刹那の夢と嘘の玩具   作:月影 梨沙

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#12 悲歌。
生存者


「あんたも、一人っきりになっちゃったんだよね」

 

 波の音が聞こえる。誰の声も聞こえない。無数の悲しみが今にも浮かび上がってきそうなほどに水面は青く、それでいて不気味なほど白い。

 

 少女は、海水に濡れ、額に張り付いた三つ編みの金髪を手で振り払うと、砂浜の上に仰向けに横になった。青空の彼方で輝く太陽が眩しい。小麦色の肌が、ジリジリと熱くなる。

 

「あたしも一人っきりなの。みんな死んじゃったからさ」

 

 こうなってから何日が経過したのだろうか。少女は呟きながら考えた。いつまでも、ここにいるわけにはいかない。こうしている間にも、『アレ』が奴に悪用されてしまうかもしれないから。でも――

 

「だけど今は、一人っきりじゃない。あんたとあたし達、3人いれば、それはもう一人っきりじゃないもんね」

 

 少女は立ち上がり、体に付いた砂を払うと、背伸びをした。

 

 その時、遠くの海に人影が見えた。物凄いスピードで、幾重もの人影が近づいてくる。人間だった。小さなヨットに乗って、数人が近づいてくる。まだ顔までは見えない。だが、なにか不安のような、胸騒ぎのようなものを、少女は彼らに抱いていた。

 

 少女は、まだ知らない。彼らが、途切れていた憎しみの連鎖を、再び繋ぎ合わせることになるなどとは。

 

 

 ○●

 

 

 穏やかな海が、どこまでも広がっている。柔らかな風が、心地よい水飛沫と潮の匂いを運んでくる。遠くに見える大きな島々が、うずまき諸島なのだろう。大きな島の周りに、小さな島が寄り添うようにして集まっていた。あの島々の中には、無人島も少なくないはずだ。

 

 アサギシティとタンバシティを結ぶフェリーボート、フラウロスは、うずまき諸島の名物である巨大な渦巻の上を通過しようとしていた。白い泡の混じった波に揺られ、大きく頑丈な船体が大きくふらつついた。シンボルマークの青い旗が、メトロノームのように左右を行き来している。

 

 ――何処かで見たことのある光景だ。懐かしい。でも、思い出したくはない――

 

 瑞穂は遊歩甲板から身を乗り出して、激しい渦巻を眺めていた。甲板から落ちないように、手すりをしっかりと握りしめている。激しく渦巻く波が、船側にぶつかり弾け、瑞穂の顔と水色のツインテールを仄かに濡らしていた。物珍しそうに渦巻の奥底を覗き込むその瞳は、好奇心の塊であるかのように見開かれている。

 

 顔を綻ばせながらも、少し寂しげな表情を浮かべて、瑞穂は呟いた。

 

「ユユちゃんも、一緒にくればよかったのに……でも、船酔いだからしかたないかな」

 

 ――私もそうだった。あの時も、船酔いして。その時、彼に――

 

 瑞穂は、隣で同じように渦巻を覗き込んでいるリングマとナゾノクサを見やった。

 

「すごいね、リンちゃん。ナゾちゃん」

 

 リングマの興奮した様子とは対照的に、ナゾノクサの瞳は冷え切っていた。瑞穂の声が聞こえていないのだろうか。凍り付いてしまったかのように、その表情は動かない。まるで、外界からの情報が、完全にシャットアウトされているのではないかと思えるほどに。

 

 ――知っている。私は、この光景を知っている――

 

 不思議そうに小首を傾げ、瑞穂はナゾノクサの頬を指先で触れた。

 

「どうしたの? なんだか変だよ?」

 

 ビクリと震える。ナゾノクサは瞬時に、睨むような目つきを瑞穂に向けた。思わず瑞穂は手を引いた。怯えているようにも、苛立っているようにも見えるナゾノクサの瞳は、異様な気迫を帯びていた。

 

 おそるおそる覗き込むように、瑞穂はナゾノクサの表情を眺めた。仮面のような無表情の裏で、感情の渦が――それこそ今、目の前で暴れている渦巻よりも――激しくのたうっているかのように、少女には思えた。

 

 揺れる地面から駆け上がってくる不安を胸に抱えながら、瑞穂はもう一度訊いた。

 

「ナゾちゃん? どうかしたの?」

 

 ――同じことが起きる。見える。そこにいる。奴が近くにいる。あの時と同じように――

 

 ナゾノクサは顔を上げ、焦りにも似た顔つきで、眼前に広がる海の、さらに先を見据えていた。霧の幕に包まれ霞んでいる水平線の中央に、朧気な影がひらひらと舞っている。瑞穂はナゾノクサにつられ、その影へと視線を移した。

 

「あの影、なんだろう──」

 

 何かの鳴き声が響き、その男が瑞穂の言葉を途中で遮った。非常に澄んだ、それでいてどこか物悲しげな鳴き声だった。瑞穂は流れてくる旋律に耳を澄ましながら、ふと思った。まるで歌のようだ。何かを嘆いているような感情の露呈――それが歌になって、渦巻と一緒に海上を彩っている。

 

「あの時と同じ……同じことが起きる……」

 

「え?」

 

 突如として聞こえた女の声に、瑞穂は振り向いた。誰もいない。がらりとした甲板が見えるだけだ。

 

 振り返ると同時に、足下で何かが瞬いた。爆発する音が響き、激しい音をたてて船が傾いた。夥しい量の海水が、波に乗って甲板を押し流す。それまでの揺れとは比べものにならないほどの振動と、突然の鉄砲水に押され、瑞穂は海に投げ出された。海面では渦巻が、瑞穂の小さな身体を飲み込もうと、大きな口を開けている。

 

 瑞穂は手すりをめがけて、手を伸ばした。だが、少女の小さく白い掌は、目標まであと数センチのところで、空気を掴むだけだった。

 

「くっ……リンちゃん!」

 

 リングマは屈強な太い腕を伸ばすと、瑞穂の左手首を掴み、引き上げた。瑞穂は脱力したようにその場に座り込むと、青ざめた表情で呟いた。

 

「ありがとう、リンちゃん。それにしても、何なんだろう? 今の揺れ……」

 

「逃げて」

 

 さっきと同じ、女の声がした。瑞穂はハッとした様子で声のする方を見やった。赤い光が、水飛沫で霞んだ視界の中でちらついている。瞳だ。爛々と赤く輝く瞳が、瑞穂の目の前にあった。

 

「ナゾ……ちゃん?」

 

 ナゾノクサは強張った表情で、瑞穂の顔を見つめていた。そして、はっきりと人間の言葉を話した。「逃げろ」と。「逃げなければ、死ぬ……」と。頭の奥がツンと痛くなるほど鋭い、真紅の閃光を放ちながら。

 

「それは、どういうことなの? 死ぬって……」

 

 言いながら、瑞穂は驚きに震えた。少女の語尾が掠れるのと呼応するように、ナゾノクサの足下に涙が広がっていく。涙は床で水たまりのようになり、赤い光を反射して、生々しい血糊がこびり着いているかのように見えた。

 

「あの時と同じよ。すべてが沈む。そして、哀しみに膨らんだ屍だけが浮き上がる――」

 

 その瞬間、爆炎が甲板を包み込んだ。リングマはとっさの判断で、庇うように瑞穂の身体に覆い被さった。オレンジ色の炎が、リングマと瑞穂を舐めるように襲いかかる。

 

 瑞穂はリングマの分厚い体毛の下から、辺りの様子を伺った。何が起こったのか。あまりに突然の出来事に、瑞穂は動揺を隠せなかった。少しでも、何か情報を得たい。それが、この自体を切り抜けるための唯一の方法に違いないのだから。

 

 炎が熱い。揺らめく業火の奥で、ナゾノクサは燃えていた。身体にまとわりついている炎など気にもとめずに、ナゾノクサは叫び続けていた。

 

「そして誰かを憎まなければ、そうやって逃げなければ、生きていけなくなる――だって『生存者』は罪人だから――浮き上がってきた死体の視線に耐えられるほど、人間は強くないもの!」

 

 熱風によって流された黒煙が、瑞穂の視界を遮った。だが、船体の中央から溢れ出る閃光は、黒煙に満ちた海原であるにも関わらず、燦然と輝いていた。殺意、憎しみ――すべてを焼きつくす光として。

 

 

 ○●

 

 

「リリィ、ご挨拶なさい」

 

 面白くなさそうに膨らませた白い頬を、リリィはプイと父親から背けた。誰にも聞こえないほど小さな溜息をつき、眩しく煌めくエメラルド色の長髪を掌で軽く整えると、視線だけを相手に向け、次に軽く微笑み、しなやかに、それでいて丁寧に頭を下げた。

 

「リリィ・エルリムです。父のお友達の方ですよね?」

 

 顔を上げて、相手の顔を見つめる。髭を生やした中年の男が、にこやかな表情で頷いている。

 

 だが、所詮それは仮面だ。リリィの心は憂鬱に曇っていた。自分もそうなのだと、曇った心に自分の声が響く。父も、父の友人というこの男も、そしてリリィ――自分自身も、仮面をしているのだ。偽物の微笑み、偽物の言葉、そして偽物の『友人』という関係。すべては『名家』という看板を維持するためだけ――言い切ってしまえばカモフラージュに過ぎないのだ。これから行われるパーティーの存在も。

 

 三年に一度、エルリム家が主催するパーティーは今回で3回目を迎えた。表向きの開催理由は、他の名家との交流ということになっているが、実際にはエルリム家の力の強さを他の名家へ見せつけるために過ぎない。その為か、開催する度に規模が大きくなり、とうとう今回は高速客船の一等キャビンを丸ごと貸し切るまでに至った。

 

 人間の見栄は、時に海よりも深く、底が見えないほど肥大化することもある。リリィはそんな人間の見栄が大嫌いだった。そして、それに踊らされている父と、それに踊り狂って死んだ母を憎んでいた。もちろん、そこから抜け出せない自分自身も――

 

 中年の男はリリィの挨拶に応じた。今まで相手をした、どのジェントルマンよりも丁寧な口調で、なおかつ紳士的な仕種をしていた。まるで、他人に見せつけているかのように。

 

 その時、リリィの退屈そうで虚ろな瞳が、中年の男の後ろに映った影を捉えた。人の影だった。リリィと同じくらいの背丈をしている。

 

 中年の男は、リリィの視線に気付いたのか、背中の方に隠れていた少年を、リリィの前へと引き出した。少年は、おとなしそうな瞳をリリィからそらし、恥ずかしそうに俯いている。中年の男の息子なのだろう。男は少年の肩に掌を乗せると言った。

 

「おまえも挨拶なさい。この子は、エルリム家のお嬢様なんだからな」

 

 一瞬、リリィはその言葉に悪意のようなものを感じ取った。エルリム家の人間でなければ、ただの小娘だろ、というニュアンスの侮蔑がこめられているような気がしたのだ。

 

 リリィは誰にも気付かれない程度に、相手の中年の男を睨み付けた。それに呼応するように、少年は口許を緩め、首をすくめた。だが、瞳の奥は暗く沈んでいた。口調も、明るさや抑揚を欠いていた。

 

「ライム……シャクジエルです――」

 

 ライムと名乗った少年は、か細い腕を躊躇いがちにリリィの前へと差し伸べた。

 

「よろしくおねがいします」

 

 リリィは牽制するかのような目つきでライムを眺めると、彼の白い掌に視線を落とした。そして、おそるおそる手を伸ばし、握った。驚くほど冷たく、それでいて華奢な彼の指先に力がこもった。握り返されていた。リリィは慌てたように、握手していた腕を振りほどき、彼の顔へと視線を移した。彼女の掌は小刻みに震えており、汗ばんでいた。

 

「どうしたんです?」

 

 ライムは不思議そうに瞳を見開き、リリィの紅潮している顔を覗き込んだ。彼女はライムから目を背けて、下唇を噛みしめている。額には汗が滲んでいた。

 

「どうしたのさ?」

 

「話しかけないで――」

 

 軽く左右に頭を振り、リリィは上目遣いでライムを睨み付けた。そして彼の頬に息を吹きかけるようにして、小さく囁いた。

 

「私、嫌いよ。あんたたちみたいなの……周りに流されて、心に仮面をつけて、本当の自分を押し殺してるような人間なんて。そんな虚しい自分を、周りからの嘘で納得させている弱虫なんて……嫌いよ」

 

 ライムは、しばらく唖然とした表情で彼女のつり上がった目を見つめていた。そこに彼は、暗い憎悪のようなものを見いだしていた。なぜなら、まったく同じものを自分自身も心の奥底に秘めているから。

 

 リリィの小刻みに震える指先に手を添えると、彼ははにかんだ微笑みを見せた。だが、それもまた、親や大人の前だけで見せる偽りの微笑み。名家に生まれた人間は、いつしか親と同じような仮面をつけさせられる。そして大人になる頃には、その仮面が自分の本当の顔だと勘違いしてしまう。だから許せないのだ。大人達は、自分の知らない顔を持つ子供が許せないのだ。

 

 だから自分も、子供に仮面をつけることを強制する。それが繰り返される。

 

「そうですよ、今の僕は……僕じゃない。どうしてわかったんです?」

 

「私も――あんたと同じだから――」

 

 二人の声は小さく、大人達には聞こえていないようだった。大人達は、大人の会話をしている。仮面を隔てた、腹の探り合いを。

 

「だから、私は自分が嫌い。みんな嫌いよ――」

 

 ライムは呆然としていた。哀れむように目を細め、静かに彼女を見つめている。

 

 彼を睨み付けていた瞳を背け、リリィは無言のまま背後に佇む高速客船に目を向けた。鉄でできた巨大な船体は、二人の行く末を暗示しているかのように、蒼と赤の相反するペイントが施されていた。

 

 鮮やかな船体の中央には、船の名前を示すプレートが見える。海に反射する光を浴びて、プレートは波打つような輝きを見せていた。

 

「あの船、グラシャラボラスっていう名前なんだ――」

 

 

 

 

 ――その名は悪夢を呼び覚ます。燃え盛る炎、無数に広がる恐怖の光、そして閃光。眩いばかりの光景の果てに、悲鳴だけが焼きついて、荒れる大海原を紅へと、血の色へと染めていく。

 

 やがて、浮かんでくる屍体。瞳を覆う、死の色。何も見ていないようでいて、しっかりとこちらを睨み付けている形相。すべてが、その名から始まった。その悲劇から始まった。グラシャラボラスという墓場から――

 

 そして、また同じことが起こる。その繰り返しが続く。

 

 

 ○●

 

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