「おーい、ペンシルゴ・・・」
全く、困った旦那様だ。
現実ではその名前で呼ばないと決めたのに。
もしそのまま呼ぶようなら返事はしない、と心に決める。
「おーい、トワさん!」
まったく、しょうがないなぁ。
結婚して数年。しかしこの距離が彼には心地良いのだろう。
だから敢えて自分から距離を詰めにいく。
「ん、何か用かな、ダーリン?」
例え家の中でも他人に甘えた姿は見せたくない。
いや違う。彼だからこそ見せたくない。
寝起き直後や風呂上がりなんかはしょうがないけど……
それでも彼の前ではキレイでありたい。
よし、今日のメイクも良い感じだ。
鏡をチラ見して満足した永遠は楽郎の居るキッチンへと赴く。
コーヒー豆を入れた袋を持っている旦那様の姿が目に入る。
「コーヒー淹れるけど、飲むか?」
あぁ、そっか。今日は休日か。
珍しく二人の休日が合ったんだっけ。
コーヒー、の言葉でどこかボケた頭のピントが合う。
楽郎君と居る休日の過ごし方。
いつからか、彼と休みが一緒のときはコーヒーを入れてくれるようになっていた。
結婚当初、二人はスケジュール的にすれ違ってばかりだった。
楽郎が休みの時は自分がロケやらイベントやらで家に帰れず、
自分が居る時は出張で楽郎君が家に居ないことばかりだった。
「あ、飲む飲む。楽郎君の淹れたコーヒーは美味しいからね」
間髪入れずに飲む、と私は楽郎君にお願いすると、
リビングのソファにからだを預ける。
楽郎君がコーヒーを入れている後ろ姿が良く見える。
そんな光景をボケっと見ながら、先ほどの続きに思いを馳せる。
いつだろうか、家族って、夫婦ってこんなものだっけと思ったのは。
夫婦ではなく、同居人、あるいはルームメイト。
結婚という区切りは付けたが関係は以前よりも後退している気がすると思ったのは。
そんな時だった。たまたま休みがあった休日、寝室からキッチンへと出てきた自分の目に、
楽郎がコーヒーを淹れている姿が目に入った。
飲むか?と聞いてくれて、うん、とだけ答えた永遠。
髪だけは梳かしたものの、スッピンで如何にも寝起きです、と主張している顔。
ソファの前のテーブルに、コーヒーを入れたマグカップを置いた楽郎。
ありがとう、とも言わずに口をつけると、芳ばしい香りの酸味と苦みの調和のとれた液体が
喉を滑り落ちる。
思わず、美味しいと呟き顔を上げると、彼女の顔を満足気に笑いながら見ている楽郎の姿。
いつぶりだろうか。彼をまともに見たのは。
放っておくといつもジャージとは妹の瑠美さんから聞いていたので、
それは禁止、と結婚当初に言い渡した。
今日も律儀にそれを守っているのかカッターとデニムのラフな格好ではあるが
どこに行くにも恥ずかしくない。
それに引き換え自分はどうだろう。
髪は梳かしたとは言えスッピンの、寝起きでございと主張せんばかり恰好。
途端に恥ずかしくなって、慌てて自室に戻り着替えとメイクを済ませて戻る。
どうしたのかと聞かれたが何でもないで押し通し、コーヒーを再び口に運ぶ。
温くなったかと思ったがコーヒーは熱々のままだ。
楽郎に淹れ直したのか、と尋ねる。
どうせ飲むなら美味しい方が良い、と笑って答える楽郎。
それからだ。
休日の朝は楽郎の淹れてくれたコーヒーを飲むようになったのは。
それと、一緒に現実で過ごすようになったのも。
目の前に運ばれたコーヒーは、その時と同じ味がする。
「朝に楽郎君のコーヒーを飲むと休日、って感じがするわ」
しばし目を閉じて味わった私は目を開けて彼を見る。
思い出よりは若干貫禄が出てきたかな、という程度だが彼の変化が分かることが嬉しい。
何を話そうかと若干考えた時、そういえばシルヴィアさんがついに魚臣君を射止めたという話を聞いたことを思い出す。
「そうそう、カッツォ君、ついに年貢の納め時らしいよ?」
「えっ!?マジで?どっちがドレス着るんだ?」
その反応に思わずふきだしてしまう。
そりゃカッツォ君は『受け』だけどさぁ…
「ちょっとそれはヒドイんじゃない?
でも、あながち間違ってなさそうなのが怖いわね」
ウェディングドレスの魚臣君を思い浮かべ、内心苦笑しながら言葉を続ける。
「まぁ、二次会の余興だったらアリかもだけど……
さすがにウェディングドレスは憧れの象徴の一つよ?」
オンナノコの憧れなんだから、あまり茶化すもんじゃないわよー付け加えて。
何かが振動している音がする。ふと目を遣ると楽郎君の前に置かれた端末が震えていた。
楽郎君が手を伸ばし確認すると、魚臣君から楽郎君への結婚式への招待らしい。
文面を二人で確認する。
「ついに、ってとことがカッツォ君らしいわね」
「そーだなー」
数年前の自分たちの結婚式の二次会で、自分が招待したモデル達から
彼を守るように夏目ちゃんとシルヴィアさんが奮闘していたことを思い出す。
「懐かしいわねー…私たちの結婚式の二次会でカッツォ君にモデル達を近寄らせないように
二人が鉄壁のガードを敷いてたっけ」
「いや、あれは何というか……
肉食獣がエサを取り合ってるようにしか見えなかったけどな……」
「楽郎君からみればそうだろうけど……
彼女達もそれだけ必死だったのよ」
楽郎君が魚臣君とシルヴィアさん、夏目ちゃんを結婚式に招待したのは良いのだが、
魚臣君はプロゲーマー。モデルの子達からすれば鴨が葱を片手に鍋とガスコンロを
背負って来ているようなものだ。
式の連絡をしたとき、夏目ちゃんとシルヴィアさんが揃って土下座せんばかりの勢いで
メイクと衣装を教わりに来てたっけ。
非常識とは分かっているが、こういう時に頼れる人間が居ないって。
女性としては共感もできる。
付き合いも長いこともある。
自分と親交のあるメイクさんと衣装さんを紹介してあげたっけ。
二人とも、元の素材は悪く無い……どころか
シルヴィアさんに限れば写真集まで出していたりとそんじょそこらじゃ勝負にならないのに。
式当日、変身したかのようなシルヴィアさんと夏目ちゃんを見た魚臣君が珍しく二人を褒めてたっけ。
二人とも、式の後で泣きながらありがとうって言ってくれてたわね、そういえば。
なんとなくそんなことを思い出し笑ってしまう。
一人で思い出に浸っている自分に気付き、いけないいけない、と話題をふるべく
楽郎君の方を見ると呆けたような表情でこちらを見ている。
よし、ちょっとからかってやるか。
「どーしたのかなー?
もしかして、見蕩れてたのかなぁ?」
彼のことだ。慌てて否定するに違いない。
その後でどう料理してやろうかと考えていると、想定外の返事。
「あぁ。陳腐だけど、その笑顔、好きだ」
「バッ!!」
おーおー、これだからこの旦那様は。
このクソゲーマーは。
想定外の返事してくるんじゃないわよ!!
嬉しいけど、嬉しいけど!
こんな時だけ素直になってんじゃないわよ!!!
嬉しいけど!!!
自分でも顔が真っ赤になっているのが分かる。
洗面所で顔、冷やしてこよう……
「どこか行くのか?」
「ちょっと顔洗ってくる!!」
洗面所で顔を冷やし、楽郎君の所へと戻る。
隣に座り、まだ赤いだろう顔を見られたくないので、彼の胸に顔をうずめることにする。
「本当に楽郎君は……
そういうところ、ズルい」
言うつもりは無かった言葉が口から零れる。
多分、彼は困った顔をしているだろう。
ぽふっと頭に置かれた手が優しく撫でてくる。
楽郎君の若干早くなった鼓動が聞こえる。
その体温が心地よい。
そろそろ落ち着いたかな、と彼の胸から顔を離しコーヒーを口に運ぶ。
自分が悪いんだが、コーヒーは温くなっている。
淹れ直すか?と腰を浮かしかける楽郎君。
違う、今は隣にいて欲しい。
言葉には出せなかったけど、態度にそれが出てしまった。
彼の袖をつかんで引き止める。
「いや、いいよ。それより今は隣で話し相手になってくれる方が嬉しい、かな」
続く言葉は自分が思っていたよりも、ずっと素直に出てきた。
少しだけ目を見開いた楽郎君は笑顔を浮かべると
ソファに腰を下ろして続きを促した。
さて、今日は一日付き合ってもらうんだからね、旦那様!
こういう一日も良いものでしょう?