朝の心地よい日差しが、窓からそそぎ込んできた。
眩しい光を受けて、瑞穂は目が覚めた。ベッドから半身を起こして、深く息を吸い込む。そこで瑞穂は、昨日の夜にアカネの好意で、コガネジムに泊めてもらった事を思い出した。
ぐぅと背伸びをしてから、瑞穂は窓の外へと目をやった。明るく賑やかなコガネシティの街並みが覗く。夜の物騒で怪しい雰囲気など欠片もなく、朝早くから人々は目的の場所へと急ぎ歩いている。まるで、コインの裏と表のようだ、と瑞穂は思った。同じコインでも裏と表では全然絵柄が違う。昼と夜とでのコガネシティの変わり様は、それと良く似ていた。
瑞穂は二の腕で目を擦りながら、慌ててベッドから飛び起きた。腕のポケギアを見やると、すでに9時を過ぎていた。父親によって徹底的に早寝早起きを躾けられた瑞穂にとって、寝過ごすのはあまり気分の良いものではない。
「やっちゃった。寝坊しちゃった」
でも、昨日は遅かったし、仕方ないかな。と、心の中で呟いて、瑞穂は辺りを見回し、着替えるためにベッドから降りようと足を伸ばした。
その時、瑞穂は誰かが自分の腰の辺りを抱いているのに気付いた。思わず飛び上がり、おそるおそる掛け布団をめくると、そこから顔を出したのは熟睡中のアカネだった。
「アカネさん? こんな所でなにしてるんですか」
頭の中が混乱してきているのを、何とか抑えながら瑞穂は訊いた。しかし、心地よさそうな寝息をたてるアカネには、まったく聞こえていないようだった。どんな夢を見ているのかわからないが、くねくねっと体を上手く捩らせて、掛け布団の中に潜り込む。
瑞穂は、ただ呆然とアカネを眺めていることしかできなかった。
慌ただしく駆ける足音が、廊下から響いた。足音の正体は、このジムのトレーナーの少女。アスカだった。アスカは、部屋の扉を物凄い勢いで開け、問いつめるように瑞穂の方を見た。
「瑞穂はん。ここに、アカネさん、おらへんか?」
「え? アカネさんなら、この布団の中で寝てますけど」
瑞穂は、アカネの眠っているベッドを指さしながら言った。アスカは一気にベッドに歩み寄り、掛け布団を勢いよくはがした。しかしアカネは、何事もなかったかのように、平和な寝顔をこちらに向ける。
それを見て、アスカはいよいよ頭にきたのか、真っ赤な顔をして大声で叫んだ。
「こら!アカネ! 今何時やと思ってんのや! はよ起きんかい!!」
窓ガラスが、割れそうなほどの勢いで激しく振動した。瑞穂は、そのあまりの大声に気を失いそうになり、耳を押さえながら床に座り込んだ。
さすがのアカネも、この大声には驚いたのか、ベッドから飛び起きた。きょとんとした様子で辺りを見回している。
「あ、アスカちゃん。瑞穂ちゃん、おはよう」
「”おはよう”――やないでしょ! もう九時ですよ! ジムの開業時間を過ぎてるんですよ!」
そう言われても、アカネは落ち着いたような、眠たいような感じで言った。
「そんな慌てることないやん。『都合により11時から開業』ってな感じの看板を立てといたらええだけのことやんかぁ」
「そんな事いうて、昨日も丸一日休んだやないですか!」
「あれは用事があったんやって。それはアスカちゃんかて、知ってることやないの」
「午前中までに帰ってくるハズやったのにね――」
物凄い剣幕でアスカは、アカネを睨み付けた。
「せやから昨日も言うたやないの。じいちゃんトコに泥棒がきたんやって」
アカネもたまらず反論したが、アスカも負けてはいない。
「嘘いわんといてください。どーせ、向こうで遊びほうけたたんですやろ」
「だからぁ、ちゃうって」
アカネはぐったりと、その場にへたれこんだ。
「あのぅ、ちょっといいですか?」
瑞穂が、呆れた様子で口を挟んだ。2人が言い争っている間に、着替えをすませてしまっている。
「なんやの?」
アカネとアスカは、同時に聞き返した。
「そんなこと言い争ってる暇、ないんじゃないんですか?」
的確な瑞穂の言葉に、アカネもアスカも一様に頷いた。
「そうですよ、アカネさん。こんな事してる場合やないです」
「そ――そやね」
そう言うと、大急ぎでアカネは着替えを始めた。アスカは急ぎ足で部屋を後にした。その間際に、アスカは舌を出して言った。
「アカネさん、いくら寝ぼけてても自分の部屋を間違えんといてくださいよ」
真夜中のこと。アカネはトイレに行った帰りに自分の部屋と間違えて、瑞穂の寝ている部屋に入ってしまったのだ。そして、そのままなんの疑問も抱かずに、そこにあったベッドで寝入ってしまった。
それを聞いて、瑞穂は思わず吹き出した。
極度の方向音痴は、アカネの得意技の一つだという。
○●
アスカに案内されて、瑞穂がやってきたのは、コガネジムのバトルグラウンドだった。地面は整地されており、ほのかに土の香りが漂ってくる。
間違いない。何度もテレビとかで見たことがある、正真正銘のジムのバトル場。私は今、そこに立っているんだ。
そう思った途端、胸に何か重たいモノがのし掛かってきた。瑞穂は急に緊張し始めた。体が堅くなり、指は小刻みに震えている。
グラウンドの反対側では、アカネが試合で繰り出すのであろうポケモンの入ったモンスターボールを見つめていた。外から見ることで、ポケモン体調や様子を判断しているのだろうか。そんなアカネの表情は引き締まっていて、朝のぼんやりとした雰囲気はどこにも感じられない。朝に見たアカネさんとは別人みたいだ、と瑞穂は思った。自分も負けてはいられない。
アカネは、バトルグラウンドを挟んで反対側に突っ立っている瑞穂に気がついた。
「瑞穂ちゃん。あらためて自己紹介するわ。ウチがコガネジムのジムリーダー、アカネや!」
「わ……私は……、と……と……と……。」
自分で思っている以上に瑞穂は緊張していた。唇が震えてきて、口から出てくる言葉を吃らせた。
「へ? 今、なんていうたん?」
瑞穂の緊張を知ってか知らずか、アカネが耳に手を当てて聞き返した。
胸に手を当て、思い切り深呼吸をして、やっと落ち着きを取り戻した瑞穂は、今度こそ大声で言った。
「私はトキワシティの、え~と……洲先瑞穂ですっ! よろしくお願いしますっ!」
そしてブンっと機械の様に、思い切り頭を下げた。顔を上げた瑞穂の顔は、よく熟れた赤い果物のように紅潮していた。
瑞穂の緊張しきった様子を見て、アカネは半分笑いながら、少女を落ち着かせようと声をかけた。
「そこまで緊張せんでもええで」
瑞穂は赤く火照った顔を、さらに赤くした。
「き……き……緊張なんて……し……してません!」
それが強がりであるというのは、誰の目から見ても明らかだった。アカネは笑い出した。
「その様子やと瑞穂ちゃんは、ジム戦は初めてみたいやな」
「は……はい」
再び深呼吸をして、瑞穂は答えた。
「初めてジムに挑戦するトレーナーとのバトルでは、使用ポケモンは2体までって決まっとるんや。瑞穂ちゃんは、それでもええかな?」
いいもなにも、瑞穂は今、たった2匹しかポケモンを持っていない。
「はい。お願いします」
瑞穂が了解すると、審判のような格好をした少女が、やってきて言った。
「これより、コガネジムジムリーダー・アカネと、挑戦者・瑞穂のジムバッジをかけた公式戦を行う。両者、準備はできましたか?」
アカネは余裕の表情をしながら言った。
「ウチはいつでもOKやで。瑞穂ちゃんは、もう試合に出すポケモンは決めたんか?」
しつこいようだが、瑞穂は今、2匹しかポケモンを持っていない。それに昨日から、ジムバトルで最初に出すポケモンは決めていた。
「私も、準備はできてます」
両者の準備が完了すれば、いよいよジムバトルの開始だ。審判は正面を向いて、グラウンドに向かい合った。
「公式戦、時間無制限。使用ポケモン2体――試合開始ッ!」
審判の合図と共に、アカネと瑞穂は同時にモンスターボールをグラウンドへと投げた。
静まり返ったコガネジムのバトル場に、2つの鳴き声が響いた。
「グライガッ!」
「ピッピッ!」
鳴き声からもわかるように、『ピッピ』と『グライガー』というポケモンの鳴き声だ。
最初にグライガーを繰り出したのは、瑞穂の作戦である。動きの遅いリングマは先発には向いていない。そこで空を飛べて、比較的どんな相手であっても対応できるグライガーを出したというわけだ。
だが、安心してバトルに投入したというわけではなかった。瑞穂は心配していた。グライガーはリングマに比べて、圧倒的にバトルの回数が少ない。いわばバトル慣れしていないのだ。もっともリングマも、進化してから一度もバトルをさせていないのだけれども。
対するアカネは、ピッピを繰り出してきた。ピッピというのは、薄いピンク色をして、背中にちょこんと小さな羽が生えている可愛らしいポケモンである。
「ピッピ――ですか」
正直、瑞穂は驚いていた。いや、拍子抜けしていたと言ってもいいだろう。ピッピはその可愛らしい容姿から、女の子には大人気のポケモンだが、お世辞にも強いポケモンとは言えない。ジムリーダーだというので、もっと凄まじいポケモン――例えばニドクインとか、ケンタロスとか――そういうポケモンを出してくるだろうと瑞穂は読んでいた。
だが、その予想は大きく外れた。
ピッピが相手なら、バトル慣れしていないグラちゃんでも、楽に勝てるかも。
一瞬、そんな考えが、油断が瑞穂の頭に浮かんだ。しかし、すぐに先ほど浮かんだ考えを、油断を瑞穂は押しつぶした。これはアカネさんの作戦かもしれない。油断は禁物だ。
いくらジムバトル初体験の瑞穂でも、そのくらいの事は心得ている。
「ピッピ! おうふくビンタや!」
アカネは声を張り上げ、ピッピに指示を出した。と、同時に瑞穂は、ピッピが既にグライガーの懐に潜り込んでいることに気付いた。
アカネの指示する通りに、ピッピは往復ビンタを繰り出した。グライガーの身体が、ピッピの小さな腕に何度も翻弄される。ピッピの往復ビンタを喰らい、グライガーは蹌踉めいた。しかし、空中に浮かんでいることが幸いしたのか、すぐに体勢を整えた。
「グラちゃん! 毒針攻撃!」
グライガーは、蠍のような尻尾から、無数の毒針を発射した。グライガーの分類は『とびさそりポケモン』である。当然、毒針の威力は強烈だ。発射された毒針は、一斉に青白い光は放ちながら、ピッピへと一直線に向かっていく。
しかし、ピッピもアカネも、一向に慌てている様子は無かった。
「ピッピ、光の壁!」
アカネの指示にしたがって、ピッピは両手を前に出した。ピッピの周りに、光でできた壁がぼんやりと浮かび上がった。バリアーのようなものなのだろう。毒針は、光の壁を突き抜けることができずに勢いを失い、ピッピの周りに小さな音を立てて落ちた。
「な――光の壁ですか」
光の壁――特殊な光で壁をつくり、相手の攻撃から身を守る技である。
毒針攻撃がいとも簡単に跳ね返されてしまった事に、瑞穂は驚いた。
「グラちゃん! 切り裂く攻撃で、光の壁を破って!」
グライガーは、右手のハサミを思い切り振り上げ、一気に光の壁に叩きつけた。金属バットで中華鍋を叩いたような大音響が、バトル場に響きわたった。反動で、グライガーは地面へ吹っ飛ばされた。
光の壁にはヒビ一つ入っていない。まったく効果は無いようだった。
「そ――そんな――!」
「ピッピの光の壁に、その程度の攻撃は通用せんで!」
アカネは誇らしげに言い放った。
「く……!」
瑞穂は、何とか打開策を見つけようと、必死になって考えた。だが、すべての攻撃を弾く、強力な光の壁に、瑞穂は冷静さを失い欠けていた。このまま取り乱したら、いつかのバトルの二の舞だよ。でも、待って。あの格好のまんまじゃ、ピッピは攻撃できないんじゃないかな。
「グラちゃん、攻撃をやめて。ピッピの体力が消耗するまで待って!」
言われたとおりに、グライガーは攻撃をやめ、バトル場の上空を滑空し始めた。たしかに、光の壁をだしている状態では、ピッピは動くことは出来ない。瑞穂の作戦は成功したかに見えた。
「甘いで、瑞穂ちゃん!」
アカネは口元に笑みを浮かべながら言った。
「え?」
「たしかに、この格好のまんまやと、ピッピは動けへん。でもな、指くらいは動かせるで!」
アカネの言う意味が、まだ瑞穂にはよく解らなかった。指だけ動かせても、グライガーに攻撃などできるはずがない。
アカネは自信に満ちあふれたな様子で、ピッピに指示を出した。
「ピッピ! 指をふる攻撃や!」
ピッピは人差し指を立てて、左右に振りだした。指先が素早く左右に動き、空を切って小気味良い音を立てる。
「ピィー!!」
指を振り終えると、ピッピは大きな声で鳴いた。その瞬間だった。ピッピの目前に突然、星形をしたエネルギー体があらわれて、グライガーめがけて飛んでいった。
星形のエネルギー体は、グライガーの体に突き刺さった。
「グゥ――グラァ――ガァァッ!」
痛みのあまり、グライガーが悲痛の叫びをあげる。