「グラちゃん――大丈夫!?」
思わず、瑞穂は叫んだ。瑞穂の心配を余所に、グライガーは体を震わせ、突き刺さったエネルギー体を振り払っている。振り払われたエネルギー体は、徐々に空気の中へと溶けて消えていった。
「スピード……スター?」
「そう、大当たりや」
「この技、もしかして指を振る」
「もしかしなくても、指を振る。さっき言ったやろ?」
からかうように微笑み、アカネは言った。
指を振る。指を振ることで脳細胞を刺激し、通常ではできないような技を使うことのできる技である。この技の隠された利点は、”指を振るだけ”で技を使えるという所にある。つまり、動かなくても、攻撃できる。
瑞穂は恐れた。こちらの攻撃は完全に防がれ、相手からの攻撃は多種多様。このままでは、ピッピに少しのダメージを与えることもなく負けてしまう。
勝利を確信したかのように、アカネはピッピに指示を出した。
「ピッピ。もう一度、指を振る攻撃やで!」
ピッピは再び指を降り始めた。技の発動まで、あと数秒しかない。
もう一度、技を受けたら、グラちゃんがもたない。この危機を脱するためには、光の壁を打ち崩すしかないのは、瑞穂にもわかっていた。――でも、どうすれば。
リングマに交換してみることも考えたが、それで光の壁を打ち崩せるという確証はない。とにかく今は、グライガーの力を信じてみるしかないのだ。
ピッピの指が、先程と同じように空を切って小気味良い音を立てている。その音を聞きながら打開策を考えていた瑞穂は、ふと閃いた。
グライガーに向かって、瑞穂は力の限り叫んだ。
「グラちゃん! 嫌な音をだして!」
グライガーは即座に両手のハサミを振り上げて、擦りあわせた。耳が張り裂けそうなほどの雑音が、バトル場全体に響いた。
「いやっ! なんやの? これぇ……」
凄まじい雑音に、アカネはバトル中であることも忘れて、思わず手で耳を塞いだ。いくら光の壁でも音は通す。ピッピもバトルを忘れて、耳を手にあて、塞いだ。
その瞬間、ピッピを守っていた、光の壁は跡形もなく姿を消した。
「グラちゃん! 恩返し――じゃなかった、お返しだよっ!」
耳がおかしくなりそうなのを、必死で我慢しながら、瑞穂は大声で言った。少女の言葉にあわせるように、グライガーは両腕のハサミを構え、一直線にピッピに突撃した。
ピッピは吹っ飛ばされた。地面に叩きつけられる。ぐったりと地面に伏したピッピは目を回し、そのまま動かなくなった。
「あっ! ピッピ! も――戻るんや」
倒れたピッピを見て、アカネは哀叫すると、ピッピをモンスターボールに戻した。
「結構やるなぁ――あの子」
アカネは小さく呟くと、瑞穂の方を向いて、挑発気味に話しかけた。
「やるやんか瑞穂ちゃん。でもな、ウチのとっておきのポケモンに勝てるやろか?」
「とっておきのポケモン、ですか――」
復唱しつつ、瑞穂は戸惑った。先程のピッピでさえも苦戦したのに、さらに強いポケモンをだされては、勝てる見込みはない。
このままグラちゃんでいくよりも、リンちゃんに交換した方がいいかもしれない。そう思った瑞穂は、グライガーのモンスターボールを出して言った。
「グラちゃん、戻って」
グライガーは、素直にモンスターボールの中へと戻った。モンスターボールにグライガーが戻ったのを確認すると、瑞穂はリングマのモンスターボールを投げて声を上げた。
「お願い! リンちゃん!」
瑞穂の投げたモンスターボールから、リングマが飛び出した。
「グォォォォッ!」
リングマは、けたたましい叫び声をあげながら、大地を踏みならした。
「へぇ、リングマかいな。それじゃウチも、いけっ! ミルタンク!」
アカネはモンスターボールを投げた。
「みるみる~みるみる~」
不思議な鳴き声をあげ、モンスターボールから現れたのは、乳牛ポケモンのミルタンクだ。ピッピと同じくピンク色をしたポケモンだが、大きさはピッピの何倍もある。
この巨体で、押しつぶされたら小さなポケモンは、ひとたまりもないであろう。瑞穂はグライガーを戻しておいて良かったと思った。
アカネはすばやく、ミルタンクに指示を出した。
「ミルタンク、転がる攻撃を喰らわしたれっ!」
ミルタンクは、リングマの方へ転がりながら高速で近づいてくる。だが、ミルタンクの自分を顧みない大技を目の前にしながらも、瑞穂は落ち着いていた。
「リンちゃん。まだ間に合うよ、左へ避けて!」
既に一勝しているからか、瑞穂の指示には余裕が感じられた。だが、瑞穂の指示を聞いていたにも関わらず、リングマは、まったく動こうとはしなかった。リングマの様子を見て、瑞穂は慌てて叫んだ。
「どうしたの? リンちゃん! ねぇ、ねぇ……!」
瑞穂の必死の問いかけを、リングマは無視し続けた。
その瞬間、ミルタンクの転がりアタックが、リングマの顔面に激突した。
「があぁぁぁッ~!」
リングマの悲痛の叫びが、バトル場に木霊する。激しく呻くリングマの巨体は、バトル場の中央にズドンと崩れ倒れる。
バトル場の皆が、そう思った……しかし……。
一閃。
眩い光が広がった。瑞穂は驚き、思わず光から眼を背けた。リングマの口からは、強力な熱と衝撃波を伴う熱線が発射されていた。破壊光線だった。
光はやんだ。突然の攻撃を受けたためか、怒りに燃えた視線をミルタンクにそそぎ込むリングマ。しかし、もはやミルタンクには、戦うほどの力は残されていなかった。
破壊光線を真っ正面から受けたミルタンクの体は、バトル場の反対側まで吹き飛ばされていた。体中に、無数の焼けこげた傷跡が浮かび上がっている。
瑞穂は予期しないリングマの反撃に、凄まじい威力の破壊光線に、半ば唖然としていた。
「ミ……ミルタンク……!」
アカネは目に溢れる涙を堪え、ミルタンクに駆け寄ると抱きついた。ミルタンクは命に別状はないようだが、放っておけば危険な状態だった。流れ出る涙を拭おうともせずに、アカネは瑞穂とリングマの方を見やった。その瞬間、彼女は驚愕し、口をあんぐりと開いた。
リングマの口から、白色の光が漏れていた。その光の意味は、リングマが次に撃つ破壊光線をチャージしているということに違いなかった。
アカネは叫んだ。
「ウチの負けや。瑞穂ちゃん! はよ、そのリングマ戻してや!」
その一言で、我にかえった瑞穂は、リングマを戻そうとモンスターボールを掲げた。だが、それに気付いたリングマは即座に反転し、振り返りざま瑞穂の持っていたモンスターボールを弾き落とした。
「あぁっ! リンちゃん、なにするの!」
弾かれたモンスターボールは地面を落ち、転がった。
リングマは、再びミルタンクの方を向いた。同時に、口から破壊光線を発射した。
「やめてっ!」
瑞穂とアカネは、同時に叫んだ。
バシュゥゥゥゥッ!
リングマの破壊光線は、ミルタンクの頭を掠めて、コガネジムの壁をぶち抜いた。
破壊光線が外れたのを見て、リングマは軽く舌打ちし、三発目の破壊光線を撃とうと構えた。その一瞬だけ、リングマに隙ができたのを、瑞穂は見逃さなかった。
リンちゃんを戻すなら、今しかない。そう直感した瑞穂は、モンスターボールに飛びつき、ボタンを押した。ボールから赤い光が発せられ、リングマを包んだ。リングマは光と共にボールに吸い込まれていった。
「はぁ……心臓止まるかと思うたわ」
ミルタンクを抱きしめたまま、アカネは溜息をついた。その表情は青ざめたままで、動揺しているのは明らかだった。
瑞穂は無言のまま立ち尽くしていた。
「瑞穂ちゃん、どないしたん?」
目から流れ出た涙を拭いながら、アカネは訊いた。
「ご……ごめんなさい……」
それだけを口走り、瑞穂は走り去った。旋風のように素早く、少女の姿は消えた。
「瑞穂ちゃん? どこ行くん!」
アカネの声は、瑞穂には届いていなかった。
○●
コガネジムの裏で、瑞穂は呆けたように立ちすくんでいた。少女の脇を撫でるように、冷たい風が駆け抜けていく。
「出てきて――リンちゃん」
震える肩を堪えながら、瑞穂はリングマの入ったモンスターボールを開き、リングマを呼んだ。
「グゥゥゥ――」
低く重い呻り声をあげながら、リングマは瑞穂に向き合った。だが、リングマは即座に瑞穂に背を向け、ふてくされているかのように、あさっての方向を見上げた。
瑞穂は、リングマの態度の意味が分からなかった。何故、自分に対して、わざと小馬鹿にするような態度をとるのか、理解できなかった。
「ねぇ、リンちゃん、どうしたの? なんか様子が変だよ」
心配そうに眉を潜め、瑞穂はリングマに訊いた。リングマは背を向けたまま、何も答えようとはしない。
「どうしたの? 何で無視するの。ねぇ、答えてよ――リンちゃん」
焦れてきた。瑞穂は、一歩前へと踏み出し、背を向けるリングマに近づいた。リングマは答えない。無言のまま、その場に突っ立っている。
苛立つ気持ちを抑えながら、瑞穂はリングマの顔を覗き込んだ。だが、少女を嘲笑うかのように、リングマはわざと目線を遠くに向けた。
瑞穂は苛立ちを隠しきることができなかった。語調を少しだけ強め、リングマに詰め寄る。
「ちょっと、聞いてるの? リンちゃん!」
ピクリと微かに、リングマの短い耳が動いた。先程まで、遠くの景色を捉えていた瞳が動き、瑞穂の幼く蒼白な表情に狙いを定めた。彼は、少女を睨み付けていた。
突然、鋭く睨まれ、瑞穂はたじろいだ。少女の顔いっぱいに哀しみが浮かんでいた。信じていた誰かに裏切られた、その瞬間の表情が張り付いていた。出会った時から今まで、そんな風に睨み付けたことなどなかったから。
ゆっくり2、3歩後ろに下がり、瑞穂は悲しげな声で呟いた。
「どうしちゃったの、リンちゃん。進化しちゃったから? だから、そんな風に、私のこと無視するの? それなら、昔の方が――良かった」
リングマは、さらに鋭く瑞穂を睨み付けた。少女の言葉が引き金になったのか、歯軋りの音がギリギリと響いてくる。
瑞穂は、リングマの視線に屈することなく、もう一度呟いた。目には今にもこぼれ落ちそうなほどの涙が溜まっていた。
「昔の方が、良かったよ。なんで、そんなになっちゃったの――リンちゃん」
叫び声が轟いた。裏路地を震撼させるような、大きな声。リングマは空へ向かって激しく咆哮していた。
瑞穂の目から涙がこぼれ落ちた。涙は頬をつたって、次々と流れ落ちていく。ぽろぽろとこぼれ落ちる涙を、気にもせずに瑞穂は言い放った。
「リンちゃんなんか、嫌いだよ。そんなリンちゃん、いらないよ。大嫌い」
言ってしまった。後戻りのできない、決別の言葉を、瑞穂は涙と共に吐き出した。そう、もう後戻りはできない。瑞穂は濡れた唇を震わせ、リングマからの答えを待った。
瞳から流れ落ちる少女の涙が、赤みを帯びていた。頬をつたい、胸を通り過ぎて行く先の地面は真っ赤に染まっていた。
痛い、と少女は感じた。もう遅かった。瑞穂の右胸からは、決別の証である鮮血が激しく吹き出していた。
○●