刹那の夢と嘘の玩具   作:月影 梨沙

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見えない殺意

 ミルは月の光を背に向けて語った。

 

 瞼を閉じれば甦る、炎の呻きと稲妻のように鋭い閃光。沸き上がる煙の中に見えるのは、焼け爛れ助けを求める人間の姿だけ。

 

「あたしは、あの男を追いかけてグラシャラボラスに忍び込んだ――」

 

 瞼を閉じれば甦る、容赦なく人を沈めていく荒波と叫び声を掻き消す風の音。いつも、いつでも、思い起こす度に瞼の裏が熱くなるのは、あの時の熱さを思い出すからだろうか。それともただ単に、流れ出てしまいそうな涙を堪えているだけなのだろうか。

 

「あの男は、船を沈めた。深海の涙の力で、あのポケモンを操って」

 

「あのポケモン――?」

 

 炎の間から見える、二つの巨体。美しい歌声のようなあの鳴き声が、苦しみに悶え苦しむように歪んでいく。その歪みが限界を超え、すべてを焼き尽くす閃光が船を切り裂いていく――

 

 ミルの冷えた指先に、瑞穂はそっと触れた。彼女の閉じられた瞼の裏に映しだされた、哀しみの連鎖の始まりを知るためには、そうするしかなかったから。

 

 

 ○●

 

 

「あんた、まだ誰かを殺すつもりなの? どうして、こんなことするのよ!」

 

 船は沈みかけていた。眼下に広がる海は、大きな口をあけて悲鳴ごと人々を飲み込んでいる。

 

 存在する意味を失った船の残骸は、生き残ろうと、浮上しようとする者の行く手を阻み、最期の泡と一緒に、海底へと消えていく。

 

 運良く海面にでられた者も、高速で空回りするスクリューに巻き込まれ、紅い屑として青黒い海面を汚すだけだった。

 

「そんなに理由が欲しいか?」

 

 黒いローブの男は言った。嘲笑うかのように。あの時と同じ笑みで。あの時と同じ、余裕に満ちた眼で。

 

 怒りよりも、許せないという気持ちよりも、嫌悪感が真っ先に全身を包んだ。灼けるような炎の中にいてなお、鳥肌がたった。

 

「わけわかんないわよ……なんで理由もなしに人を殺せるの? こんなことして、あんたに何の得があるっていうのよ」

 

「理由は無いわけじゃない。強いて言うなら、しつこく私の後を追いかけてくる、君への見せしめだな」

 

 男の声に感情はこもっていなかった。いかにも頭の中で適当に並べ立てた言葉を、ぽんぽんと口から放り投げるような言い方だった。

 

 嫌悪の波が通り過ぎていくと同時に、怒りの感情が遅れて、ミルの胸に沸き上がってきた。歯を食いしばり、男の全身を睨み付ける。

 

「あんたねぇ……」

 

 ミルが怒りにまかせて、何かを言いかけた、その時だった。男の脇をすり抜け、ミルと同じくらいの年の少女が飛び出してきた。眼は狂ったように明後日の方向を向き、海へ向かって半身を乗り出すと、身体を捩るようにして胃の中のものを吐き出し始めた。

 

 泣きながら、何かを呟きながら、少女はすべてを吐き出し終えた。その名の通り、からっぽの抜け殻になってその場に座り込んだ少女は、言葉にならぬ嘆きの声に濡れていた。

 

「――非道い。あんた、こんなことして、本当に平気なの?」

 

 大きくうねる波。船は傾き、少女は海へと投げ落とされた。ぷくぷくと泡とともに少女は沈んでいく。魂の抜けた力のない瞳は、ゆらゆら揺れる海面をじっと見つめ続けていた。

 

 ミルは男からも、少女からも目をそらし、黒煙の中で蠢いている二つの巨体を見やった。今まで彼女が出会ったポケモンの中で、最も大きなポケモンだった。

 

「あのポケモン、絵本で見たことがある――たしか、カイリューって名前で」

 

 竜の姿をしたカイリューという名のポケモンは、お互いに争っているようだった。ただ争っているのではなく、暴れる片方を、もう片方が抑えつけているように見えた。

 

 その証拠に、暴れている方のカイリューの眼は、あの時――町を焼きつくした時のリザードンのそれと全く同じだった。血走った瞳に映っているのは、狂気への道しるべだけだった。

 

 片方の暴走を抑えていた方のカイリューが海面になぎ倒された。暴走したカイリューは口を開き、大きく息を吸い込むようにして仰け反った。

 

 閃光が走る。カイリューの破壊光線が船の残骸を縫うようにして、海を切り裂いた。傷痕から浮かび上がってくるのは、黒く焼け焦げた無数の屍体。その屍体の中には、さっきの少女も含まれていたかもしれない。だが、もう誰が誰なのか判別することすらできなかった。

 

「もう、やだ――やめさせてよ。こんなこと、こんなこと」

 

 呆然と呻くミルを余所に、ファルズフは静かに歩き出し、赤く滲んだ海面を覗き込んだ。愉快なショーでも見物しているかのように瞳を大きくを広げ、男は言った。

 

「これでわかったかい? もう、私やあの御方には関わらないことだ。虹の瞳を渡して、故郷へと帰れ」

 

「うるさい! みんなを焼いたのは誰よ! しらじらしい」

 

「だから帰れと言っている。両親の元へと」

 

 ファルズフは手に持った深海の涙に力を込めた。海に向かって破壊光線を乱射していたカイリューが振り向き、ミルへと標準を定めた。

 

 カイリューの口から光が漏れた。あまりの眩しさに、ミルは両手で眼を覆った。波が、数秒後に迫った衝撃波を予知しているかのように、静まり返る。

 

 だが、破壊光線はミルへは放たれなかった。光は空へと伸びていき、上空に広がる黒煙を突き抜けて消えた。ミルは恐る恐る両目を開き、カイリューへと視線を向けた。

 

 カイリューは動いていなかった。ただ空を見上げ、苦しそうな瞳で、もう片方のカイリューを見つめていた。

 

 暴走を抑えようとしていた方のカイリューの腕を、真っ赤な鮮血が滴った。その血は、暴れていた方のカイリューの喉元から流れ出ていた。カイリューの短いながらも鋭い爪が、もう片方のカイリューの喉笛を引き裂いていたのだ。

 

 二匹のカイリューは、もつれ合ったまま海に倒れた。その衝撃で生まれた赤い波は、グラシャラボラスに最期の時を告げた。船はこれ以上分解することもなく、消えていく波に引きずられるように、海中へと沈んでいった。

 

 海へと投げ出されたミルは、同じく海へと投げ出されたはずのファルズフを探した。だが、目立つはずの黒いローブは何処にも見当たらなかった。男は、深海の涙の輝きを隠したまま、どこかへと消えていた。

 

 

 ○●

 

 

「あのカイリューは、あたしを守るために――というより、これ以上、誰かを殺させないために、自分の仲間を殺した」

 

 握り締め、汗ばんだ掌を海水で洗い、ミルは濡れた指で火照った頬を冷やした。笑っているわけでもなく、哀しみに沈んでいるわけでもない、奇妙な表情をしていた。鬱ぎ込んでしまいそうな哀しみの気持ちと、それに拮抗するかのように明るく振る舞おうとする気持ちが入り混じっているのだろう。

 

 これ以上、痛々しい表情もないな、と瑞穂は思った。腰を浮かし、静かな海へ顔を覗かせる。小さな波を隔てて映りこんだ自分の表情は、ミルとは対照的に感情そのものが消えていた。

 

 心が沈みきっているこんなとき、どんな表情をすればいいのか、瑞穂は感覚的に知っていた。今まで何度も悲しいことがあるたびに、涙を流すたびに、少女は悲しみを最小限に抑える方法を覚えていった。

 

 悲しむ顔を誰かに見られるから、余計に悲しくなるのだと。いったん涙を流してしまえば、決壊したダムのように歯止めが利かなくなるのだと。射水 氷と同じように表情そのものをなくしてしまえば、悲しみは最初の一波だけで終わる。

 

 だが、その表情は、ミルのそれよりさらに痛々しく見えた。所詮は、涙で汚れた顔を仮面で隠しているにすぎないのだから。瑞穂は微かに瞳を細め、両手で海水をすくいあげ、顔を洗った。冷たく凍りついた自分の表情を拭い取るように。

 

「人のこと、言えないね」

 

 さっぱりとしたように、つぶらな両目を大きく広げ、瑞穂は軽く呟いた。ミルが思わず振り返り、不思議そうに瑞穂を見つめる。

 

「なんのこと?」

 

「ううん、なんでもない。それよりも、そのカイリューの話、昔話で聞いたことがある」

 

「昔話?」

 

「うん。あ、昔話っていっても、私もつい最近、知り合いに教えてもらったばかりなんだけどね」

 

 焦れたようにミルは首を大きく横へと振った。「誰もそんなこと聞いてない!」

 

「ご、ごめん……」

 

「それで、その昔話のこと、教えてくれる?」

 

「うん……それはいいけど。それよりも、あのあと、どうなったの?」

 

「なにが?」

 

「そのカイリューのことだよ。私たちの乗っていた船――フラウロスが爆発した原因は、そこにあるんじゃないかと思うんだけど」

 

 ミルは視線を足下にそらし、ゆっくりと立ち上がった。金色の三つ編みが、朝焼けの眩い光を反射してキラキラと揺れる。

 

「まだ、終わってないよ。この話は」

 

「終わってない? それって……」

 

「あいつらが、途切れてた鎖を繋ぎなおしたから」

 

 憎しみの連鎖という名の、鎖を。

 

 

 ○●

 

 

 空は荒れていた。蠢く黒雲が、強い潮風と止めどない雨を振り下ろしてくる。時折、雲の間が光り、轟音とともに大地を雷が貫く。

 

 雷鳴とともに、一斉に光を失うアサギの街を灯台より見下ろし、ジムリーダーの少女、ミカンは小さく息を呑んだ。ガラスに触れるその指先に、微かな冷汗が浮かぶ。

 

 焦げついたような朝焼けを見たときから、不吉な予感はしていた。ジムリーダーとしての仕事を早々に切り上げ、デンリュウの様子を確かめに灯台へ上ったとき、それは予感ではなく確信に変わっていた。

 

 酷く怯えるデンリュウと、灯台から見渡せる、静まり返った紫色の海。底から響く不気味な音。

 

「アカリちゃん」

 

 ミカンはデンリュウへと振り向き、ゆっくりと手を伸ばし、首筋を撫でた。

 

「そんなに怯えなくても大丈夫よ」

 

 パチパチと火花をたてて放電するデンリュウを宥めながら、ミカンは再び窓の外を見やった。アサギの街は、悲鳴のような軋みをあげる窓ガラスの向こう側で、どんよりと暗く沈んでいた。

 

 ミカンは懐からモンスターボールを取りだし、握り締めた。デンリュウの額を撫でつつ、彼女は立ち上がり、仄かに光る海原を見つめた。

 

「来た……!」

 

 ミカンの声に呼応したかのように、海面が瞬いた。鏡が砕けたように波紋が広がり、その輪の中心から、太い光の帯が空へと放たれた。強力な破壊光線である。破壊光線の衝撃は海を沸騰させ、灯台の窓ガラスをすべて粉々に砕いた。

 

 ミカンは握り締めていたモンスターボールを割れた窓から外へと放り投げた。

 

「いくのよ!コイル!」 

 

 モンスターボールからあらわれたのは、磁石ポケモンのコイルだった。左右のユニットで重力を遮断し、コイルは海上をふわふわと浮遊している。

 

「コイル! 海の中に何がいるのかを探知して」

 

 指示どおりにコイルは超音波を発し、海中の様子を探った。解析が終わると、コイルは回転しながら上昇し、ミカンに金属音を出した。

 

「大きな……大きなポケモン……? いままでで、一番大きな……! 私のハガネールよりも?」

 

 コイルは頷いた。ミカンは海面を見やった。先程と同じく、眩い光が満ちている。

 

「次が来た! 避けて! そのあとにソニックブーム!」

 

 第二波が海中より放たれた。不規則な浮遊能力を活かして、コイルは寸前のところで破壊光線を避けた。遅れてやってくる衝撃波は、ソニックブームでなんとか威力を相殺した。

 

「コイル、大丈夫?」ミカンの問いに、コイルは金属音を返す。だが、その姿は見えない。

 

 いつの間にか、破壊光線の熱によって蒸発した海水が、水蒸気となってアサギの街を包んでいた。白い水蒸気の奥から響いてくる声は、歌のようでもあり、なにかの鳴き声のようにも聞こえた。

 

 やがて水蒸気は晴れていった。朧気だった影は、段々とその輪郭を露わにしていく。海面からあげる水飛沫の中央から顔が覗く。巨大なカイリューの姿が海の裂ける音とともにミカンの目の前に現れた。彼は何かを嘆くように咆哮し、澄んだ歌声を掻き消す。

 

 割れた窓から身を乗り出し、ミカンはカイリューの悲しみに満ちた瞳を見据えた。

 

「このポケモン――何かを悲しんでる、一体何を悲しんで――」

 

 

 ○●

 

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