刹那の夢と嘘の玩具   作:月影 梨沙

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小さき身体は真紅に染まり

「約束? つまんなーい……。全然、つまんない理由よね」 

 

 カヤは、ふてくされたように呟いた。先程とは、態度がまるで違う。いや、もはや性格が入れ替わったかのようだ。 

 

 氷は思った。この女は、一体いくつ、心に仮面を隠し持っているんだ……。 

 

「あんた、あの娘に相当、影響を受けているようね。たしか名前は、瑞穂っていったわよね」 

 

「調べたのね」 

 

 手に持った刃を振りかざし、カヤは微笑を浮かべた。 

 

「そうよ……。ついでに、いいことも教えてあげようか?」 

 

 いいこと? この女の言う”いいこと”など、悪いことに決まっている。氷は心の奥で身構えた。この女、何を言おうとしている? 

 

「あんた知らないみたいね。あの娘。名字が”洲先”っていうのよ。つまりフルネームは洲先瑞穂よね」 

 

 動揺から、氷の顔が強張った。白い床に映りこんだ自分の顔の口元が、軽くひきつっている。 

 

「嘘よ」氷は、小さな声で言った。 

 

「本当よ。なんなら、本人に訊いてみたらどう? まだ生きていれば、の話だけど」 

 

「偶然、名前が同じだっただけよ」 

 

 肩をすくめ、ナイフの刃を光に照らして、カヤは言った。 

 

「でも、”洲先”って、かなり珍しい名字よ。そんなに、いるかしら? それに、あの娘は、間違いなく、”あの洲先瑞穂”よ……。信じるか信じないかは自由よ。」 

 

「そんな……」 

 

 呆然と氷は宙を見つめた。 

 

 カヤは、焦れたように刃を振り回している。 

 

「そんなことは、もういいわ。はやく、私を殺してよ」 

 

 氷は動かない。いや、動けないのだ。カヤは、子供達や局員を人質に取っている。迂闊に動くことは出来ない。 

 

 相手に悟られぬよう、氷は横目で、縛られている子供達に目をやった。先程と同じく気絶している。はやく、助けださなければ……。しかし、動くことはできない。 

 

「それじゃ、こうすればいいのね?」 

 

 カヤが、突然に言った。氷にはなんのことだか、理解できなかった。 

 

 刃をカヤは横一線に、素速く振った。人質の幼い女の子の頬を、刃が掠める。 

 

 氷は、突然の出来事に固まっていた。思考だけが、なんとか現状を理解しようと働いている。 

 

 幼い女の子が目を覚ました。いつの間にか、頬から、血が噴き出している。目を見開き、驚いた表情のまま、女の子は自分の血を見た。痛みを遅れながらに感じた。泣き出す。痛々しく頬を押さえて、女の子は泣き叫んだ。イタイよぅ。イタイよぅ。ママ……イタイよう。 

 

 小さな声で、しゃくりあげながら、幼い女の子は泣き続けている。頬からの出血が、女の子の顔全体に広がっていた。 

 

「なにするの……!」 

 

 氷は、女の子の元へと駆けていた。知らぬ間に、駆けていた。待ってましたとばかりに、ライチュウの電撃が氷を阻む。氷は弾き飛ばされた。 

 

 再び、カヤの手の刃が空を斬った。鮮血が飛んだ。氷は見た。カヤは笑っていた。 

 

 首が飛んでいた。女の子の、涙と血の混じった瞳が、みるみる濁っていく。ドスン。音をたてた。湿った音だった。女の子の首は、リノリウム製の床に叩きつけられていた。女の子の血が、白い床を深紅に染めていく。か細い泣き声は、気付いたときには消えていた。 

 

 カヤは、女の子の頭だけを、氷の元へと蹴り飛ばした。「これ、あげる。」 

 

 壁にもたれて倒れている氷の視界に、女の子の首が入り込んできた。見つめている。血の色に染まり、真っ青になった女の子の顔は、氷の顔を見つめている。 

 

 痛いよう。痛いよう。お姉ちゃん。痛いよう。首と、ほっぺたが、痛いよう。 

 

 感情の失せた表情で、女の子の首は訴えかけてくる。氷は、女の子の首から視線をそらした。女の子の首のない死骸の股座から、屎尿が滲み出ていた。 

 

 異変に気付き、他の子供達も目を覚ました。口々に悲鳴をあげる。目の前に、異臭を放つ、首のない屍体があるのだから、無理もなかった。 

 

 カヤは、笑みを浮かべたまま、刃を振り上げた。 

 

「やめて……やめて! やめて!」 

 

 氷が叫んだ。自分でも、信じられないほどの大声で、叫んだ。だが、鮮血と、首が飛ぶ度に、氷の声は掠れ、小さくなり、最後は呟きへと変わった。精気の失せた、冷たい瞳を天井へと向ける。呆けたように氷は呟き続けることしかできなかった。 

 

「やめて……やめて……。やめてください。やめてください……」 

 

 最後に残ったのは2人の女の子だった。他の子供達には首がなかった。死臭を放つ、ただの屍体になっていた。 

 

 氷は立ち上がった。これ以上、誰も殺させない。そして、駆けた、氷は。女の子の悲鳴が聞こえる。 

 

「いや! 助けてぇ……。ママぁ。やだぁ……。イタイよ。イタイよぅ! ママぁ!」 

 

 耐えきれなくなって、氷は目を閉じた。悲鳴が途切れた。 

 

 肩に丸いものが当たった。カヤが投げつけたのだろう。さっきの女の子の首に、違いなかった。首は落ちた。湿った音が、また響いた。間に合わなかった。氷の目に、涙が滲んだ。 

 

 泣くことなど、忘れていた。忘れていた筈だった。胸元に、生暖かい液体がこびりついている。酷い異臭が、氷の鼻をついた。屍体が、腐敗するにはまだ早い。これは、屎尿の臭いなのだろう。 

 

 眼を見開いた。怨磋に充ちた瞳だった。 

 

 これで私は、私の心は、また死んだ。殺された。許さない。お前など、絶対に許すものか! 

 

 最後の女の子が叫び声をあげている。カヤは刃を振りかざした。 

 

「あんたのためなのよ! あんたのためを思ってやってやったのよ! それなのにその態度は、なによ! あんたは私を殺したいんでしょう? そのためには、人質は邪魔だったでしょう? だから、殺してあげたのよ。優しいでしょ? 私は、優しい人間だからね……」 

 

 ほざけ、カス。氷は心の奥底で叫んだ。腕を前へだし、アーボへと変貌させ、カヤへ向けて伸ばした。だが、間に合わない。カヤの刃が、最後の女の子の首へと迫っていた。このままじゃ、間に合わない。 

 

 その時だ。その瞬間に、銃声が鳴り響いた。 

 

 カヤの肩から、血が吹き出て、刃がぽろりと床へ落ちた。冷たい音をたてる。 

 

 氷は、銃声の響いた方を見つめた。カヤも見た。 

 

 青年だった。サングラスをかけ、黒服を身に纏った青年だった。手に持った銃の銃口から煙が出ている。 

 

「法柿! あんた、なに馬鹿なことしてんのよ」 

 

 法柿と呼ばれた青年は、銃を構えたまま、カヤの言葉に言い返した。 

 

「馬鹿はお前だ。死にたくなかったら、消えろ!」 

 

「あんた、裏切ったわね。……氷とデキてたとか?」 

 

「似たようなもんだ。それよりも、早く失せろ!」 

 

「あんたも殺してやる。私は、みんなを愛しているのに、馬鹿だから、みんな気付かないんだ! こんなに私は優しいのに、だれも誉めてくれない。みんな、殺してやる!」 

 

 カヤは、忌々しげに吐き捨てて、窓をぶち破って、飛び降りた。背中から、機械仕掛けの翼が飛び出す。グライダーの要領で、空を飛び、カヤの姿は雲の奥へと消えた。 

 

 氷は、気が抜けたように、その場に座り込んだ。そして隣で蒼白の表情のまま竦んでいる、人質の子供の中で唯一生き残った女の子に、話しかけた。 

 

「大丈夫……だった?」 

 

 首を振った。少女の瞳は、正常ではなかった。 

 

「こないで……。こっちにこないで……」 

 

 譫言のように呟くと、女の子は立ち上がった。氷は驚いて、顔を上げた。 

 

「あなた……何を言って……」 

 

「こないで! 嫌! いやぁ!」 

 

 女の子は、怯えを通り越して、狂っていた。駆けていく。割れた窓へと駆けていく。泣きながら。出口を目指して。安全な場所を目指して。狂気に取りつかれた、この少女は、自らの創りだした幻に惑わされていた。安全な場所はどこ? あそこだ!  

 

「その子を止めて!」 

 

 最後の力を振り絞って、氷は法柿に叫んだ。もう、二度と喋れなくなるのではないかと思った。法柿は女の子を止めようと走った。だが、狂気に走った女の子には、間に合わなかった。 

 

「助けて! 助けてよぉ! みんな、どこにいるの! どこに隠れてるの……!」 

 

 ドスン。 

 

 落ちた。4階の割れた窓から、地上へ、一瞬のうちに。 

 

 法柿は、窓から下を覗き込んだ。そして、氷の顔を見据え、首を横に振った。 

 

 氷に、法柿の姿は見えていなかった。何も、見えていなかった。頭で何かが響いている。ドン。ドスン。女の子が落ちたときの音が。 

 

 自分の姉も、死の間際に、この音を聴いたのだろうか。

 

 

○●

 

 

 部屋にたちこめていた煙がはれた。 

 

 瑞穂は立ち上がり、口から煙りを吐いているリングマの姿を見つめた。 

 

「ありがとう。リンちゃん」 

 

 それだけを言った。リングマは小さく頷いた。瑞穂は、呆然と立ちつくしているシグレの方を向いた。 

 

 シグレは苦々しい表情で瑞穂を睨んだ。瑞穂が臆することはなかった。整然とした表情をしている。今すぐにでも駆け寄って、瑞穂の小さな身体をねじ切って、殺してやろうとも思った。だが、それすらもできない。背後から、瑞穂を庇うように、特殊電波から解放されたリングマが立っているのだ。 

 

 舌打ちし、シグレは後ずさる。まさか、こんな事になるとは思ってもいなかったのだろう。 

 

 そう、『リリィ』は、リングマの破壊光線によって破壊された。あの時、瑞穂へと放たれた筈の、リングマの破壊光線の軌道が、途中でズレたのだ。破壊光線は瑞穂の肩を掠め、ラジオ塔に設置しておいた、特殊電波発生装置を貫いたのだ。 

 

 獣は我に返ったように辺りを見回し、己の醜い姿を恥じるかのように吠え、忽然と煙の奥に姿を消した。 

 

 そして、破壊光線の煙は消えた。後には、沈黙だけが残っていたというわけだ。 

 

「お前……ワザとやったな? 初めから、電波の発生装置を破壊するつもりだったんだな……?」 

 

 シグレは瑞穂に訊いた。窓際により、拳を握りしめている。 

 

「はい。でも、リンちゃんがちゃんと装置は壊してくれるかどうかは、賭けのようなものでした。氷ちゃんから、局長室に特殊電波の発生装置がある、と聞いたときから、まず真っ先に装置を壊そう、と考えていました。ユユちゃんを助けるのは、その後でもできますから」 

 

 冷静に話す瑞穂を、シグレは片腕を振り上げて、制した。 

 

「まだ、終わらないよ……。確かに、この計画は決して成功したとは言えない……。だが、まだ私には次がある。このまま終わるような小者ではないよ、私は」 

 

「あなたは逃げられません。この塔は包囲されています。もうすぐ、警察の人達も来ますよ」 

 

 微かに指を動かし、シグレは微笑んだ。瑞穂は幼い顔で、怪訝そうに白衣の彼を見つめた。 

 

「君は、甘いよ」 

 

 風が吹いた。どうして? 瑞穂は考えた。ここは、建物の中の筈なのに、どうして風が……?  

 

 シグレの白衣の中から、白い霧が吹き出した。 

 

 瑞穂はリングマに抱きかかえられた。風は、少女が立っていられないほどの強風になっていたのだ。白い霧が吹き荒れる。嵐のように、吹雪のように渦巻いたそれは、赤い絨毯に吸い込まれるように姿を消した。 

 

 シグレは消えていた。 

 

 リングマの腕から離れ、瑞穂は辺りを見回した。本当に、シグレは消えていた。逃げたのだ。どうやって、逃げたのだろう。どんな仕掛けで? でも……それよりも、先にユユちゃんを助けなきゃ。 

 

 氷は、局長室に妹が、つまり、ゆかりがいるだろう、と言っていたのを思い出した。 

 

 瑞穂は、獣が出てきた壁の穴から、隣の部屋を覗き込んだ。闇の奥に、横たわる女の子の姿が見える。 

 

「ユユちゃん!」 

 

 戦慄しながら瑞穂は、声をかけた。女の子は、声に反応して起きあがる。間違いなく、ゆかりだった。 

 

 ――ユユちゃんは、あの獣がいた部屋に閉じこめられていたんだ……恐かっただろうな……。 

 

 それでも無事でよかった、という安堵の気持ちが、瑞穂の心の中に湧き上がってきた。 

 

 ゆかりは、ぼんやりと瑞穂を見つめていた。……お姉ちゃん? お姉ちゃんやの? 

 

 跳び上がった。火がついたように泣きだし、瑞穂の、細く柔らかい身体に抱きついた。 

 

「お姉ちゃん……。恐かった……怖かったよぅ……」 

 

 しゃくりあげ、泣きじゃくる、ゆかりの頭を撫でながら、瑞穂は座り込んだ。よかった。本当に、ユユちゃんが無事でよかった……。 

 

 瑞穂は白い腕で、ゆかりの身体を思い切り抱きしめた。よかった。本当によかった……。 

 

 そこで、止まった。瑞穂は、身体の動きを止めた。腹の奥で、何かが破裂した。先程から感じていた、胸の焦げるような痛みが、喉元まで広がってきた。 

 

 思わず瑞穂は、自分の口を押さえつけた。何かを吐き戻したようだった。掌が、赤く染まっていた。血に溢れていた。ゆかりが、瑞穂の様子に気付いて、悲鳴をあげた。 

 

 リングマが駆けつけてきた。瑞穂を抱き起こす。少女の口の周りが、血にまみれていた。 

 

 瑞穂は喘ぐ。上体を起こして、苦しげに血を吐いた。吐血した。 

 

「お姉ちゃん! どないしたん? どないしたん……?」 

 

 ゆかりは、目の前が真っ白になっていた。混乱していた。悲鳴をあげ、叫ぶ。 

 

「よかった……ユユちゃんが無事で……よかった……」 

 

 それだけを瑞穂は呟いた。口から吐き出される血が、少女の言葉を遮った。そして倒れた。リングマの腕から、こぼれ落ちるように、瑞穂の身体が床に落ちた。 

 

 鮮血が波打った。柔らかい音がした。瑞穂の瞳が焦点を失っていた。 

 

 血の色をした絨毯よりも残酷に、瑞穂の身体は真紅に染まっていた。

 

 

○●

 

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