刹那の夢と嘘の玩具   作:月影 梨沙

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彷徨いの末と衝動

 ――あんたも、一人っきりになっちゃったんだよね

 

 波の音が聞こえた。他には、誰も声も聞こえることなく、無数の想いが今にも海面を染め上げてしまいそうなほど、水平線は純白で、それでいて不思議なほどに動かない。

 

 三つ編みの少女は身体についた海水を払い落とすと、砂浜の上に仰向けに横になり、小麦色に焼けた掌で太陽の光を遮りながら、カイリューと青空を交互に見比べた。

 

「あたしも一人っきりなの。みんな死んじゃったからさ」

 

 ミルが何を話しているのか、カイリューは正確に理解することはできなかった。ただ、自分と彼女は似た境遇にあるということだけは、彼女の口ぶりからわかった。

 

 お互い、帰る場所もなく、これから行くあてもない、ということ。自分の居場所を失った者と、自分の居場所を探し続けて彷徨う者。少しの違いはあっても、二人を結ぶ共通点であることに違いはなかった。

 

 カイリューは1人で延々と話し続けるミルを眺めた。彼女が明るい少女だったのは、カイリューにとって幸運だった。内に秘めた悲しみを心の底へと押し込めながらも、絶えることのない彼女の笑顔は、カイリューの大きな心の支えとなっていたからである。この無人島へ上陸してから数日の間で、ミルとカイリューはお互いに必要な存在となっていた。

 

 ミルは立ち上がり、背伸びをした。背中についた砂を払い落とすと、少女は遠くへと目を凝らし、一言呟いた。

 

「あれ、人影だよね。小さなヨットみたいなのに、誰かが沢山乗ってる」

 

 カイリューは顔を上げた。ミルの視線の先には、確かにヨットのような小船に複数の人間が乗り込んで、こちらへ、かなりのスピードで向かってくるのが見える。黒いユニフォームを着た、怪しい男達だった。

 

「あの人らさ、どう見たって、海のおまわりじゃないような気がするんだけど」

 

 怪訝そうに眉をひそめ、ミルはカイリューへと振り向いた。

 

「おかしいじゃんね、あんな全身、黒づくめで。あたし思うんだけどさ、ああいうのって大体悪い奴等って、決まってるんだよね。そう思わな……」

 

 突然、ミルの声が途絶えた。同時に鋭い激痛がカイリューの足を貫いた。

 

 ミルの小麦色の肌から血の気が引いていく。何が起こったのかもわからずに、彼女は胸の辺りに手をやった。生暖かい液体の感触と、鼻をつく血の匂いが同じタイミングでミルを襲った。

 

 唇が震え始めた。感情によるものではなく、急激な出血による痙攣である。左右に泳ぐ少女の瞳は、真っ赤に充血し、その動揺の大きさを物語っていた。

 

「痛い……」

 

 搾るような声で、それだけを呟く。

 

 カイリューは痛みを堪え、ミルを見やった。全身を血に染め、でくの坊のように突っ立っているミルの胸元は、彼女の腕よりも太い銛によって貫かれていた。銛はそのままカイリューの足に突き刺さっていた。

 

「ハハッ! まさか『サンプル』採取の帰りに、こんな大物に出くわすとはな」

 

 黒づくめの男達が口々に叫んだ。

 

「もしかしたら、あいつも『サンプル』の可能性があるんじゃねえの?」

 

「どちらにせよ、俺らで奴を捕獲するぞ!」

 

 カイリューは頭を持ち上げた。男達の乗る船の先端には鋭く太い銛が数本突き出ているのが見えた。その内の一本が、ミルの身体を貫き、自分の足に突き刺さっているのだ。

 

 ミルは噛みしめていた口を開いた。涎とともに溢れ出てくる、真っ赤な鮮血。胸に突き刺さったワイヤーのせいで、倒れることも、しゃがみ込むこともできずに、痛みに喘いでいる。

 

 カイリューは、足に突き刺さった銛を抜き取り、ワイヤーを引きちぎった。荒い息づかいで男達を凝視し、大きな口をゆっくりと開く。

 

 支えを失ったミルは、砂浜に倒れた。白い泡を交えた波は、次第にミルの血によってピンクに染まっていく。血と海水に濡れながら、半身を起こし、カイリューと黒尽くめの男達を交互に見つめた。

 

「おい、あのポケモン、俺らロケット団に歯向かうつもりらしいぞ」

 

 男の1人が言った。カイリューの大きく開かれた口の意味にも気付かずに。

 

「ロケット団……ロケット団が、どうしてこんなところに……」

 

 薄れていく意識の中で、ミルは呟いた。

 

「それに、『サンプル』って、一体、なんの……」

 

 声がでなくなった。代わりに猛烈な痛みと黒々とした血の塊が、胸の奥からこみ上げてくる。額と頬が灼けるように熱く、変に粘りけのある汗が、全身から噴き出してくる。

 

 だが、熱さの原因は胸の傷だけではなかった。カイリューの口から高温と眩い光が漏れていたのだ。

 

「まさか……」

 

 咄嗟に、ミルは海の中へと飛び込んだ。カイリューは破壊光線を撃とうとしているのだ。

 

 ミルの予想通り、破壊光線は放たれた。巨大な光と熱が、海を切り裂き、男達の身体を焼き尽くす。物凄い轟音が、男達の命と悲鳴を次々と飲み込んでいく――

 

 

 ○●

 

 

「なんで、あたしだけが生き残るのかな……」

 

 胸の宝玉を握り締めながら、ミルは語った。

 

「そりゃあ、この珠がある限り、あたしは死なないし、死ねないよ。少なくとも、もう一つの宝玉を取り戻して、お互いの力を封印するまではね。だから、グラシャラボラスが沈んだときも、カイリューの破壊光線に巻き込まれて、数ヶ月も海の中を彷徨っても、私はこうやって、とりあえずは生きてる。だけどさ──」

 

 ミルは力なく項垂れていた。軽く日焼けした肩に、一粒、二粒と小さな雫が降り注ぐ。どんよりと暗い空は、彼女の心を反射し映しだしている鏡なのではないか。と、瑞穂は思った。勢いを増していく雨は、歯止めの利かなくなった彼女の悲しみ、そのものなのではないか。

 

「なんで、あたしだけなの? あたしの行く先々で、みんな……全員だよ、死んじゃうなんてさ」

 

 まるで、あたしが疫病神みたいじゃない。小さく小さく呟く。

 

「最近、思うんだけどさ。もう、こんな面倒なこと止めて、死んじゃおうかなって思うことあるんだ。自分から死ぬのは簡単なんだよ。この珠を――手放すだけだから」

 

 ミルの手の中で、赤い珠は虹色の光を放っている。ネックレスから外し、拳の力を緩めるだけで珠は重力に従って落下し、海の砂へと埋もれることだろう。そして彼女は完全に消滅する。彼女の身体を生かし続けているのは、『虹の瞳』の力なのだから。

 

「そんなの……」

 

「そんなん、あかんで!」

 

 瑞穂が言う前に、ゆかりは言い切った。眠そうに目を擦りながらも、瞳の奥は鋭く尖っていた。

 

「ユユちゃん――」

 

「あんな、お姉ちゃん、そんなことしたって、意味ないで」

 

 ゆかりは雨に濡れた手で、ミルの頬をつねった。

 

「ちょっと! 痛いじゃないの!」

 

「死ぬのは、もっと痛いんやで!」

 

「ふたりとも、やめなよ」

 

 少し照れたように口許を緩め、瑞穂は二人の間に割って入った。大きく溜息をつき、ミルはゆかりと瑞穂に背を向ける。

 

 その時だった。ミルの胸の珠の輝きが微かに増した。彼女は胸に手を当て、激しく鼓動を続ける心臓へと珠を押しつけた。びくん、びくん、びくん。背中が一定の間隔で、大きく振れる。

 

「どうしたの?」

 

「珠が、反応してる。大きな力と、大きな悲しみに」

 

「大きな……悲しみ……?」

 

 ミルは何も言わずに、モンスターボールからリザードンを呼び出した。リザードンは雨に怯むこともなく、空へ向かって大きな炎を吹いた。

 

「あのカイリューが、アサギの街で暴れてる。あたしのせいだ――あたしがいるから、こうやってどんどん人が死んでいく。止めに行かなきゃ」

 

 痛みを堪えるように目を閉じ俯いて、瑞穂は首を横に振った。

 

「それは違うよ。別にミルちゃんは悪くないし……」

 

「それじゃ、約束して」振り向きざまに、ミルは叫んだ。

 

「え?」

 

 唐突に叫ばれ、瑞穂はどぎまぎしたように目を見開いた。ばつの悪そうに指をもじもじさせ、上目遣いでミルの怒っているような顔を見つめた。

 

「約束って、何を?」

 

「瑞穂ちゃんは、死なないでね――」

 

 それだけ言うと、ミルはリザードンに飛び乗った。鼻から小さく火を噴き、リザードンは背中に生えた大人二人分ほどの大きさはある羽根を羽ばたかせる。

 

「ちょっと待って!」リザードンの巻き起こす風に負けじと、瑞穂は声を張り上げた。

 

「なんで?」

 

 ミルの問いかけに、答える前に瑞穂はゆかりを抱きかかえ、ミルと同じようにリザードンに飛び乗った。

 

「ちょっと! 何考えてるのよ」

 

「私達も行く」

 

「バカ? 死ぬかもしれないのよ」

 

 リザードンは大きく咆哮し、飛び立った。島には、リザードンの羽ばたきによって生じた砂煙だけが残った。

 

「このまま、ほっとけないよ。それに、誰かを助けるのに理由はいらないでしょ」

 

「もう知らない。勝手にすれば?」

 

 呆れたように吐き捨てたあと、ミルは小さく呟いた。

 

「約束破ったら、ぶん殴ってやる――」

 

 

 ○●

 

 

「コイル! 電磁砲!」

 

 コイルはカイリューへロックオンし、電磁砲を放った。だがカイリューに決定的なダメージを与えることはできなかった。一瞬だけ身体が光り、小さな煙が上がるだけで、怯む気配はどこにもない。

 

「やはりコイルだと、あのカイリューには力不足のようね」

 

 ミカンは透けるように白い指先で、額から流れ落ちる雨を拭った。冷たい雫を振り払い、空を仰ぎ見る。

 

「雨……これがなければ」

 

 滝のような雨は、コイルの空中での移動速度を極端に低下させるとともに、電磁砲の威力を分散させてもいた。ミカンは数回の攻撃で、それを悟っていた。

 

 意を決したように頷くと、ミカンはもう一つモンスターボールを取りだした。コイルに合図を送り、そのまま灯台の頂上から飛び降りる。

 

「今よ! ハガネール!」

 

 モンスターボールから飛び出したのは、鉄蛇ポケモンのハガネールだった。ハガネールは、カイリューに勝るとも劣らない巨大な体を捻り、カイリューへと向き直った。

 

 一方、ミカンは下で待機していたコイルの電磁壁によって、無事に地面へと降りていた。

 

「ハガネール! 日本晴れ!」

 

 ハガネールの巨体が白く輝きだし、空を照らす。黒雲は光を避けるかのように消滅していく。眩いばかりの太陽が顔を覗かせ、あたりの日差しが強くなった。

 

「そのまま嫌な音で攻撃!」

 

 ミカンの指示どおりに、ハガネールは身体を捩らせ、全身から嫌な音を鳴らした。

 

「これで、あのカイリューの攻撃力を封じることが……」

 

 呟きながら、ミカンはカイリューを見やった。だが、カイリューの姿は見えない。強い日差しを遮るほどの、大規模な白い霧がカイリューの身体を覆っていたのだ。

 

 霧の奥で光が集まっていく。それまでの黄色い光ではなく、赤い炎の色をした光が。ハガネールは咄嗟に防御の姿勢をとり、ミカンを守ろうとした。

 

「これは、破壊光線じゃない。だめ! 逃げて!」

 

 ミカンの叫びも虚しく、強力な威力の炎攻撃、大文字がハガネールの身体を包み込んだ。地面に頭を何度も打ちつけ、もだえ苦しむハガネールを前にミカンは何もできずに立ちすくんだ。

 

 カイリューが破壊光線の体勢をとった。ミカンもろともハガネールを消し去ろうとしているのだ。ミカンは仕方なく、ハガネールをモンスターボールへとしまい込んだ。これで終わり――ミカンの脳裏にその一言が浮かび上がった。目を閉じる。瞼を隔てても、破壊光線の光は眩しく、熱い。

 

 アサギの街を守りきれなかったという無念さから、ミカンの肩は震えていた。それと同時に、カイリューの瞳に浮かんだ、不可解な悲しみと怒りの意味を知りたかった。何故なら、自分は――アサギの街は、カイリューに殺されるのではなく、そこに秘められた悲しみと怒りによって破壊されるのだから。

 

 

 ○●

 

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