『架空の財閥を歴史に落とし込んでみる』外伝:カリブ海に新国家樹立 作:あさかぜ
1948年2月某日、カリブ海中部のセラニャ礁とバボヌエボ礁が急に盛り上がった。その結果、大きな島が2つ誕生した。火山の噴火や地殻変動などが考えられたが、後に調査を行っても詳しい事は判明しなかった。その為、後に「超自然的な現象」や「宇宙人による島の創造」などが都市伝説として出てくる様になった。
新島の名前は仮に、西に出来た島を「セラニャ島」と、東に出来た島を「バボヌエボ島」とする。両島の面積は、セラニャ島は約4,017㎢、バボヌエボ島の方は約5,031㎢と、カリブ海の島としてはかなりの面積を持つ島となった*1 。
新しい島が出来ただけでも大ニュースだったが、問題だったのは第一発見者とセラニャ・バボヌエボ両礁を領有する国だった。
新島の第一発見者はソ連だった。当然、ソ連は先占の法理*2に従い、2月末に両島の領有を宣言した。
一方で、両礁はアメリカが領有していた。グアノ島法*3でアメリカ領となっているが、両礁はニカラグア・ホンジュラス・コロンビアも領有権を主張している。
第一発見者はソ連だが、元あった領土の所有者はアメリカであり、その領土の領有権を別の国が主張しているという状況であり、どの国の領土になるかが問題となった。そして、その問題を議論するには時期が悪かった。
1948年2月末時点で、東西両陣営の対立は至る所で激化していた。
ヨーロッパでは第二次世界大戦後、ソ連が占領した地域では共産主義政権が次々と樹立した。その中で唯一チェコスロバキアだけはソ連寄りながら東西双方の繋がりを持った政権が樹立したが、マーシャル・プラン*4の受け入れを巡ってソ連が反対した。その後、ソ連はチェコスロバキアにマーシャルプランの拒否などの圧力を掛け続け、1948年2月に政変で非共産党系の閣僚の大半が辞職して、その後任に共産党系の閣僚が就任する事態となった。この後、チェコスロバキアはソ連の衛星国となった。
また、ギリシャが英米の支援を受けている政府軍とユーゴスラビアなどの支援を受けている臨時民主政府とで内戦状態になっている*5。この頃は臨時民主政府の方が優勢であり、下手をすればギリシャが共産化してソ連が地中海に進出する恐れがあった。そうなればトルコは孤立する事になり、ソ連寄りの政策が採られれば、西側は東地中海での足場を失う事となる。
アジアでも、第二次世界大戦直後に満州・内蒙古に侵攻して未だに居座っており、東トルキスタンも勢力に収めている。国共内戦で中国国民党は劣勢に追い込まれ、朝鮮半島ではソ連が統治する朝鮮北部が独自に憲法の作成に動いたり、信託統治問題*6など南北が分裂、ベトナムではホー・チ・ミン率いるベトミンがフランスと戦闘状態にあった。
東ヨーロッパや東アジアといった主要地域でソ連の影響力が拡大している状況であり、これ以上の拡大は座視出来る状況では無かった。アメリカの裏庭であるカリブ海にソ連領が出来るとあっては尚更だった。
ソ連による領有宣言直後、直ぐにアメリカを主とする国々の要請で特別総会が開かれた。アメリカとしてはカリブ海にソ連領が誕生するのは何としても避けたかったが、その考えはソ連は理解しており、当然ソ連はアメリカに楔を打とうと考えていた。
両国以外にも、ベネズエラ・ニカラグア・ホンジュラスも領有を主張し、イギリス・フランス・オランダも近隣に植民地を保有している事から影響力を有したいと考えていた。各国の思惑が重なり合った事で、セラニャ・バボヌエボ両島の領有権問題は国連における最重要問題となった。
両者の意見は並行線を辿り、1か月経っても解決しなかった。その期間中、ソ連が実効支配の事実作りの為に文官や建築資材をバボヌエボ島に向けて輸送しており、それを阻止しようとアメリカ海軍が動いて臨検を行うなど緊迫した状況になった。
交渉は決裂寸前となったが、この問題で関わりが薄いアルゼンチンとエチオピア、投票権の無いオブザーバーとして参加していた日本*7による共同提案で、『国連による10年間の信託統治を経た上で、10年後に住民投票で決める』という案が出された。
アメリカとしては孤島とは言え領土を放棄する事になるものの、10年間はソ連領とならない事、その後の選挙で勝てば親米国家を増やせる事から、長期的に見れば悪い案では無いと考えた。それに、ここで交渉決裂になれば本当にソ連領になりかねないので、ここが落としどころだと考えた。
ソ連としては受け入れられる案では無かったが、ここで反対すればアメリカとの全面戦争に発展する恐れや譲歩の姿勢を見せる事で敵愾心を少しでも和らげようという意見もあった。また、選挙で勝てば親ソ国家が誕生するので、その方が公正さをアピール出来ると考えた。
ベネズエラ・ニカラグア・ホンジュラスは反対したものの、両超大国が妥協した事でイギリス・フランス・オランダも賛成に回り、この案は賛成多数で可決された。その後、内容が詳細に詰められ、4月7日に以下の事が決定した。
・セラニャ島・バボヌエボ島を合わせて「ユーシコフ諸島*8」と命名する。
・ソ連はユーシコフ諸島の領有権を放棄する。
・アメリカ・コロンビア・ニカラグア・ホンジュラスはセラニャ礁・バボヌエボ礁の領有権を放棄する。
・国連に加盟する全ての国のユーシコフ諸島に対する領有権を認めない。
・10年間は国連信託統治領とする。尚、信託統治の開始日時は現地時間1948年10月7日0時丁度*9とする。
・9年後に住民による総選挙を行い、独立か信託統治の継続を決定する。
・首都はバボヌエボ島西部の海峡に面した場所に置く。
・信託統治中の行政府として「統治委員会」を設置し、国連・アメリカ・ソ連・イギリス・フランス・オランダ・コロンビア・ニカラグア・ホンジュラスから1人ずつ参事を選出する。統治委員長は国連から選出された参事が就任する。
・世界各国・各地から移民を行う。但し、受け入れ人数は月間5千人まで、年間5万人までとする。
・各国の軍隊の駐留及び軍事施設の建設を認めず、最低限の警察力のみ駐留を認める。
・海峡部は国際海峡として全ての国に解放する。
・その他、必要な事は随時追加・訂正を行う。
・これらの条項は可決され次第、即時適用される。
こうして、カリブ海に新たに誕生した島の処遇は決定し、当面の道筋も決められた。米ソ両国は勢力圏を広げる事は出来なかった事に残念がったが、一方で全面戦争にならなかった事に安堵した。
兎に角、新しい国づくりが国連の手によって行われる事となる。