刹那の夢と嘘の玩具   作:月影 梨沙

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死劇の発端

 

 射水 氷は、虚ろな瞳で街の灯りを眺めていた。

 

 月の光を眺めることを好む彼女に、この光は強烈すぎた。目を閉じ、瞼の裏でなお光り輝くネオンの灯りから目を背け、小さな溜息をついた。白い肌が看板のネオンに照らされ赤や青へと二転三転し、光の途切れる一瞬だけ黒く染まる。

 

 側を行き交う人々は、怪訝そうに氷の顔をチラリと見つめただけで、気にすることもなく去っていく。だれも「お嬢ちゃん、どうしたの?」「迷子なのかい? お母さんとはぐれたの?」などと訊いてはこない。それがこの街、コガネシティを象徴しているな、と氷は思った。自分は自分、他人は他人。面倒なことに関わるのは、誰だって嫌なのだから。

 

 また光が途切れた。目の前が一瞬の間、闇に満ちた。空を見上げ、月を見上げ、氷は寂しげに肩を落としていた。

 

 過去とはなんなのか。自分とは何なのか。氷は少しだけでも、それらの持つ意味を考えたかった。なぜ、姉は死んだのか。なぜ、死ななければならなかったのか。なぜ、皆が殺されなければならなかったのか。なぜ自分は、こんな身体にされなければならなかったのか。

 

 すべては理不尽なこと。今まで「運が悪かった」の一言で済ませてきた過去の記憶の裏で、なにがあったのかを知りたくなった。

 

 なぜだろう。昔はこんなことはなかった。ただ、命令されるままに生きていた。それだけで精一杯だった。法柿に指摘されるまでもなく、自分が以前と変わっていることを、氷は身をもって感じていた。

 

 洲先瑞穂――あの少女が、自分を変えたのかもしれない。自分と同じように辛い過去を持ちながら、洲先瑞穂は過去にほとんど捕らわれていない。過去をあくまでも過去として考え、今を生きている。過去を、いつまでも今にオーバーラップさせている自分とは、生き方が根本的に異なるのだ。過去の中に生きている自分にとっての救いが、洲先瑞穂の生き方の中にあるのかもしれない。

 

 氷は視線をビルのガラスへと移して、ガラスに反射した自分の姿を見た。泣きはらし、赤く腫れていた瞳は、もう元の冷たい色を取り戻している。微かに頷き、やっとこれで帰れるとばかりに足を一歩前へ踏み込んだ瞬間、少女は背後から呼び止められた。

 

「久しぶりだね――ぼくのこと、覚えているかい?」

 

 氷は声のする方へ振り返った。銀色の長髪、頬に刻まれた黒いタトゥ、鍵の形をした、小さなピアスをした少年が立っている。アルフの遺跡で出会った、不思議な少年だった。

 

「名前、言ってなかったよね。ぼくの名前は、サリエル」

 

「変わった名前ね――」

 

 表情も変えずに、氷は言い放った。彼女にとって、この広い街の中で再び出会うという偶然程度では、さして驚くことに値しないのだろう。それに、もはや氷は少年に興味などなかった。洲先瑞穂のことだけで、頭が一杯だった。

 

 サリエルは形だけの微笑みを浮かべながら、氷に寄り添った。

 

「淋しいの?」

 

「そうね――寂しいのかもしれない。悲しいのかもしれない。今まで、ずっと忘れていた、人の心が感じるのよ」

 

 横目でサリエルを牽制しつつ、氷は呟いている。白い仮面を被ったような表情の奥に、普通の女の子の、涙にまみれた泣き顔が見えた。

 

 彼女の手をとり、サリエルは軽く口づけをした。冷たい、夜の外気に晒されていた氷の掌に暖かみは感じられなかった。彼女は人間ではないため、普通の人のように体温を一定に保つことができないのだ。

 

「所詮――人間でない者は、人間にはなれない。人の愚かで醜い心を思い出したところで、キミは嬉しいかい?」

 

「人は――人の心は醜いだけじゃない。人は優しくもなれる。人は正しく生きることもできる。あなたの中の『人の心』が、勝手に『人の心』を醜いと判断しているだけに過ぎない」

 

 氷の言葉に、サリエルは気色ばんだ。怒ったような表情で、歯を剥き出しにしている。ゆっくりと顎に力を込めた。彼女の紙のように白い指先に、赤黒い血が滲んでいく。

 

「君は、ぼくにも――人の醜い心があると言いたいんだね? ぼくが、勝手に人を憎んでいるだけだと思っているんだね?」

 

「それは怒りよ――人の心がなければ、怒ることはできない」

 

「怒りは、すべての自我を持つ生物に存在する本能だ。心とは違う――」

 

 サリエルは、氷の人差し指を噛み切っていた。氷は、目を少し細めただけだった。赤黒い鮮血が、彼の口許を染めている

 

「たしかに、ぼくにも心はある。でもそれは、醜い人の心ではないよ。人にとって、もっとも理想的な心を、ぼくは持っているんだ」

 

 氷はサリエルの瞳を見つめ、そして自分の指先に視線を移した。

 

「人の指を平気で噛み切るような人間の台詞ではないわね――たしかに普通の人の心をもっているわけではなさそう」

 

「やっとわかったかい?」

 

「ええ――あなたが、ただのガキだということがね――あなたがもっているのは、『ただのガキ』の心よ。すべてが自分の思い通りになると思っている。思い通りにならなければ、今のように力で思い通りにさせようとする。好きな女の子に、素直に自分の気持ちを伝えられずに、ちょっかいをだす――ただのガキよ」

 

 サリエルは唇の端を歪めていた。今にも、殴りかかりそうな形相だった。

 

「それは――そうかもしれない。だけど、人間は大多数が醜い心を持っているのは事実だよ。キミの言うような、綺麗な心をもつ人間は殆どいない。だから、ぼくは人間を裁くよ。たとえキミの言うように、ぼくがただのガキでもね。ぼくには、その権利がある――」

 

「どうして?」

 

「ぼくが、『あの力』を受け継いでいるから――ぼくは、選ばれた神子だから――人間の醜さがわかるんだ。だから一度、滅ぼさなくちゃいけないんだ」

 

 氷は眉を潜めた。「あの力――?」

 

「おっと……喋りすぎたよ。でも、君もいつかは理解できるはずだ。ケガレタ人間――お互いを理解することもできない、自分勝手な人間の姿に。君から、大事なものを奪っていったのは、すべて人間のはずだ。醜い、愚かな人間のせいで、君はすべてを失ったんだから。君の姉さん。君のお父さん、お母さん。みんな――みんな、醜い心をもった人間がいるから――」

 

「たしかに人間は、卑怯で醜いと思う。私が言いたいのは、すべての人間が汚れているわけではない、ということよ」

 

 サリエルは上目遣いで氷を見つめた。彼の顔は、夜の闇のせいもあってか、不気味なほど蒼白に映っていた。口許から滴る鮮血だけが、色を帯びている。まるで、その部分だけに生命があるよかのようだった。

 

「キミが何を知っているんだ。キミも歴史を良く知るべきだ。そしてちゃんと考えるべきだ。人間の争いの歴史を――人間の争う理由を。争いを捨てることのできない人間など、滅ぼされるべき――浄化されるべきなんだ」

 

 氷は何も答えなかった。無表情のまま彼に背を向け、何事もなかったかのように歩き出した。

 

 サリエルは後を追いかけるようなことはしなかった。寂しげな影を帯びた表情で、氷の背中を見つめることしかできなかった。どうしてなの? と問いかけているような――理由もなく、理不尽に怒られたあとの子供のような瞳で。

 

「ひとつ教えて――」

 

 出し抜けに氷は呟いた。サリエルは小さく首を傾げる。

 

「何が――あなたを、そこまで歪ませたの? どうして、あなたはそこまで人間を憎むの?」

 

 彼は目を閉じた。氷は、背を向けたままでサリエルの言葉を待っている。ゆっくりと首を横に振り、静かな口調で彼は答えた。

 

「この世界は汚れている。そう――人間が汚したんだ。だから、ぼくは人間を憎む。どうだい? 簡単な理由だろう?」

 

「そう――たしかに、わかりやすい理由ね」

 

 サリエルが、感情のない微笑みを浮かべている。それが一時の別れに対する、彼なりの挨拶なのだろうか。振り向くこともなく、氷はサリエルの微笑みから遠ざかっていった。

 

 嫌な寒気が体中を包んでいるような感覚に襲われ、彼女は身震いした。苛立ちが、心の中で疼いている。辺りは眩しいほどに明るいのに、氷の視界は黒く塗りつぶされたように暗かった。ついに耐えきれなくなり、少女は寂しげに呟いた。

 

「嘘つき――」

 

 

 ○●

 

 

 ホテルに戻ると、氷はすぐに冷たいシャワーを浴び、ぐったりとした様子でベッドに横になった。

 

 法柿はパソコンのディスプレイから視線をそらし、氷と顔を見合わせる。小さな裸体を毛布に沈め、彼女は呟いた。

 

「疲れた……」

 

「おまえは、いつも疲れてるじゃないか――で、何かわかったのか? 洲先瑞穂のこと」

 

 頷く。仰向けになり、天井を眺めながら。そこに、瑞穂の可愛らしい顔を投影させながら。

 

「変わった娘よ。普通じゃないわ。とんでもない、お人好し」

 

「いや……そうじゃなくて、『あの事件』についてのことを訊いたんだが」

 

 きょとんとしながら、氷は横目で法柿を見やった。口許だけで笑う。

 

「何も知らないらしいわ。ただ、洲先祐司の失踪に疑問を抱いてはいるようだけど」

 

「で――その後、俺達のことも話して、ピーピー泣いたと……」

 

 血相を変えて、氷は飛び起きた。

 

「どうして、それを――まさか」

 

「盗聴させてもらった。余計なことまで喋られると厄介だからな」

 

 氷は、法柿を睨み付けた。彼は肩をすくめ、立ち上がると、氷の隣に横になる。

 

「悪かったよ。そんなに怒るな。おまえのためを思ったやったんだから――それよりも、あの男はなんなんだ? やけに、おまえに馴れ馴れしかったが」

 

「彼、頭がおかしいのよ。きっと」

 

 怪しむような目つきで、法柿は溜息をついた。

 

「なんか、おかしなこと言ってたしな……それに、あの男、おまえのことが好きみたいだぜ? 変な奴だよな」

 

「殺すぞ」

 

 無表情のままで、氷は言い放った。彼は大仰に手を振り、弁解した。

 

「冗談の通じない女だな……おまえ。まぁ、俺も人のことを変人呼ばわりはできないが」

 

「法柿も、私のことが好きだったりする?」

 

 冗談混じりに、挑発するような口調で氷は訊いてみた。法柿は鼻で笑うと、すぐさま翻り、相手の裸体を抱きしめた。息が詰まった。怯えるようにして氷は身をすくめ、虚ろな瞳を彼へと向けた。法柿は視線を少女へと向けたまま、怒ったように吐き捨てた。

 

「もっと早く気づけよ――氷」

 

 氷は言葉を発することができなかった。硬直したように強張った身体が、熱い。それでもなんとか腕を振り回し、法柿をベッドから払い落とした。

 

 少女の裸体から無数の触手が、溢れるように伸びる。幼さを色濃く残す氷の顔が、醜い獣のものへと変貌していく。咆哮。一瞬だけ、空が揺らめくような感じに襲われた。白かった触手が、不気味な紫へと色を変える。やがて、氷の身体は完全に、バケモノへと姿を変えた。

 

 獣の鋭い眼光が、法柿を捉えている。

 

「これが――私の本当の姿。それでも法柿は、私を愛してくれる? 無理よ――所詮、私は人間ではない――人間の姿を偽る、醜い獣――」

 

 法柿は長い間、獣の姿を見つめていた。やがて立ち上がり、無言のままで、蠢く触手の中に手を突っ込んだ。獣の触手は驚いたように激しく動く。法柿は獣を引き寄せ、抱いた。無数の触手が、法柿を取り囲む。

 

「恐がるなよ――怖れるなよ――」

 

 宥めるように法柿は囁いた。彼を締めつけていた触手が、段々と縮んでいく。鱗で覆われていた獣の皮膚が、柔らかくなっていく。

 

「愛されることを、恐がるなよ――」

 

「でも、私は……あの女に……」

 

「あの女のことなんか考えるな。忘れなくてもいい……でも、おまえはもう、昔のおまえじゃない。もう、怯えなくても、恐がらなくてもいいんだよ」

 

 いつしか氷は、もとの少女の姿に戻っていた。法柿に抱きしめられながら、彼女はか細い声で訊いた。

 

「私も、人でいたい……私だって、誰かを愛したいし、愛して欲しい……」

 

「だろ?」

 

 法柿の荒い息が聞こえる。氷は彼の温もりを、身体の芯まで感じていた。だがそれは、ほんの一時の安らぎに過ぎなかった。

 

 今という時が、永遠に続けばいい……射水 氷は、切実にそう願っていた。嫌な過去も、重苦しい未来も、何も考えずに済む、今という時間が、永遠に続いて欲しい――

 

 

 ○●

 

 

 彼は、死劇の発端となる男だった。

 

 だが、所詮は発端でしかない。すべては『あの御方』のために――すべては『あの御方』の言葉のままに――すべては『あの御方』の予言のままに――すべてを『あの御方』の望みのままに――

 

 漆黒のローブをはためかせ、男はエンジュシティへと続く道の、小高い丘に立ち、コガネシティの夜景を展望していた。涙の雫のように透き通った水晶玉を手を、その手に握りながら。

 

 すべてが始まろうとしている。不思議な光を放つ、水晶玉の奥底を見つめ、男は考えていた。奴等の思い通りになどさせてなるものか……と。

 

 荒れた荒野に、花は咲かない。一度滅びた世界は、元には戻らない。それでも、滅ぼさなければならないほど、この世界は汚れ、力の均衡を保てなくなったのだろうか。それは違う。奴等の――奴の考えは間違っている。世界など、汚れたままでいいのだ。その中で”この力”を使い、すべての者の頂点に立てばいいのだ――この、私が。

 

 あの御方は、それを許してくださった。それだけでなく、私にチャンスまで与えてくださった。驚くほど鮮やかな手際で。

 

「恐ろしい御方だ――」

 

 戦慄したような声で、男は小さく呟いた。ふいに吹いた突風を、彼は普段よりも冷たいと感じていた。水晶玉を懐にしまい込み、コガネシティのきらびやかな夜景に背を向け、足早に歩き出す。

 

 あの御方には感情というものがないのか。奴を裏切ることを、なんとも思っていないのか。そもそも何を企んで、こんな事をしたのだろうか。私はいいように、あの御方に利用されているだけなのかもしれない。だが、それでもいい。あの御方は、約束してくださった。私が”この力”をつかい、世界を治めることを許してくださった。

 

「それなら、あの御方は、何をしようとしている――?」

 

 復讐なのか、野望なのか――ありとあらゆる可能性を思い浮かべる。思考の堂々巡りだった。一向に考えは、前へ進むことはない。彼の頭では、『あの御方』の考えは絶対に理解できないものなのだから、無理もない。自分が使い捨ての人形にされていることにすら気付かないのだから。

 

 夜の闇に溶けこんで、男は消えた。多くの死を、引きずりながら――

 

 

 ○●

 

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