1.天音 永遠編
Side 陽務楽郎
「おーい、ペンシルゴ・・・」
ん、と最後まで言いかけて言葉を止める。
今はゲームの中ではない。現実だ。
彼女はゲームにおいて文房具に端を発する名前をキャラクターによく使う。
その中でも割とよく呼んでいた名前で呼ぼうとして一つの約束を思い出した。
『ゲームはゲーム。現実は現実。
だから、現実ではゲームの中での名前で呼ばないこと』
彼女と付き合って、結婚する前に約束したことだ。
じゃあ何と呼んでるかって、そりゃぁ……
「おーい、トワさん!」
さん付け、なのが微妙に尻に敷かれてる感を出しているが、
彼女の方が年上なのだ。
さん付けでなくてもと彼女は口を尖らすが、どこかの邪教徒に呼び捨てで呼んでいる場面なぞ
見られようものなら間違いなく後ろから刃物が飛んでくる。
もちろん、そんな理由はちっぽけな・・・いや、そうでもないか。
理由の大体三割くらいを閉めているのだが。
残りの理由、それは……
「ん、何か用かな、ダーリン?」
家の中でありながら、薄く化粧をして隙など見せる様子もない天音永遠……
いや、結婚して苗字を変えたのだから陽務永遠が姿を現した。
ダーリン、と呼ぶ時は大体において機嫌が良い時だ。
まぁ、初めにそう呼ばれて彼女の前に晒した顔がとても面白かったから
というのがたまにダーリン呼びする彼女の理由だ。
「コーヒー淹れるけど、飲むか?」
久々の休みが合った休日の朝。
武田氏のようにクソゲー御殿を建てるのが俺の夢ではあるのだが、
それはそれとして武田氏が示してくれた人生プランに乗っかり、
そこそこ仕事が忙しく、そこそこ休みがまとまって取れる、
そんな仕事に就いた俺と、未だにモデルとして一線級、いやトップをひた走る彼女との
休みが重なることは珍しい。
結婚当初、あまりにも顔を合わさない時期があり、
休みが合うときは日が出ているうちに起きて日が沈むまでは
お互いに現実で一緒に過ごすという取り決めがいつのまにやら出来ていた。
実家が趣味人ばかりで食卓は一緒に過ごすという取り決めのあった
実家の亜種だと考えればどうということはない。
「あ、飲む飲む。楽郎君の淹れたコーヒーは美味しいからね」
とあるクソゲーをクリアするために、コーヒーの淹れ方を学びにアルバイトとして入った喫茶店。
そこの店長に気に入られ、豆の良し悪し、炒り方、挽き方、抽出方法を懇切丁寧に教えてもらった。
当初はゲームをクリアするまでと考えていたのだが、
存外に居心地がよく、結局卒業するまで続けてしまった。
何となく過去を思い出しながら淹れたコーヒー。
マグカップに注ぎやや小さめの方を彼女に差し出す。
両手で包むようにマグカップを持つと一通り香りを楽しみ
一口目を味わうようにゆっくりと飲む彼女。
鼻から抜ける香りの余韻を楽しんでいるようで、リビングのソファに座った永遠は
目を閉じて黙ったままだ。
そんな永遠の様子を見ながら、自分も隣に座ると一口啜る。
良い出来だ。店長から教わった、良い出来だと思えるものしか出してはならない。
その言付けはいまだに守れているようだ。
「朝に楽郎君のコーヒーを飲むと休日、って感じがするわ」
マグカップをテーブルに置き、笑みを浮かべてこちらを見ながら彼女は話を始める。
「先週で丁度仕事もひと段落してね。落ち着いて過ごせそう」
トップモデルの彼女は忙しい。あっちにこっちにと引っ張りだこだ。
栄養バランスの乱れと睡眠不足は美容の敵と公言するも、
実際の彼女の睡眠時間は足りていないだろう。
本当に僅かながら、疲れが見て取れる。
それに気づくようになったのも、恥ずかしながら本当に最近なのだが。
「そうそう、カッツォ君、ついに年貢の納め時らしいよ?」
「えっ!?マジで?どっちがドレス着るんだ?」
ドレス姿の魚臣とタキシード姿のシルヴィアの姿が脳裏にちらつき、
思わず聞いた言葉に彼女は噴き出した。
「ちょっとそれはヒドイんじゃない?
でも、あながち間違ってなさそうなのが怖いわね」
続く言葉にどうやら同じ姿を脳裏に浮かべていたらしいことが分かる。
「まぁ、二次会の余興だったらアリかもだけど……
さすがにウェディングドレスは憧れの象徴の一つよ?」
それはそうか、と納得すると、視界の隅で端末が震えたのが目に入る。
タイミングが良いのか悪いのか、手に取って見れば噂の主、魚臣からだ。
ついに結婚することになったため、魚臣側の友人として参加してほしいという依頼だった。
「ついに、ってとことがカッツォ君らしいわね」
「そーだなー」
俺と彼女の結婚が数年前、その時にはシルヴィアと夏目さんが目に見えないバトルを
繰り広げていたが……
「懐かしいわねー…私たちの結婚式の二次会でカッツォ君にモデル達を近寄らせないように
二人が鉄壁のガードを敷いてたっけ」
「いや、あれは何というか……
肉食獣がエサを取り合ってるようにしか見えなかったけどな……」
「楽郎君からみればそうだろうけど……
彼女達もそれだけ必死だったのよ」
どうやら俺のし知らない事情もあるみたいだ。だが、彼女が話さないというのであれば
それは知らなくて良いことなのだろう。
昔を見るような、どこか遠いところを見ているような目をした彼女は
とても柔らかい笑みを浮かべている。
仕事の時のキメた『天音永遠』とは全然別のとても柔らかい笑顔。
その横顔に視線を奪われていると、会話が無くなったことに気付いた彼女が
俺に問いかけてくる。
「どーしたのかなー?
もしかして、見蕩れてたのかなぁ?」
茶化すように尋ねてくるが、俺は素直に首肯する。
「あぁ。陳腐だけど、その笑顔、好きだ」
「バッ!!」
その返しは想定外だったのか、途端に顔を真っ赤に染めた永遠は俺に背を向け席を立つ。
「どこか行くのか?」
「ちょっと顔洗ってくる!!」
言い残した彼女は洗面所へと消え、落ち着いたのか数分経ってから戻ってきた。
「本当に楽郎君は……
そういうところ、ズルい」
戻ってきて、再び俺の隣に座った彼女はそれでも尚引かぬ顔の赤さを誤魔化すように、
俺の胸へと顔をうずめる。
なんとなく頭を撫でながら、温くなったコーヒーを啜る俺。
その姿勢のまま幾ばくかの時間が流れる。
ようやく落ち着いたのか、俺の胸から顔を離すと同様に温くなってしまったコーヒーを口に含む。
やっぱりコーヒーは熱い方が旨いよなぁ。
淹れ直すか?と腰を浮かしかけた俺を止めるように袖をつかむ永遠。
「いや、いいよ。それより今は隣で話し相手になってくれる方が嬉しい、かな」
非常に珍しい永遠から素直な『お願い』に、ソファに再び体を預ける。
俺の肩に頭をのせるように体をもたれさせると、たまには思い出話でもどうかな、と永遠が口を開いた。
あぁ、良いさ。いくらでも付き合ってやるよ。
たまにはこんな休日も悪くない。