。

 

 慌てているように見える。悪戯が見つかったときに、必死で言い繕いをする子供のような――

 

 たわいの無い質問を、シグレは次から次へと、ゆかりに差し向けてきた。好きな食べ物は何か? 家を出て、何をしていたか? 両親はどんな人間だったのか……?

 

 30程度の質疑応答を終え、ゆかりが疲れ果てた頃、シグレは躊躇いがちに、組んでいた腕を解いた。そして訊いた。言葉に、異様な重みを感じて、ゆかりは身構えた。

 

「君の姉さんは……本当の姉ではないようだが……、名前は、洲先瑞穂と言うんだね?」

 

「そうやけど……」

 

 あっさりと、ゆかりは答えた。どうして姉の名前を知っているの? などとは思っていなかった。どうせ調べたのだろう。それよりも、シグレの表情が、どうも不自然に見えてならない。

 

「どんな……洲先瑞穂の、身体的特徴……とかを、言えるかい?」

 

「うーん……。髪は水色で、色白で、ちっちゃくて……」

 

 ゆかりは、今までと同じように、怖ず怖ずと質問に答える。

 

 シグレの表情は、青ざめていた。怒っているのではない。恐怖に打ちひしがれているように見えた。

 

「眼が、めっちゃ綺麗で、澄んどって……。そう言えば……心臓が弱いみたいやった……」

 

 怪しみながら、ゆかりは、真っ青になっているシグレの表情を、つぶさに観察した。

 

 首を振り、空咳をしながら、シグレは平静を装い、さらにゆかりに訊ねた。

 

「もういい。それより君は、妙に落ち着いているが……恐くはないのか?」

 

 意外な質問だった。恐くないと言えば、嘘になる。恐いに決まっているではないか。ゆかりは、恐怖に負けないように、わざと元気を出しているのだ。それに……。

 

「お姉ちゃんが、助けに来てくれる……。ウチは、そう信じてるんや。あんたなんか、すぐにお姉ちゃんに、ボコボコにされるんや!」

 

 瑞穂が来てくれる。助けに来てくれる。ゆかりは自分に、そう言い聞かせながら、一気に息巻いた。自分に、そう言い聞かせなければ、恐怖で気が狂いそうになるから。結局は、所詮は、気休めに過ぎないのだ。

 

 震えが襲ってきた。瑞穂のことを思い浮かべた途端、急に今、自分が置かれている状況を意識し始めたせいだ。

 

 唇が、思うように動かなくなってきた。息苦しくもなってきた。

 

 ……本当に、お姉ちゃんが助けに来るとでも思っているんか? ゆかりは考えていた。違う。来るはずがない。自分のことを、助けにこれる筈などないのだ。そもそも、どうやって、ここまで辿り着くんだ?

 

 いつのまにか、ゆかりは、シグレを直視することすらできなくなっていた。

 

 出し抜けに、彼は……シグレは、ゆかりにわざと聞かせているかのように、呟いた。

 

「偶然だな……。これは」

 

「な……なにが、偶然やの……?」

 

 ゆかりは訊いた。シグレの頬が、少しだけひきつった。企みが成功したときのような、笑みに似ていた。数歩、ゆかりの方へと踏み込み、じっと、少女の怯えたような表情を見据えた。

 

「君のことを調べているうちに、面白い偶然を見つけたからさ」

 

 微笑を浮かべながらも、シグレはどこか落ち着きがなかった。目が据わっている。

 

「君の『本当の』姉さんのこと……百合ほたる、という名前のようだが……覚えているかい?」

 

 きょとんとした様子で、ゆかりは思い起こした。自分の『本当の』姉のことを。

 

「覚えとるで。ほたる姉ちゃん……。医療ミスで死んだ……ほたる姉ちゃん……」

 

「医療ミス……?」シグレは、首を傾げた。「誰が、そんなことを……?」

 

「母さんが」

 

 なるほど、とシグレは苦笑した。人差し指を一本たてて、諭すように、ゆかりに語りかけた。

 

 

 

「君の姉さんは、馬鹿で責任能力なんて、これっぽっちも感じちゃいない病院の凡ミスで死んだわけじゃない。どういうことだと思う? 真実は違っていたんだ。少なくとも、君にとっての真実は間違っていたんだ」

 

 言い切って、シグレは得意そうに、ちらりとゆかりの方を見やった。当惑しきった表情で、ゆかりは返事もできずにいた。頬に冷たい汗を滲ませながら、シグレは続ける。

 

「君の姉さんは……殺されたんだよ」

 

 目を見開き、ゆかりは跳び上がった。もっとも、ゴムテープで体を縛られていたため、ガタリと白いベッドが大きな音をたてて、微かに動いただけなのだが。

 

「どういうことなん? 姉ちゃんが『殺された』って、どういうことなんや? なぁ……」

 

 片手でゆかりを制し、シグレは囁くように、言った。

 

「3年前の『トキワ総合病院薬物混入事件』を知っているかい?」

 

 当時4歳だった、ゆかりが知っているはずもない。当然、首を振った。

 

「そうだろうね。君のお母様は、あえて本当のことを言わなかったようだし……。3年前、トキワシティの、とある総合病院で、何者によって点滴に多量の不整脈用剤を混入されるという事件があったんだよ。13人の死者まで出た。結局、犯人は未だに見つかっていないし、その総合病院は、安全管理……特に薬品管理のズサンさを暴露され、評判が下がり、潰れた。君の姉さんはね、その薬物混入事件による、34人の被害者の内の……13人の死者の内の、1人なんだよ」

 

 ゆかりは俯き、驚いていたが、それほどの衝撃は受けていないようだった。事故であろうと、殺されていようと、今、姉が存在しないことに、変わりはないのだから。そんなことを今さら知ったところで、どうしようもないと、ゆかりは思っているのだろう。

 

 だが、シグレが次に発した言葉は、ゆかりに強い衝撃を与えた。

 

「事件の舞台となった、総合病院の名前は、トキワ・洲先クリニックというんだ」

 

 ゆかりの眉が歪んだ。自ずと導き出されてくる答えに、動じていた。

 

「それって、まさか……」

 

「そう、洲先クリニックの院長の名前は、洲先祐司。そして、彼の一人娘の名は、洲先瑞穂――」

 

 沈黙が落ちた。ゆかりは何の言葉も発さずに、宙を見つめている。

 

「そうさ。洲先瑞穂は、君の姉さんを殺す原因となった病院の院長の娘は、君の『今の』姉さんなんだよ」

 

 ゆかりは何も言わない。いや、何も言えない。

 

 シグレが畳みかけるように呟いていた。興奮からか、恐れからか、声が震えていた。

 

「すごい偶然じゃないか、これは。……いや、もしかしたら、君の『今の』姉さんは知っているんじゃないのか……?」

 

 ゆかりは、ハッとした様子で、シグレを見上げた。

 

「それって……どういう……」

 

「洲先瑞穂は偶然、君と出会った。そして、君の本当の姉さんが、あの事件の被害者であることを知ったんだ。瑞穂は思ったんだろうよ。両親も姉も失った、ゆかりちゃんは可哀相な女の子……それも自分の父親の病院の、安全管理が滅茶苦茶だったのが原因なんだ。可哀相。かわいそう……。私のパパが悪いのにぃ……ってね。だから瑞穂は、この哀れで惨めで、とってもとっても可哀相なゆかりちゃんの、お姉さんを演じてあげようと決めたんじゃないのか? 写真を見たよ。優しそうで、お人好しそうな『お姉さん』じゃないか……」

 

 ゆかりの足先が震えていた。顔面は蒼白で、血の気が引いている。

 

 ……ウチがカワイソウやから……姉の役を演じてた……。

 

 してやったり。シグレのニヤつきが、彼の心情を物語っている。

 

 泣いていた。ゆかりは、震えながら、悔しさに身を奮わせながら、泣いていたのだ。そんな。そんな。そんな。瑞穂に限って、そんなことはありえない。だが、見ず知らずの子供の姉を、何の理由もなく演じるなんて、どう考えてもおかしい……。ウチのことが、カワイソウやったから、惨めやったから、哀れやったから……。

 

 頭の中が、白い何かに侵蝕されていくような気がした。頬を涙がつたっていく感覚が、遠く、白い闇の奥へと消えていった。

 

 シグレはニンマリとした。ゆかりに投与した睡眠薬が、いいタイミングで効力を発揮したからだ。手袋をはめ、シグレは薄笑いを浮かべながら、意識を失っているゆかりの首筋に手を回した。手にした小さな四角い機械を、ゆかりの首筋に押しつける。ガチャリ、と音がした。

 

 ふぅ、と息をはき、シグレは舐めるように、ゆかりの全身を見つめる。

 

 ちゃんと喋った。記憶もある。暴走もしない。本人は気付いていない。誘導も上手くいった。

 

「処置は完了。久々の成功だ……。やっと工面できた」

 

 

 ○●

 

 

「はい、これが、ゆかりちゃんの家の住所を書いたメモ」

 

 コガネ中央病院のロビーで桃谷望は、瑞穂に、ゆかりの家の住所を書いたメモを手渡した。

 

 桃谷望は、大学入学以来の瑞穂の親友であり、コガネ中央病院で内科医助手の仕事をしている。

 

 瑞穂は以前、ゆかりの母が、この病院に入院していたことを思い出したのだ。

 

 望からメモを受け取り、瑞穂は、はぁはぁと息を吐きながら、礼を言った。

 

「ありがとう、望ちゃん。さっそく、行ってみるね」

 

 瑞穂は一礼し、出口に向かって駆けていく。望は声をあげ、少女を遮った。

 

「ちょっと待って! 瑞穂ちゃん」

 

 どうしたの? 感情を表情に無防備に晒し、瑞穂は振り向いた。小さく小首を傾げている。

 

「瑞穂ちゃん……疲れてるみたいだけど、大丈夫?」

 

「そうかなぁ。私は、別に大丈夫だけど……」

 

 不安そうに瑞穂の顔を覗き込みながら、望は呟いた。

 

「でも、あんまり顔色がよくないわ。だいぶ、無理をしているんじゃないの? 無理は禁物だよ。瑞穂ちゃんは、心臓が弱いんだから。瑞穂ちゃんのお母さんだって……」

 

 軽く唇を噛み、瑞穂は、呟くように望に言った。

 

「わかってる。私のママは、二十歳で死んじゃったんだっけ……」

 

 瑞穂の母。洲先雪菜は、10年前、瑞穂を産む際に、遺伝性の心疾患で亡くなっている。結婚するまで雪菜は、小学校の教師をしており、当時7歳だった望と一緒に遊んでもらったことがあったので、よく知っているのだ。産まれてきた瑞穂に、雪菜と同じ心疾患があることも知っている。

 

 俯いた瑞穂の肩を、望は優しく掴んだ。小さく、何度も頷いている。

 

「あのね……。この間、精密検査したでしょ?」

 

「結果、出たんだ」

 

「うん。出たよ」

 

「さっきまでの望ちゃんの話を聞いてると、あんまり良い結果は出なかったんだね?」

 

 首を縦に振り、望は立ち上がった。瑞穂が、望の顔を見つめるためには、見上げなければならなくなった。

 

「とにかく、無理しちゃ駄目よ」

 

「無理なんて……してないよ」

 

「うそ。さっきだって、走ってきたみたいじゃない。顔色は悪いのに、息切れしているし……」

 

 瑞穂は、じっと望の顔を見つめている。つぶらで澄んだ瑞穂の綺麗な瞳に、望は魅入っていた。年齢こそ違っているものの、瑞穂は、母親である雪菜と瓜二つなのだ。

 

 かわいいな……。柔らかそうな白い頬。水色に輝く左右のポニーテール。頼りなさげで華奢な体躯……。

 

「大丈夫だよ。約束する、無理はしないから」

 

 瑞穂は言った。望は、瑞穂の頭を撫でて、微笑んだ。

 

「ところで瑞穂ちゃん。大樹くんには会った?」

 

「え? ううん。明日くらいに会おうと思っているんだけど……。この街にいるんだったよね?」

 

 塚本大樹とは、望と同じく、瑞穂の大学時代の男友達である。6歳も年齢が離れているが、瑞穂との2人の関係は、まるで恋人同士のようだと、昔、望にからかわれたことがある程、仲がよかったのだ。

 

「でも、今、それどころじゃないの。早くユユちゃんを探さなきゃ……」

 

 もう一度礼を言い、瑞穂は、病院の出口へと駆けていく。望は、手を振りながら、瑞穂を眺め、呟いた。

 

「頑張るのはいいけど、無理はしないでね……」

 

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