「あなたの妹は……巻き込まれたのよ」
ラジオ塔、一階の中央フロアのソファに腰掛け、射水 氷は断言した。
壁に掛けられた時計が、11時47分と、時刻を示している。近くでは、社会見学であると思しき子供達が大勢来ており、耳を塞ぎたくなるほどに騒がしい。
瑞穂は、不安げな顔を強張らせて俯いていた。少女の白い頬には、血の気がほとんどない。
「巻き込まれた……。何に?」
訊かれて、氷は面倒くさそうに、しかし表情には、その感情を出さずに呟いた。
「奴等の、計画に――」
普段は、あまり喋ることに馴れていないのだろう。細々として、頼りなさそうな声だった。でも、それが、どこか大人びた印象を与えるのかもしれない……と、瑞穂は思った。
子供は可愛い。それでも必ず、その可愛さ……子供としての可愛らしさには、どこかしら粗があるものだ。しかし、瑞穂の子供としての可愛さには、不思議なことに粗はなかった。それとは逆に、氷は大人びた雰囲気の端々に、よい意味での子供としての粗が浮き出ている。つまり、瑞穂と氷は、持っている雰囲気が、まったくの正反対なのだ。そんな、自分とはまったく異なる魅力を持った射水 氷という少女は、瑞穂の目には新鮮に映った。
少しの間をおき、氷は続けた。
「そして、私の復讐に。巻き込まれたのよ、あなたの妹は」
息をはく、そして氷は語った。あなたにだけよ、と念を押しながらも、はっきりと語った。奴等の……すなわち、ロケット団の計画を。
「その計画は、『リリィ』と呼ばれるシステムが完成したときに、発案されたの……」
リリィ・システム(lily・system)。ロケット団の柊博士よって開発された、特殊電波発信装置。特殊な波長をもった電波によって、ポケモンの意識や感情を失わせ、思うがままに操ることができ、場合によっては、強引にポケモンを進化させたり、通常よりも高い戦闘能力を発揮させることもできる。
至極簡単に、氷は『リリィ』について説明し、瑞穂の様子を伺った。
「それって……」
瑞穂は何か言いかけ、慌てて口を閉ざした。幸いなことに、近くにいた子供達の騒音が、瑞穂の言葉を掻き消してくれた。
……それって、ナゾちゃんの頭部に埋め込まれている装置と同じ原理かも……。自分だけが知っている事実の重みに、瑞穂は思わず堅くなった。
考え込んでいる瑞穂を余所に、氷は微かに肩をすくめ、呟いた。
「それと、この『リリィ』を開発した、柊博士は、システム開発後に消息を絶っているわ……」
暗黙に、博士は既に殺されているのだろう、という推測が示唆されていることに気付き、瑞穂は身震いした。今にも泣き出しそうな瞳で、氷を見つめている。……ユユちゃんは、大丈夫だよね……?
氷は何も答えない。ただ淡々と、ロケット団の『或る計画』についての説明を続けるだけだ。
リリィ・システムを使って、大規模な混乱を引き起こそう、と提案したのは、ロケット団の最高幹部で、シグレという男だったそうだ。
「ある意味で……私の命の恩人よ……」
氷は小声で呟いていた。淡々とした口調で、一片の愁いも感じられない。どういう意味なのか瑞穂にはわからなかった。ただ、なにか背筋に冷たいものを感じた。
シグレは、青年といっていいほど若いらしく、ロケット団に入る前は大学の助教授だったそうだ。彼の発案した計画は許可され、さっそく実行に移された。
コガネシティのラジオ塔を占拠し、特殊電波をジョウト地区全域に発信する。
計画の内容を理解するのは容易だった。その分、瑞穂を襲った戦慄は、並大抵のものではなかった。白く細い腕で、寒々しく自分の体を抱きかかえる。瑞穂の身は震えだし、暫くの間、治まることはなかった。
「そんな……そんなことしたら……!」
取り乱す瑞穂を、冷静に氷は制した。
「静かにして。黙って、私の話を聞いて……」
ラジオ塔の占拠計画自体は、順調だったらしい。数週間前に、偽の局長を忍び込ませ、ラジオ塔のセキュリティシステムを、無効とすることに成功したのだ。
「ちょっと待って。ど、どうやって、偽の局長を忍び込ませたの……?」
疑問に思い、瑞穂は訊いた。身体全体の震えは止まっていたが、膝の震えは、当分治まりそうにない。
「停電を利用したの。いえ。停電を起こして、その隙に偽物と本物を入れ替えたのよ。もちろん、自家発電の備わった施設も、抜かりなくね……」
本物の局長は、停電中に殺された。停電は10分程度だったのだから、手早く行えば簡単に済む。遺体は暫く局長室に放置された後、バラバラにされロケット団のアジトの地下に埋められたという。
「非道い……」
怯えたように瑞穂は呟いた。もう、震えてはいなかったが、寒々しく組んだ腕が強張っている。
氷は、瑞穂の呟きを無視して、少女から視線を外した。――知らない。氷は知らない。瑞穂の呟き、『非道い』の一番深い部分の意味を。
……ユユちゃんのお母さんは、その停電が原因で亡くなったのに……。
どこまで非道なのだ。どこまで汚いのか。どこまで邪悪なのか。ロケット団は。もちろんロケット団が、自分達の引き起こした停電によって、1人の子供の母が死んだことなど、知る由もないことであろう。だが、瑞穂にとって、そんなことはどうでもよかった。非道い。瑞穂の心にあるのは、それだけだ。非道いじゃないか……こんなことをするなんて……。
瑞穂から視線をそらしたまま、氷は小さく息をはいている。
「そしてコガネ・パレスを買い取り、そこを準備のためのアジトとした……」
ゆかりは、そんな危険な場所に迷い込んでいたのだ。他言され、計画が漏れるのを恐れたために、シグレは、ゆかりを捕らえたのだろう。
瑞穂は、今にも倒れてしまいそうなほど憔悴していた。
心配しないで。氷は、思わず言っていた。
「大丈夫。あなたの妹は、殺されてはいないはずよ」
今、殺してしまうと後が面倒だから。喉まで出かかった言葉を飲み込み、氷は話を戻した。これ以上、瑞穂を心配させても、やっかいなことになるだけだ。そんな心理が働いたのだ。――心配なのは、あなたの方よ。大丈夫? 死にそうな顔してるわよ……。
氷は話を続けながら、不思議な気持ちになっていた。どうして私は、この瑞穂って名前の女の子に、気を使っているのだろう……?
「ただ二つだけ、計画の実行に支障があった。一つは些細なこと。もう一つは、計画の存続に関わること」
「計画の存続に、関わること?」
いくらか顔色を回復させ、瑞穂は聞き返した。ゆかりが無事だろうと聞かされて、少しは安心したらしい。
「そう。肝心の『リリィ』が、あまりにシステムとして不安定だった……」
突然、操作を受け付けなくなり、暴走したりすることは日常茶飯事だったようだ。それでけでなく、システムによって操作中のポケモンの身体機能が、突然、低下したり、ひどい場合には、そのまま死んでしまうこともあったという。
それを聞いた瞬間、瑞穂の肩がビクリと動いたようだったが、氷は気にしなかった。
「なにしろ、システムを開発した柊博士は行方不明だから、どうしようもなかった。この問題で重要なのは、機械(ハード)が悪いのではなくて、中身(ソフト)が悪かった、ということよ」
シグレは、さっそく問題点を見つけるため、特殊電波の内容を解析し始めた。だが、特殊電波の内容は異様に複雑で、シグレだけでなく、専門家にも解析はできなかったという。困り果てたシグレは無人になっていた柊博士の研究所を探り、一つだけ『リリィ』に関する資料を見つけた。
「でも、その資料には、肝心なことは何も書かれていなかった。ほとんど、白紙に近かった。」
そして、最後の頁に、シグレを嘲笑うかのように一節の文章が印刷されていた。
『人間に従うよりは、神に従うべきである。わたしたちの先祖の神は、あなたがたが木にかけて殺したイエスをよみがえらせ、そして、イスラエルを悔い改めさせてこれに罪の許しを与えるために、このイエスを導き手とし救主として、ご自身の右に上げられたのである。わたしたちはこれらの事の証人である。神がご自身に従う者に賜った精霊もまた、その証人である』
「それ、どういう意味なんだろう……」
小首を傾げる瑞穂に、氷は微かに首を振って見せた。
「新約聖書の一節よ……深い意味などないと思うわ」
シグレは散々迷った挙げ句、実験を行うことにした。野生のポケモンに小型の電波発生装置を取り付け、自由に操れるときの電波の波長を抽出したのだ。
「野生のポケモンをつかった……実験?」
瑞穂はごくりと唾を飲み込んだ。それってもしかして。それってもしかして――
「そのことについては、私も詳しいことは知らない。この計画書に、そう書いてあるだけ」
言いながら、氷は懐から白い冊子を取りだして、目立たないように開いた。
「覚えている? 数日前、キキョウシティを襲った、蒼い鳥ポケモンの話……」
心臓が止まりそうな程、瑞穂は驚き、可愛らしいつぶらな瞳を、天井へと向けた。
……あの時の、フリーザーが……。また、ロケット団だ。本当に、非道い……。
「う……うん。覚えてる。非道い事件だったみたいだから……」
自分に言い聞かせるように呟いた、瑞穂の表情は翳りを帯びている。できる限り、瑞穂は、自分がキキョウシティでの事件に関わっていたことを、言いたくなかった。喋ると、思い出すと、いつまでも冬我の影がちらついて、辛いから。
「そのポケモンが、恐らく計画のための実験台だったのよ……」
氷は、瑞穂の表情の変化に気付かないまま、言い放った。
実験によって『リリィ』は、完璧なものとなった。そして、今日の正午12時00分。計画は、万全を期して実行されるのだ。
一通り計画について説明し終えると、氷はソファから立ち上がった。
「わかった?」
「あの……」
「なに……?」
躊躇いがちに、瑞穂は訊いた。
「あなたは、これから、何をしようとしているの?」
2人の間に、沈黙が落ちた。
氷は、微動だにせず、瑞穂の表情を見つめていたが、やがて囁いた。
「私は、奴等の計画を阻止する。そして、あの女を、一位カヤを殺す。」
「『あの女』って、前に洞窟で逢った……」
ご名答。氷は頷いてみせ、ラジオ塔の一階を見渡した。
「どこかにいる。あの女は、このラジオ塔のどこかにいる。だから私は、奴等の計画を途中で阻止するの」
拳を握りしめ、氷は天井の一点を見つめている。
ソファから立ち上がり、瑞穂は、氷の前に立った。瞳には、決意の色が見てとれる。
「私にも、協力させて……」
「いや」
「どうして?」
睨むように瑞穂を眺め、静かな口調で、氷は言った。
「あなたは、自分の妹を助ける方が先……。あなたの妹は、恐らくシグレと一緒にいる。そしてシグレは、5階の局長室で、状況を静観しているはずよ……」
呆然と瑞穂は立ちつくしていたが、やがて口元を引き締め、頷いた。
「うん。わかった」
「12時になったと同時に、1階のゲートが爆破される。隠れている奴等は、それと同時に飛び出して、爆発に動揺している人々を、人質にするはずよ」
横目でチラリと氷は時計を確認した。11時58分。もう、時間がない。
「私は一階から上へ行きながら、奴等を追いつめる。あなたは、その内に五階へ行って、妹を助け、特殊電波を止めるだけでいいわ」
「うん……」
時計の針が59分を指した。
小さく頷き、瑞穂は階段へ向かって歩き出した。
「あの……」足を止め、瑞穂は振り向いていた。「最後に、気になったんだけど……」
「なに?」
「計画に支障がでた……って、さっき言ってたよね? 一つは重要なこと。それじゃ、もう一つの些細な支障って、なんなの……?」
氷は微かに唇を舐めた。口を開いて、瑞穂の質問に、できるだけ簡潔に答えた。
「ラジオ塔占拠の際に、使用するはずだった一匹のポケモンが、逃げてしまったのよ」
沈黙。
悲しげに、氷から視線を外して、瑞穂は階段を上っていく。氷は、何も言わずに見送った。瑞穂は気付いたのだろう。私を。私の……射水 氷の悲しみを。
数歩、歩いて、氷は一階の中央で時がくるのを待った。もうすぐだ。もうすぐ――
そして、爆音が響いた。悲鳴が、それに続いた。
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