──もう、随分昔の話だ。
俺は下っ端も下っ端で鬼殺隊に属していた。呼吸は使えたが無いよりマシ、要は毛の生えた程度。鬼を殺したのなんて入隊試験の他のヤツが必死こいて傷付けた下級の鬼をおこぼれで倒した時だけだった。
当時は、金も無かったし身寄りも無かったから、行く宛ても無ければ明日の飯どころか命がある保証すら無かった。だから、生き繋ぐために、どうしようもなく鬼殺隊に入った。楽に今すぐ死ぬか、苦痛に塗れて明日明後日に死ぬか。そんだけの単純な2択の後者を取っただけだ。
だが、まぁ。生まれてこの方悪運は強いもんで。雑草が毒草でも、崖から落下しても、たまたま免疫が強かったり、落ちた先が滝の窪だったりしてそれはもうしぶとく生き残ってた。そう、俺は先輩、後輩、同期が高い屍の山を積みあげようともたった一人で生き残っていた。
「……ちくしょう、ちくしょう!」
──でも、あの時は運の尽きが来たと思った。
俺が100人いようが歯も立たないような柱達が下弦やら上弦やら鬼舞辻無惨やらの尻尾を掴んだとかの頃だったと思う。
柱達やら功績を上げ続ける新人達やらが理外の化物共と戦っている中、雑多の鬼殺隊はそれに乗じて運びる雑魚の鬼狩りに回されていた。対した知能も無ければ、血鬼術のような特異で手を焼くものも居ない有象無象の鬼、それも性質上単独行動をしているのならば大丈夫──そう、上は判断したんだろう。
「やめ、やめ……アアァァァ”!」
「引くな、引くな!攻め───」
「あぁ……あぁ……ごめんな──」
地獄だ。地獄だった。あれが地獄以外の何だと言えばいいのか、今でも分からない。
ただ一つ分かっていたのは、叫び声を上げたヤツとはもう会えないって事だけ。
逃げた。俺は逃げた。
持っていた日輪刀と鞘を投げ捨てて、怨嗟と嗚咽とが溢れる戦場から背を向けて逃げた。木の根に引っかかって、何度も転んで、転んで。それでもあんな風になりたくなくて。仲間に謝罪なんて、頭に無かった。どう、生き残るか。どうしたら、生き残れるのか。それ以外無かった。
皮肉にも呼吸で鍛えた肺活量のおかげと、何処までも力が湧くような感覚で何処までも走れた。無我夢中で、今がどこだか分からなくても。
そして、月が綺麗に見える崖まで来て一歩も動けなくなった。その時にはもう仲間の悲鳴も鬼の下卑た叫びのどっちも耳には無い。……正直、安堵したとも。赤ん坊がぴーぴー泣くみたいに、俺の目尻からは止めどなく涙が溢れていた。
──あぁ、俺は生き残ったんだって。
「……イタ」
「あ……」
哀れだろう。
鬼の身体能力にロクに呼吸を使いこなせないヤツが逃げ切れるわけが無いんだって思い知らされた。木々の合間から目があったソイツの手は黒だか紅だか、土色だか分からない位に汚れていた。何でそんなに汚れているかなんて考えなくても分かった。あぁ、コイツが仲間の鬼殺隊を惨殺したんだってな。
ソイツはこちらと目が合うと、喜悦に顔を歪ませた。この人間はどんな味がするんだろうか、こいつは美味しいんだろうかって、まるで俺たち人間が食事を前にした時の反応みたいに。
「は、はは……」
股間が温かくなり、水の滴る音が尿素の臭いが立ち込めたよを今でも覚えている。生き残ったという希望から、今から死ぬんだという絶望に叩き落とされた俺の心は、楊枝を折るが如く、完全にへし折れていたんだ。
ゆっくりと此方に近付く鬼。辞世の句でも読めればこんなくだらない人生にも意味を見い出せたのかもしれない。だが、そんな風雅な思慮は微細にもなく、鋭く伸びた爪で首を掻っ切られて死ぬ幻影だけが飛び交っていた。
「嫌だ……死にたくない……こんな所で……」
懐に仕込ませておいた一枚の手紙。そこには俺と……初めて俺を受け入れてくれた心優しい女性。この鬼狩りが終わったら、添い遂げようと決めていた人だった。朗らかに笑う顔。艶やかに舞う髪。俺を包み込んでくれた温かさ。全てが愛おしい。
だが──もうそれを感じることは無い。
日輪刀は捨てて手には無い。後ろの崖は高く落ちたら即死は免れず、かと言って直進すれば鬼の手によってこの命はちり紙同然に消える。詰みだ。分かっていた。
自分が逃げて、逃げて、逃げ続けたそのツケがこれなのだろう。
「モウ、逃ガサン」
「………っ!」
震えていれば、鬼はもう目と鼻の先。後、1歩か2歩か。それだけ踏み込めばおしまい。
覚悟も、何も決まっていやしない。濃厚な死の恐怖はある。だが、それ以上に死という在り来りな未知に面と向き合って来なかったから、実感がない。けれど確かにある死の恐怖に冷や汗が吹き出て、心臓の動悸が荒ぶる。呼吸が大きく乱れ、刺激臭のする吐瀉物を撒き散らし、そして一つの考えが過ぎった。
死んで──そしたら、来世では彼女と会えるのだろうか、と。
「死ネ」
爪が振り下ろされる。ゆっくり、ゆっくりと。実際には速いのだろう。だけれど、時計の短針みたいにゆっくりだった。あの爪は容易く骨を砕き、肉を弾けさせるだろう。顔がぐしゃぐしゃになって、見る影もなくするだろう。
そしたら──優しい彼女はきっと泣いてくれるだろう。泣いて、泣いて、それでも泣くだろう。けれど、彼女は独り身で少し変わっているから、誰もそれを慰めてくれはしない。俺だけだ。彼女を慰めてやれるのは。
(嫌だ)
来世とかじゃない。今の彼女を悲しませたくない。
(嫌だ!)
ここで死ねない。死んだら、彼女を抱いてやれない。
(嫌だ!!!)
彼女を守りたい。だか、死ねない──死ねない、死ねない!
果たして──最後の闘争心が燃えたとしても、遅すぎた。
俺には何も出来ない。鬼に立ち向かう事も、倒す事も。
だけれど──もしかしたら。
そのちっぽけな願いが『彼』を呼んだのかもしれない。
「ナ、ナンダ!?」
強い光が落ちた。光が落ちてきた。太陽かと紛う程に明るい光。青い光は稲妻を帯びており、大地を鳴動させる。
俺に手を掛ける寸前で、飛び退く鬼。
そして──光の中から『彼』は現れた。
「……は」
それは蒼い大きな鉄に覆われた巨人。目から眩しい光を放ち、手には見た事もない大きな鉄の塊を持っていた。
「……!死ネ!」
刹那、光に呆気に取られていた鬼が『彼』に襲いかかる。誰かは知らない。けれど、鬼の圧倒的な力と俊敏性の前には幾ら鍛えられた鉄であっても容易く砕かれてしまう──そう思って、俺は叫ぼうとした。
だが、次の瞬間には鬼は消えていた。一部の辺もなく。
『彼』が構えた鉄塊。それの先から耳を劈く爆発と蒼く熱い一閃が迸ると、鬼はその体を再生させる事すら無く消えていたのだ。
「は…………え」
何が起きたか全く分からなかった。訳の分からないまま、顔をその巨人に向ける。巨人は俺の顔を見て、それからくぐもった声でこう言った。
「ミニッツメンだ」
──昔の話だ。
突如、現れて俺を助けてくれた巨人。ソイツは後に鬼殺隊から「将軍」と呼ばれるようになっていったらしいが、俺はその時には鬼殺隊を引退していたからよくは知らない。
ただ、今でも時折思い出す。
あの時の青い鉄巨人の大きな背中を。
鬼滅の刃完結記念という名目のクロスオーバーです。