貞操観念逆転世界で勘違いから主人公を振った幼馴染みがヤンデレ過保護になってしまったっていう話。 作:詞瀀
学校が終わって放課後。眠気が出てくる時間帯に少し欠伸が出た。滲む視界に赤く染まっていく太陽の光が暖かくて、まるで全身が溶けてしまうようだ。
ーーーあぁ、このまま溶けて無くなってしまえればいいのに。
「今日どこ行く?」
「サイゼじゃね?」
「えーっ。今日は僕、ボーリング行きたいなーって思ってたんだけどー」
「まじー? 穂高君そういうの行かないと思ってたわー」
「えーっ。そんなことないよー」
「ーーー」
「ーーー? ーーーーー。ーーーーっ」
周りの雑音が耳を通っていくのを感じる。騒音に意識を取られるのが嫌で、イヤホンを付けようと準備しながら、かつては自分もああやって騒いでいたな、とふと思う。
ーーーだって、放課後には彼と一緒に居れたから。
「っ!」
頭に思い浮かんだ彼との幸せな記憶を思い出してしまい、咄嗟に首を振った。
自分には彼との思い出に浸る資格などないのだ。汚れ切った私が彼のことを想うだけで彼が汚れてしまう。思い出の中で微笑んでくれる彼の柔らかな純白を穢したくなくて、必死に他のことに気を使おうとする。
(イヤホン、イヤホンはどこ? 音楽を聴かないと…!)
フラッシュバックする光景。彼の泣き顔に愉悦すら覚えていた自分を縊り殺してやりたくてたまらない。
でも、彼が私にくれた命だから。せめて彼が救ってくれた価値が、ほんの一欠片でもあったのだと証明するために、毎日を生きていくのだ。生きていかなければならないのだ。
そうで無ければ、私には呼吸することすらままならない。
生きていくということが辛すぎて。
ーーーあぁ、死んでしまいたい。いや、あの頃の自分に思いつく限りのありとあらゆる拷問を加えて殺してやりたい。
そしたら少しは胸がすくだろう。
「ーーー! ーーっ!」
(今日は、彼のいる病院に行って、少しだけ
少しでもいい人生を送る為に。価値のある自分になる為に。
努力を積み重ねるのだ。
彼の尊い人生の一欠片でも、この生に価値があったのだと思えるように。
(ーーーいや、そんなわけないか。)
思わず自嘲する。
彼の人生のほんの一部でも、私に価値があるわけがないのだ。
「ーーー! ーーーさん! 琴ノ嶺さんってば!」
(ーーー私の名前?)
思わず自分の名前が聞こえた方に目をやると、比喩抜きに、本当に眼の前に男の子の顔があって思わずのけぞった。
「…えっと、私?」
「そうだよーっ! 琴ノ嶺さんったら、幾ら呼びかけても気付いてくれないんだもん! 無視されてるのかと思っちゃった」
…誰だろう、この子。
「…そう。ごめん、気づかなかった。それで、何か用でもあるの?」
そう言えば、目の前の男の子が少し顔を赤らめて見つめてくる。
「ーーーはぁ。琴ノ嶺さんってクールだねぇ」
…は?
(さっきからなんなんだろう。早く彼の所に行きたいんだけど。)
「……そう。それはどうも。で、用件は?」
「ーーーっ、えっと、さ。その、これからみんなでボーリングしたりしにいくんだけど、琴ノ嶺さんも一緒にどうかなーって思って。…どうかな? みんな、琴ノ嶺さんが来てくれたら嬉しいんと思うんだ。も、もちろん僕も、その……嬉しい、かなーって」
「ごめん、いい。用事があるから。誘ってくれてありがとね」
どうでもいい話に時間を取られたくない。けれど、それは対応をおざなりにしていいというわけではないのだ。
最低限、相手を気遣った言葉遣いをしなければ無闇に敵を作る羽目になる。
ーーーそれで去年は最悪な目にあったのだから。
(……っ!)
それを思い出してしまい、思わず顔を少し歪める。
(嫌なことを思い出した。最悪。早く彼の所に行ってーーー)
……行って、どうするというのだろう。
いや、今、私はどうするつもりだった?
ーーーまさか、救われたいなどと思ってはいなかっただろうか?
(最悪、最悪、最悪。ほんとに許し難い。なんでこんなに私は卑しいんだろう)
「ーーーあ、あのっ! ご、ごめんね。急に誘ったりして。でも、別にそんな気にしなくていいんだよ?」
……?
話している途中だったのを忘れていた。しかし、相手が何を言っているのかが理解できない。
顔を更に赤らめて、少し嬉しそうにしながら男の子が話しかけてくる。
「えへへ、ごめんね、本当に気に病まないで? また誘うからさっ! そうだ、連絡先交換しない? こんなことないように、先に連絡とか取れるしさ!」
ーーーは?
(気に病まないでって、何? しかも連絡先って……嫌に決まってるじゃん)
私は、彼以外の男と関わるのは必要最低限にすると決めているのだ。たとえ、この行動がどれだけ遅かろうと。
もう、意味なんて無かったとしても。
ーーーそれでも、私は。
「ごめん。本当に急いでるから」
「ーーーえっ? あっ」
さっさと教室を出ていく。教室に残っている同級生たちの好機の視線が鬱陶しい。
「まって、琴ノ」
それでもなお話しかけてくる男の子の声を遮るように、まるで急いでいて気づかなかったとでも言わんばかりに教室のドアを閉めた。
廊下を駆け足で移動しながら、バッグの中から取り出し損なったイヤホンを取り出す。携帯に繋げて音楽をかけ、そのまま二年教室のある二階の階段を滑るように下る。
途中で肩のぶつかった生徒に軽く頭を下げて、急いで学校をでる。
(一刻も早く、貴方の顔を見たいんです。)
ただ、それだけで幸せなんです。貴方と同じ空気を吸えると、もう死んでもいいって思えるぐらいなんです。
ーーーああ、けれど、それは私の幸せで。
貴方の幸せでは、決してないのだ。
(貴方には笑っていて欲しい。辛いことなんて感じず、毎日を幸福に生きていて欲しい。苦しさも、憤りも、何もなく。ただ、幸福に、かつての様に、微笑んで欲しいんだ。)
ーーー私にそれが出来るとは思わないけど。
ーーー私に、そんな権利があるとは思えないけど。
でも、その為ならなんだってするよ。
なんだってーーー。
(だから、あぁ。どうか、神様。私がどうなってもいいから、彼を目覚めさせてください。)
彼の眠る病院に向かって、必死に走りながらそう願った。
毎日、毎日、そう願っていた。
そしてーーー。
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「ーーーおはよう、父さん、母さん」
彼の病室に入る前に、丁寧に身なりを整えながら病院の廊下を歩き、深呼吸をする。そして彼の眠る病院のドアに手を掛けようとした瞬間に、そんな声が聞こえた。
ーーーあまりの衝撃に体が固まった。
それからしばらくドアの前で動けずにいた。貴方が目覚めてくれたという思いでいっぱいいっぱいだった。
ーーーけれど、ドアを開けることはしなかった。いや、できなかった。
彼に嫌がられるのが怖かった、というの勿論ある。でも、何よりも恐れたのは、私みたいな穢れた心の持ち主と一緒にいたら、貴方が汚れてしまうような気がしたからだった。
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とぼとぼと帰り道を歩きながら、彼のことばかりを考えていた。嬉しさと苦しさとで胸が張り裂けそうだった。
そんなことを彼に感じること自体が罪深く思えてしまって、もうどうしようもなかった。
ーーーあぁ、それでも私はーーー。
ようやく固まった決意と共に自宅の玄関を開ける。
ーーー大好きなんです。愛しているんです。
でも、それが報われて欲しいとは思わない。思えない。願ってはならないのだ。
ただ、貴方が幸せでいてくれるなら、それでーーー。
この身を捧げる。全てを貴方に。
知って欲しいわけではない。分かってもらいたいわけではない。
この想いが報われることはないだろう。それでいい。それがいい。
私なんてどうでもいい。あぁ、だから、どうか貴方が幸せでありますようにーーー。
貞操逆転世界ですよ?