出会いの日から数週間後、このアジョラ・グレバドスという名の最上級大虚と接して、ハリベルはわかった事が幾つかあった。
『ハリベル? 剣デ叩クノハヨクハナイト思ウゾ。剣ガ折レタラドウスルンダ?』
「――――――くっ!」
まず、無茶苦茶硬い。ハリベルが何れだけ引き剥がしたり、追い出そうと大剣を振るおうと傷ひとつ付かないレベルである。
『…………エッ? 虚ッテ人間ヲ食ベルノカ?』
「何を言っているのだお前は……」
そして、常識がまるでない。ウェコムンドから余り出ないハリベルどころか、虚になり立ての人間だってもう少しマシなレベルである。
『■■■■■■■■■――――!!!』
『オオ、ハリベル。アノ威勢ノイイ奴ナラ話セソウダナ!』
「戻れ」
トドメにやたらお人好しで人懐っこい。簡単に悪い者に騙されて、ホイホイと着いていってしまうとハリベルがちょっと心配になるレベルである。
そして、最終的に一応は同種であり、虚らしからぬアジョラ・グレバトスという性別もよく分からない最上級大虚と、ハリベルは半ば無理矢理ながらに行動を共にすることになったのであった。
まあ、虚のはみ出し者という点では、彼女自身も人の事を言えない事は自覚しており、なんだかんだ面倒見のいい性格のため、放っておけなかったと言うことは多分にあるだろう。また、無意識に寂しかったということもあるのかもしれない。
そして、暫くアジョラと接しているうちにハリベルは多少の心配と共にある疑問を覚えた。
「お前……食事はしないのか?」
『ンー? 喰ワナケレバイケナイノカ?』
それはアジョラがハリベルと共に行動している数日の間、一度も食事らしい食事をしていないどころか、彼女が見ている限り何かを口に入れた事すら無いと言うことである。
通常の虚ならばとっくに飢えに襲われ、無差別に虚や魂魄を補食に走っていても何も可笑しくはない状態であろう。それにも関わらず、首を傾げてそんな言葉を返すアジョラは空腹どころか我慢しているような様子すら見受けられない。
『空腹トハナンダ……?』
そして、会話の中でアジョラが呟いた疑問は記憶喪失だとしても余りにも衝撃的な内容であった。
ただの魂魄は空腹を覚えないが、虚は本能に従って喰らうような存在のため、その食欲は渇望と言っても差し支えないだろう。最上級大虚にもなれば、それもかなり落ち着きはするが、それでも無くなると言うことは決してないのだ。
『…………虚トハソウ言ウモノナノカ。ナラ我ハ……イッタイ……』
ハリベルから虚の食事や空腹についての事を聞いたアジョラは自身という不明な存在について自問自答を始める。その様子は虚というよりも僧侶か何かのようにさえ思えるかもしれない。
するとアジョラは何か思い付いたように頭を上げ、ハリベルの方を向いた。
『ソウ言ウ汝ハ、ナゼ倒シタ虚を喰ワヌノダ?』
「…………それは――」
アジョラから飛び出した言葉は、自身の事すら何もわからないにも関わらず、ハリベルを気遣うようなモノであった。
それにハリベルもまたポツリと胸の内を溢し始める。それはアジョラがとても純粋で無垢な存在に思えるため、つい口を開いてしまっただけなのかもしれない。
今までのハリベルは他の虚と
虚からすれば異端にも近く、優し過ぎるとも言えるその考えは大多数の虚からすれば理解すら出来ない事であろう。虚の分際で何をと、死神どころか虚にさえ嘲笑われるかもしれない。
『犠牲ニヨッテ得タ"力"デ強クナリタイトハ思ワナイ……カ。ウンウン、良イ思想ダ。優シクテ良イジャナイカ』
「止めろ……」
しかし、胸の内を聞いたアジョラは興味深そうに自身の顎に手を当ててから、幾らか声を明るめに張り上げつつそんな称賛の言葉をハリベルに送った。
そんな様子のアジョラにハリベルは今更ながら口が滑ってしまったと反省しつつ、羞恥に頬を少し染めてアジョラから顔を背ける。
『タダ、折角ナラバ"犠牲ヲ出サナイ世界ヲ作ル"……トマデハ言ワナイガ、セメテ安住ノ地ヲ作リ、ソレヲ守ル為ニ"力"ヲ付ケルグライノ向上心ハアッテモイイカモ知レナイナァ』
「守る力をつけろと言うのか……?」
しかし、ハリベルの言葉は特に気にした様子はなく、アジョラは更に独白のような会話を続ける。とは言え、真摯に向けられたそれらの言葉を彼女は無下にすることもなかった。
『"力"ノナイ理想ハ戯レ言ニ同ジ。シカシ、理想ノナイ"力"ハゴッコ遊ビト変ワランヨ。汝ハキット王ニナリ、他ヲ導クダケノ理想ガアル。言イ換エレバ他ヲ汝ノ理想ニ染メル力ヲ汝ハ持ッテイルノダ』
「……………………」
その言葉は陳腐ではあったが、記憶喪失にも関わらず酷く実感が籠っているような抑揚の中に悲哀を感じ、ハリベルは何とも言えない表情で閉口する。
饒舌になったアジョラは記憶喪失がなくも、魂に刻まれた古い記憶と本能で語っているようにさえ思え、ハリベルには別人になったようにさえ思えたが、目の前の翼の生えた骸骨は紛れもなくアジョラ・グレバトスであろう。
「……だが、私にはお前が言うような大層な理想はない。買い被り過ぎだ……」
『ソンナコトハナイ。確カニ汝ノ理想ハ汝ノ中ニシカ無イノダロウ。シカシ、必ズ汝ハ己ヲ賭ケルニ足ル何カヲ見ツケルト断言シヨウ。例エバ守リタイ者、生キテイレバ直グニ1ツヤ2ツハ見ツカルモノダ。理想ニ大キサノ区別ハナイ』
するとアジョラは顎に手を当てつつ少しだけ考え込むと、思い出したように軽く手を叩いて鳴らしてから暗い瞳孔を笑みに歪める。
『ソウダナ――今、我ガ守リタイモノハ、"ハリベル"ダケダヨ?』
「……………………そうか」
告白のようにも思えるが、全く他意はない様子で放たれたその言葉にハリベルは小さく溜め息を吐いて顔を背けた。
アジョラは悪意すらない無垢な子供のようでもあるため、扱いは難しくはないが、こう言った純粋な好意を受け止めるには、寒々しいウェコムンドで半生を過ごしているため、慣れていないハリベルにとって余りに酷であっただろう。とは言え、やはり嫌という訳ではないため、ただ何とも言えない居心地の悪さを感じるだけである。
『汝ノ考エハ結局ノトコロ、汝ガ"憐レミ"ヲ持ッテイルト言ウコトダ。ソウデナケレバ、我ハ汝ニ襲ワレテイタ事ダロウ。自分自身ヲ憐レミ、他者ヲモマタ憐レム……大多数ノ人間ダッテソウ易々ト出来ルモノデハナイ。ダカラコソ汝ハ、自身ヲ縛ルノダ。紛レモナイ汝ノ素晴ラシイトコロダヨ』
「だから止めろ……」
何度も頷きながらとても感心した様子で尚もハリベルを讃えるアジョラ。ハリベルはそうは言うが、特に止めるために行動する様子もない。善意しかない虚の扱い方など、虚には難し過ぎるのだろう。
確かに善意の塊のようなアジョラは虚から逸脱し過ぎているが、このような者と行動を共に出来るハリベルもまた虚としてはかなりの変わり者と言えるかもしれない。
『マア、ト言ウヨリモ汝ノ性格モアルダロウ。1人デイルノハ楽デ好キダガ、独リデイルノハ辛ク寂シイ。ソンナ矛盾シタ感情コソ汝ノ人間ラシサダ』
「…………人間らしさか。フッ……虚の私にはなんという皮肉だろうな」
ハリベルが自嘲気味に薄笑いを浮かべていると、アジョラは仮面の付いた虚らしく感情を移さない黒い瞳孔を少し細める。
強くなれば強くなる程、虚は人間性を再獲得していく。しかし、それに差はあれど基本的には退廃的で破壊的なモノが虚であり、ハリベルほど人間らしくなる虚はかなり稀な存在と言えるだろう。それが余ほどに彼女の核になった人間が聖人のように良くできた人間だったからなのか、ただの神の悪戯かは誰にもわからない。
『汝ハ虚トシテノ自身ノ事ヲ過剰ニ憐レンデイルヨウニモ我ニハ思エナクモナイ』
「別にそんなことはない……」
ハリベルとしては虚の誇りと言うほどのモノはないが、別段に死神や人間を羨んでいるということもない。しかし、一抹の他人恋しさを自覚させられ、こうしてアジョラのような話のわかる者と話す事に安心感と充足感を覚えないと思えば嘘になる。彼女はそんな虚であった。
『虚ハ罪ナ生キ物ダトイウ事ハ我デモ明白ダト分カル。ダガ、ダカラトイッテ人間ガ罪デナイ事モマタ1度モナイノダ。ソンナ人間トソレカラ生マレタ虚ニ優劣ヲ付ケル事コソガ最モ烏滸ガマシイ行イダトハ思ワナイカ?』
「つまりは何が言いたい?」
『元ヨリ、人間ト虚ハ同ジモノ。ナラバヨリ好キニ――自由ニ生キルベキナノダ。ハリベル』
「私は自由でないと……?」
『鏡デ1度見セテヤリタイ。我ト他愛モナイ会話デタマニ笑ウ汝ハ、トテモトテモ優シイ表情ヲシテイルゾ。ソチラノ方ガズットイイ』
やはり口説くようにそう問い掛けるアジョラ。しかし、ハリベルも次第に慣れてきたのか、それに対しての返答はなかった。
『ヒトツ……思イ出シタ事ガアルンダ』
するとアジョラはそう言いつつ少しだけ屈んで、片腕をハリベルの胸の前に来るように近づけると共に掌を見えるように向ける。
「――――――――ッ!!!?」
その次の瞬間、ハリベルは生まれてから一度も感じた事がない程に途方もなく莫大で、さながら豪雨や激流のように感じる霊圧をその身に浴びせ掛けられる異様な体験をし、思わず膝を突きそうになる。
だが、ハリベルが膝を突く前にそれは収まり、眼前のアジョラの手の中で"濃水色で壺あるいは瓶のような形をした宝玉"のようなものがいつの間にか浮いていた。
「なんだそれは……!」
ハリベルが唖然とした様子で眺めるその宝玉は、彼女に向けられていた霊圧が収まっただけであり、依然として彼女が決して足元にすら及ばず、見上げようとも全容すらわからない程に莫大な霊圧を宿している。
また、宝石は脈打つように規則的な淡い輝きを見せており、無機物にそのような霊圧が込められていると言うよりは、この宝玉自体がまるで生きているようにさえハリベルには思えた。
『我ハコノ"
契約という意味はまるでわからないが、前半の奇跡と言うものを万能の願望器だとすると、決して良くはない効果を使用者にもたらすという事をハリベルは暗に理解した。
そして、それはこれだけ莫大で異様な霊圧の塊が込められたモノではない何かを、さも当たり前のように何処からともなく取り出して見せた、霊圧の一切感じないアジョラという虚の異様さにようやく気づく。
『コノ
そう言ってアジョラは掌をハリベルの方に傾け、聖石アクエリアスを彼女の目の前まで近づけた。あくまでも彼女の意思をアジョラは尊重する気らしい。
『仮ニ虚ダトイウ事ガ悪ナノナラバ、決シテ奇跡ハ起キヌハズ。我ハ奇跡ヲ持タヌハズダ』
「…………随分、遠回しな激励だな。本当にそれがお前の力なのか?」
『ソウダナ……半分ハソウデアルヨウデ、モウ半分ハ違ウヨウナ……ナンダカ我モヨクワカラン』
「よく分からないモノを渡して来たのかお前は……」
『マア、
「……………………」
既にハリベルはアジョラ・グレバドスという名の最上級大虚が、自身の知る虚とは根底から大きくズレた何かだということには気づいている。
そして、これまで少しの間、行動を共にしたからこそアジョラは善意で今こうして自身の力を分け与えようとしていることにも思い当たった。
『平和ナ事ガ何ヨリナノダガ、コノ世界ニソレヲ求メルノハ酷トイウ事グライハ覚エタゾ。ダカラ、欲シイナラバ手ヲ伸バストイイ。ソレダケデイイ』
「私は……――」
ハリベルは目の前で浮く、ゾディアックストーンへと手を伸ばし――。
――自身の仮面が割れる音を聞いた。
◆◇◆◇◆◇
「フフフーン♪」
羽っぽい癖っ毛の生えた銀髪の女性――アジョラ・グレバドスはテーブルの上でコーンポタージュ味のうまい棒一本と、メロンソーダ粉末を溶かした緑色の水が入ったコップを持っていた。
「フフフフーン♪ フンフンフッフフーン♪」
次にコップをテーブルに置くとうまい棒を開けて咥える。そして、メロンソーダ粉末を溶かしたものにストローのように突き立てるとそのまま勢い良く啜った。
「――――ウブ!? ゲホッ!? ゴフッ!? ブホッ!?」
「……………………お父さんあんなのだよお母さん」
「そこがまたいいんだ」
「ええ……」
暫く咳き込みむせた末、アジョラは目の端に少し涙を溜めながらバシバシと机を叩き、恨みがましく何処かを睨み付ける。
「ウ、ウマイッテ言ッテタノニ……アノ"下駄帽子"……!」
「浦原さんが言ったことを鵜呑みにしてるんだけど……?」
「純粋で可愛いだろう?」
「ええ……」
聖石アクエリアス
アルテマが体内に持つゾディアックストーンのひとつ。ひとつ譲渡したため、同様の性質のものが後、11つ存在する。かつて前の世界で霊王を始めとした人間と戦い抜いた虚――ルカヴィたちそのものの成れの果てであり、超高密度の霊圧が圧縮された物体でありながら同時に生きている。これはファムフリートという名の最上級大虚のもの。
能力としては、使用した場合に力を持つ者によって形を変えるようで、清い心を持った者には奇跡を、悪しき心を持った者にはルカヴィとの契約を呼び寄せる。
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